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第11話 餌付けされてもなびきませんよ?

 ソファの前に置かれたローテーブルに所狭しと料理が並ぶ。イタリアンのお店のようで、パスタを中心に華やかなサラダ、スイーツも揃っている。食欲を誘うガーリックの香りに腹の虫が再び鳴いた。


「先にどうぞ、召し上がれ」


 対面式のキッチンには悠が立って何かしている。手伝うと言ってみたのだが、「君はお客さんなんだから」とにこやかに応対されてしまっていた。


「じゃあ、お言葉に甘えて……いただきます」


 取り皿にペペロンチーノを適当に取って、早速食べ始める。空腹だからという理由ではないのだろう、かなり美味しい。


 どのメニューもハーフサイズらしかった。小さめの五つの深皿にはペペロンチーノ、プッタネスカ、カルボナーラ、ジェノベーゼ、ヴォンゴレ・ビアンコの五種類のパスタがそれぞれ盛り付けられている。平皿には食べやすいようにカットされたバケットが並ぶ。大型のボウルに入れられた山盛りのベビーリーフのサラダには、切ったミニトマトとガーリックチップが載っていて華やかだ。デザートはティラミスらしい。


「たくさんありますけど、他にどなたかいらっしゃるんですか?」


「俺と君の二人だけだよ」


 悠が二つのグラスを持って戻ってきた。炭酸水が入っているらしいグラスを史華の前に置くと、彼は三人掛けソファに腰を下ろす。つまり、史華の隣だ。


「はぁ、そうですか」


 サラダを取り分けるついでにソファの端に寄ると、彼はさりげなく詰めてくる。その動きでわざと近くに座ったのだと、史華は確信した。


「君の好みを聞く時間がなかったから、適当に選んだんだ。これだけあれば、どれかは食べられるだろうって思って」


「いかにもお金持ちがしそうなことですね……」


 自分の住む世界とはやはり違うのだな、と史華は感想を述べる。


「史華ちゃんは、金持ちに恨みでもあるの?」


 不思議そうに悠が問う。深刻そうな様子はない。気まぐれに訊ねただけらしく、その証拠に史華を見ていない。


「ありませんよ」


 金持ちには恨みはない。でも、彼の持つモノで引っかかっているものならある。


「じゃあ、俺のことが嫌いってことかな?」


「強引なところは正直苦手です」


 向けられる瞳。先の質問とは違う彼の視線の鋭さに、史華は食べるのをやめてはっきり答えた。これで少し接し方が変わってくれるのならありがたいのだけどと願いながら。


 だが、史華の気持ちは届かなかったらしかった。


「本当にそうかな?」


「はい?」


 悠は挑発するような笑みを浮かべる。


「君はリードするよりされる方が好みのタイプだと思うんだけど」


「リードするのと強引さは別だと思います」


「言うねぇ」


 ははっと愉快げに笑って、悠は食事に戻った。この話題はやめようという意思表示に見えたので、史華も食事に戻る。


 ヴォンゴレ・ビアンコを皿に盛っていた時、ある疑問を思い出した。


「緒方社長は、どうしてあんな早朝にオフィスにいらしたんですか?」


 隣にいるこの青年の素性を知るため、着替えの間にスマートフォンで《株式会社ラブロマンス》で検索をした。出てきた会社のホームページには彼の紹介記事が大きな写真とともに掲載されており、本物の社長であることは確認済みだ。


 史華が問うと、悠の表情が曇った。彼が不機嫌になってしまったような気がしたが、何が原因なのか史華にはわからない。地雷を踏んでしまったのではと焦ると、彼の視線が史華を射抜いた。


「は、る、か」


 唇をしっかりと動かして、彼は一音一音を明確に発音した。


「はい?」


「はるかって呼ばないと、質問には応じられないな」


 名前で呼べと言っている。なんだそんなことかとホッとして、史華は続ける。


「何を言っているんですか。社長は社長じゃないですか」


「だが、俺は君の社長じゃない」


 その指摘に、史華は素直に納得する。


「まぁ、そうですけど」


「それに君は俺のカノジョになったわけだから、名前で呼ばなきゃ。俺は愛情を込めて君を史華ちゃんと呼んでいるのに」


 なんとなく芝居がかっているように見えて、史華は冷静に返すことにした。


「あ、それは馴れ馴れしいなと思っていました。呼ばれなれないので、むず痒いと言いますか」


 遠回しにやめてくれと言ってみると、意に反して悠は優しく微笑んだ。


「史華ちゃん」


「は、はい」


「いい響きだと思うよ。慣れるように、何度でも俺が呼んであげる」


「結構です。それに、なんであたしがあなたのカノジョなんですか? 女のコと遊ぶのが目的でしたら、あたしみたいに面倒な女を選ばなくても良いと思いますけど? だいたい、まだろくに会話もしたことがないってのに、おかしいです。何か企んでいるってことでしょ?」


 信用できない。その気持ちが一気に放出されて言葉の矢となる。近過ぎると感じるこの距離を、どうにかして広げたかった。


「史華ちゃん」


 悠は自分の取り皿を置くと、史華の前に移動する。跪いて手を取ると、指先に唇を落とした。


「っ⁉︎」


 熱っぽい視線が見上げてくる。ここまでの一連の動作があまりにも自然で、史華が拒否を示す隙がなかった。


「史華ちゃん、君はもっと愛されるということを知って良いと思う。俺は本気だよ。君が一目惚れを信用しない人なのだということはとてもよく理解できた。だから、じっくりと時間をかけて俺の愛が届くように努力しよう。そして、自分を下げるような発言はしないと誓って欲しい。俺を詰るのは構わないが、自分で自分を貶めるようなことはしちゃいけない」


 からかっているようには見えなかった。真剣な眼差しに、いい加減な言葉で逃げることを封じられる。


「わ……わかりました。気を付けます」


「よろしい。じゃあ、俺のことは悠って呼んでね」


 にっこりと笑顔が向けられる。それを見ると胸がドキドキした。口付けられた指先も熱くて、理由がわからない。


「そ、それとこれとは別です」


「だったら、君の質問には答えられないね」


「……悠さん、で妥協してください」


 いつまでもこんなやり取りを続けていては心臓に悪い。そっと視線を外しながら史華が提案すると、悠は立ち上がった。


「良いよ。君にはハードルが高かったみたいだからね」


 もっとごねるだろうと考えて身構えた史華だったが、悠はあっさりと了承してソファに座り直した。仕方がないと諦めるような言い方ではなく、どことなく楽しそうに聞こえる口調が引っかかる。だが、指摘はするまい。彼のペースに巻き込まれっぱなしで面白くないが、突っ掛かったら彼の思う壺のような気がしたからだ。


「――で、質問の答えだけど、仕事を家に持ち込まない主義だから職場にいたってだけさ。――あ。君に会えることを期待していたって言って欲しかったかな?」


「いえ」


 照れることもなく、史華はすぐに否定し、台詞を続ける。


「こんなにご自宅が近いなら、帰れば良いのにって思ったもので」


 立派な家なのに、と心の中で続ける。おそらく、今いるリビングのスペースは、史華が一人暮らしをしている家よりも広い。


「家は一人だと寂しいからね。職場にいれば、誰かに会う時間が増える。人と会った方がアイデアが浮かぶんだよね、俺」


 一人だと寂しい――その台詞には感情がこもっているような気がした。彼を見ていて、賑やかな場所が好きそうに感じられたからだ。綺麗に片付けられたこの広い家は静か過ぎる。インテリアはどれもお洒落ではあるけれど余所余所しくて、どことなくひんやりとしている。


 一方、清掃作業で入る株式会社ラブロマンスのオフィスはお洒落で綺麗に整理整頓された空間ではあるのだけど、人の温もりを感じられる場所だ。だからそれを壊さないようにと気に掛けながら、ゴミや汚れを残さないように掃除をしている。気持ち良くお仕事ができるように、そのお手伝いが少しでもできるように。


 あぁ、だから、またこの人に感謝してもらいたいと思ったのね。


 悠の話を聴きながら、史華は想像する。自分のことを、そして彼のことを。


「そうしたら、ちょうど君に会えた。それで良いアイデアが浮かんだんだ。ターゲットのイメージが明確になったことで、これなら行けると確信できた。君のおかげだよ、史華ちゃん」


「あたしは何もしていないですけど」


 強いて言うなら、真面目に言われた通りの仕事をこなしてきただけだ。彼に何かした覚えはない。


 悠は首を横に振る。


「君がそう思っているだけで、他の人はそうじゃないかもしれない」


「そういうもの、でしょうか?」


「そういうものなんだよ。俺が君に証明してやる」


 彼と目が合った。なんてことはない台詞なのに、さっきまでの口説き文句よりも心音が忙しく鳴った。


 どうして?


「――食が進んでいないようだけど、口に合わなかったかな?」


 ぼんやりしていた。悠に問われて、史華ははっとする。


「ど、どれも美味しいです!」


「そう? だったら良いんだけど。――あと、食器が汚れること、気にしているでしょ。取り皿はいくら使っても構わないよ。食洗機に入れるだけだし」


「あ、はい」


 見ていないようでよく見ているんだな、と史華は感心しながら悠の横顔を見つめた。


 食器が汚れることを気にしていたのは事実だ。どうすれば味が混ざらずに食べられるかと考えながら選んでいたのだから。まさか見抜かれるとは思わなかったので正直驚いたし、そういうところも見ているから社長という仕事が務まるのかなとも思った。若いのに経営者であることには、それなりに理由があるのだろう。

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