黒の章 第9節
親の顔を知らない子が、どうやって難しい決断をしたと思う?
ただ人を傷付けることに特化して、人を殺す機械のような子が何を思って生きてきたと思う?
俺は、ただ殺したかった。
記憶の断片に残っていた、あの男を。
なのに彼女は、彼女『達』は、ダメだと言って俺の手を掴んで止めてくれる。
なのに俺は、消えない憎悪の捌け口をいつも求めている。苦しい。この苦しみから解放されたいが故に、あの男を殺したいと思う。
もう、誰かを憎むのは、嫌なのに。
涼風は、今までのことを本当に楽しそうに話している。何十分も、すでに一時間くらいが経つくらいに。
ふと、涼風の視線がピアノに向けられた。
「ね、お兄ちゃん。ピアノ弾いてよ」
「ん……いいけど。リクエストは」
久々にピアノの前に座る。それっぽく腕を伸ばすして指を解す。
涼風はちょっとどいてと黒希を横にズラし、隣に座った。あまり広くない椅子なのに。
「んーとねぇ……ボーカロイドの……」
「そういうのは弾けない」
「え。それじゃあピアニストとピアノの存在意義がないじゃん」
「全世界のピアノとピアニストに謝れ。ピアノにはピアノ独特の曲ってもんがあるんだ。それをもうちょっと考えてだな……」
「うーん……じゃあ、いつもの」
意味ありげな口調で、そう言ってくる。
「お前は俺んとこの常連さんか」
「マスター、いつものを頼むって感じの台詞いつか言ってみたかったんだぁ」
「んじゃあ、月光で。それしか覚えてないし」
昔、何度も何度も繰り返し弾いていたせいで、今でも何となくピアノを弾くように手を動かす時がある。そのため、仕事仲間にピアノでも習っていたのかと訊かれる。特筆して話すことでもないので曖昧な答えしか返したことがない。
話せばきっと、柄じゃないと海留に笑われる。叶は、何か言葉をかけてくるはずだ。咲なら微笑んですごいだの言ってくる。
「変わらないね。お兄ちゃんの弾き方。もうちょっと動いてもいいのに、全く動かない。でも、いい音色」
「……」
昔の、家族であった時のことなど殆ど覚えてないのに彼女は家族のように馴染んでくる。
それなのに、俺は彼女のことを赤の他人のようにしか思えない。
言うべき、ではないな。時間が解決するはずだ。
「……? お兄ちゃん、音が沈んでるよ」
「……ん」
弾き終えると、
「へぇ、上手いな」
背後から声がした。
振り返るが、誰もいない。だが、気配を感じた。
「光助! 話しちゃダメだって言ったのに」
「……咲?」
突然、そこに光助と咲、華凪が現れた。黒希が呆然とした様子で、やがて状況を把握すると、
「……いつからそこに」
それに華凪が答える。
「ピアノの音が聞こえたから」
「それに何で姿を隠す必要がある」
訊くと、華凪はいじけたように頬を膨らませて、
「下にいろって言ったのは何処の誰よ」
「……」
そんなことも言ったっけか。
「にしてもさ、黒希ってピアノ弾けたんだな。ちょっと意外だ」
光助がベッドに腰掛けて言う。
「意外って?」
「だって、お前目つき悪いし、なんかこう、不良っぽいイメージがあったんだよ。ケンカっ早くてケンカが強いって感じの」
そういうことらしい。
「あ、気を悪くしたなら謝るよ」
その割には悪びれる様子はない。友達に冗談を言うような調子だ。
「平気だ。慣れてる。それよりもさっきのは?」
魔術なのだろうか。姿を消せる魔術なら、少し憧れる。
「ああ、さっきのか? あれは咲の力だ」
光助が言うと、咲は照れたのか頬を赤く染めて、俯いた。
「へぇ」
「傷だって治せるんだぜ?」
それは「へぇ」では済まされない話だった。
「傷を治すって……つまり……ナイフで斬った跡も治るってことか?」
「そ。『元の状態に直す』ってのが正しいかな」
黒希は咲に視線を移した。
「てっきりマスコット的な何かかと思ってたのに……どうして黙ってた?」
咲はボソボソと、こう答えた。
「お母さんと誰にも話すなって約束したから……」
そして、恐る恐るこう付け加える。
「怒ってる……?」
「……いや。約束を破ってたら怒ってたかもな」
咲がパッと顔を上げる。光助も意外そうに目を丸くする。
全員の視線が向けられたものだから、黒希は目を細めて、
「……な、なんだよ」
「お前、やっぱりいい奴だったんだな」
と、光助が笑う。
「失礼な奴だな」
「ふふ」
華凪が黒希を見て嬉しそうに笑う。
黒希はハッとして、すぐに唇を固く結んだ。それに益々、華凪は嬉しそうになる。
「もう一曲、なんか弾いてくれよ」
光助が頼んでくるので、
「リクエストは」
「ボーカロイドの……」
「お前もかよ」
揃いも揃ってコイツらは、などと黒希は呆れてため息を吐く。
そんな穏やかな雰囲気を乱すように、着信音が鳴り出した。ポケットからスマートフォンを取り出し画面を見ると、栄一からだった。
華凪に画面を見せないように部屋を出る。もちろん不審に思われたようで、彼女は付いてきた。
「戻ってろよ」
「誰からなの?」
「俺の電話の相手まで把握しておきたいのか?」
「その言い方、なんか嫌」
「なら戻ってろ」
「もしかして、お父さんから?」
「……」
そういえば、華凪は父親の、栄一の仕事を知っているのだろうか。もちろん、黒希は仕事のことは話していない。
黙り込んでいると、華凪がこう言ってきた。
「やっぱりそうなの?」
チッ。適当に何か言っておけばよかった。
「……違う」
「嘘。お父さんは黒希の仕事と関係があるの?」
「ない。解ったら、ほれ、さっさと部屋に戻れ。相手にも迷惑がかかってる」
「……うん」
本当にしつこい奴だなと、黒希は華凪の背を見つめながら思う。
華凪が部屋に戻ったところで、着信に応答する。
「今日は営業してない」
開口一番に言ってやる。
それなのに栄一は言う。
『ロシアのクラスノヤルスクに発生した「亀裂」の対処と、海留の援護を頼みたい』
前者はともかく、後者は気になった。
「援護? アイツ、今何処にいるんだ?」
『太平洋にある孤島だ。今から座標を……』
太平洋、孤島と聞いた時点で、黒希の返答は決まった。
「今すぐ向かう。ロシアの方は、叶に向かわせる」
『任せたぞ』
座標を聞き通話を切ると、
「仕事の話?」
階段の方から叶が顔を出した。
「丁度いいとこに来たな。お前に頼みたいことがあるんだ」
「?」
「ロシアのクラスノヤルスクに向かってくれ。そこに『亀裂』が発生したらしい」
「え。でも私、これからレコー……何でもない」
「用事でもあるのか?」
「う、ううん。行けるよ」
「頼んだ。咲」
少し声を大きくして言うと、部屋から咲と、何故か涼風まで出てきた。
「なに?」
「お前、『亀裂』の開閉はできるか?」
「うん。できるけど……」
「叶について行って、『亀裂』を閉じてくれ」
それに、部屋から飛び出してきた光助が、
「それ、危険か?」
真剣味を帯びた表情で、訊いてくる。
「分からないが、多分、危険だ」
「んじゃ、俺も行く」
軽い調子で言う光助に、黒希は、
「遊びじゃない」
「咲を守るためだ。それに、二人より三人の方がいいだろ?」
光助は何年も地獄で生きていたと聞いている。彼なら悪魔とも戦えるだろう。
黒希は三人に向けて、
「危険だと感じたら、すぐに逃げろ」
そこで、会話の流れを黙って見ていた涼風が、
「お兄ちゃんは?」
「別の場所で仕事がある」
「じゃ、ワタシはお兄ちゃんについて行くよ」
「断る。お前は華凪と一緒に留守番だ」
ライカと死の騎士が言うには、孤島には三体の女神がいるらしい。神というだけあって、実力はかなりのものなはず。そんな場所に連れて行けるわけがない。
「ワタシ、転移魔術とか使えるし便利だよ?」
ここぞとばかりにアピールしてくる。
「ヘリで行く」
「時間かかるんじゃない?」
かかる。だが、妹を連れて行くよりマシだ。
「ダメだ」
頑なに断り続ける黒希の肩に、涼風は何気ない顔でポンっと手を置いた。
直後。
景色が劇的に変わった。
家から、暗闇に包まれた森になった。
「……ッ⁉︎ 何しやがった!」
数秒の間を置いて思わず叫ぶ。
「転移だよ」
「いや、だって、お前に場所を言ってないぞ」
「この世界で一番魔力が集中している場所に転移したんだ」
原理はよく分からないが、とにかく目的の場所に着いたらしい。
「……ここまで送ってくれてありがとう。帰」
「らないッ‼︎ ワタシはお兄ちゃんを守るってヒロインらしい宣言をしたんだから、本格的に出番を増やさなきゃ!」
などと口走る涼風。
「出番と命、どっちが大事だ」
「出番!」
「……離れるなよ」
「うん」
「……暗いから足元……」
「ちゃんと見てるわッ⁉︎」
と、豪快に木の根に足を引っ掛け転ぶ涼風。
「言わんこっちゃない。ほら……」
手を差し伸べると、涼風が倒れた状態から無理やり足を動かし地面を蹴って、腹に飛び込んできた。
「何す……ッ」
それから一瞬のこと。
光が夜の帳を一閃する。
黒希は涼風を抱き抱えて立ち上がり、最寄りの木の枝に跳び乗った。
「誰だテメェ」
黒希の視線の先にいたのは、剣と盾で武装した銀髪の女。見慣れた青い瞳が、こちらに向けられる。人間ではない異様な気配を感じた。あれが女神か?
「お兄ちゃん。あの人、強そう(小並感)」
「ふざけてないで、とっとと隠れてろ」
兄妹仲良くケンカをしていると、不思議そうにこちらを見ていた女が、消えた。彼女の足元の地面が抉れた。跳んだのだ。そう気付く。その時すでに、刃は目の前にあった。
黒希は反射的に横へ、枝から転がり落ち、地面に着地した。
少し離れた先に女が降り立つ。
「この血の臭い……貴方、『後継者』ですか」
「テメェ、誰だ」
「アテナだよお兄ちゃん」
脇に抱えた涼風が説明してくれる。
「アテナ? ギリシア神話の女神か」
「あの盾には気を付けて。受けた衝撃を倍にして返す特性があるよ」
それに、アテナが少し驚く。
「……貴女、何処かでお会いしましたか?」
「シノから教えてもらったの」
「しのとは?」
「教えるわけないじゃん、べーっだ」
緊張感の欠片もなく涼風は舌を出した。
「……で、女神様が何でこの世界に来た」
「ある者を討ちに。たった今、その中に貴方も含まれました」
あっさりとアテナは答えた。
真意は不明だが、ともかく敵と認識して構わないようだ。
「涼風、下がってろ」
「ワタシも戦う」
「いいか……」
言葉の途中で、アテナが迫ってきた。涼風の肩を掴んで、彼女を庇うように前へ出る黒希。
その横を、アテナは通り過ぎた。
「……?」
背後で金属同士の衝突音がする。
「しつこいぞ、貴様」
「逃げるなよ。一緒に遊ぼうぜ?」
振り返ると、アテナと紅く光る斧を持ったツナギ姿の白人男性が鍔迫り合いをしていた。
「どうなってんだ」
「三つ巴だよお兄ちゃん。こういう場合は、二手に分かれて戦うのがセオリーなんだよ」
「どの次元のセオリーだよ」
アテナが男を盾で殴り飛ばし、こちらに剣を振ってきた。
黒希はバックステップでそれを避ける。
「お前、邪魔だな」
突如、男が目の前に現れた。
「ッ⁉︎」
まずい。
黒希が動くより速く、
「吹っ飛べ‼︎」
涼風が叫んだ。
男が再度吹き飛ぶ。
「お兄ちゃん。ワタシも戦えるよ」
涼風がこちらの瞳を真っ直ぐに見つめて、言ってくる。
数秒の間を置いて、黒希は涼風を下ろした。
「……無茶はするなよ」
「うん。ところでお兄ちゃん」
「ん?」
「お兄ちゃんって、どんな武器を使うの?」
「俺は……あ」
ふと、ある言葉を思い出す。
『もしもの為に、「契約」を切っておく』
黒希が主に使用する武器の大鎌は、ライカの魂を具現化して作り上げたものだ。ライカがいない今、黒希が使える四肢以外はない。
「あっ、て? どうかしたの?」
「いや。なんでもない」
一瞬、魔術で武器を造れないかと考えたが、魔術が視えないので扱いようがない。アテナの剣を奪うか、素手で戦うしかない。




