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乙女は歌う  作者: ふとん
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這って

 自分の足が勝手に走りだした瞬間に、潤子は目を閉じた。

 それが反射だったのか、本能的な判断だったのかはわからない。とにかく、目を閉じてしまいたかった。

 だが、潤子は自分の両腕が何かをすり抜け、鍛えられてもいない自分の体が軋む音を確かに聞いた。刀身が金属を弾く音と同時に、柔らかい何かに差し掛かるのを感じて、目を開けてしまう。

 鎧を着た男が、驚きに目を見開いている。その首を、黒い刀身がいとも簡単に薙いだ。

 恐怖に歪んだ潤子は、自分の顔に飛び散った生臭さが夢ではないことを知って、悲鳴を上げる。


「ああああああああっ!」


 しかし、彼女が気を失うことは許されなかった。男の仲間らしき槍を構えた男が何事かを叫んで、こちらに刃先を向けている。

 剣は目の前の槍の男と同時に、背後から剣で襲いかかる男も認識していて、悲鳴を上げて今にも硬直しそうな潤子の体に鞭打った。

 槍の鋭い刺突を避け、刀身を槍の穂先から扱い主まで恐ろしい勢いで攻め、男の眉間を突き破る。そうして得た槍を絶命した男から奪うと、背後から迫る剣士に向かって間髪入れずに投げ入れる。野太い槍を避けきれなかった剣士は腹を貫かれた。そうして地面に足をついた潤子の頬を鋭い軌跡がかすめる。

 剣は少し離れた場所でナイフを構えた男を捉えて、走り出す。その右脇から槍を構えた男が迫っていることも知っている。それでも剣は潤子の体を本人では到底走れないほどの速さでナイフの男へと迫り、刀身を鎧の隙間に滑り込ませる。そして槍を容赦なくこちらへ突きだした男に今しがた命を奪った男の体を突きつけ、槍が男の腹に食い込んだことを確かめたかと思えば、そのまま刀身を押し進めて槍の男の首を抉る。

 悲鳴さえ上げる暇がない、あっという間の出来事だった。

 潤子は半ば放心したまま、剣が導くままに死体から手を放す。

 だが、次に剣が向かう先を理解して自分の意識を覚醒させた。

 剣が捉えているのは、知らない黒髪の男と、千里だ。

 光の差さない、松明で灯されている冷たい石造りの部屋の隅で、千里は震えながら黒髪の男に肩を抱かれている。

 彼らに逃げ場はないのだろうか。

 潤子に自分の左手にある剣を止めるすべはない。

 黒髪の男はじっとこちらを観察するように見据えている。

 潤子の自由は、剣が恐らく面白がるように残している潤子の意識と声だけだ。

 

「お願い」

 

 震える声で叫んだ。


「お願い、千里を連れて逃げて!」


 潤子の押しとどめようとする意志を汲まず、体は彼らに向かって走り出す。

 剣先には、この部屋に残っている幸と男。


「いや、やめてぇえええええっ!」


 目を閉じた。

 何も見たくない。

 だが先ほどと違い、剣は無理矢理、潤子の目を開けさせる。

 

 ガキィィィン!


 目を見開いた潤子は、激しい剣戟に驚いた。

 黒い刀身を、一人の男が受け止めている。

 部屋にはいなかったはずの男だ。いつのまに現れたのか。

 ガチガチという耳障りな音を立てる鍔迫り合いの中で、潤子は改めて男を見遣る。

 およそ、剣を持つとは思えない男だ。

 淡い茶色の髪は凡庸としていて分厚そうな上着にズボン姿、一見すれば学者然としていて剣以外は鎧一枚おろか剣帯すらに身につけていない。

 しかし、刀身を翻しては男の鈍色の剣を喰い破ろうとする黒い剣を眉一つ動かさず捌いている。

 剣が何合交わしても斬れない男に苛立ち始めていることにも潤子は気がついた。

 だから、まだ自由になる意識をもって、潤子は男に囁く。


「お願い、私を止めて」


 剣を弾いた甲高い音に混じって、潤子の声は届いただろうか。

 千里と黒髪の男を背中で庇って距離を置いた男は、潤子を見つめて目を細める。

 淡い、緑の瞳だった。

 けれど、松明を反射するとどういうわけか銀色にも見えた。

 潤子の放心を毛嫌いするように、剣が震えて音のない突撃の咆哮を上げる。

       

「やめてぇっ!」


 潤子の悲鳴を背に、黒い剣は刀身を閃かせて、三人へと切り込んでいく。

 緑の瞳の男が刀身を受け止め、そして消えた。

 一瞬のことだ。

 剣は男を見失い、動きを一瞬だけ止めた。

 そして、黒い凶刃をすり抜け、次に男が現れたのは潤子の背後だった。


 彼女の背を冷たい刃が滑り込む。

 最初は身震いするほど冷たいというのに、あとは恐ろしいほどの熱に襲われる。


「……あ、」


 自分の中から空気が抜けるような声がしたと思えば、潤子の体は床に放り出された。そして、剣と呼応するように言葉にならない獣のようなうめき声を上げる。

 

「う、ぐあああああああああっ!」


 声は枯れ、涙すらなく、潤子は流されるままに叫び、自分の手から黒い剣の支配が抜け去っていくのが分かった。そして、背中から自分の命が砂のようにこぼれ落ちていくことも感じていた。

 ぼんやりとした頭でようやく理解したのは、自分が床に這いつくばったまま、これ以上動きようもないことと、二対の視線が注がれていることだけだった。

 視線を辿って仰ぎ見ると、血さえ凍りつかせるような蒼の双眸と、


「化け物……」


 まるで汚れたものを見るような、親友の怯えて嫌悪に満ちた目だった。



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