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乙女は歌う  作者: ふとん
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俯いて

 山を抜け、森を抜けたところに荒野がある。その途中のオアシスに一つの大きな街があった。

 ジェニたちがその街に辿りついたのは、商隊と別れてガルカンダたちと同行することになって三週間目、十六日目に入った昼の頃だった。


 森で見つけた木にナイフでつけておいた印が十六を数えたところでようやく辿り着いたその門は巨大で、ガルカンダたちと同じようにして集まった旅人たちが久しぶりの人の世界へと急ぐように吸い込まれていく。

 ガルカンダたちの同行者として関所を越えたジェニを待っていた街は人の熱気に包まれていた。


 ほとんどの建物が商店なのか街の空を覆い尽くさんばかりに看板が並び、夜になれば辺りを明るく照らすのであろうランプが釣られて建物の間を渡し、通りにずらりと並んだ屋台からは様々な食べ物の香りが流れてくる。


「ぼんやりするな」


 あれは何だろうと目を走らせていたジェニを目敏く咎めたディナンは、彼女を幌馬車の近くまで引っ張って馬車のへりをつかませる。


「気を抜くな」と不機嫌そうに言ってディナンは少し前を歩くガルカンダに何事かを伝えにいって幌馬車の列から外れた。

 街の様子よりもディナンのマントの端を目で追ってしまったジェニを、隣で見ていたデミスが思わずといったように含み笑いをする。デミスは同行者の中では二番目に大柄で一番年上だ。深いしわを刻んで穏やかに笑っていることが多いが、彼の稽古が一番厳しいのでルドはいつもデミスの前から逃げ出している。


「大丈夫。君の師匠は殺されたって死なないさ。それより見てごらん」


 デミスが穏やかな灰色の瞳で目配せしたのはただ派手だと思っていた街の商店だった。そこではまるでヤカンでも売るように様々な武器が売られている。他の店も同じだ。武器、薬、換金所、中には看板もない洞穴のように暗い店内の店もある。


「ここはドゥルズの街。傭兵の街だ」


 ようこそ、とデミスに誘われるまま、ジェニは街を改めて見回す。

 通りを歩く人々に平服の人間は少ない。

 誰もが武器を持ち、鎧を身に付け、普通に歩いているようで彼らに隙はなく、かといって街で見かけた警邏のように規則正しく歩きはしない。彼らはデミスたちと同じだ。


 デミスの言う通り、ここはまさしく傭兵の街であるようだった。




 一行はガルカンダの先導で大きな屋敷に入った。

 大きな門をくぐったところにある中庭で幌馬車を停めると屋敷の扉がわっと開き、中から人がわらわらと出てきて幌馬車から荷物を運び出していく。ジェニは自分のわずかな荷物も持っていかれそうになって、寸でのところで取り返した。荷物を取り返されたまだあどけなさが残る少年は目を瞬かせていたが、ガルカンダが「いいんだ、そいつは」と言うと不思議そうに頷いて自分の仕事に戻っていった。


「疲れただろう、ジェニ。ディナンは夕方には戻るだろうから、俺たちは先に休むぞ」


 いつものようにガルカンダがジェニの頭をぽんぽんと撫でていると、


「まぁ、また子供を拾ったの!」


 甲高い女の声が中庭に響いた。

 一番最後に屋敷から現れた亜麻色の髪の女は、豊満な体を惜しげもなく押し出した真っ赤なドレスを着込んでいる。動くたびに腰にぶら下げた鍵束がちゃりんと鳴り、まるで彼女のアクセサリーのようだ。


「拾ったのは俺じゃねぇよ。ドミナ・リィ」


 ガルカンダの前にドミナ・リィと呼ばれた女が立つと、久しく嗅ぐことのなかった化粧と香水の甘い匂いがジェニの前に漂う。


「じゃあ、誰だっていうの。イゴールまたアンタが見つけたのね!?」


 あらぬ疑いをかけられたのは七人の中でも一番の巨漢で額に大きな十字の傷までついた強面の男だが、彼はドミナ・リィの剣幕に怯えたように首を横に振った。外見と違い寡黙で朴訥な彼は、槍の講義そっちのけでジェニと一緒に鳥のヒナを巣に戻してくれたこともある。


「イゴールを責めるなよ。――こいつはディナンの弟子で、ジェニだ」


 ガルカンダがジェニを捕まえてドミナ・リィの眼前に差し出すと、彼女はジェニを睨むように見つめていたが、みるみるうちに大口を開けた。


「あのディナンが! 弟子! 明日は雪でも降るんじゃないかしら!」


 彼女の大笑いが屋敷中に響き渡った。



 ドミナ・リィという人はこの屋敷の管理人で、驚くべきことにこの屋敷はガルカンダの持ち家だという。数十はあろうかという部屋を備えた廊下を女主人自らに案内されながら、ジェニは屋敷を見渡した。

 あのガルカンダからは想像もできないほど優雅な装飾と調度に囲まれた屋敷だ。ドアノブ一つとっても細かな彫金が施してある。そして先ほど中庭に出てきた人々は皆、ドミナ・リィの指揮下にある使用人で、彼女と共にこの屋敷を守っているらしい。


「ドゥルズは大事な拠点だからね。屋敷を構えてた方が何かと効率がいいのよ」


 ガルカンダの本拠地は国境を越えた先にあるようだが、ドゥルズから遠征に向かうこともあるという。

 ドミナ・リィの説明に頷きながら、ジェニが案内されたのはディナンの部屋と続きになっているという広い部屋だった。

 久しぶりのベッドに少しばかり感動していたジェニはドミナ・リィの魔手に気付かなかった。

 むに、と彼女の手が揉んだのは、


「あ、やっぱり女の子じゃない」


 ジェニのささやかな胸だった。 


「あ、や、ちょっと…」


「ちょっと何してるの。子供のくせに胸なんか潰して。大きくならないわよ!」


 胸は包帯で常に潰れた状態であるし、大きさはどうしようもないことだ。

 怒っていいのか泣いていいのか分からず目を白黒させるジェニだったが、ドミナ・リィに思い切りよくマントを剥がされ思わず「ぎゃ」と叫んでしまった。

 そうして怯んだ隙をドミナ・リィは見逃さず、ジェニの上着とシャツを一緒にめくる。


 驚きのあまりジェニは悲鳴も上げられなかった。

 人間、驚き過ぎると声も出ないらしい。


 そんなジェニを他所に、シャツを勢いよくめくり上げたドミナ・リィが驚いたことに口を噤んだ。

 どうしたのかと逆に心配になって見下ろしたジェニの上着とシャツから手を放し、ドミナ・リィは乱暴に剥ぎとったマントを丁寧に畳む。


「あの…」


「ごめんね。無理矢理見て」


 背中の傷のことだと知れて、今度はジェニの方が申し訳ない心地になった。背中の大きすぎる傷は、最近ではほとんど塞がって手術の跡が残るぐらいだ。痛い時には時々ディナンが薬を塗る。彼はジェニの様子を見ていないようでよく観察していて、痛みを我慢している時は無理矢理にでも薬を塗るのだ。

 背中にある傷のことだ。自分では見えないし、傷を見る唯一の他人のディナンはジェニの傷のことで特に感想など言ったりしないので、この傷のことを今の今まで知ることは無かった。

 傷の、本当の外見を知る機会が無かったのである。


(そんなに酷い傷だったんだ)


 痛ましそうに眉をひそめるドミナ・リィの反応を見て、ジェニは初めて自分の傷のことを思い知った。

 ディナンがお前のような傷物は価値がないという傷の醜さが、ドミナ・リィの視線に表れているようだった。

 それまでは特別ではなかったただの傷が、特別醜く思えた。


 ドミナ・リィはマントをジェニに返すと努めて作った笑顔で明るく言う。


「とりあえずお風呂に入りなさいな。私の浴室使っていいから。着替えは用意してあげる」


 風呂の準備をするからと部屋を出て行くドミナ・リィを見送ったジェニは、優しい言葉にも答えられずに醜い傷を抱えた惨めさを噛んだ。



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