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色とりどりの黙示録  作者: owen
第2章 開幕
70/97

黒の章 第10節

 

 以前と違う感覚に、我ながら寒気がした。

 これも、『刻印』とやらに触れた影響なのだろうか。

 にしても。

 音速を超えたアテナの動きを目で追い、付いていけるようになるとは思いもしなかった。

 だが、問題はある。

 こちらには武器がない。木の棒ならそこら中にあるが、相手はスライムではなく女神。木の棒で女神に挑もうなどというバカは、まぁ、ただのバカだ。

 しかし。

 アテナが繰り出すまさに神速の斬撃を黒希は横に転がって避け、その最中に木の棒を二本手にした。

「そんなもので何をするつもりです?」

 嘲笑うでもなく、アテナが訊いてくる。

 黒希は適当な調子で木の棒を振りながら、それに応える。

「木の棒を甘く見ちゃダメだぞ。原始人は、これで火を起こした。立派な進歩だ」

「火はプロメテウスが人類に授けたものです。人間が生み出したものではない」

「……そうかい」

 そんなことはどうでもいい。

 今思い出すべきは、死の騎士が唱えていた、恐らくは得物を強化する呪文。

 確か、

「あるます、is、えあ、fit、of、あにま」

 ………………………………何も起きない。

 するとアテナが、

「意味も知らずに詠唱したところで、効果は発揮されませんよ。発動させるには、その意味を理解し、許容しなければなりません。そもそも、貴方から魔力の欠片も感じませんが?」

「……」

 痛いところを突かれた。

 あの呪文が魔術の一種となると、もう、本当に木の棒で戦うしかなさそうだ。

 黒希は無意識のうちに、左手の木の棒を逆手に持ち替えていた。

 それを見て、アテナは目を細めた。

「その構え……レオンの関係者ですか?」

「れおん? 誰だそりゃ」

「……忘れてください」

 黒希が地面を蹴る。木の棒を携えて女神に立ち向かう絵面は、かなり滑稽だ。アテナとの距離が五メートル弱まで縮まったところで、もう一度地面を蹴って加速する。いくら勢いをつけたところで、武器が武器。

 アテナが剣を一秒のうちに十何回か振る。木の棒が、バームクーヘンぐらいの厚さに斬り分けられてしまった。

 それでも、黒希は素手で挑んだ。

 アテナは軽々と、黒希が繰り出す殴打を躱しながら、

「度胸は認めますが、無駄な傷を負う前に降参したらどうです?」

「お気遣いどうも。だが、悪いな。死ぬとしても、大人しく殺られるつもりはねぇんだよ」

 右拳を、アテナの顔面へ突き出す。

 アテナは首を傾け、避けた。

 黒希は右手を引き戻す際、アテナの後頭部を鷲掴みにした。

「なっ……」

 顔をぐいっと引き寄せ、頭突きを食らわせる。

「ぐぁっ」

 アテナが怯む。全身の力が抜ける一瞬の隙。

 黒希はアテナの右手から剣を奪い取り、彼女の腹を蹴り飛ばして距離を開けた。

 頭突きの痛みで涙目になりながらも、剣を見つめる。これと言って特徴のない西洋の剣。バランスはよく、見た目より軽い。使えそうだ。

「見事な体術ですね。不意を突かれました」

 それは心からの賞賛だっただろうが、黒希は無視した。

「流石は『後継者』。ひと筋縄ではいきませんか」

「……その『後継者』って、一体何なんだ?」

 どうしてか彼女なら応えてくれそうな気がして、尋ねてみた。

「……知らずにその呪印を授かったのですか」

 その声には哀れみがあった。

「運命とは残酷なものですね。何も知らぬ者が選ばれるとは。これもまた確執、必然ということでしょうか」

「頼むから、そのままポエムとか唄いだすなよ。聞くに堪えん」

「では、得物で語り合うとしましょう」

 黒希とアテナが同時に駆け出す。

 黒希は剣を振り上げ、アテナは盾を構えた。

 振り下ろす間際、涼風の言葉を思い出す。

 受けた衝撃を倍にして返す特性。

 それがどういったものかピンとこないが、厄介なのは解る。このまま剣をぶつけては、やはりマズイか。

 盾にぶつかる前に剣を引く。

 それは、誤算だった。

 アテナが盾で身を隠し、突進してきた。

 黒希は苦し紛れに横へ転がり、一気に体勢を持ち直して地面を蹴り、盾の側面、アテナの肩へと斬りかかった。

「ニケよ」

 アテナの呟き。それが聞こえた時には、彼女の姿は消えて…………いや、視界の下に、映った。

 腹に、盾がぶつかる。

「……ッ‼︎⁉︎」

 一瞬の間を置いて、凄まじい衝撃に襲われる。トラックの衝突、いや、音速に近い速度で何か硬いものがぶつかったような衝撃。

 歯を食いしばり耐えようとするが、足が地面から離れてしまう。地面に剣を突き刺し、徐々に勢いを殺していく。だが、

「ゔっ」

 腹の、地獄で死の騎士から受けた傷口が、どうやら開いてしまったようだ。見ると、白いシャツに赤い血が滲んでいた。それだけでなく、喉の奥から何かが込み上げる嫌な感覚がする。

 休む暇もなくアテナが来ると思い身構えたが、

「……?」

 彼女は地面に膝をつき、息を荒げていた。

「はぁ……はぁ……忌々しい魔術だ」

 などとボヤいている。

 殺るなら、今だ。

 駆け出す。右手で剣を振り被り、アテナの首へ振り下ろす。

 右肩に、激痛が走った。

「……あ?」

 痛みのする箇所に目を向けると、矢だろうか。そんな物が刺さっていた。

「アテナ!」

 何処からか、別の女の声がした。

 黒希は肩から矢を引っこ抜き、剣を左手に持ち替えた。利き手ではないが、痛みのせいで右腕は使えそうになかった。

 アテナの横に、何者かが降り立った。黒髪の、弓を持った女だ。誰かと戦っていたのか、負傷している。

「私は平気です。それより、彼を」

 女はハッとしてこちらを見て、何処から取り出したのか左手に持った矢を弓につがえ、放ってくる。

 速いが、まだ目で追える範囲内。

 黒希は剣を盾のようにして矢を防いだ。

「お前……酷く血生臭い」

 女が唸る。

「……」

 そういえば、昨日は風呂に入っていないような気がする。しかし、そんなに酷い臭いだろうか? 軽くショックを受ける黒希。

「もはや、人間ではなく獣の類だな、貴様」

 嫌悪感丸出しの表情に声。よく分からないが、相当恨まれているらしい。

「何の話だ」

「ここで貴様を討つ」

 女が矢を放ってくる。さっきよりも速い。

 剣を振り上げ、矢を弾く。

「答えろよ……」

 続けざまに放たれる矢を剣を使い辛うじて防ぐ。

「アルテミス……ヘスティアは何処です」

「知らない。魔力の供給は断たれてないし、無事だとは思う」

「しかし微量です。これでは喪失分を補ません」

「……一旦退こうか」

「ライカは逃げ、レオンは捕らえた。この島には別の勢力もいるようですが、そこにいる新たな『後継者』は、レオンほどの腕はない。二人でかかれば勝てます」

 そこで黒希が、

「聞こえてんぞ!」

 そんな彼に、アルテミスは矢を放ち続ける。

「いいのか。数の暴力はお前の騎士道とやらに反するぞ」

「永劫の平和が得られるなら、構いません」

「安っぽい騎士道だな」

 矢の雨が止まる。

 アルテミスは、一本の矢をつがえた。しかし、すぐには放たなかった。

 連続的な射出ではなく、強力な一撃までの間。何も視えないが、そのはずだ。そしてそれには、魔術が絡んでいる。

 矢が放たれる。

 異様な光景が目の前に広がった。

 矢から発せられる轟音が、木々を薙ぎ倒し地面を抉っているように見えた。

 矢をギリギリまで引きつけて、思いっきり横へ跳んだ。

 そこへ。

 アテナが突っ込んでくる。

 黒希は、アテナの顔を見た。その程度、読める。

 横へ払うようにして振られた盾を屈んで避け、アテナの足を掬い地面に倒す。倒れたアテナに剣を突き刺そうとした時。

 爆発音がした。

 音がした方、真上を見上げる。

 一本の矢があった。こちらに向け、真っ逆さまに落ちてくる。それも、轟音を伴って。アルテミスが打ち上げたものだ。

 その矢の名は、

「agana belea」

 アルテミスがそう呟く。

 詠唱? 騎士アイツと同じ、武器を強化するものか。

 避けようと駆け出す。

 が、片足首に圧迫感がした。

 見下ろすと、アテナが地面に倒れたまま足首を掴んでいた。

「逃がしませんよ」

「テメェッ、道連れになる気か!」

 暴風と雷鳴の音が頭上から迫る。何も視えない恐怖に襲われる。

 そして。


「……?」

 音は、消えていた。今までの事が、まるで夢だったかのように。

 しかし、アルテミスはそこにいた。

 アテナも、すぐ隣に立っている。

 ただ、二人とも戦時中とは思えないほどある一点を見て呆然としていた。

 今なら簡単に倒せるだろう。

 なのに、黒希は二人が見ている方へ目を向けた。

「ママ、今のどうやったの? 私にも出来る?」

 金髪の少女、涼風がいた。白いパーカーに土埃が付いているが、怪我はなさそうだ。

 その隣には、灰色の髪の涼風と同い歳くらいの、涼風に勝るとも劣らない美少女がいた。上下揃ったピンク色のパジャマ姿に、タオルケットをマントのように羽織っている。何処かで見たような眠たげな半眼。黄色の瞳が、あの男を思い出させる。

 にしても、今、涼風は何と言った?

「どうだろうねぇ〜。あ、でもぉ涼風は魔術が上手だからきっとできるよ?」

 灰色の髪の少女が、涼風の頭を優しく撫でた。涼風はとても嬉しそうに笑う。

「どうして『魔術』が……」

 アルテミスが、嘆きにも似た声音で呟いた。怯えているようにも見える。それは、アテナも例外ではなかった。

『黒希』

 頭の中で、女の声がした。

「ライカ? 生きてたのか」

『すまない。込み入った事情があってな』

「で、アイツは知り合いか」

『アイツは……』

 ライカが言葉を濁した。

「その身、『起源オリジン』の『魔術』と見た」

 アテナが、微かに震える声を張り上げた。

 怯えている?

 少女は柔らかい笑みを浮かべ、それに応える。

「如何にも、私は『魔術』だよ」

 こんな少女に、脱力感が具現化したような少女に怯える理由が黒希にはさっぱり解らなかった。

「何故、貴女がここに?」

「貴女達が私のお友達と家族をいじめたからだよ」

「お友達と家族……それは、レオンとライカのことですか?」

「うん。あと、そこの子」

 と、少女がこちらを見てくる。

 目が合った。少女の唇が微かに動く。その動きを凝視して、何を言ったかを予測する。

「大きくなったね」

「……」

 なるほど。

 涼風が「ママ」と呼んだ彼女が


 思考が黒く塗り潰される。

 胸の内に、どす黒い感情が湧き上がる。

 殺せ、と誰かが喚き散らす。

 やめて、と誰かが手を掴む。


 気が付いた時、灰色の髪の少女が目の前にいた。

 彼女が動いたわけではない。黒希の方が動いた。

 そして。

 灰色の髪の少女の首に剣を振り下ろしている。

「お兄ちゃん‼︎」

 涼風の声。黒希の動きがピタリと止まる。彼自身の意思ではなく、何か強制力のあるものがそうさせた。

 涼風が魔力で編み出した銀色の鎖で、黒希の首と両腕と両脚を固定し、ライカが大鎌を黒希の首にかけたのだ。

「お前……どうかしたのか?」

 ライカが言う。

「何が……」

 黒希は、自分自身何が起きたのか把握できていなかった。直前のことを思い出そうとしても、頭が真っ白になってしまう。

 黒希が落ち着いたと判断した涼風とライカは拘束を解いた。

「大変! 黒希、血が出てるよ?」

 少女が腹の傷に触れてくる。

 黒希は思わず、その手を振り払った。

 痛覚が刺激されたわけではない。感情が、そうさせた。

 少女は唖然として、

「……黒希?」

「帰ってくれ」

 その一言で、少女の表情が固まった。

 黒希は続ける。

「母親だろうが何だろうが、今の俺には復讐の対象でしかない」

「お兄ちゃん!」

 何か言おうとする涼風を、少女は彼女の腕を掴んで制した。

「黒希が怒ってるのは、私のせいだから。この子を責めないであげて」

 彼女は、あくまでも冷静を装った。

「でも……」

「いいの。黒希、最後に抱き締めさせて」

 最後に。彼女は、はっきりとそう言った。自ら拒絶した結果とは言え、胸が苦しくなった。

 ゆっくりと近付いてくる少女を、黒希は棒立ちのまま受け入れた。

「冷たい……」

「……」

「……ごめんね」

 背に回した少女の手が、ギュッと服を掴んだ。頬を胸に摺り寄せてくる。彼女の震えが、嫌というほど伝わってくる。後悔してるのが解る。

「……」

 それなのに許そうとしない自分が、嫌になる。

 少女が名残惜しそうにゆっくりと離れていく。そして、黒希の横を通って女神達の方へ歩み寄った。

「見逃すから、天界に帰って。二度とこの子達に手を出さないで」

 それに応じる声が、一つ。

「それは聞き捨てならないな」

 天から暴力性に満ちた一筋の光が落ちてくる。轟音よりも大きな音が鼓膜を叩き、地面が強く揺さぶられた。

 眩い光に目を腕で覆った黒希、視界を確保する。

 四十代後半と見られる男がいた。身長は百八十ほど。格好は、上下の揃った白いスーツ。白髪に、口の周りには白い髭。瞳は血のように赤い。顔つきには、威厳を感じた。

「この私が、それを許すとでも?」

「……ゼウス」

 背後からライカの呻き声が聞こえた。

 それを聞き取ったのか、ゼウスがライカに視線を向けた。

「久しぶりだな、ライカ。そこで待っていろ。すぐにレオン共々始末してやる」

 涼しげな顔でかなり物騒なことを言ってくる。

「ねぇ、さっきの話聞いてたの?」

 灰色の髪の少女が、先ほどと変わらぬゆったりとした口調で言った。

 アルテミスとアテナの表情が、明らかに強張る。

「私は、手を出さいでって言ったよ?」

「それが」

「……手を、出さないで」

 少女が、もう一度繰り返す。

「過去の残留物風情が王に口を出すと?」

「三下の神ごときが、私を王の権威で縛ろうと?」

 口調そのものは変わっていなかったが、その声には苛立ちが込められていた。

 一触即発の沈黙が広がる。

 それは十数秒も続いた。少女とゼウス以外の者にはみな、その十数秒は倍の長さに感じていた。

 沈黙を破ったのは、ゼウス。

「……しかし、ヘスティアが敗れた今、貴様に勝てる気はしない。今回は見逃してもらおう。アテナ、アルテミス。急いでヘスティアを回収して戻って来い。この島、何故だか魔力が吸い取られるようで気分が悪い」

 アテナとアルテミスは、ほぼ同時に消えた。

「さて……」

 ゼウスは、黒希に視線を向けた。

「お前が今回の『贄』か。強そうには見えないな」

「……」

 殺気とも違う、ゼウスから放たれる気迫のようなものが肩を重くした。この男はきっと、俺よりも強い。そう確信できる。できてしまう。

「ゼウス」

 少女が名を口にすると、

「分かっている。退けと言うんだろう? だが、その前に……」

 ゼウスが人差し指を黒希に向けた。

 指先から小規模のいかずちが放たれる。

 それが、黒希には視えていなかった。

「黒希‼︎」

 少女が叫ぶが、その時すでに、雷は黒希の胸に直撃していた。

「……?」

 変化はなかった。

「ゼウス! 何をしたの?」

「印を付けておいただけだ。これで、我々はいつでもその小僧を襲撃できる。言っておくが『魔術』、貴様のわざでは消さないぞ。少し特殊な加工を施してあるからな。にしても……」

 ゼウスの、弱みを握ったような嫌らしい視線が少女に向けられる。

「よく似た親子だな」

 何の前触れもなく、音も無く、ゼウスが黒い光の球体に包まれた。

 それも、黒希には視えていない。

 灰色の髪の少女が何の素振りも前触れなく放った魔術だ。

 黒希の目には、ゼウスはすでに消えていた。

 他の者は、光が消えてからようやくゼウスがいないことに気付いた。

「お兄ちゃん、体に異変はない?」

「何も。腹減ったってだけ」

 体内時計は、もう昼気分。戦闘のせいで疲労が蓄積していて、正直食事よりも睡眠をとりたいところだが、今すぐにでも海留の捜索を始めたい。

 よく解らないまま騒動が治ると、黒希は誰よりも早くその場から離れる。意外にも、ついてきたのはライカ一人だけだった。気になって肩越しに後ろを見ると、涼風は灰色の髪の少女と何やら話をしている。内容は聞かずとも何となく分かった。俺のことだ。

「いいのか」

 と、ライカが訊いてくる。

「何が」

「母親。薄々気付いてるんだろ?」

「……お前こそ、恋人はいいのか?」

 すると、ライカは顔を真っ赤にして、

「なっ……アイツは恋人じゃない‼︎」

「冗談だよ」

 分かりやすい奴だ。

 ライカがわざとらしく咳払いをする。

「アイツとは、積もる話があるんじゃないか?」

「そりゃあ、あるだろうな」

 何と言ったって、俺を地獄に落とした男の妻だ。

「……ライカ」

「ん?」

 ライカが彼女を知っている前提で、尋ねる。

「アテナがアイツのことをオリジンとか魔術って呼んでたが、ありゃ一体なんだ? まさか名前じゃないよな」

 それに、あの怯えよう。不運にも肉食獣に遭遇してしまった小動物を連想させる。

「『起源オリジン』ってのは、『創造主』が最初に創った人間の総称だ。魔術意外に、善意、悪意、科学、火、水、風、土ってのがいる。その『起源オリジン』ってのはみんな黄色の瞳をしている」

『創造主』? それも気になるのだが、

「……じゃあ、龍地も」

「アイツは科学」

「……」

 数あるアダムとイヴが、俺の両親か。

「……んで、お前はいつから俺の両親と知り合いなんだ?」

「お前が産まれる前からだ。出産の場にも立ち会った」

「俺の? それとも涼風の?」

「両方」

 かなり関わりは深いらしい。

「何で黙ってた」

「じゃあ訊くが、言ったらお前はどうしてた?」

「……」

 あの時の俺なら、きっとライカとの関わりを絶っていた。そうしていれば、ずっと昔に死んでいただろう。

「全てはお前を守るために、ハイガミと龍地が施したものだ」

「……守りたいなら、どうして俺と涼風を地獄に落とした」

「本人に聞いたらどうだ?」

「会話の機会を増やそうって魂胆か? 余計なお世話だ」

 吐き捨てるように言うと、ライカは呆れた調子でため息を吐いた。

「女々しい奴だな。いつまで根に持ってるんだよ。涼風は気にしてないんだし、もう……」

「黙れ」

 怒りの込められた一言に、ライカは気に食わない様子でこう呟いた。

「昔のお前の方が、まだ可愛かった」

「……」

 昔の記憶が恋しくないと言えば嘘になる。

 ただ、家族との記憶は今は邪魔にしかならない。

 ゼウスは印を付けたと言った。いつでも襲えるとも。常に警戒心を抱かなければならない状況に、自分は立っているのだ。

 もう、本当に、平穏を望めそうにない。

「……うっ」

 視界がグラつく。最寄りの木陰に体を預けるように、黒希は足を止めた。

「待ってろ。傷を塞いでやる」

「頼む……」

 ライカが胸の傷口に触れる。

 痛覚が刺激され、ほんの少し涙目になる黒希。

 そんな彼をからかうように、

「これくらい我慢しろ」

「ゔるせぇ」

「……ん? 肩もか。ジャージを脱いでこっちに背中を向けろ」

 大人しく従い、ジャージを脱ぐ。長い間使用していたこともあって愛着があったのが、ここまでボロボロだともう着ようがない。そろそろ新しいシャツと上着を買う必要がありそうだ。

 ライカに背を向けると、

「……誰かに頼ることも覚えたらどうだ?」

「こうして頼ってるだろ」

「まぁ、そうだが……」

 言葉に詰まるライカに、何が言いいたいのか気になって仕方がない黒希は、

「何が言いたいんだよ」

「戦闘面では、私や他の連中をお前は頼るだろ? なのに、精神面では誰にも頼ろうとしない。どんな奴にだって、心の支えは必要だぞ。例え、お前が過去にどんな罪を犯していたって、それが例外にはならないはずだ。寧ろ、罪があるからこそ支えは必要になる」

「つまり……?」

「あの華凪ってを抱いてみろ」

 友達を遊びに誘うような軽いノリで、ライカはとんでもないことを口にする。

 それに黒希は、しばらく唖然としていた。

「……は?」

「だーかーらー。セッ……」

 何を言おうとしたか逸早く察し、

「あー‼︎ ……ったく、何サラッととんでもねぇこと言ってんだよ!」

 珍しく取り乱す黒希

「性行為の何がとんでもないんだ?」

 今まで常識だと思っていたことが覆されたような調子だ。

「お前がどんなエロティックワールドにいたか知らねぇが、この世界にゃあ倫理ってもんがあるんだ。発情期の犬じゃあるまいし暇さえあれば女にくっつく気はねぇよ。ってか……お前って、そんな感じの奴だったのか?」

「そんな感じって?」

「やり××のクソビッチ」

「私は二人としか経験がない」

「……素直に話さなくていいよ」

「あの快感、一瞬とは言え現実の残酷さを忘れられるぞ。お前も一度経験すれば解る」

ヤクの密売人みたいなこと言ってんじゃねぇよ。それと、そういう話はやめろ」

 治療が終わり、黒希はボロボロになったジャージを羽織って立ち上がった。立ち眩みがするが、以前よりはマシになった。

「ふ。童貞君には解らんオトナの世界ってヤツよ」

 無言で振り返ると、明らかに発育途中の少女がそんなことを言った。そういえば、コイツはこんな姿で男に抱かれたのだろうか……………………ハッ。

 黒希は頭を抱えた。

 ……………………想像しちまったじゃねぇか。

「……」

 しかし。

 なんだかんだ言って、コイツも俺のことを心配してくれているんだな。

「……ありがとな」

 と、黒希は『心の中』で呟いた。














































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