黒の章 第2節
生きたまま地獄に入るには、時期限定の裏口を使う必要があった。
その裏口が開く時期が、今日、八月六日だ。
底の見えない奈落の穴の淵に、黒希とライカは降り立った。
「ここに来るのも、久しぶりだな。あれから何年経った?」
横に並ぶライカが、それに答える。
「十三年」
「十三年か……ずいぶんと長い間待たせちまってるんだな」
過去を思い出し、少し、視線を落とす。何もできなかったあの時を悔み、唇を噛む。
今は違うと、そう信じたい。
「涼風を救ったとして、その次、お前はどうる気でいるんだ」
急に、ライカが聞いてきた。
「何だよ突然」
「お前の妹が、必ずしも父親の龍地を恨んでいるってわけじゃないだろうし、もしそうだとしたら、お前はどうする。それでも、龍地を殺すのか?」
「それは……その時考える。それよりも、今は涼風を捕らえてる死の騎士って野郎を殺すのが優先だ。ライカ、死の騎士に関する情報」
「強いらしい」
と、そこで言葉が止まった。
「……それだけ?」
黒希が訊くと、
「何だよ。文句があるなら自分で情報を集めたらどうだ」
「そもそも、お前の情報源って何処なんだよ」
「色々と」
「教える気はなし、か」
信憑性に欠ける情報の提供。こういう場合、ライカを敵だと認識するのは正しいだろう。だが、どういうわけだか、彼女を敵だとは思えなかった。殺す機会なら幾らでもあったはずだから、というのもあるが、一番の理由は彼女が自分に力を貸していることだ。少なくとも、今は敵じゃないということになる。十分だ。
「俺とそいつと、どっちが強い」
訊くと、ライカは少し黙り、
「……死の騎士だろうな」
その声は、少し震えていた。
黒希は特に気にせずに、
「実際に戦ったことは?」
「ない」
「なのに、俺より強いと分かるのか?」
「当たり前だ。今のお前の強さで、地獄に来るべきじゃない」
「だが、俺の力はもう育たないんだろ。だったら待つ必要はない」
「それもそうだが……ッ。黒希」
何の前触れもなくライカが身構え、姿を消した。黒希の中に戻った。
黒希の右手に大鎌が現れ、握られた。
直後に、黒希を中心として、多数の黒い穴がドームの形を描くように現れた。
『敵だ』
ライカの声が頭の中で響く。
黒い穴から、青白い手、足、鉤爪、頭(?)などが飛び出した。そのどれもが、異形だ。今にも破裂しそうほど膨れ上がった皮膚、骨が見えるほど抉れた肉など、醜い全貌が見ずとも安易に想像できた。
そして、現れる。
やはり、恐ろしいほど醜い化物達が穴から這い出てきた。
中には、体全体に顔を持つ者までいる。
「……お世辞にも美人とは言えないな」
『どうやら、誰かが粘土みたいに亡者の魂をくっ付けたらしい』
と、ライカが説明してくれる。
「なるほど。よく見れば、幼稚園児が粘土で作った創作物に見えなくもないな」
『ここに来たのがバレたかもしれない。早くここから離れるぞ』
「……じゃ、突破だな」
呟き、目の前の三メートルはある人型の化物の醜い顔面に向け、大鎌を投げた。
大鎌が眉間に突き刺さる。
化物が悲痛な金切り声を上げる。
「くッ」
耳障りな声に顔を顰め、黒希は大鎌の元に跳び、化物の眉間から大鎌を抜きつつ奴の頭を踏み台にして、さらに大きく跳躍した。
化物の包囲網を軽々と飛び越え、着地と同時に地面を蹴って走り出した。
追いかけてくる気はないのか、それとも追いかけようと思う脳みそがないのか、化物達は呻くばかりで動こうとしなかった。
目の前から、何かが迫ってきた。
あれは、人?
黒希は大鎌を肩に担ぎ、その人影が間合いに入ると振り下ろそうと構えて________驚いた。
あれは、自分と同じ歳の頃の少年だった。
すれ違う。
一瞬だが、目が合う。
青い瞳だった。海留と咲と同じ瞳だ。
背後で立ち止まる音がして、足音が段々と近付いてきた。
横に並んでくる。
背は黒希より高く、約百八十センチといったところだ。灰色のパーカーにジーンズといった格好、黒髪。
顔を見る限り悪魔ではなさそうだ。
生きてる人間に見える。
「……何か用か」
訊くと、
「お前、人間だよな?」
少年に訊き返される。
「そうだが……お前は」
「人間だ」
「……で、何か用か?」
「いやぁ、アイツら以外で生きてる人間を見るの初めてだからさ。珍しくて、つい声を掛けちまったわけ。迷惑だったか?」
「……いや」
生きてる人間が地獄にいる。普通の人間が誤って落ちたという事は、万が一にも起こり得ない。つまり、コイツは普通じゃない。
「ん、アイツって言ったか? まさか、他にも人間がいるのか?」
「え? ああ。いるぜ」
「涼風って名前か?」
「そうだけど」
それに、黒希は思わず立ち止まった。
青い瞳の少年も、少し先で立ち止まる。
化物達からは、かなり遠ざかっていた。
「何処で会った」
「何処でも何も、同じ家で暮らしてるぞ」
「何?」
一緒に、暮らしてる?
黒希は混乱した。ライカの話だと、死の騎士って奴が涼風を捕らえているとのことだったが。
「あ! もしかしてお前、黒希だろ?」
少年が思い出したように言った。
黒希は警戒すると同時に、期待を抱いた。
「……知ってるのか?」
「ああ。涼風から何度か話を聞いたことがある。アイツの兄貴なんだろ?」
「……」
コイツは敵か、そうでないか。
黒希は即座に判断した。
右手から大鎌を消し、
「案内してくれ」
すると、少年は人懐っこい笑みを浮かべて、
「いいぜ」
少年を先頭に、二人は走り出した。
「お前、名前は?」
「ん? あ、そういや、まだ名乗ってなかったな」
少年は少し減速して、横に並んできた。右手を差し出してきて、
「光助だ。よろしくな」




