黒の章 第7節
「……ん」
長い間眠っていたような気怠さに襲われて、黒希は目を開いた。
薄暗い中、丸い蛍光灯が見えた。
あれは確か、家のリビングの天井…………ん?
上半身を起こす。体に包帯が巻かれていることに気付く。そして何よりも、
「……?」
右には華凪が眠っていた。
それはいつもの事なのだが、左には金髪の見慣れない少女がいて、その横には咲が、さらにその横には、確かコウスケとかいう少年がスヤスヤと眠っていた。
横一列に敷かれた布団。これはまるでパジャマパーティーだ。
ここは、白銀宅リビングなのだが。
何故ここに咲達が……………………?
考え込んでいると、
「……黒希?」
華凪が起き上がった。
「眠れないの?」
そう、いつものように訊いてくる。
「いや、そうじゃなくて……」
「あ、この人達のこと?」
流石は華凪。こちらの疑念が見えているかのように的確な問いを投げかけてくる。
「地獄、だっけ。そこから一緒に出たんだよ。それでね、黒希を撃った男の人が一緒にいろって」
それで、どうして咲達がここに来る。それに、男の人…………、
「あ……お前、どうして地獄にいた」
意識を失う前、覚えているのは華凪の声が聞こえたことと、自分が自分でないような妙な感覚がしたこと。
後者はともかく、前者は問題だ。
「よく、覚えてないの。胸が苦しくなって、それで黒希のことしか考えられなくなって、気付いたら、目の前に黒希が見えた」
「……」
華凪は絶対に嘘をつかない。それを知っているからこそ、黒希の疑念は増幅し思考を曇らせた。
「ねぇ、黒希」
華凪が、瞳を真っ直ぐに見つめてきて、
「私に隠してる事あるでしょ?」
ドキッと、鼓動の加速を感じた。
彼女は、あの場に居合わせた。今さらないと言ったところで、意味はない。しかし、言うわけにもいかない。
「……言えない」
「そうなんだ……あ。言いたくなったら、いつでも言って。私は、絶対に君の味方だからね」
寂しそうな表情から一転、明るい表情になって華凪は言った。
黒希は申し訳なさそうに目を伏せて、
「……その、男の人は何処に行った?」
「分かんない」
「そか。危ない目に遭わせて、悪かった」
「ううん。気にしなくてもいいよ。君も私も無事だったんだから」
「……」
そうは言われても、気にする。
彼女を守れと栄一から言われている。仕事の依頼は必ず達成、遵守するのがポリシーだ。
おもむろに時計に目を向けた。
八月七日 午前五時四十三分。あれから、一日しか時間は経っていない。
それなのに、何故だろう。長い間眠っていたような気がする。疲れているのか。
「まだ寝ててもいいよ。怪我してるんだから、今日はゆっくりして」
その優しい声音に誘われるように、身を横にしようとすると、ソファの上にあったスマートフォンが着信音を鳴らした。
手に取り、画面を見る。表示された名前を見て、黒希は薄地のタオルケットから抜け出した。
華凪は何も言わずに、リビングから出る黒希の背を見つめていた。
廊下に出て、黒希は応答をタップした。
「日本は早朝だ。もう少し時間を考えて電話たらどうだ」
不満そうに言うと、
『悪かったな。こっちも暇じゃないんだ』
五十代後半くらいの男性の声が返ってきた。
「何の用だサミュエル」
サミュエル。それが電話の相手の名前。生粋の米人なのだが、本場と違和感のない流暢な日本語で彼は言う。
『話がある。今からこっちに来てくれ』
「ニューヨークにか? 冗談だろ。電話で済ませてくれよ」
『……盗聴はされてないか』
「さぁな。早く話せ」
『悪魔についてなんだが、ここ最近、奴らが絡んでいる事件の数が去年の倍に跳ね上がった』
「悪魔の動きが活発になってるってことか?」
地獄に行ったのと、何か関係があるのだろうか。
いや…………、
『今より強い力を手に入れる代わりに君のこれからが変わる』
ツキネという少女の言葉。
胸に引っかかる。
『奴らの目的は検討もつかんが、よくない事が起こるのは確かだ。そこで……おい。聞いてるのか?』
「……え。あ。続けてくれ」
『全く。しっかりしろ。そこで、お前達に悪魔の処理を任せたいんだが、構わないか』
黒希はリビングの方へ目を向けた。
今日はゆっくりして、か。
「……断る。海留か栄一に頼んでくれ。それでもダメだったら、他の祓魔師連中に頼め。とにかく、今は間が悪い」
サミュエルの返事を待たずに、黒希は電話を切った。
そういえば、海留と叶がいなかったな。そんなことを思いながらリビングに戻ると、
「ぐはッ‼︎」
腹に凄まじい鈍痛が走り、床に倒れてしまった。体内で内蔵の場所がシャッフルされてないか心配になるほどの衝撃だった。
「なん……?」
重みを感じながらも上半身を起こすと、目の前に顔があった。
キラキラと輝くオレンジ色の瞳が、こちらをじーっと見つめている。
「……?」
隣で寝ていた金髪の少女だ。
「俺に何か……」
「起きてるお兄ちゃんだ!」
その言葉に、黒希は口を開けて呆然とし、
「……へ?」
「へ? って……ワタシだよ涼風だよ」
「涼風……」
容姿は覚えてない。声も、瞳も。何一つとして目の前の少女が涼風、つまり妹であるという証明はないのだが、不思議とそれは事実のように思えた。
ただ、赤の他人のように感じてしまっている。
「……でも、どうして……騎士に捕まってたんじゃないのか」
それに、涼風はキョトンとして、
「シノはワタシと『契約』してるんだよ? ワタシを捕まえるはずないじゃん」
「……何?」
『契約』。黒希とライカも、黒希が三歳の頃に『契約』をした。その際に言われた注意事項は今でも覚えている。
『片方が死ねば、もう片方も死ぬ』
あの騎士なら、きっと簡単には死なないだろう。だが、死なないという保証はどこにもない。
「お兄ちゃんの顔、やっぱり女の子みたい。もっっっっっのすごくワタシの好みなんだよ!」
目をギラギラと輝かせて、顔をグイグイ寄せてくる。
「……なぁ涼風。騎士は?」
「シノならお出かけ中だよ」
シノとは、死の騎士の略だろう。にしても、愛称で呼ぶ仲なのか? まるで友人だ。とても誘拐犯とその被害者とは思えない。
黒希が混乱してきた時、リビングから華凪が出てきて、
「涼風ちゃん。黒希は疲れてるんだから、少し休ませてあげて」
「はーい」
と、涼風は間延びした返事をして、黒希に意味ありげなウィンクをした。
「可愛い彼女だね。お兄ちゃんには、少し勿体無いかも」
「……別に彼女じゃない」
「嘘。お姉ちゃんから聞いたよ。十二歳の時に告白したんだって? ロマンチックだねぇ」
「……」
いわゆる恋話というヤツを、コイツらはしたらしい。本当にパジャマパーティーのようだ。それよりも、華凪のことはお姉ちゃんと呼んでいるのか。変な感じだ。
「ね。ワタシ、お兄ちゃんに話したいことがいっぱいあるんだ! 早く布団に戻ろうよ」
「……ん」
話したいこと、か。
リビングに戻る時、黒希の脳裏には血生臭い記憶が鮮明に蘇っていた。
ピンポーン。
軽快な音に、黒希は足を止めた。来客を知らせるインターホンだ。こんな時間に誰だ?
ドアを開けると、そこには男一人と少女が一人いた。どちらも知っている顔だ。
今はゴスロリ衣装ではなく、黒いティーシャツワンピ姿のライカと、黒いロングコート姿の男、死の騎士。
「……ッ⁉︎」




