青の章 第7節
『死の神』の血に永い間浸した銀の弾。
ヘルという神の右腕の骨で造られた銃身。
『この銃に名という力は無く、ただ死を与えるべくして造られたもの』
要するに、何でも殺せる銃。視界の片隅にバーナヴァスの姿を見かけ、追いかけた道中にそんな物を拾った。そんなご大層な代物がどうしてこんな孤島に落ちていたのかは知らないが、使える物は何でも使いたいのがこの状況。
しかし。
「……」
掴んだ瞬間に、銃についての取扱説明書のようなものが視界内に記号として表示されたのだ。見たこともないはずなのに、その意味が最も慣れ親しんだ言語に翻訳され頭の中で処理される。
こんな現象が起きた前例がないのだが。
「これのことか?」
バーナヴァスがズボンのポケットから、革製の草臥れた手帳を取り出し見せてきた。
メーティスの手記。そう、視界内に記号が浮かび上がる。
「悪いが、渡すわけにはいかない。だが」
条件の提示。碌な話ではないだろうと海留は呆れて小さく息を吐いた。
「俺達の仲間になれば話は変わる」
勧誘。よくある話だ。大抵は命の危険に晒された者達がよく言う台詞だが、バーナヴァスからはそう言った危機感のようなものは感じない。
「貴方達の目的は、確か魔王の現界でしたね? それをして、僕にメリットはあるでしょうか」
「この手帳が手に入る」
下手な交渉だ。事前に相手の欲する物を調べておくのは常識だろう。それを知った上で自身が望む結果になるよう巧く話を運ぶ、それが交渉というものだ。
手帳は欲しいが、魔王の手下になるつもりは毛頭ない。
「なら、貴方を殺して奪いますよ」
ややこしい交渉より簡単かつ確実な方法を取る。
バーナヴァスは手帳をポケットに押し戻し、
「そうか。なら、新たな力の試験体になって、死んでもらおう」
そう言って、構えを取る。
柔術、それとも違う、恐らくオリジナルの構え。隙はなく、どう動くかは読み取れない。
バーナヴァスの姿が消える。彼のいた周辺の地面が砕ける。とてつもない脚力で地面を蹴ったのだ。
眼前に、腰を落とすバーナヴァスがいる。右拳を突き上げてくる。
唯一人間的な動きをしていたのがバーナヴァス。そう思い込んでいたのが仇となる。
反応が一瞬遅れる。
横へ倒れるように回避を試みるが、拳はしっかりと後を追ってくる。
海留はリボルバーの銃口部分を持ち、グリップを振り上げてバーナヴァスの拳にぶつけ、軌道をズラした。続けて放たれる左拳を、側転に近い動きで避ける。体勢を立て直し、リボルバーを構える。
「……」
装填されている弾は四発。無駄には出来ない。貧乏性じみた思考から、海留は腰に提げた短機関銃のUZIを左手に取り、大雑把に狙いを定めて撃った。
バーナヴァスが何かを呟く。
唇が止まると同時に、彼の足元から濁水が噴き出し、弾丸を飲み込んだ。
地下水?
使用された言語、Enochian。主に使う種族は……、
自動的にバーナヴァスが行使した何らかの術を解析した結果、気になることを発見した。
「……天使?」
Enochian。それは天使の言語。
偶然か。または、それが彼の正体か。
しかし、この青い瞳で見ても、彼に関しては何も表示されない。
噴き出した濁水が無数の小さな球体に変化する。海留に向けて発射される。
それらを、短機関銃で撃つ。弾丸が当たった水球は弾け、その一つ一つの小さな粒が他の水球と同じように海留に向け放たれる。
破壊不能。即座に判断し、海留は木陰へ駆け込んだ。すぐ後ろから水が木を少しずつ砕いていく音が聞こえる。
撃っても無駄。発射された弾丸の僅かな熱でも蒸発しないとなると、発射直後の発射炎で対処するという手もあるが、あの雨のように降り注ぐ水滴をゼロ距離で受け切れるとは思えない。
アレを全て消すほどの熱がいる。
炎。Fire。Fiamma。Пламя。Flamma。
ありとあらゆる、火を意味する言葉が脳内に浮上する。
「……」
魔術を式の状態で放ち、過程を書き換え結果を変えることが出来る力。仕組みを変える点においてはプログラミングといった、コンピュータ関連のことに似ている気がする。
分からないのは、その力をどう発動させるか。
「いつまで隠れているつもりだ」
背を預けていた木が、根本から引っこ抜かれた。腕力さえも強化されているというのか。
「ッ」
水滴の弾幕が、目の前に広がる。
海留はほぼ本能的に横へ駆け出した。牽制のために短機関銃の引き金を短い間隔でで引く。
バーナヴァスに纏わりつく濁流が弾丸を飲み込み無力化してしまう。
「くそッ……」
一か八か、例のリボルバーに賭けてみるか。
考えている間にも、バーナヴァスが人間離れした速度で迫ってくる。
もう、使うしかないか。
リボルバーを構える。
ギリギリまで引きつける。
距離、約二メートル。
海留は短く息を吸い、止めた。
距離、約一メートル。
バーナヴァスが何かを唱える。濁流がハンマーのような形を成し、上から降ってくる。
引き金に指を押し当てた直後。
バーナヴァスが、横へ吹っ飛んだ。
誰かが、横から衝突したのだ。
バーナヴァスと入れ替わったように、そこにはボロボロの黒いジャージを着た男がいた。
濁流が上空で弾ける。無数の水滴となって落ちてくる。
海留はゆっくりと呼吸を始めて、
「……遅いですよ、リーダー」
リーダー、黒希はこちらを振り返り、嘲るような視線を向けてくる。
「派手にやられたな」
開口一番これだ。海留は薄く笑って言ってやる。
「貴方こそ」
「ふん。敵の詳細は」
「魔術師です。それと、恐らく天使かと」
包み隠さず言うと、黒希は目を細めた。
「……天使? どうして分かる」
「それは……」
今、自分が置かれている状況を話そうとした時。
二人の前で、紅い光が瞬いた。
「リーダー!」
黒希は迷うことなく、振り向きざまに右手に作り出した大鎌を振った。
激突する。
刃が紅く光る斧。それを持つのは、ツナギ姿の白人男性。
青い瞳が、彼の分析を始める。
種族は人間。クロノスの力の破片を魔力の源としている。
「お前……」
「さっき会ったな」
二人は以前に会ったことがあるらしい。
鍔迫り合いをする二人の元へ飛んでくる人影が視界に入った。バーナヴァスだ。
黒希の邪魔はさせまいと、海留は短機関銃をバーナヴァスの方へ向け弾丸をばら撒くように撃った。
また彼の周囲に濁流が渦を巻く。弾丸はバーナヴァスに届くことなく濁水の中で失速し、停止する。
やはり無駄か。舌打ちし、リボルバーを構えた。
「撃たなくていいよ」
耳元で声がする。
視界の端から、複数の記号で構築された鎖が飛び出した。それが濁水を貫通し、バーナヴァスの胴体に巻き付いた。
背後を振り返ると、そこには鎖を右腕に巻き付けたアウトサイダーがいた。
「弾、残り少ないんでしょ?」
「……」
どうして分かった、などと質問はしない。彼女がこちらの予想を上回ることをするのは当然なのだ。
アウトサイダーが鎖をぐいっと引き寄せ、一気に振り上げた。バーナヴァスが宙に浮く。
鎖が、彼女の手元から連鎖的に爆発する。その強さは段階的に強さを増している。
森の上で、大きな爆発が起きる。
爆煙の中から、バーナヴァスが現れる。手には蓋の開いたフラスコが握られていた。
彼の周囲の景色が歪んで見えた。
水?
バーナヴァスの唇が動く。詠唱だ。
マズイ。
同じように危機感を抱いたのか、アウトサイダーが記号を使って何かを発動しようとする。
そこへ、黒希が跳び下がってきた。
地面から現れた黒い壁が、雨を凌ぐ傘の役目を果たす。
「……」
影を操る力。使用者は……ライカ? その名の者の魔術源を黒希と同期させることによって、本来魔術が使えない黒希にその力限定で魔力を渡しているらしい。
ライカ……その名を、この瞳は知っていた。
真名を棄てた女神。二人目の『後継者』。
「そいつ、お前のガールフレンドか?」
「いえ、彼女は……」
アウトサイダー、なんて言ったら、彼はどうするだろう。NSAに突き出すか? それともこの場で殺すか? 報告の義務はある。だが、大事な手掛かりを失いたくない。
「……彼女はステア。同業者です」
それに、アウトサイダーは驚きを表情に出す。
「同業者っつうことは、サミュエルの指示でここに来たのか。災難だな、お前」
黒希はこちらを振り返りもせずに、言った。
「え? あ、まぁ……うん」
同業者。悪魔やその他怪物を狩る者達のことだ。アウトサイダーも悪魔を狩ってるのだろうから、あながち間違いでもなく、嘘に真実を混ぜ込むことで飲み込ませやすくなる。
「ともかく、一般人なら引っ込んでろ」
雨が止む。
影の壁が消える。
「海留。仕留めるぞ」
黒希が言う。
海留は頷く。
「了解」
黒希は前へ飛び出し、海留は横へ駆け出した。片方が陽動、片方が狙撃。いくら相手が巧くとも両方に気を向ければならないため、必ずいつしか綻びが生じる。
今回は二人。しかも、その両方が只者ではない。それでも同時に相手をする黒希は、流石と言ったところか。
木陰に片膝をつき、狙撃銃を構える。
ほぼ音速に近い彼らの戦いに追いつくため、思考をさらに加速させる。
「……」
息を吸い、止める。
狙いは、バーナヴァス。
黒希が斧を持った男の脇腹を蹴り、真横へ吹き飛ばした。一対一の戦場。それが保つのは恐らく数秒か。そのうちに撃つ。
引き金に当てる指に、そっと力を入れる。
バーナヴァスが行使する水の魔術。
黒希が大鎌を、霞んで見えるほどの速度で振り上げ、暴風を巻き起こして水をバーナヴァスの方へ押し戻す。
黒希が地面を蹴り、真正面からバーナヴァスの懐に潜り込んだ。
ここだ。
黒希が大鎌を振り上げると同時に引き金を引く。
発射された弾丸は、黒希に胴体を斬られたバーナヴァスの頭を、脳幹部分を貫いた。
「バーニー‼︎」
瞬間移動してくる男に、黒希は斬りかかる。
だが、男はバーナヴァスを抱えると、すぐさま姿を消してしまった。クロノスの力を使って、何処かへ飛んで行ってしまったようだ。
「これで、黙示録の進行を止められるでしょうか」
歩み寄ってくるアウトサイダーに海留は言った。
彼女は肩を竦め、
「どうだろう」
ともあれ、この戦場は切り抜けられた。
安心したせいか、急に疲労感が押し寄せてきた。それも、気を失うほど強い疲労感が。
海留は、意識を失い倒れてしまった。




