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乙女は歌う  作者: ふとん
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縋って

 その町は、村というには大きく、都会というにはどこか牧歌的な雰囲気をまとっていた。

 そこそこの身形をした人々が大らかに思い思いの荷物を背負って、ほどほどに厳しい顔つきをした門兵が目を光らせている。門の向こうに広がる町は、この世界では初めて見る多くの人と店で活気づいていた。


「行くぞ」


 数日ぶりの人の多い場所を前に、少しだけ尻ごみしたジェニをディナンは目敏く促した。

 ディナンについて行くと決めて出た小さな村から数日は、彼と野宿で過ごしていた。森で獣を狩り、火の番をしながらの旅は辛いものだったが、ディナンは容赦なくジェニにやらせた。

 そうして慣れないことばかり相手にしていると人と対する抵抗はなかったが、こうして町に入るとなると別だ。

 いつ、剣が唸りを上げるか分からない。

 呪文の書かれた布で覆われた剣は始終不機嫌だが、自分で自由に動くことはままならないらしいが、ふとしたことで何が起こるか持ち主のジェニ自身にも分からないのだ。

 腹の奥がつかまれるような緊張に足が竦んでいたのだが、ディナンは彼女の肩を叩いて町の中へと進ませた。


「自然に歩け。不審がられることをするな」


「……はい」


 ほとんど引きずられるように歩きだすと、ジェニにだけ聞こえるような声でディナンが隣で低く口を開く。


「辺りをよく見ろ。だが目だけでだ。一か所に気を取られるな」


 それから、と不意にディナンはマントの下に隠してある剣の柄に触れた。ぶわりと剣の殺気がジェニを支配しようとするが、彼はお構いなしに続ける。


「町を歩く時はなるべく剣に触れるな。必要な時以外は言葉を耳で拾って覚えろ。俺の言葉もだ」


 そう言われて、ジェニは初めて自分が剣の柄を握りしめていたことを知る。これが無ければ言葉が分からないのだ。それが思っていたよりも怖かったらしい。


「それからスリに気をつけろ。金はどうにでもなるが剣は絶対に盗られるな」


 いいな、と告げてディナンはジェニの前を歩きだす。

 その背中を追って、ジェニはそっと剣の柄を放した。

 すると、今まで聞こえていた町の人々の声が一斉に声ではなく音になり、意味をなさなくなる。

 まるで洪水のようにジェニの鼓膜を襲い、より一層不安を掻き立てた。

 しかし、ディナンの言葉は一理ある。

 いつまでも剣にばかり頼っていては、ジェニは剣に囚われたままだ。

  

(いつまでも、知らないままじゃいられない)


 ジェニはディナンの背中を睨んで、そう固く自分に言い聞かせた。

 ジェニの知る都会ほど人は多くは無いが、店の並んだ通りは賑わっていた。剣の柄から手を放すと彼らの会話はただの音だったが、店主と客が楽しげにやりとりしている様子は、一時だけ彼女を普通の世界に引き戻すようだった。

 人が紙きれのように切り捨てられる世界から。


(この人は、どんな風に見えているの) 


 あの血塗れの世界を何食わぬ顔で歩く目の前の背中は、一体この風景をどう見ているのだろうか。

 しかしこの口を開けば無情な言葉ばかり飛び出してくる男と無駄話をする気にもなれない。元々、ジェニは口の回る方ではないのだ。黙っているのは苦にならない。


 ふと、剣が蠢いた。


 そして目を懐に遣ると小さな手がジェニの剣に触れようとしていた。


「――ダメッ!」


 自分でも驚くほどの声が出た。

 はっと周りに居た人々が彼女振り返り、剣に手をかけようとしていた手は引っ込んで人ごみへと消えていく。小さく聞こえた舌打ちは気のせいではないだろう。

 

「……ヴェンテ、ジェニ (来い、ジェニ)」


 ざわざわと何事かと遠巻きにしている人の中からディナンがジェニの手を取る。

 強引に歩かされることに戸惑いながらも、彼女は別のことに驚いていた。

 今、剣の柄には触れていない。

 つまり今の言葉は、ジェニが自力で初めて聞き取れたディナンの声だった。



 人気のない細い路地まで連れられながら、恐らく、と思う。

 幾度となく言われ続けた言葉だった。何度も耳で聞き、剣の翻訳で理解し、ようやく音と意味が繋がったのだ。

 繋いでいる固い手が少しだけ怒っているのは分かったが、小さな進歩にジェニは少しだけ笑みを溢した。


 案の定、というかいつものように安宿で一部屋を取ったディナンはジェニに翻訳機代わりに剣を握らせて、不機嫌を隠しもしないでしばらく彼女に説教をくれた。

 注意散漫だということは重々承知していたので、ジェニは大人しく説教に耐えた。

 ディナンは必要なことしか口にしないが、必要なことが多い場合は必然的に話が長くなる。

 一通り、ジェニの不注意を指摘し終えて、夕食にありつき彼は酒も飲まずに部屋へ帰ると、ディナンはそのままベッドに腰かけた。


(今日は部屋に居るのかしら)


 不思議そうな顔でもしていたのか、ディナンは目敏くジェニを睨み、


「来い」と自分が腰かけたベッドを叩く。

 この部屋にベッドは一つしかない。だからどちらかが床に寝なければならないのだが。


(……まさかこの人がベッドを譲ってくれるとは思えないし…)

  

 剣帯から剣を外していたが、単語だけは拾えたのでジェニが恐る恐るベッドの脇まで行くと、彼女の手を引いてディナンはベッドに座らせる。


「エ・ポシービレ・カピーレ・ラ・リングア?」


 隣から探るように告げられた言葉は分からない。だが言葉尻だけ拾うことができた。


「リ、りんぐあ…?」


 覗きこんでくるような緑の瞳に気押されながら、ジェニが応えるとディナンを目を細めた。


「シ、ラ・リングア」


“りんぐあ”という言葉のことを聞かれているのか。しかし単語が何を指すのかさえ分からない。

 困り果ててジェニが首を横に振ると、ディナンの方は心得たように頷く。


「エ・マ・ベーネ。……ノ・ルモローザ」


 囁くように口にしたかと思うと、ジェニの服に手をかけ一気に引き上げる。


「いっ…」


 悲鳴をあげかけたジェニの口をディナンは素早く覆って彼女をベッドにうつ伏せに押し倒す。

 喉から直接悲鳴が割って出てきそうになるほど驚いたジェニだったが、ゆっくりと大きな手が彼女の背にある包帯を外し始めたことに気がついた。


(一言、言ってくれれば…!)


 何か言ったところで今のジェニには伝わらない。

 しかし、動作で伝えることぐらいはできたはずだ。

 恨めしい気持ちで強張っていた体から少しだけ力を抜くと、背を眺めているディナンはふっと息をついた。

 どうやら傷を見てくれるらしい。

 乱暴に押し倒した手は今度は丁寧に傷から包帯を取っていく。

 久しぶりにさらされた冷たいた背はひんやりと冷えてきたが、傷はじくじくと熱を持ち出した。


(……治るのかな)


 数日で治るようなかすり傷ではないことは分かっているつもりだが、日中飲まされている痛みどめのせいか普段は傷が痛まない。いつもならば違和感のようなものがあるだけだが、酷い傷だと思い知らされるのは、この包帯を変える時だ。

 ゆっくりと包帯が取り払われて、ディナンが薬を塗る瞬間が実は一番痛い。

 持ち主と同じように冷たい指先が傷口を撫でるたびに、声を必死で押し殺さなければならないのだ。


 しかし、今日は違った。


 ふっと吐息のようなものが背にかかったかと思えば、ぬるりとしたものが傷口を這った。


「や…なに…!」


 身じろぎをしながら、覚えのある感触だとジェニは身を縮める。

 舌だ。

 長身が覆いかぶさるように縮めた彼女の体を押さえつけ、柔らかい髪で撫で上げて舌を這わせている。


「いや…っディナン…」


 泣きそうになりながら寝がえりを打とうとするが、男の力で軽く押さえつけられて身じろぎもままならない。

 律儀に傷口を這う舌はいつのまにか血のにじんだ傷口を癒しているつもりなのだろうか。

 しかし舌の感触は鳥肌を呼び起こすというのに、ぞくぞくとした得体の知れない感覚を植え付けてジェニの恐怖に輪をかける。


「やだ…っ」


 丁寧に傷口を舌で拭うディナンは泣きそうになりながら抵抗するジェニを一向に構わない。彼女の身じろぎが止むまで続けて、ようやく舌を離して白い背中に呟く。


「……ミエローゾ」


 怒っているのか、苛立っているのか。

 囁かれた言葉さえ聞き取れない。

  

 涙目でディナンを睨んでみるものの、彼はジェニの怒気など風が吹いたほどにも気にしていないようだ。

 彼女のことなど目もくれず、見慣れた薬壺に指を突っ込んでいる。これからようやく背中の傷の手当てを真面目にしてくれるらしい。

 のろのろと身を起こすと、はらりと包帯が胸元から落ちる。


「…っ!」


 言葉にならない息を呑んで、ジェニは包帯を胸元でかき集めた。ディナンは心もとない胸元にいつも余分に巻いている布まで緩めていたのだ。彼が怪我を見る時は乱暴な言葉に似合わず、そっと外してくれるので胸元を守っていられるというのに。

 しかし、恥ずかしさに唇を噛んでいる彼女のことなどディナンはお構いなしだ。

 無造作に傷に薬を塗り、ジェニはそれに耐えなければならない。

 包帯を巻き終えると、ディナンはジェニに剣を持つよう指差す。


「お前が一つヘマをやる度、これをやるからな」


 これ、と自分の舌を指したディナンの涼しい顔がこの上もなく憎たらしい。

 この男は、ジェニのことなど荷物程度にしか思っていないのに、彼女の嫌がることは的確に分かるようだ。

 柄を持たなければ良かったと項垂れてももう遅い。


(もう絶対、やらない…!)


 そう決めても今のことを許せるはずもなかった。


(私に、興味もないくせに!)


 訳の分からないことで頭に血の昇るジェニの様子をやはり正確に見て取ったのか、ディナンは面倒事はごめんだとばかりにベッドをあっさり譲った。

 

 


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