奪って
誰かに呼ばれたような気がした。
それが気のせいだったのは、少し前を歩いていた親友に呼びかけられたからだった。
「ねぇ、今日はどこに寄っていく?」
そう言って、濃い夕焼けの光の中で彼女は微笑む。
清水千里という少女は、十人中十人は振り返る端正な造りをした美しい少女だ。肩より少し長い髪は夕焼けを受けてぼんやりと透けて見える。色素が生まれつき薄いのだという。丸い彼女の瞳は日本人としては淡い焦げ茶色で、色白の肌は透き通るようだ。同じ高校の制服を着ていても、ほっそりとした彼女と自分とではまるで違う衣装のように思えた。
「今日はちょっと疲れたから、早く帰るわ」
彼女と並ぶ自分の何と貧相なことか。
同じブレザー、同じチェック柄のスカート、同じ学校指定のローファー。服装は同じだというのに、彼女より少し高い背は男のようで、それを否定しようと腰のあたりまで伸ばした髪はそっけない髪留めでまとめられてあるだけだ。同じ年頃と同じように化粧に興味は持てなくて、まろみの少ない顔立ちは淡泊だった。
そんなことをふとした拍子に考えてしまう自分が、須崎潤子は嫌いだった。
いつものように美しい親友に少しだけ自嘲して、ふと夕暮れの空に目をやる。
学校は住宅街の高台にあって、学校近くの階段からは見事な夕焼けが見える。
けれど、今日だけは少し恐ろしく見えた。
世界を照らしていたはずの太陽が暗い地平線に引きずり込まれていくようだ。
「そっか。ソロパートが決まったもんね」
千里はふわりと髪を揺らして微笑み、今時珍しい学校指定の皮鞄を後ろ手に持つ。
「すごいなぁ。潤子の声、ものすごく綺麗だもんね」
「私ぐらいの人は、いくらでも居るよ」
「それでも、私は綺麗だと思うよ」
にっこりと微笑まれれば、彼女の言うことが本当なのではないかと思う。
ぎこちなく笑い返すと、千里は嬉しそうに目を細めた。
きっと、彼女を目にする人は皆、この笑顔に心を奪われるのだろう。
人を安心させるような、この微笑みに。
潤子も例外なく、その他大勢に含まれていた。
その観念が覆されるとも、思っていなかった。
確かにその時、潤子は呪われたのだ。
千里と二人で通学路を踏み出した矢先に、暗い穴が眼前に現れた時。
「きゃあああああ! 助けてぇっ!」
ブラックホールのような穴に飲み込まれようとしていた千里の手を潤子は掴んだ。
突風が逆に吹いているような風に負けまいと、白い手を必死に握る。
鞄が吸い込まれ、楽譜が暗い穴に吸い込まれていく。
腕がしびれた。
「千里、手を……!」
自分の腕を伝えと口にしかけて、潤子は自分の体が浮くのを感じた。
絶望が潤子の体を駆け抜ける。
そして、そのまま二人は穴へと飲み込まれた。
――この時、手を放していれば、呪われずに済んだのではないか。
潤子は全てが終わった後にも、そう思った。
※名前を変更しました。(2015/8)
幸→雪
※再び名前を変更しました。(2022/2)
雪→千里