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第21話 目覚めを望まぬ眠り姫

 こういう場所を高級料亭と呼ぶのだろうか。


 史華は一生縁がないだろうと思っていた料亭に案内されていた。都心だということを忘れさせるのに充分な日本庭園を臨める小道を、離れに向かって歩いているところである。


「あ、あの……今から食事ってことですか?」


 気後れしながらも、なんとか疑問を口にする。十二時少し前。食事時といえば丁度良い頃合いではある。


 ドレスコードがありそうな店構えだけれど、化粧をし直さなきゃいけないものかしら? 結局借りたのってボレロだけだし……。


 不安な気持ちを乗せて問えば、悠は端正な顔を少し歪めた。そんな表情をしていても絵になってしまうのだから、イケメンはずるい。


「ただの食事じゃないよ。会食、かな」


「会食?」


「と言っても、俺たちはここでは食べないけどね」


「はい?」


 どういう展開が待ち受けているのか、史華はさっぱり想像ができなくて首を傾げる。


 会食ってことは、ここで誰かと会うってことよね。悠さんと二人っきりでは会食だなんて言い直さないだろうし。


 史華が疑問を整理しているうちに、悠に手を引かれたまま奥のお座敷に通された。


 上品そうな着物の店員がすっと襖を開けてくれる。


 と。


「――時間ギリギリに入ってくるとは、随分とお忙しい身分なのですね。前々からお伝えしていたはずですのに」


 先に到着していたらしい女性の、厭味が混じった声がキンキンと響く。


「前々から? ご冗談を、勢津子せつこ叔母さま。知らされたのは昨夜でしたが?」


 それに対し、一笑した悠は表面的には穏やかな表情で返す。二人の仲が険悪なのは、鈍い史華でもすぐにわかった。


「あら。悠さんには充分でしょう? ひと月前に連絡したら、「取引先に出向くことになった」などと言ってちっとも捕まらないのですもの」


 オホホとどこぞのお金持ちの夫人がしそうな笑い方をして返したのは、年齢不詳の女性。悠が「勢津子叔母さま」と呼ぶその人は、シックだがそれが値の張るものだとわかる黒い着物に身を包んでいる。


 この場にいるのは彼女だけではない。


 正面に並んで座っているのは親子らしい三人。振袖姿で着飾った若い女性と、その女性を老けさせたような留袖姿の女性、そして家紋の入った袴姿の男性。つまり娘とその親だろう。


 そして手前に座っているのは、どことなく悠に似た面影を持つ妙齢の女性と勢津子叔母さまの二人。


 これはまさか……。


 背中を汗が流れていく。気まずい雰囲気に、どうしたら良いのかわからない。


「おや。悠さん。こんな場に秘書を連れて来るだなんて無粋なことをするものじゃありませんよ」


 勢津子の視線が史華に向けられた。刺すような視線に痛みを錯覚する。


「秘書ではありませんよ」


 きっぱりと、そして底冷えのする声で悠は否定する。


「では、なんです? お見合いの場に恋人を連れて来た、とでも?」


 はっ、と勢津子は笑い、悠の反論を待たずに続ける。


「前に紹介された女性とは違うようですけど、どういうことです? 今はお付き合いしている女性はいないと聞いておりましたけど? 適当に女性を捕まえて、この場を逃げようとしたって無駄――」


「俺は本気です!」


 勢津子の台詞を遮って、悠は叫ぶ。そして、史華の肩を掴んで勢津子との間に移動させた。


 視線が突き刺さる。値踏みされているのがありありとわかった。


「本気ですって? どこの娘さんかは存じませんが、悠に釣り合うものを持っているようには見えませんけど?」


 反論できないな、と史華は思う。悠に釣り合うようなものは何ひとつ持っていないのは事実だ。史華にとって当たり前のことを指摘されたところで、はい、そうですね、と頷くだけなので、ちっとも心は痛まない。


 だが、悠は違ったようだ。真剣な眼差しを勢津子に向けて口を開く。


「釣り合うとか釣り合わないとか、そんなのはどうだって良いじゃないですか。結婚というのは、俺が一緒にいたいと思える人とするものでしょう!」


 悠は反論する。


 そしてその意見に、史華は概ね同意していた。付き合う時には釣り合っているように見えるかという周りの視線がどうしても気になってしまう。しかし、いざ結婚となれば、釣り合うかどうかいぜんに、本人たちが互いを必要としているかだと史華は思っているからだ。


「違います」


 悠の意見を、勢津子はあっさり否定した。


「良いですか、悠。あなたは会社を継いだのです。その意味をいま一度考えなさい」


「だったら、他の人間にやらせれば良い。能力のある人間に任せればいいでしょう⁉︎ 違いますか」


 勢津子に負けじと返す悠は毅然としていて格好良い。口説いている姿しか印象がなかったので、なかなかに新鮮だ。


 彼女がさらに何か言ってくるのではないかと構えていたのだが、不思議と勢津子は黙ってしまった。悔しそうな表情を浮かべて唇を引き結んでいる。どうも言い返せないらしい。


 口を閉ざす勢津子に、悠は続ける。


「勢津子叔母さま。このような会食を設けるのは金輪際やめていただきたい。今お付き合いしている女性、そしてこの場に呼ばれる女性の双方を不愉快な気持ちにさせてしまう。それは大変不本意だ。あなたは自分が呼んだ方々に失礼なことをしているという自覚を持ってください」


「…………」


「彼女については、日を改めてから紹介いたします。では」


 お見合い相手の女性に丁寧に頭を下げると、史華の手を取り歩き出す。


 一言も喋ることなく立ち尽くしていただけだったにも拘わらず、どっと疲れていた。史華は引かれるままに足を動かす。


 まだどこか心あらずでぼんやりしている中、一つ発見があった。史華を誘導する悠の手のひらが汗でしっとりと濡れていたのだ。


 完璧な人だと思っていたけど、こういう時は緊張するものなのね。


 料亭内での出来事は、まるでゲリラ豪雨に遭遇したみたいな時間だった。

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