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乙女は歌う  作者: ふとん
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戻って

 パンもスープもすっかりと食べ終えて、潤子はディナンに渡された金で支払いを済ませた。

 どうやら銀貨には銅の五倍の価値があるらしく、三枚の銅貨が返ってきた。

 食堂で分かったこともある。

 夜の酒場には給仕の女性は幾人も居るが、そのいずれも体の線が強調されたようなドレスを着ていること。女性たちが時折、客と店の奥へ消えること。

 潤子のようなマントの客に目を配る客は少なかったが、それでも居ないわけではなかったので、マントの中で剣を握りしめて部屋に戻らなければならなかった。

 潤子が女だと知られる可能性は低かったが、それでも知れれば無用な危険にさらされるかもしれない。

 足早に部屋へと帰って、潤子はドアの錠を下ろす。

 金具にひっかけるだけの簡単な鍵だったが、重い金属で出来ている。無いよりはいい。

 そうして何度も鍵がかかっていることを確認して、ようやく潤子はベッドで横になることができた。



 それから、何時間が経った頃か。


 ドアが静かに叩かれる音で潤子は目を覚ました。


 トントン。


 窓の外を見遣れば、まだ夜半をすぎた頃なのだろうか。建物の外の喧噪もない。

 控えめな音は止まない。


「ディナンさん……?」


 おもむろにドアに近寄って、潤子は身を引いた。


(人だ。何人も居る)


 鋭敏になった感覚が、外に何人も居る人間が全員男だと告げてくる。


(こんな夜更けに? 何人も連れて?)


 潤子に人に会わせるとしても、こんな夜更けの訪問はあまりにも不躾だ。

 それに、と潤子は自分の考えに唇を噛んだ。

 ディナンが潤子の味方と分かったわけではない。

 彼は無駄なことは話さないが、潤子が信じようが信じまいがどちらでもいいというように話すので、真偽の確かめようがないのだ。

 それでも、潤子の疑いを責めるかのようにドアは叩かれ続けている。

 このまま放っておいてもいいのか。

 潤子は疑心と不安に駆られた。

 そっと足音をたてないようにドアに近づき、ドアノブのそばから問いかける。


「ディナン?」


「ああ」


 ドアの向こうの声はくぐもっていて判別がつかなかったが、返事があったことに潤子は幾ばくか胸をなでおろす。

 この部屋に知らない人間が訪ねてくることなどないはずだ。

 しかし、鍵をあけると、ドアが大きく開かれた。


「っ!」


 悲鳴を上げかけた潤子の口は大きな手で押さえられ、部屋に押し戻される。

 どかどかと押し入ってきたのは、見たこともない男たちだった。

 そして、潤子を部屋の床に放り投げた男も知らない。

 男たちの一人がランプを持ち込んだのか、部屋に浮かび上がった彼らは上着の形ズボンの形も服装こそ様々だったが、一様に薄汚れて髭面だ。そして当たり前のように全員が剣や小さな斧などを身につけていた。


 男の一人が何事かを言って野卑な声で笑うと、つられるように他の男たちも笑う。

 言葉は分からないが、潤子にとって都合のいいことだとは思えなかった。

 逃げなければならない。


(でも、どうやって?)


 せわしなく辺りを見回していた潤子の足を脂臭い男がつかんだ。

 背中が痛い。

 顔の区別すらつかず、潤子はもがいたがもう一人の男に腕を押さえつけられる。

 その手を必死に噛むと、足をつかんでいた男に平手で殴られた。

 床に倒れた拍子に背中を打ち、潤子は息を詰まらせる。

 切った唇から、血がしたたる。

 倒れた潤子の体を誰かの指が乱暴に這う。

 その目的が分からないほど幼くはなかった。

 

(助けて)


 悲鳴は喉を潰して、一向に上がらない。

 願っても無駄だと思い知っていたはずだ。

 それでも潤子は押さえつけられながら震える腕を伸ばした。

 黒装束の上着に手をかけられ、恐怖で心臓は潰れそうだった。


(たすけて……!)


 指先が何かに触れた。


「そうそう、おとなしくしてろ。いい子にしてりゃ、たくさん可愛がってから、いいところへ連れてってやるからな」


 下卑た言葉が理解できたことにも気付かず、潤子は吸い込まれるように指先のそれを握る。


―――それから、潤子の記憶はない。



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