離れて
夜の森を走りながら、時折距離を確認するように茂みや木の陰に身を潜める。
そして追撃を退けながら、潤子とディナンは森を夜通し走り抜けた。
休める暇などない。
容赦なく襲ってくる刺客の殺気に興奮する剣に疲労困憊の体を叱咤され、朝日が目に映る頃には、潤子は何も考えられなくなっていた。
もう人殺しなどしたくはなかったのに、目の前の、少なくとも今は味方の男に「敵だ」と告げられて、剣が黙っているはずもなかったのだ。
操られるまま、襲いかかってきた追っ手を斬り、ディナンに引きずられるようにして森へと逃げ込んだ。
追っ手を斬っては逃げる。
それを夜通し繰り返して、ようやく気配が消えたのは森の木々がまばらになり、空が白み始めた頃だ。
もうすぐ街が見えるというので、追っ手たちは引き上げたのだろうか。
「ジェニ」
誰が呼ばれたのか分からなかった。
けれど、隣の男以外には潤子だけだ。
そういえば、森に逃げ込む前にディナンからジェニと名乗れと言われていた。
ぼんやりとした頭で思い出した潤子が振り返ると、彼女が慣れない名前に戸惑っていることは察したのか、「早く慣れろ」と告げて彼は潤子のそばを離れた。
「街まで歩くぞ」
剣は護符で包めと言い、ディナンは潤子に背を向ける。
必要なこと以外はまるで何も話さない男だ。
潤子に話した事情は、実際の半分にも満たないのかもしれない。
だが、潤子にはまず目の前のこの男についていくことが必要だったので、黙って言葉に従った。
剣も獲物を十分に食らったせいか、ディナンに襲いかかることを止めて、大人しく静かに眠ったようだった。
腕に重い剣を抱えていくのは、ひどい労力が必要だったが、ディナンについて歩いて街道らしき踏み固められただけの道に出れば、遠くに街を臨むことができた。
小さな宿場街で、今日はそこで休むという。日が高くなってくると、街道にはどこかへ荷馬車を連れていく人や、街へ向かう人々とすれ違う。
彼らは皆、ひどく薄汚れた姿の潤子とディナンを訝るように眺めていたが、幸い声をかけられることはなかった。確かに目立ってはいたかもしれないが、道行く人々の服装は西洋の近世に見られたような裾の長いスカートや服装が主で、潤子が制服をまとっている方が恐らく目立っただろう。
太陽が頭の上に上る頃に街に辿り着くと、ディナンは見知った街なのか路地裏の小さな宿に部屋を求めた。
現れた関係のわかりにくい二人組を見咎めるような顔で店主らしい中年の女が値踏みをしていたが、ディナンに渡された金が相場よりも多かったらしく何も言わずに部屋を案内してくれた。
店主の女に体を拭う水を頼んで部屋にディナンと二人きりなって、潤子はようやく床に座り込んだ。
麻痺していた足の痛みが今更ながらにやってくる。
一晩で見るも無惨な有様になったローファを眺めて、改めて過酷な強行軍だったのだと知る。
そんな潤子を一瞥しただけでディナンは窓の外へと目を遣ると、彼女に小さな袋を投げて寄越す。
確かめろと言われて袋をあけると、中に光る丸い銀板が幾つか入っていた。一枚手にとって見れば、草の冠が彫られてある。
「これで食事をとって先に寝ていろ」
どうやらこれが通貨らしい。
金、銀、銅があり、たいていの食事は銀貨一枚で済むという。
だとすれば、日本円に換算すれば、銀貨一枚が千円相当になるのだろうか。
「あの、あなたは?」
ディナンも昨夜の行軍で疲れているはずだ。しかし、彼の顔からは疲れの一欠片も見つけられなかった。
「俺は今夜は戻らない」
出かける時には鍵をかけて部屋には荷は何も置くなと言い残して、薄情な男はさっさと部屋を出ていこうとする。
「あの!」
「何だ?」
言いたいことも、聞きたいこともたくさんあったはずだが、潤子が口にできたのはくだらないことだった。
「お風呂ってありませんか」
ディナンは少し立ち止まったが「その傷で入れないだろう」と言って、そのまま部屋を去っていった。
部屋に残された潤子は、呆れたような心地で見送る。
「お風呂、あるんだ……」
切実で、でもそれ以外にも言うことがあっただろうと思いながら、どこかほっとして呟いた。




