透明の章 第3節
森の真ん中に、深いクレーターができた。
クレーターの原因となった、ドーム状に広がった紅い光が消える。
「ゔぅ……」
叶はクレーターの淵に転がっていた。目立った外傷はない。
何が起きた?
「あの上級悪魔さんが、ただの人間に負けそうになるとは……珍しい事もあるんだな」
「お黙り。魔力を吸い取られたのよ」
クレーターの反対側に、新たな人影が一つ。
三十代の男だ。身長は百九十センチほど。青のツナギ姿で、髪はブラウンで、瞳はブルー。彫りの深い顔をしている。
残念な事に、味方ではなさそうだ。
叶はゆっくりと立ち上がって、前方の敵に視線を固定した。視界の下に、紅い光が見える。クレーターの底に、紅い光に包まれた斧があった。樵が使うような斧だ。その斧の刃に、見たことのない記号が彫られている。
『あの記号……叶、ここは逃げた方がいい』
頭の中で、ロキの声が響く。
「何でよ」
『あの斧にはクロノスの力が少しだけ混ざってる。クロノスってのは時を司る上位の神だ。その力が少しでもあるってことは、アイツも時間操作の魔術が使えるはずだ』
「時間操作って……」
斧が消えた。紅い光の軌道を目で追うと、男の手に握られていた。
男が斧を担ぎ、こちらを見た。
直後。
「弱っているとはいえ、上級悪魔相手によくやるもんだ」
間近に、男がいた。
「ッ⁉︎」
男は距離を取ろうと後ずさる叶の襟首を掴み、グイッと引き寄せた。
「赤の瞳……人じゃないもんを憑けてるのか。それともお前自身が人じゃないのか」
男は気味の悪い笑みを浮かべて、
「どっちにしろ面白そうだ」
叶を放り投げた。放物線を描いて地面に落ちる。
痛みを堪えて立ち上がる。
その時にはすでに、男は目の前にいた。
速いのか、それとも、ロキが言ったように時間を操作しているのか。
拳が振り下ろされる。
叶は受け止めきれないと即座に判断し、横へ軽く跳んだ。
避けた______________はずなのに、腹に強い痛みを感じた。
男が、瞬間移動でもしたのか目の前にいた。
堅そうな男の拳が腹に減り込む。
「がっ……」
吹き飛ばされる。木に激突する。意識が飛びそうになった。
『くそッ。しっかりしろ叶!』
ロキの声が聞こえるが、頭がボーッとしていて内容までは聞き取れなかった。
「……ぁ」
ここで、死ぬのかな。
死んだら、怒られるかな。
黒希、ガッカリするんじゃないかな。
…………………………死ねない。
あの男に勝つには、力が要る。
とっても強い黒希みたいな力が、要る。
『……オススメしない。けど、お前が望むなら、お前が欲している力を手に入れる力を貸してやるよ』
思考を汲み取り、ロキが言う。
「貸、して……」
黒希なら、あんな男には負けない。
黒希なら、どんな奴にだって負けない。
黒希なら、何でも殺せる。
殺す。あの男を。あの悪魔を。
叶の胸の内が、『黒』に染め上げられた。
瞳を閉じる。
開く。
赤色の瞳は、紫色に変化していた。
「いい目になったな」
男の瞳に、愉悦の色が滲み出る。
叶は立ち上がると、地面を蹴った。
一瞬で、男との距離をゼロにする。すれ違いざまに、男の顔面に右拳を叩きつける。拳を振り切り、男を森の奥へと吹っ飛ばす。
叶は信じられないものでも見るような視線を、自身の両手に落とした。
「これが黒希の……」
『一番強い理想を現実にするってのが、俺の力だ。それをお前に貸した。お前は一時的に黒希と同化した状態になれる。だが、長くは使うなよ。アイツの力は、人間のお前には強過ぎる。力に殺されないうちに決着をつけろ』
叶が一番強い理想。
それは、間違いなく黒希のように強くなること。それでいて、彼に必要とされること。
この現状に、叶は満足していた。なのに、胸が苦しく、同時に安らぎを感じた。
頭が、何か別の者に侵されているように感じる。
もう、メチャクチャだった。
黒希は、いつもこんな不気味な感覚に犯されているのか。
これじゃ、生きてる心地がしない。
「うっ……ぁぁぁッ⁉︎」
激しい頭痛がした。
心臓が鷲掴みにでもされたように、今にでも潰されそうだ。
瞳の奥が、熱くなる。
叶は頭を抱えて、地面に倒れた。
『やっぱりダメか……』
ロキは叶から力を回収し、現実に姿を現した。
転移系の魔術の詠唱をし、発動する。
『約束だよ』
…………か、な?
唯一安らぎを感じた記憶には、いつも、彼女が側にいた。
華凪、か。
誰なんだろう。




