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乙女は歌う  作者: ふとん
33/41

与えて

 息を潜めてナイフを投げる。

 その瞬間、ジェニは自分が人であることを忘れている。


 木々の音を聞き、獣の匂いを嗅ぎ分け、餌の一瞬の隙を狙う。そんな獣と同じになる。そこに慈悲やありがたみを感じないのはジェニが猟師ではないからか。

 ジェニにとって狩猟は、食べるから殺すというよりも必要だから殺すという感覚に近い。生きるために必要、覚えるために必要、という解釈に水を打ったように何の疑問も持たなくなっている。


 今も草むらで餌をつついている鳥を見つけてナイフを投げた。

 ナイフは吸い込まれるように鳥の首へと刺さり、静かに鳥は倒れた。


 獲物として鳥はいい。毒はないし、この種類ならすぐに食べられる。野山を駆け回る動物は小動物であってもナイフ一本では一撃で仕留められないことが多いし、解体に手間取ると他の肉食獣に嗅ぎつけられることもある。そしてすぐに食べられない種類が多い。


 草むらから仕留めた鳥を引っ張り上げていると、ジェニの後ろで眺めていたらしい青年がひゅう、と口笛を吹いた。


「慣れてるんだ。狩り」


 ジェニの血塗れのナイフを警戒してか、慎重に彼女へと近付いてくる青年はルドといって同行者の中でも一番若い。強面が多い中では優男風で、笑顔を張りつけていても精悍さを漂わせていた。


「取って来い、言われたから」


 拙く答えながら、ジェニは仕留めた鳥を袋に詰める。すでに獲物は五匹になった。川を探して山を歩き始めるとルドも彼女のあとをついて歩きだす。


「あの人…ディナンさんに言われたから? 弟子って本当だったんだ」


 うそぶくような言葉を訊きながらジェニは川の匂いを嗅ぎあてて、印の無い山を歩く。これもひと月も毎日繰り返して覚えたことだ。

 不思議なもので、群れに慣れた人間であっても野山にいれば簡単に川や木、天気の匂いも感じることが出来るらしい。

      

 川は近かった。岩肌の覗くこの渓流を恐らくディナンは知っていてジェニに狩りをさせたのだろう。ジェニに解体をさせるためだ。


「手伝おうか?」


 後ろをついて歩いていたルドが親切顔で川を眺めるジェニの隣に並んだが、少し思案して彼女を首を横に振る。きっとディナンにバレればまた怒る。そしてそういうことを彼の鼻は特別嗅ぎわける。

 ジェニはせっせと袋を降ろし、まず腰に下げていた水筒に水を汲む。


「それ、何?」


 長い筒の水筒を指しているのだろうと知って、ジェニはルドに水筒を投げて渡した。腐りにくいという空洞の木をそのまま加工して作ったものだ。記憶にある竹筒を再現したが、こちらでは水筒と言えば革袋が一般的で筒の水筒は珍しいようだった。革袋の水は皮の匂いが移ることがあって、無味無臭の水に慣れたジェニには時々耐えがたいことがある。だからジェニは苦心して水筒を作ったのだが革袋よりも入る水の量が少ないことが難点だった。


「へぇ、水筒になってるのか。軽いし、いいなこれ」


 ルドが水筒を眺めている間にジェニは解体を始めた。

 今日の獲物は鳥が三匹と兎が二匹。手早く血を抜いていく。

 ディナンは獲物の頭を狙って決して体を傷つけないが、ジェニの狩りはそうはいかない。最後の鳥は首にナイフが入ってしまった。一番最初に解体する。


「いい手際だ。うちの妹にも見習わせたいよ」


 いつのまにかルドが水筒をジェニの隣に置いて、こちらの作業を覗きこんでいる。手伝わない代わりに彼はここは切った方がいい、これは残した方がいい、毛皮は綺麗に、などとあれこれ指示を出してくれ、出来あがった肉はいつものよりも綺麗に仕上がった。


 そんな調子で解体を終えて、一息ついてジェニは改めて付き合ってくれたルドに「ありがとう」と礼を言うと、彼は初めてはにかんだように笑う。


「いいさ。俺も旨い肉が食えそうだから」


 野営地に戻ろうというルドに今度はジェニが従って山道を帰る途中、彼は自分の妹のことを少しだけ話してくれた。

 彼の妹は料理が得意だが、どうしても獣の解体だけは苦手で毎回ルドに泣きついているらしい。


「嫁に行ったら自分でしなきゃならないって言ってるんだけど、解体を手伝ってくれる旦那を見つけるんだとさ」


 呆れたように肩を竦めるルドからは妹への親愛が見て取れる。そんな様子が懐かしく映っていたのか、ジェニをふと顧みたルドは少しだけ眉をひそめた。


「……ジェニ、大丈夫か?」


 そう尋ねられたことが不思議でジェニが目を瞬かせているとルドは苦笑する。


「今にも泣きそうだ。――いっそ泣けばいいのにって思うほど」


 何を言われているのか分からなかった。

 ジェニは自分の目元を指でこすってみるが、一向に涙はつかない。乾いた目元はこすれば痛く、まるで枯れた井戸の底を無理矢理削っているようだった。

 その指先はささくれて硬く、傷だらけだ。何度も怪我をしているうちに、手の皮が厚くなりつつあるらしい。

 最近では少しの手傷なら痛みはほとんど感じない。

    

 手をじっと見つめるジェニをルドが今度こそ眉をひそめて痛ましそうに眺めていたが、ジェニはそれも知らずに山道を歩いて野営地に戻った。その道中、ルドはもう妹の話をしなかった。



 野営地ではすでに食事を作り始めていて、ディナンはジェニを見て一言「遅い」と文句を言って彼女に剣を返しただけで獲物の確認もしなかった。

 代わりにやってきたガルカンダがジェニから袋を受け取って「凄いな、これを全部獲ったのか!」と大げさに褒めた。


 せっかくだから鳥を焼こうとガルカンダが言いだして、急な献立の変更にも気難しそうな男が鳥を受け取って少しだけ時間をかけた結果、その日の食事は少しだけ豪華になった。彼らは貴重な香辛料も手に入れていて、久しぶりの味のついた肉はジェニの腹に味覚を思い出させるようで、何かに囚われていた心地が少しだけほぐれた。


 その日は食事をしてからもう少し山を進んで、いつも彼らが野営するという少し開けた場所で一夜を明かすことになった。


 交代で火の番をするということでジェニは先に眠ることになったが、最初に火番を引きうけたディナンに呼ばれた。


「ルドに何を言われた」


「え?」


 ディナンに問われてジェニはそっと見渡し、すでに他の同行者たちが眠りについていることを確認する。

 その動作をじっと待っていたディナンは彼女が話しだすまで何も言わないようで、ジェニは迷いながらも口を開いた。


「……解体を、少しだけ手伝ってもらった」


「それから?」


「……彼の、妹の話を少しだけ」


 これ以上の説明は、今のジェニでは剣を握らなければ説明できない。迷いながらも剣の柄に手をかけようとすると、ディナンが「待て」と制止する。


「音を立てるな。敵襲だと思われる」


 何を言われているのか一瞬分からなくなったジェニだったが、改めて眠る同行者たちを見遣ると彼らは一様に剣を抱いて眠っている。馬車には一番手前に長柄の槍が隠してあって、馬も調教されたように鞍と並べて置かれて大人しい。彼らはばらばらに寝ているようで、野営地の死角を補うように並んでいて、誰も横になってはいなかった。

 彼らはまさしく、ディナンの言う敵襲に備えていた。


「――これから少し、長い旅になる。ガルカンダ達と居る時間も増えるだろう。だからお前は考えろ」


「……考える?」


 瞬き共に尋ね返したジェニにディナンは「そうだ」と言って火に小枝を投げ入れた。


「人と関わって、生き方や知識、何でもいいから学べ。学んで考えろ。――俺の言葉がすべて正解じゃない」


 正解じゃない。

 ジェニはディナンの言葉に腹の底から震えがくるのを感じた。これまでのひと月というもの、ジェニはディナンの真似をして過ごしてきたのだ。

 それは今までの自分の時間を覆されるようで、足元がふわりと浮いてしまうような不安感に襲われる。


 そんなジェニにディナンは溜息一つを返して、


「お前は俺ではないし、俺はお前でもない」


 いつになく強い光を宿した瞳でジェニを見つめた。


「お前の生き方は自分で作れ。そのためにはたくさんのことを学ぶ必要がある。俺の知識はその一つに過ぎない」


 ディナンの瞳は何かを貫くような鋭さも蔑むような冷酷さもなく、ただジェニを見つめていた。彼女の中にまるで無限の何かが詰まっていて、それを余さず探すように。


「俺は知識を与えてやるが、お前に人生を与えることはない。だから考えろ」


 今のジェニにとって、ディナンの言葉は生きる指標となっている。だから今、彼の言っていることはとてつもなく壮大で無理難題にも思えた。

 

「……考えられなかったら?」

    

 弱気を口にして無事であったことなどないというのに、ついジェニが口走った言葉をディナンは冷たく捕えた。


「考えなければ、死ぬだけだ」


 分かっていたことだというのに項垂れるジェニに「もう寝ろ」とディナンはどこまでも冷たく突き飛ばす。

 だが、ディナンのそばから離れかけたジェニの腕をつかんで彼はそのまま自分の足元へと彼女を引き倒す。


「うわ!」


 そしてジェニが抵抗する間もなく毛布をかぶせて頭を押さえつけてしまう。

 大きな手に押さえつけられて起き上がることも出来ず、毛布に潜るしか術の無くなったジェニにもう一度「寝ろ」と言って、手のひらは放れた。


(……きっと、起き上がれば何度でも押さえつけられる)


 そんなことが容易に分かってしまうほど傲慢な師にそっと溜息をついてジェニは毛布の中で目を閉じた。

 呪われた剣を抱きかかえて眠ることにも慣れてしまった。柔らかな布団で眠る思い出がどこか他人のもののようにも思えてくる。

 どちらが夢で現実か。今のジェニにはそれすら考えることを放棄していることに気付いた。

 あてもない旅に漕ぎだした時から、ジェニの目の前は果てなく暗い。そんな手探りを一人でさせようとするディナンはやはり血も涙もない。けれど彼から離れようとは思わない。そんなちぐはぐなことを考えながら、ジェニは眠りに落ちていく。



「――俺のようには、決してなるなよ」



 浅い眠りの合間に囁かれた声をジェニは聞くともなしに記憶の底へと連れて行く。

 それは静かで切実で、祈りにも似ていた。



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