サイドストーリー.1-1
「はぁ……」
華凪は机に頬杖を付いて退屈そうにため息を吐いた。自室で数学の課題を進めていた。今は気分的に行き詰まり、手が止まっているが。
いっそ、課題は後回しにして気分転換に何処かへ繰り出そうかとさえ思う。しかし、そうすれば課題に対する倦怠感が増すような気がしてならない。
もう一度、ペンを動かす。
二問解いて、ペンを放り投げた。
「……」
立ち上がり、部屋を出た。すぐ横の、黒希の部屋に向かう。ドアを開け、中に入る。
彼は、いない。それを、改めて実感する。ベッドに腰掛ける。部屋を見渡す。
今は滅多に使われないピアノ。英字の本が七割、洋画のDVDが三割並べられた本棚。クローゼット。机。部屋にはポスターといった飾りはなく、質素だった。
横に倒れ、枕に顔を押し当てる。
黒希の匂いがした。
このまま寝ようかと瞼を閉じるた時、廊下の方からスマートフォンの着信音が聞こえてきた。
華凪は慌ててベッドから飛び出し、自室に駆け込んだ。机の上に放置していたスマートフォンを取り、相手の名前を見ずに応答する。
「もしもし」
『あ、華凪? 今暇?』
若い女の声がする。
「茜、今日は仕事休みなの?」
茜。それが、相手の名前だ。
『うん。だから、黒希も連れてお昼を食べに行こうと思ってさ。英一さん達、まだ帰ってきてないんでしょ?』
机の上の時計に目を向けると、もうすぐ昼時になろうとしていた。
「嬉しいけど、でも、黒希はいないんだ」
『もしかして、また行き先も理由を言わないで出かけちゃった?』
「うん……」
華凪の、声のトーンが下がった。
そんな華凪を励ますように、茜は、
『なら、二人で行こっか』
「うん。ありがと」
『じゃ、すぐに行くね』
通話が切れ、直後に、インターホンの音が来客を知らせた。
「今出まーす! 誰だろ」
早足で一階に降り、玄関でサンダルを履いてドアを開けた。
「はーい……って」
そこにいたのは、二十一歳の女性。身長は、約百六十六センチ。白のティーシャツにデニムの短パン姿の、肩にかかる程度の黒髪。華凪に勝るとも劣らない、美人。
彼女が、菅野茜。
「よっ!」
「よって、さっき電話して……あ。こっちに来る途中に電話したの?」
「そうだよ」
「そんなことしなくていいのに」
華凪が微笑を浮かべると、茜も笑った。
茜をリビングに通すと、
「着替えてくるから、ゆっくりしてて」
「はいよ」
華凪は自室に戻ると、パジャマから、白のパーカーとジーンズに着替えた。服を整え、一階に下りる。リビングに入ると、
「和風、中華、イタリアン、何にしようか」
茜が訊いてきた。
華凪はうーんと唸り、
「全部揃ってる所にしようかな」
「じゃあファミレスだね」
二人は家を出て、茜の車に乗り込んだ。
海が間近にあるこの家から、ファミレスのある街区まで車で十分近くはかかる。
車が発進する。
道を歩く学生の歳頃の子供を見かけると、茜が羨ましそうに、
「学生は夏休み、か。華凪は宿題を早く終わらせる方だったよね。夏休みの課題はもう終わったの?」
「実は、ついさっきまでやってたんだ」
「あ。じゃあ、間が悪かったかな?」
「ううん。そんなことないよ。行き詰まってたから」
「解けない問題でもあったの? 何なら教えてあげようか?」
「そういうんじゃなくてね……」
俯く華凪の暗い顔を見て、茜は察した。
「寂しいとか?」
「……うん」
華凪は小さな声で応えた。
「そっかぁ、そうだよね。黒希が帰ってきたら、ちゃんと言って聞かせないと」
「いいよ。黒希には、何も言わないで。黒希だって、きっと大変なんだよ。あの子、人付き合いとか苦手だし、その、何かあるんだよきっと」
それに、茜は小さく息を吐いた。
「……分かった。でも、あんまり甘やかしちゃダメだよ」
華凪は窓の外に目を向けた。
「……黒希には、愛してあげる人が必要なんだよ」