第17話 堅物課長の契約外業務〜恋愛も仕事の一部ですっ!〜
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「課長?」
無邪気に私は彼を呼ぶ。
仕事をしている姿が格好良くて、白河課長に憧れていた。私の仕事をたくさん褒めてくれたし、同じくらい叱ってもくれた。きっと部下として可愛がってくれているだけなのだろうけど、自分を見てくれているんだと思えるだけで頑張れた。今日こうしてデートみたいなことをしてくれたのも、仕事の労いだろう。勘違いなんてしていない。仕事とプライベートは分ける主義だって聞いていたし、自分もそうなのだから間違っていない。
「君は俺の名前を覚えているのか?」
再び脈絡がない問い。私は当然とばかりに胸を張る。憧れの人の名前を忘れるわけがない。
「白河智充さんですっ! 漢字は読みにくいですけど、ちゃんと覚えてますよ。会社説明会のときに自己紹介していただいてから忘れていません!」
本当のことだ。真面目の堅物を具現化したみたいな印象で、こんな人が営業マンだなんて、商談している相手は怖がったりしないのかなだなんて余計な心配をしたものだ。
私の返事に、彼の瞳が僅かに大きくなった。
「会社説明会のとき……?」
「課長、どうせあのときの私のことなんて忘れているでしょう? 一日に数十人を相手に喋っているわけですし、ワークショップでも別の班でしたから」
「……いや――」
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会社説明会かぁ……。
史華は読みかけの文庫本を胸に載せて天井を見つめた。現在の就職活動のことが気になったからだ。
大学での専攻を活かした就職を希望しているが、なかなか手応えがない。学生時代に得ていた第一志望の内定先は卒業にまつわるトラブルで失ってしまった。それが自分の中で響いているのかもしれない。
「春までに決まればいいんだけどな……」
冬になる前にと九月に卒業をしたときには思っていたが、そう簡単にはいかないようだ。
「今の職場も、就職活動も花なんてないし……。そもそも、恋愛している余裕なんてないってーの」
史華は文庫本カバーを外して表紙を見る。『堅物課長の契約外業務〜恋愛も仕事の一部ですっ!〜』のピンク色の文字が目を引く。
恋愛は物語の中だけで今は充分だ。引っかかってしまったシーンの最初から読み返すため、ページを一枚捲って戻る。
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美味しい食事と楽しい会話で口当たりの良いワインが進み、すっかり私は酔ってしまっていた。
助手席に座って車が発進するのを待っていたが、白河課長はエンジンをかけない。
「……課長?」
「このまま家に帰すのは心配だ。酔いが覚めるまで、どこで時間を潰すか考えている」
仕事場でよく見る真面目で近付き難い顔をして、白河課長は告げた。ハンドルに手を置き、その上に顎を乗せて小さく唸る。
「大丈夫ですよー。移動している間に落ち着きますからぁ。これでも私ぃ、お酒で記憶跳ばしたことないですしぃ、吐いたこともないんですよぉ」
愉快な気持ちだ。へらへらとした調子で明るく言うと、彼の瞳が私を見た。いつもするような落ち着いているというよりも淡白に感じられる瞳に、別の感情が揺らいでいるように映る。自分が酔っている所為だろうか。
「君は……男が女に服を買ってやる意味を想像したことがないのか?」
「はい?」
唐突にしか思えない問いに、私は白河課長の顔を見ながら首を傾げる。
「その様子だと、俺の気持ちなんて微塵も伝わってなかったのだな」
ため息をつくと、白河課長はフロントガラスに視線を移した。
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「はぁ……」
憂鬱なことを思い出してしまった。ついため息が漏れる。
土曜日の食事のことだ。緒方悠の車に乗せられて一緒にどこかに連れて行かれる。朝十時に迎えに来るということは、ランチをともにするのだろう。彼が車を運転するはずなのでアルコールはなし。さくっと済ませてしまえば陽が暮れる頃には帰宅できるはず――何事もなければ。
「食事だけ、だよね……さすがに」
期待しているわけではない。どの程度警戒すべきかという話だ。
彼の家にお邪魔したのは昨日のことになっていたが、あれから何度も思い出しては身体が火照って、ドキドキしてしまう。そんな自分の反応に初めは戸惑い悩んでいたが、今は少し違う。怒りや苛立ちに変わってしまったのだ。どうして自分がこんなことに煩わされなければならないのかと考えたら自然とそうなってしまって、その気持ちを忘れるために買い込んだ官能小説を読み耽った。俺様なヒーローが出てくると悠が意識にちらつくので、帯や粗筋に《俺様》の文字が出てくるものはしっかり避けた。
でも、忘れられない。
「ちゃんと拒絶するべきだった……」
小説を読んでいると、彼に期待を持たせてしまったような感じがあったように思えてくる。誘うつもりなどなかったはずなのに、結果的にそのように振舞ってしまっていたのではないか――そう考えるとモヤモヤする。
悠を好きになるわけがない。……そうなってはならない。
遠ざけるためにはどうしたら良いかと思うと、胸がチクリと痛む。悪いことをしているみたいで、居心地が悪い。
「あぁっ! 土曜日が遠いしっ! 直接話すのも無理だし!」
ベッドの上。ごろりと寝返りを打って枕に顔を沈める。
こうして夜は更けていく。




