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乙女は歌う  作者: ふとん
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触れて

 やがて日がほどほどに上がり、商隊がそろそろと動き始めた。

 今日の行程で深い森を抜けるらしい。

 ディナンはボニーと話していたジェニを一瞬見たが、それだけ告げて商隊の側面へと向かった。

 今まで何もないことが多かったので忘れがちだが、ジェニとディナンはこの商隊に護衛として雇われているのだ。

 彼の冴えた双眸で見下ろされて、ようやくジェニは自分の剣のことを思い出した心地だった。

 ディナンの訓練は続いている。毎日、歩き疲れたジェニを叩き起こすように彼は棒きれ同士の手合わせを欠かさない。自分の動きを真似させて、それを繰り返させてはディナンがそれを打ち破るように様々な返し技で打ち据える。それの繰り返し。お陰でジェニの手は常に薬と包帯だらけだ。薬や包帯もタダではないのに、ディナンはそれを止めなかった。


(――今日は気を付けろってことなのかな)


 商隊が動き出す前にディナンがわざわざジェニに行程を確認しに来ることはない。いつも夜に同じ場所で野営をして、その時にぽつぽつと幾つか確認して終わりだ。

 ただ、この森をディナンは少し警戒していた。

 いつもならばジェニの言葉の練習に剣を握らせることを許しはしないが、その時は剣を握れと言ってから話し始めた。


 ディナンは、他の街でこの森で幾つかの商隊が襲われていることを聞いていた。街へ着いたらまず彼は情報を集めにいく。

 商隊が襲われているという話は、そのついでに拾ってきた噂だった。何人かの商人たちから聞いたらしい。それほど大きな噂ではないが、その内容は襲われた商隊が荷を奪われた上、隊長などが殺され、他の人たちは行方が知れないというものだ。

 噂の広がり方も不気味だった。酒場で噂に上るほどなら実害の出た商人たちが多く、生きて戻っているから治安維持の役目も負う騎士団が動く。しかし、その噂はディナンが懇意の商人たちから聞いた噂だ。話した彼らも信憑性のない噂だと思っている。情報の価値があるかないか分からない情報を教えてくれたのは、ディナンが今度その森を抜けようとしていると知ったからに過ぎない。

 ディナンは、この噂を本当のことだと言った。

 噂が広がらないのは、生きて帰ったものが少ないからだ。それに、表立ってはいないがこの世界には奴隷が居る。もしも国の法律さえ及ばない奴隷商人に売り飛ばされていれば、普通の人には行方を探ることもまず出来ない。

  

 厄介事になるかもしれない、とディナンは顔をしかめていたが、彼は元々この森を通り抜ける予定にしていたらしい。だからこの商隊に潜り込んだのだ。

 ひとしきり長い溜息をついた後、ディナンはジェニに約束させた。


 誰も守るな、と。


 もしも商隊が何者かに襲われた時は、まず剣を抜けと言った。

 そして、剣に抗わずそのまま隊を離れろと。


 襲われた時、武器を持ってジェニと対峙するのはのは十中八九襲う側の人間だ。呪われた剣は不思議と武器を持たない人間をまず襲わない。何よりも戦いを好むようだから。

 しかし、武器を持つのは味方も同じだ。この商隊に居る護衛はディナンとジェニの二人きりだが、それは隊長以下の何人かがある程度自分で戦えるからだ。そのうちの三人ほどが以前は傭兵稼業もしていたと聞いた。

 中規模程度のこの商隊はディナンとジェニの他には十五人ほど。そのうちボニーを含む女性が五人であとは男性ばかり。武器を持って戦えると言ったのは男性のうちの七人にもなるから、護衛は多くいらないのだろう。ディナンの役割はどちらかと言えばアドバイザーに近い。どの道は安全か、どういう風に進めばリスクが少ないかといったことを毎日隊長と彼は話しあっているようだった。


 ジェニはディナンの弟子だと紹介されて、性別は勝手に男だと思われていた。

 ただボニーや他の女性たちだけは一緒に旅するうちにジェニを女だと気付いたらしく、ボニーが苦笑しながら話してくれた。

 戦争がどこかしらで続く今の世の中では、男装してやり過ごす女も多いらしい。それは訳ありだと見られてよほどの理由が無い限り、彼女らに触れないのだという。

 それでも、何かあると裏からこっそりと助けてくれたりする女性たちやボニーに、ジェニは心を許し始めていた。


 剣を握らされてひと月。

 始めの方はディナンと二人きりで、とにかく何もかもが辛かった。

 気を抜けば、痛みといつか感じた激しい憎しみや後悔が襲い、ジェニを何度も苦しめた。うなされて起きることも多く、起きれば体の痛みを我慢できず眠れないこともある。それでもディナンは足を止めてくれるような男ではないので、いつしかジェニの表情はほとんど無くなっっていった。

 しかしそれを見つけるたびにディナンは傷口を舐めるようなことをするので、結果的にはジェニが完全に感情を凍らせるようなことにはならなかった。  


(ディナンと私に、何かあるなんてありえない)


 あの男はジェニを嫌がらせるのを楽しんでいる節がある。表情こそ変わらないが、まるで笑うように息をつくところを何度も見たことがある。

 それに嫌味を言う時はいつも嫌な笑顔をする。

 だが、彼が嫌いかと問われたら、ジェニは答えに窮した。

――嫌いだと思う。

 しかし、彼が居ないと不安になるのだ。

 居ると分かっていれば安心するからどこへ行ったとしても構わない。けれど、何処へ行ったのか分からなくて姿が見えない時は、どうでもいいと思いながらもまるで迷子にでもなったようにディナンの姿を探している。

 

 今も、商隊の大きな荷馬車の向こうに彼が居ると分かっているから、こうしてボニーと歩いて居られるのだ。


「次の街は大きいんだって。おばさん達が話してたわ。偉い人が次々と大きな建物を造るから、商人が借りられて商売を出来るんですって」


 貿易都市なのかもしれない、とわずかな知識の中からボニーの話を頭の中で整理していると、ふと剣がかたかたと鳴った。


(何だろう)


 ここ最近、剣は眠ったように動かなかった。時々、外へ出せと言わんばかりにジェニの手の中で暴れたが、それだけだ。こんな風に震え続けることはなかった。

 咄嗟に不安を抑えるように剣の柄を握ると、ジェニの中に大量の情報は流れ込んでくる。

 森の中を斬り裂くように貫く一本道を商隊は進んでいる。森には動物の気配もたくさんあるが、もっと明確な目的を持ってにこちらへ向かってくる者たちが居る。


「――ディナン!」


 ジェニの叫びに荷馬車の向こうからディナンが素早く顔を出す。


「何か来る!」


 ジェニは大声にならないように言ったつもりだったが、ディナンは躊躇なく懐から呼び子を取り出し吹いた。



 ピィーッ!



 小さな笛は商隊全体に伝わって、荷馬車の足を止めさせると一斉に男たちは武器を手に取った。

 それが早いか遅いか。

 タン、と荷馬車に矢が突き刺さる。

 一本の矢を皮切りにそれは次々と襲い、あっという間に荷馬車や人を取り囲む。

 

 ひゅんと飛んでくる矢を何とか避けながら、ジェニはひやりとする。恐ろしく早い矢だ。

 それに、矢はよく時代劇で見るような枝木ではない。鋼鉄だ。


「女たちは馬車の下に逃げろ! 武器を持ってる奴は戦え!」


 髭面の隊長が走りながら盾で矢を弾いている。傭兵の経験でもあるのだろうか。体格のいいその体にあった大剣を持ち出して、槍やボーガンを持ちだした男たちに指示を出している。

 

「ジェニ! こっちよ!」


 ボニーがジェニと手を引くが、ジェニはあくまで護衛だ。

 扱えた試しなどないが、一応剣を持っている。


「だめ、ボニーだけ先に行って」


「何言ってるの、怖いでしょ! 早く行こう!」


 立ち止りかけたジェニをそう叱咤してボニーは彼女の手を引いて走り出す。


「どうして…」


 どうして、ジェニが怖がっていると知れたのだろうか。


「怖いに決まってるでしょ。あなたは女の子なんだから」


 振り返ったボニーが微笑んだ。

 まるで母親のような優しい顔は、忘れかけた家族を思い出させた。


(どうしてこんな顔が出来るんだろう)


 怖い目に遭っているのはボニーも一緒だ。

 けれど、彼女は家族でも何でもない、ただ商隊で共に過ごしただけのジェニを助けようと懸命に微笑んでいる。

 

(こんな顔、知らない)


 こんなにも優しい心を知らない。




「――ジェニ!」


 優しい微笑みが厳しく歪んで、ジェニを押しのけた。


 驚いたジェニがつんのめって何とか振り返ると彼女よりも少し小さな背中が大きく揺れた。



 ドス!



 嫌な音が走った。

 それは幾度も続き、小さな背中がゆっくりと倒れてくる。


 我に返ってその体を抱きとめるが、腕はだらりと下へ垂れた。

 一瞬前までには確かに無かったはずの黒い矢が、その体を幾つも貫いていた。


 矢が降り注ぐ中、呆然とジェニは彼女の顔に触れる。

 すると薄眼を開けた彼女が縋るような瞳でわななく唇を動かす。


「……た、すけて…」


 みんなを、と空気が漏れてそれきり瞳の光が失われていく。


「――あんた! 早くこっちにおいで!」


 瞬きすらできないジェニを、馬車の下から女たちが呼んでいた。


「その子はもう駄目だよ! どうせ娼婦になる娘だったんだ。ここで死んで幸せだっただろうよ!」


 そんなことは一言も言わなかった。――訊かなかった。

 彼女はただ楽しそうに毎日おしゃべりしていただけで。

 けれど、彼女のことは名前以外、一つも知らなかった。


 女たちの声が遠い。

 周りの剣戟や喧騒さえ遠く、目の前の一人の少女の死さえ遠く離れていく。


 冷たくなっていく体はずしりと重くジェニの膝に圧し掛かり、それでも彼女を放り出す気にはなれなかった。



――みんなを助けて。


 その言葉だけがジェニの体を駆け廻り、ようやく動いた指先が剣の柄を握る。


 そして剣が歓喜に震えて大きく吼えた。



――憎め!



「ああああああああああああっ!」



 

 もう動かない彼女を地面に放り出し、ジェニはただ剣戟の前へと走り出した。



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