緑の章 第5節
交差点の隅で、咲は目を覚ました。
「……?」
見知らぬ土地に戸惑い、地べたに尻をついたまま辺りを見回した。
叶が言うには、確かここはロシアの『やらないくらさない』だったか。
ようやく頭の整理を終え立ち上がると、足元の麦わら帽子を拾い上げ、しっかりと被った。
「光助ー! 叶ー!」
返事はなかった。近くにいないようだ。
「はぁ……私ってば、何やっても下手だなぁ」
原因は嫌でも分かった。
転移魔術だ。座標設定のイメージが上手く出来なかったせいで、着地点が散り散りになったに違いない。
自分の無能さにため息を吐き、改めて周囲を見回した。
日本人とは違う顔立ちの人達が、通りを歩いている。
………………あれ? さっき人いたっけ。
咲は小首を傾げた。
きっと、当たり前の事にも気付かないほど頭が混乱していたせいだろう。
それはともかく、二人と合流するのが優先事項だろうが、どうしようか。
「そうだ。ケータイ……」
ワンピースのポケットから、お年寄りでも扱いやすいようなケータイを取り出し、叶にかけた。
「……出ない」
光助は、電話を持ってないし…………、
「あ」
光助には、母フレイヤとの契約の証があるはず。魔力炉の代わりともなっているそれなら、探知魔術で引っかかるはずだ。
そうと決まれば早速、咲は人気のない建物の間の小道に移動した。
前後を見て、人がいないのを確認する。
「……?」
ゴミ箱の陰から、こちらを覗き込む猫がいた。真っ白な毛並みに、青い瞳をした猫だ。
「なぁに?」
猫撫で声で猫に近付く。
猫がにゃあと鳴いて、こちらに歩み寄
交差点の隅で、咲は目を覚ました。
「……?」
見知らぬ土地に戸惑い、地べたに尻をついたまま辺りを見回した。
叶が言うには、確かここはロシアの『やらないくらさない』だったか。
ようやく頭の整理を終え立ち上がると、足元の麦わら帽子を拾い上げ、しっかりと被った。
「光助ー! 叶ー!」
返事はなかった。近くにいないようだ。
「はぁ……私ってば、何やっても下手だなぁ」
原因は嫌でも分かった。
転移魔術だ。座標設定のイメージが上手く出来なかったせいで、着地点が散り散りになったに違いない。
自分の無能さにため息を吐き、改めて周囲を見回した。
日本人とは違う顔立ちの人達が、通りを歩いている。
………………あれ? さっき人いたっけ。
咲は小首を傾げた。
きっと、当たり前の事にも気付かないほど頭が混乱していたせいだろう。
それはともかく、二人と合流するのが優先事項だろうが、どうしようか。
「そうだ。ケータイ……」
ワンピースのポケットから、お年寄りでも扱いやすいようなケータイを取り出し、叶にかけた。
「……出ない」
光助は、電話を持ってないし…………、
「あ」
光助には、母フレイヤとの契約の証があるはず。魔力炉の代わりともなっているそれなら、探知魔術で引っかかるはずだ。
そうと決まれば早速、咲は人気のない建物の間の小道に移動した。
前後を見て、人がいないのを確認する。
「……よし」
左手のひらに、右手の親指の爪を食い込ませた。
「うぅ……」
滲み出た血で、地面に魔術式を描く。
描き終えると、式の意味を唱えた。
魔術式が緑色の光を放つ。
「これでよし、と」
右手に左手を翳し、傷を治療する。
その時だった。
「……?」
一瞬だったが、右手首に鎖が
交差点の隅で、咲は目を覚ました。
「……?」
見知らぬ土地に戸惑い、地べたに尻をついたまま辺りを見回した。
誰もいない。辺りは、不気味なほど静かだった。
「光助ー! 叶ー!」
声が反響する。
しばらく待っても、返事はなかった。近くにはいないようだ。となると、やはりアレが原因か。
「はぁ……私ってば、何やっても下手だなぁ」
転移魔術の座標設定のミス。魔術式に組み込む座標のイメージが定まらなかったせいで、着地点が散り散りになったに違いない。
自分の無能さに呆れため息を吐き、辺りを見回すと、
「……?」
交差点の中央に、白猫がいた。透き通った青い瞳でこちらをじーっと見ている。
咲は視線を逸らさぬまま立ち上がり、足元に転がっていた麦わら帽子を拾い上げ被った。
「そんな場所にいちゃ危ないよ」
白猫に近付くと、猫は足に擦り寄ってきた。
「なぁに?」
猫を抱き上げる。
すると、にゃあと短く鳴いた。
白猫の『声』を聞き取ると、
「……ナイトメアって? あなたのご主人様?」
「にゃあ」
猫の『声』を聞き取ろうと耳を傾けると、地面が揺れた。
「わっ⁉︎」
立っていられないほど強い揺れだ。
白猫は咲の腕から飛び降り、早足で何処かへ歩き出した。
『ついてきて』
猫が言う。
「あ、待って!」
狂いかけたバランス感覚で体を支え、走る。
そんな彼女を、何かの影が覆った。
足を止めずに振り返る。
「……え」
そこには、街を覆い尽くしているのではと思ってしまうほど巨大な、人の手があった。大きく開き、上空から降ってくる。
視線を前に戻すと、白猫が民家のドアの前で止まっていた。あそこに何かあるのだろうか。
ドアを開け、中へ足を踏み入れる。
「咲。おい、咲」
聞き慣れた声と緑の匂いがして、目を開けた。眩しい陽の光に、目を細める。ようやく目が慣れ、開く。
視界いっばいに豊かな緑が広がる。ここは、私の家の近くにあった森だ。
でも、そんなはずはない。ついさっきまで地上にいたはずなのに。
「咲」
振り返ると、光助がいた。いつもの白のパーカーにジーンズといった格好をしている。慌てているようだが、何かあったのか。
「落ち着いて聞いてくれ。お前は今、ナイトメアっていう悪魔に捕まってる。ここは、そいつが創り出した夢の世界、幻術の中だ」
幻術。叶が使う力だ。その術のことはよく知っている。
自分の理想を相手の現実にする力。
しかし、それはあくまでも幻。実体は持たない。
「じゃあ、光助は?」
「俺はナイトメアが創った夢じゃなく、お前が創った夢の一部だ」
「私が……」
そこでふと、母が言っていた話を思い出した。
『あなたに防衛魔術を仕掛けておいたわ。あなたが危ないと心の何処かで思った時に発動するから』
防衛魔術。この光助がそうなのだろうか。
「お前自身気付いちゃいないが、もう夢の中をかれこれ三周はしてる。幻術への干渉が難しくて、時間を食っちまった。悪い」
「ううん、いいの」
驚いた。本物の光助みたいだ。
咲は爪先立ちになり、光助の頬へ手を伸ばした。興味本位で抓ってみる。
「いてぇ! 何すんだよ?」
「ご、ごめん。夢なら覚めるかと思って……」
「抓るなら自分だろ。お返しだ」
と、光助が頬を抓ってくる。
「うにゅ……痛いよ」
「覚めないだろ?」
「うん」
光助は咲の頬から手を離して、
「幻術は夢とはまた違うからな。起きてはいるけど意識は眠ったままっつーか、まぁそんな感じだ」
「つまり、私は起きてる状態で夢を見てるってことなの?」
「そ。それが言いたかったんだよ。話はこれくらいにして、さっさと行くか」
こちらに背を向け歩き出す光助に、咲は歩き出してからこう尋ねた。
「行くって何処へ?」
「幻術から出る方法は二つ。術者より強い幻術で対抗するか、術中で『非常口』を見つけるか。その『非常口』まで、お前を案内するのが俺の役目だ。だから、お前は俺について来ればいい」
「……分かった」
夢でも現実でも、君には守られてばっかりだな。
「私も、君みたいに強くなれるかな」
その呟きが聞こえたのか、光助がこちらを振り返
一瞬にして、周囲の緑が黒に塗り潰された。
「全く……女神の子だけあって、それなりの覚悟をして来たんだけどさ。ここまで上手く事が進まないと、頭にくる」
目の前にいたはずの光助は、全く別の者へ姿を変えた。いや、入れ替わった、と言うべきか。
光助の立っていた場所にいるのは、陽炎のように揺れる人影。咲の瞳には、それは人とは呼べない異形のものを映していた。
悪魔、なのだろうか。
「どうして私のことを……」
「そりゃあ知ってるさ、咲。お前の頭の中を覗いたんだから」
「……」
「なんとも愛情に溢れた記憶だなぁ。思わず吐きそうになったぞ? それだけやったのに、お前の弱点は見つけられなかった。なぁ、教えてくれよお前の弱点を」
悪魔がゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
咲は後ずさりをしながら、考えた。
だが、前提として咲に戦う能力はない。そもそも彼女自身、戦う力を放棄している。
悪魔が大きく一歩を踏み出す。その手が、咲のワンピースを掴もうとする。
これは幻術。
意識は眠ったまま。
それなら。
咲は、自身の頭に左手を当てた。
それなら意識を『元の状態』に戻せばいいんだ。
力を、行使した。
「……ん」
空気に混じる油の臭いで一気に頭が醒めた。
ここは、工場だろうか。用途は分からないが、コンベアーと大きな機械がある。
鈍る体を動かそうとすると、カチャカチャと手元で音が鳴った。
見ると、両手首には鎖が巻き付けられていて、その鎖はコンベアーの脚部分にしっかりと固定されていた。どうやっても解けそうにない。
「悪いな」
何処からか、何者かの声がした。
辺りを見ても、誰もいない。
その聞き覚えのある声に、咲は口を開く。
「ナイトメア……なの?」
「ご名答。どういう経緯で俺の名を知ったのか気になるとこだが、急ぎの用があるんだ。お前には、ここで死んでもらう」
薄暗い室内の一点に、光が灯される。
「……ッ⁉︎」
火。そのための油か。
「抵抗は無駄だぞ。お前の力を解っている上での攻撃だ」
悪魔の気配が消える。
「……」
ここは夢か。それとも現実か。
頭が混乱し始める。
幻術は解けたのか? それとも…………。
考えている間にも、火の壁は刻一刻と迫る。
分からない…………分からないよ。
力を使った。それすらも幻術の一部だったら?
試そうか。炎に呑まれてみようか。でも、もしこれが現実だったら?
「………………助けて」
地面に横たわったまま身を丸める。惨めな様だ。けど、助けを祈る事しか出来ない。
お願いだから、助けに来て…………、
「……光助」
「咲‼︎」




