第12話 食後にはコーヒーを
そのあとは他愛もない会話をした。食べ物の好き嫌いの話や、史華が住んでいる場所の話、今朝倒れた原因が読書に夢中で寝食を忘れたことであること、など。もちろん、なんの本を読んでいたのかは伏せた。恋愛小説ということにしておいたが、あながち間違いではないはずだ。
話は弾んで、あっという間にスイーツを残すだけとなった。空の皿は下げられ、悠が用意してくれたホットコーヒーとティラミスがテーブルに並ぶ。
「――史華ちゃんもブラックが好きなんだね」
「コーヒーは苦いものという意識が強くて。たまにミルクは入れますけど、基本的にはそのまま飲みますよ」
「俺は甘いものと合わせるならブラックで、そうじゃない時は少し甘めのをいただくかな」
隣に座る距離が近いが、それほど気にならなくなっていた。食事の妨げになる程ではなかったし、話をして打ち解けてきたのもあるだろう。
「悠さんは、甘いもの平気なんですね」
名前を呼ぶのも抵抗がない。こんなに早く精神的な距離まで縮むとは思わなかった。相手が女性であっても、この短時間でここまで距離が縮むだろうか。
「男がみんな甘いものが苦手ということはないよ」
「大学時代はコーヒーはブラック派、甘味はノーサンキューな男ばかりに囲まれていたもので」
煙草臭さとコーヒーの香りに満ちた研究室を思い出す。あそこにはあまり良い思い出はない。自然と苦笑を浮かべていた。
「ふぅん」
このとき彼の反応が、これまでの会話と違うことには史華は気付けなかった。
「あ、そうだ。昼食代、払いますよ。お腹いっぱいにさせていただいちゃいましたし」
どれも美味しくて、欲張りすぎたように思える。勧められるままに食べてしまったが、彼は足りただろうか。
デザートの前にコーヒーで口の中をリフレッシュさせようと手に取る。軽くて薄いコーヒーカップだ。コーヒーの香ばしい匂いを嗅いで、カップもコーヒーも良いものを使っているのだろうな、と思う。
「……じゃあ、昼食代は君の身体で払ってもらおうか」
低められた凄みのある声に驚いて、手が滑った。
「あっ、熱っ!」
飲もうと持ち上げていたカップが転がり、胸から腹にかけてコーヒーがぶちまけられた。着ていた白いウールのシャツが染まる。
「史華ちゃん!」
彼の悲鳴に似た声が聴こえたかと思ったら、もう横抱きにされていた。
「ごめん。火傷していないと良いんだけど」
不安そうな表情で謝る台詞を言いながら、すでに別の部屋へと移動を始めている。
「だ、大丈夫ですよ。このくらい――」
どこに連れて行かれるのだろう。タオルを借りて拭き取ってしまえば、ひとまずはしのげると考えていたのだが、大事になりつつある。台詞を続けようとしたところで、ひょいと降ろされた。
「え、あの」
風呂場だと理解した、その瞬間、史華は服を着たまま水を被ることになる。
「ひゃっ⁉︎」
「これで冷えたかな」
コーヒーを掛けてしまった辺りから下がびしょびしょになってしまった。どういうことだとパニックになっているうちに悠が近付いてくる。そしてシャツに手を掛けて、手早く上からボタンを外していく。
「……良かった、少し赤くなってはいるみたいだけど、火傷ってほどにはなっていないみたいだ」
「ちょっ……」
シャツが全開にされ、ブラジャーと肌が丸見えとなっていた。それを彼の台詞から数秒遅れで認識して前を閉じ、彼に背を向ける。
「いきなり何するんですかっ! くしゅんっ!」
盛大なくしゃみをする史華の背後で、入浴の準備をしているらしい音が響く。
「熱湯を広範囲に被ってしまった場合の処置だ。無理に服を脱がすと、爛れた皮膚が衣服に付着して悪化することがある。まずは冷やして、状況に応じて患部を確認した」
「大げさですよ」
理屈はわかるが、それでずぶ濡れにされたのだと思うと納得がいかない。
だが、彼にとっては重大なことだったらしいことがすぐにわかる。
「大げさなものかっ!」
浴室に響く怒鳴り声に、史華はびくりと肩を震わせた。そっと見やると、彼は背を向けていた。
「君に傷をつけてしまうかもしれないと思ったら、できることを全力でするに決まっているだろう! 結果として大げさになってしまっても、手遅れになって後悔するよりはずっとマシだ‼︎」
悠の作られた拳が小刻みに震えている。
「そう……ですね。ありがとうございました。軽くて済みそうですし、助かりました」
明るい声を意識的に作って、史華は感謝の気持ちを伝える。自分が自分のことを思う以上に、彼が自分の身体のことを心配してくれたことに驚いた。でも、その事実はちゃんと受け止めよう。この人はそういう考え方をする人なのだ。
「バスタブにお湯を張っておくから、服脱いで入っちゃって。脱いだ服は浴室の外に出して。染みにならないうちに洗濯しておく。代わりの服も出しておくね。しっかり身体を温めてから出るように」
指示を出しながらも、テキパキと手は動かして入浴の準備を整えている。その間一度も史華を見なかったのは、彼なりの気遣いなのだろうか。
「はい。……わかりました」
ここまでお膳立てされれば、断る理由はない。浴室を出て行く悠の背に、史華は了承の意を伝えたのだった。




