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夏のホラー

ただ、覚えていたいだけ

作者: うさぎ

※同人誌にしました。詳細は活動報告を読んでください。

 恋文なんて書くもんじゃない。あんなのは黒歴史のもとだ。恋なんてくだらない妄想に浸った結果引き起こされる、脳みそシュガー中毒の末期症状。

 私がそんな黒歴史を生産してしまった原因であるところの「奴」は、まるで嘘みたいな変わり者で、だが、奴にとってはむしろ私の方が変わり者らしかった。「今どき、自分のことを私なんて言う男子高校生いないよ」とのことで、「絵が異常に上手すぎてキモい」だの「キャー! とか声が高い」だの、その他にも私の無意識な仕草がいちいち女っぽくて、それも奴は気に食わないようだった。


 そんな奴は商店街の道端に裸足で、私の目の前に突っ立っていた。顔には眼脂がついていることから洗顔をしていないのは明らかで、この状態ではたぶん歯も磨いていない。短い髪の後ろはぴこんとはねている。奴は女のくせに、ちっとも女らしくない。そんな奴はにぃっと笑うと、


「少し見ない間に、すごい無精ひげだね。本当に男みたい。ウチもね、気がついたら脇毛が育ってんだ」


 たしかに学校が夏休みに入ってから、私はあまり外見を気にしてはいなかったなと、慌てて顎に手をあてた。そして、ぽさぽさとしたその触り心地に「すごいってほどでもないでしょ?」と返した。


「それよりも私は、なぜあなたが裸足なのかが気になるんだけど……」

「昨日雨だったじゃん? ウチの唯一のスニーカーが乾かなくてさ、これから靴を買いに行くんだ」

「いや、だからってなぜに裸足!」

「あんなのを履いていたらムレちゃってたまんないよ。水虫のもとだよ。本当は代わりに履けるのもあるけど、私服にローファーはさすがのウチでも無理だった」

「あなたがそれを言っちゃうの!?」


 引きつった顔の私を見ながら、奴は可笑しそうにガハハハハと笑った。


「ことごとく残念な奴」


 ぼそっとつぶやいた私の声が聞こえたか聞こえていないのか、奴は突然笑うのをやめると、妙に真面目な顔をしながら、


「それじゃね」


 と人混みの中へ溶けるように消えた。


 かつての記憶が私をむしばむ。その日が暑かったのか涼しかったのか、そんなことは忘れてしまった。けれど、あのときの奴とのやり取りは気持ちが悪いほど覚えている。


 その翌日に回された学校の連絡網から、私は奴が自殺していたことを知った。休日の校舎に忘れ物をしたと一人で訪れた奴は、用務員の目を上手く避けながら、施錠されている屋上の鍵を盗んで忍び込み、そこからフェンスを越えて飛び降りたらしい。ちょうど、私と商店街で出くわした、午前十一時を少し過ぎた頃のことだった。

 だから裸足だったのだ。私はすんなりと納得してしまった。

 しかし、奴はなぜ何も言ってくれなかったのかと、奴はたしかに変わり者ではあったが、そんな奴のことを好きな人間はたくさんいたはずだった。奴は大抵のことは気にしない、ずぼらでがさつな女子高生で、そのくせ実は、脳が髄液の代わりに砂糖水で満たされているのではないかというくらいロマンチストなところもあった。

 夏休み明け、登校した私が自分のロッカーを開けて最初に目にしたのは、一通の手紙だった。差出人の名はなかったが、封筒の宛先に書かれた私の名前、そのいびつなかたちをした文字は明らかに奴のもので、私はしばらく口に手をあてたまま動けなかった。朝に剃ったばかりの私のひげは当然跡形もなく、つるつるとした顎の感触に私は心許なさを感じた。

 封筒の中身は空っぽだった。


 ――恋文なんて書くもんじゃない。かたちに残ってしまうものだから、いつか捨てなくてはならないときに厄介だ。


 これは奴の言ったことで、私が一ヶ月かけて書き上げた恋文に向けての、奴の言葉だった。

 頭の中ではしょうもない空想ばかりしているくせに、現実の奴は好意を受け止めることが下手で、下手で、結局私の恋文を、私が見ていないうちに教室のゴミ箱に捨ててしまった。それを目撃した一人の同級生が、こっそり拾って私に返したことで、奴の行為は私に露見してしまったが、まさか奴はそこまで知っていたのだろうか。仮に知っていたとしても、奴が私にしたことに対して気にして引きずっていたとは思えなかった。心臓に毛が生えているような人間なのだ、奴は。


 私はただ、そう思いたかったのかもしれない。私が、本当に奴のことを理解していたとは言い難いし……奴は良い意味でも悪い意味でも、純粋な乙女だった、と思う。結局、恋文を書こうとして書けなかったのは、純粋過ぎてしまったからかもしれない。

 奴の歪な文字をなぞりながら、私の思考はますます飛ばされていくようだった。奴は自分の書く字が好きではなかったから、読む気も失せてしまうようなその字で以て、実際に真実の思いを書き出してしまうことで、私の気持ちが逆に離れるとでも考えたのだろうか。私の字は無駄にきれいだったから、奴は読めなくて捨てたのかもしれない。


 高校を卒業してから一年後の、本日八月七日は奴のいない同窓会だ。私の高校の通学路には墓地の中を通り抜けるコースが存在し、昼間はまったく気にならないのだが、部活動等で帰りが遅くなったりすると結構怖い思いをする生徒もいたとか。その上、奴が飛び降り自殺なぞしたものだから、当然マスコミに騒がれたりした時期もあったし、生徒の間でも余計に変な噂が立っていた。今回の同窓会は、学校側が毎年開催している恒例のものだが、たぶん私のクラスは集まりが悪いだろう。


 一年振りの校舎は、相変わらず薄汚れていた。そこで思い出したのは、私が卒業した小学校の、これまた年期が入った階段の光景だった。たしか二階か三階だったか、階段の天井に上履きの跡が付いていた。きっと悪戯好きな生徒が上履きを投げっこして、わざと付けたのだろう。学校の「階段」と「怪談」をかけたら面白そうだから、小学生の好きそうな話の出来上がりだ。先生方は、「あんなところをどうやって掃除すればいいんだ」と怒っていたが。


 そんなことを考えながら廊下を歩いていた私は、ふと背後に誰かもう一人いるような気がした。足音が聞こえるわけではなく、衣擦れの音がするわけでもなく……しかし、やはり誰かいるような気がした。

 実のところ、とても気になって振り返りたくて仕方なかったのだが、目的の教室がもう目の前まで見えてきたときになって、背後の存在感がすっと消失した。否、私を追い抜いたように感じた。

 そんな不思議な感覚を覚えた直後に、


 ――ガラッ!


 奴が妙な効果音を口にしながら、集合場所の教室の引き扉を開けて顔を出してきた。驚いてその場に棒立ちとなってしまった私に、奴はにぃっと笑うと、ひょこひょこスキップしながら近づいてきた。


 ――よっ! 久しぶり。お元気様々?


 まるで本当に生身の人間のような奴が、私の目の前で兵隊の敬礼をとりながら笑っていた。と、急に真面目くさった顔になって、


 ――それじゃね。


 私に背を向けると、廊下を駈け抜けて行って、一番最初の角を曲がる前に忽然と消えた。

 不意に「キンコンカン」と、チャイムの音が鳴り響いてきた。始まりを告げたり、終わりを告げたり……どちらにしても私には、懐かしくもどこか哀愁の残る緊迫を含んだ音に感じられた。

 嫌に長くゆっくりと鳴り響くそのチャイムを聞きながら、私も奴を追うように廊下を走り出していた。奴の行き先はなんとなく想像が付いた。


 屋上の扉の鍵は開いていた。階段を駆け上がりながら勢い良く扉を開け放つと、その正面のフェンス越しに奴が突っ立っていた。こちらに背中を向けたままの奴は言った。


 ――もうすぐ八月十五日だけど、それって何の日だ?

「何の日だって……お盆」

 ――あ、そうだよね。それもあるか。

「一体何の話よ?」


 私は話しながら、奴のもとに慎重に近づいて行き、奴に手が届きそうな一歩手前の距離で止まった。


 ――終戦記念日。


 奴は変わらない笑顔をこちらに向けつつ言い放った。


「あぁ。そういえば、昨日はテレビで広島原爆の追悼式が流れていたね」

 ――なぜか……広島は大々的に放映されるのに、長崎はそんなんでもないんだ。ウチ、被爆者の写真を一回だけ見たことあったけど、それだけでもう見られなくなっちゃったんだ。

「怒りの広島、祈りの長崎ってやつ? たしかに、人間は怒っている方が迫力あって、どうしてもそっちばかりに気がいっちゃうよね。あんな悲惨なもの、好き好んで進んで見たがる人はいないんじゃないの?」

 ――……目を逸らしたら申し訳ないとか、思ってた。けどさ、ずっと怒ってたら疲れちゃうよね。長続きしないよ。八月十五日って、国が違えば事情も違ってきて、韓国では光復節こうふくせつ……つまりは解放記念日だよね。あと、知ってた? 聖母マリアの被昇天の大祝日にも当たるんだよ。浦上天主堂は、潔きこひつじとして選ばれたんだよ。


 私は何も言えなくなってしまった。目の前の奴は本当に、本物の奴なのだろうか。奴はこんなに博識な人間だったろうか。


 ――平和って何か、わかんないんだ。日常が平和過ぎて、それでどうしようもないことばっかり考えて……ウチ、すごく後悔してる。長崎なんて遠くて行けないから、こっからの街の景色をさ、長崎の被爆地に見立てて眺めながら、格好つけて祈りなんか捧げてみたりして。マザー・テレサみたいに……でも、こんなところで目をつむって祈るもんじゃなかったんだ。


 奴は私を見つめながら、目からあふれてこぼれ落ちた涙が頬を伝うのを払いもせずに、一心に私を見たまま言った。

 まさか、そんな馬鹿な話があるだろうか。奴が死んだのは、八月九日の午前十一時の……あぁ、なんだ。本当に正真正銘の大馬鹿野郎だ。

 奴は、自殺なんかじゃなかった。飛び降りる気なんかなかった。救いようのないロマンチストは、フェンスを越えたこんな場所で、憧れの人物を真似るためにわざわざ靴まで脱いで……雨が降ったのは昨日だから、大丈夫とでも思ったのだろう。


「もう良いから……こっちに来なよ。一発平手打ちしてあげるよ」


 私の呼びかけに対して、奴はゆるゆると首を横に振った。そして鼻を啜ると、濡れたままの頬をほころばせて、


 ――ね、お願いがあるんだけどもさ。今からウチ、こっから飛び降りるから、そうしたらキミは下まで駈けてって、ウチを受け止めてよ。一度やってみたかったんだ。たぶん出来るんじゃないかな? 大丈夫、なるべくゆっくり落ちるから。

「はい? ちょっとあなた、何言って……」

 ――もし受け止めることが出来たら、あのとき渡せなかった手紙の中身を教えてあげるよ。


 奴は私の返答を待たずに、そこから飛び降りてしまった。ゆっくりと、落下していった。


「もー本当に何なのよあなたは!」


 私はいつも、こうやって奴に振り回されていたような気がする。でも、そんな奴との日々が、実はとても大切でかけがえのないものであったことに、私はとっくに気づいていた。一緒に卒業するはずだった。そうして迎えた同窓会だって、決してこんなかたちではなく、みんなでわいわいと子どもみたいにはしゃいだりしているはずだった。

 今度は階段をだだだだっと駆け下りていき、昇降口を抜けた私は、空を見上げると奴が飛び降りた場所を探す。昼間の夏空に目が眩んだ。

 奴が飛び降りた場所は学校のちょっとした庭園の入り口付近で、やっぱり奴は死んでも乙女なのだと思った。私が到着したのを見届けると、ゆっくりと下降していた奴のスピードは徐々に上がっていき、やがて私の両腕の中にすっぽりと収まった。奴は嬉しそうにニコニコしながら、私の頬に軽く手を添えた。


 ――まずはキミの名前を丁寧に書こうとして、気づいたらそれだけで紙いっぱいになってた。まるで呪いの手紙みたくなってて、それで諦めちゃった。

「酷いよねぇ、本当に。私がどれほど傷ついたことか」

 ――ごめんごめん。


 ガハハハハと豪快な笑い声を、もう一度聞くことのできた私の視界は、歪み始めた。奴の身体はすでに透けかけていたのだ。


「私が死んだら結婚しよう」

 ――ありがとう。でもきっと、キミは良いお父さんになれると思うよ。


 消える前に最後、奴が残していった手紙の内容を知った私は、やはり恋文なんて書くもんじゃないと痛感した。




『恋するオネエに首ったけ』


 ――ね、笑っちゃうでしょう?


参考文献


「長崎の鐘」

著者:永井 隆

発行所:サン パウロ


最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。ホラーにしても、他のジャンルの話にしても、まだ完成には程遠い物足りない作品ではありましたが、今回はここまでお付き合いくださり、誠にありがとうございました。

八月十五日は聖母マリアの記念日。そして、聖フランシスコザビエルが鹿児島に上陸したのも、ちょうどこの日です。

永井隆さんの「長崎の鐘」が、たくさんの人々の心に響きますように。


最後に、戦争で犠牲となった方々のご冥福をお祈りいたします。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  せつない話ですね。  おまけにノスタルジックで、いろいろな意味で「喪」も入っていて……。  登場人物の二人がユニセックス的なのもいいですね。思春期前期の透明感と残酷さを併せ持って、いろい…
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