立って
潤子は言われた言葉の意味をつかみ損ねて、手元にあるはずの剣を見、またディナンを見遣る。
「どういう、ことですか?」
困惑しているのは一目瞭然だというのに、「言葉通りだ」と言ってディナンは潤子に見向きもしないで小枝を折って焚き火に投げ入れる。
「俺がお前を金で買った。まぁ金というには、あってないようなものだったが」
ディナンは嘆息しながら、それでも淡々と焚き火の炎を見つめる。
「俺の報酬とお前を引き替えたんだ。厄介事付きでな」
まるで曰く付きの物でも買ったような言い草をして、ディナンは手にした小枝で潤子の手元にある剣を指す。
「お前とそれ、二つとも厄介事以外の何者でもないからな」
「そんな……」
金で買われたという事実に、潤子は奴隷という言葉を思い浮かべて鳥肌が立つ。
潤子は誰かの思惑に勝手に巻き込まれて、呪われた剣を手にしてしまっただけだ。
それが、他人の独断で厄介者として金で売られてしまうなど、今まで生きてきた世界では考えられないことだった。
「寝る前にこれを噛んでおけ」
潤子の不安をまるで無視して、ディナンが思い出したように差し出してきたのは、およそ今の現代日本では目にしないような草を固まりだった。
「解熱の薬だ」
そう言われて匂いを嗅ぐと、確かに薬のような匂いがする。
草の固めただけの薬を手の平に乗せて、潤子は喉がひどく痛むことを思い出す。
牢屋に放り込まれてからずっと、水の一滴も口にしていないのだ。
「水はありませんか?」
「ない。明日の朝、川に行くから我慢しろ」
薬は噛んで飲み込めと言われ、口に入れるとひどく苦い。
噛めば噛むほど舌のしびれるような苦さが、潤子の甘い認識を嘲笑うようだった。
(剣を埋めても、何も戻らない)
潤子は薬を噛みながら、剣を抱いてマントにくるまった。
剣を捨てたところで大切だったものは戻らない。
剣に操られていたとはいえ、人を斬ったのは潤子だ。
化け物!
親友だったはずの少女の叫び声が聞こえる。
血塗れの剣を持っていたのは、確かに潤子だ。
決して望まないにせよ、人殺しとなったことは変えようもない。
肉と骨を断ち切る感触が剣を手放しても消えないことも、また事実なのだ。
夜が明ける前に起こされた潤子は、朝靄の向こうにあるのだろう城を一度だけ振り返った。
口の中は、昨夜の薬の名残りが苦くわだかまっている。
潤子には、己の身一つ以外に何もない。
聖女や呪われた剣のことどころか、自分を買ったという男のことさえよく分からない。
ただ、もう人殺しは嫌だと思った。
だが、この剣を持っている限りどの願いも叶わないと心のどこかが囁いている。
そして、この手の中の重い剣だけが潤子の真実だというように、狂いだそうとする彼女の心を現実に押さえつけていた。
潤子を待っているのは緑目の男と不安だけだ。
ただ一つ分かるのは、この世界では人の命がまるで紙切れ一枚のように容易く淘汰されるということだけだった。
憎しみを捧げよといった剣は、あとどれほど潤子の憎しみを食らい続けてくれるのだろうか。
今でこそ潤子は思い至る。
あの暗闇の中で憎いと思ったのは、潤子を要らないと言った声ではない。
抗いようのないことに巻き込まれてもなお、選ばれる彼女を呪ったのだ。
今はまだ、手元にある剣が潤子の憎しみを奪い去ってくれている。
だが、いずれ暴発するような憎しみが潤子を苛むとも限らない。
あとどれほど剣に憎しみを捧げれば、城にいるはずのかつての親友を手に掛けずに済むのだろうか。
潤子は持て余す感情に名前をつけないまま、薄靄へと背を向けた。




