創作中にだけ現れるキャラが、本人よりはるかに頼りになりすぎる件
「ふえええ、終わんない、終わんないよぉ」
「先輩、可愛い声出しても駄目です。口動かす暇があったら手ぇ動かしてください」
まただ。
毎回、イベント前にはこうなる。
部員は8人、内幽霊部員が6名という悲惨な状況にある漫画研究会で、まともに活動している俺と、さっきから泣きそうな顔でタブレットにかじりついている先輩。
女性ながら、何故か男塾だの北斗の拳だの刃牙だのといった、味付けがギトギトに濃い漫画の大ファンで、毎回書き込みが多い同人誌を作っている。
「ほら、ここトーンじゃなくてカケアミで行くって言ったの先輩ですよ」
「どうしよ、ムリムリぃ……無理だよ、だってカケアミって描くの時間かかるじゃない」
「頑張ってください。こっちで台詞入れと集中線やっときますから、さっさとあげてください」
「菅原くんって鬼畜……」
「鬼畜なスケジュール組んだのは藤原先輩ですよ。ほら手が停まってます」
「だって、だって終わんないよ、無理だよぉ……今日一日で8ページもペン入れしてベタ塗って、トーン適用と台詞入れと……ふえぇ、無理、無理だってばぁ」
この情けない『ふえぇ』という鳴き声を漏らしている先輩だが、意外なことに今まで一度も原稿をオトしたことがない。
こうして毎回とんでもない修羅場になるけれど、必ず締め切り内にデジタル入稿を終わらせることが出来ている。
「ハイ次の原稿データ、早くクラウドにあげてください。同時進行しますよ」
「え、ちょ、ちょっと待って? まだベタ入れてない」
「あぁもう……じゃあ先輩は先にペン入れだけアゲてください。ベタはこっちで塗ります。モブもこっちで描きます。AIで作った背景、レイヤーで入れちゃいますよ」
「お、お願いしますぅ……」
もうそろそろ締切がヤバい。
進捗がだいぶマズい事になっている。
そろそろペース上げないと本当にマズいことになる。
大学の学食で、先輩と2人で食事をしている間に、何度も何度もそう言って聞かせていた。
なのに『大丈夫大丈夫。今回はちゃんとイケる気がするの』と朗らかに笑って答えていた。
その結果、このザマである。
イベントのたびに、締め切り直前にこうなるまでがワンセットだ。
いや、実はもうひとつある。
もう1段階までが、この藤原先輩の『ルーチン』とも言えた。
「先輩、約束通り入稿出来たら飲みに連れて行ってくださいよ」
「うん、連れてく……ね、だからお願い、一緒に頑張って……?」
不意に先輩がこっちへ向いて、ことさらに胸元のボタンを開けて谷間を見せながらにじり寄ってくる。
「もうホントに菅原くんだけが頼りなの。ね? お願い? 私を捨てないで。ね? 疲れたでしょ? おっぱい揉む?」
「そういうの今は良いですから。さっさと手ぇ動かしてください。ペン入れは先輩しか出来ないんだから」
「ふえぇ、菅原くんの鬼ぃ」
「はいはい鬼です。ほら、手ぇ停まってますよ」
うん、だいぶ追い詰められてる。
先輩の手はさっきからほとんど停まって、ペン入れも進んでない。
入稿締め切りまであと12時間。残りのページは8ページ。ギリギリだ。
もう2日徹夜してるせいで、効率はすこぶる悪い。まぁそれでも手が停まるより果てしなくマシだ。
ここまで追い詰められたら、普通は諦めるだろう。
諦めてコピー誌の準備を始めるというのが普通かもしれない。
が、藤原先輩には最後の切り札がある。
「うあああん! もうヤだ! もう無理ぃ! もう絶対間に合わ――」
言葉の途中で、がく、と先輩がうなだれる。
まるで失神でもしたかのように、ずるずると椅子からずり落ちて行く。
普通なら、締め切り直前の絶望的な進捗状況で、漫画を描く人が気絶するなどという事態に陥ったら、もう完全に『詰み』だ。
ただ、この先輩に限っては、これこそが最終兵器。
「先輩、起きてください。さっさと始めますよ」
「……菅原ァ、今どこまで進んだァ?」
「悲惨な進捗ですよ。残り12時間であと8ページです。その8ページはまだペン入れも済んでない下書きの状態ですね」
「ったく、まァたサボってやがったなクソが……やンぞ菅原ァ」
「はいはい、やってますよ」
突然先輩の口調が変わる。
口調だけじゃない顔つきも姿勢も、何もかもが別人としか思えないくらいガラっと変わる。
「じゃあ、ペン入れとベタ、トーンまでお願いします、『先生』。こっちで集中線と台詞入れ、それから仕上げやっときますから」
「おう、任しとけ」
俺が『先輩』ではなく『先生』と呼ぶこの人格は、藤原先輩が限界まで追い詰められた時に現れる人格。
不思議なことに、レポートで追い詰められたときや、大学のテストのときには決して現れない。
どういうわけか、漫画を書いている時にだけ現れる人格で、もとのオリジナルとも言える『ぐうたらでいい加減でズボラでスケジュール管理が出来なくて自制心もない』普段の藤原先輩とはまったく異なる、非常に捌ける人格だ。
「ったく、相変わらず雑なペン入れしてやがンなァ? 全然上達してねェじゃねェかよ」
「ですよね」
「こンなンでよくもまぁ、漫画描こうなんざ思えたもンだ」
「激しく同意ですよ先生。言ってやってください」
「アタシじゃ言えねェだろが。お前が言ってやれよ菅原ァ」
「何で俺が」
「後輩だろォ? 良いよ、アタシが許す。押し倒すなりヤっちまうなりして『わからせ』てやンな」
「セクハラですよ、先生」
あっはははは、と下品な声で笑いながらも、『先生』の手は止まらない。
凄まじい速度でペン入れとベタが塗られて行き、さっきまでのダラダラとした進捗は何だったのかと思えるスムーズな作業。
「オラ次のページ終わったぞ」
「早いですね先生」
「コイツが遅ェだけだ」
うん、本来ならこうあるべきだろう。
後輩に詰められて『ふえぇ』とかいう情けない鳴き声をあげる先輩とか、あまり尊敬できるものじゃない。
「さぁ急げ菅原ァ! アタシが出て来れンのはあと6時間。進められるだけ進めンぞ!」
「はいはい、がんばりますよ」
常にこの『先生』モードでいてくれれば良いかもしれないが、残念ながらこの『先生』でいられるのはごくごく短時間。
1回につき大体6時間で、月に1回が限界らしい。相当心身への負担が大きいんだろう。
すべてのページのペン入れが終わり、仕上げも残り1ページとなったところで6時間が経過。
ぱちん、と小気味良い音を立てて、先生がタブレット用のペンを机に置いた。
「っし、じゃあ後は頼ンだぞ菅原ァ」
「ありがとうございました、先生」
「ったく、コイツが目ェ覚ましたら、スケ管きっちりやれって言っとけ」
「何度も言ってるんですけどねぇ……」
「あんま甘やかすなよ。じゃあ、アタシは寝る」
「お疲れ様でした」
がく、と先生がうなだれたその直後。
「はぅあっ!? わ、わたし寝てた!?」
「先生モードになってました。スケ管しっかりやれって言われてましたよ」
「ふえぇ……あ、でも原稿終わってる? やった! 間に合った! じゃ飲みに行く?」
「入稿が先です。まだ終わってませんからね」
やれやれ、まったくこの『先輩』は。
小説を書いてて「こんな事があったら面白いかも」と思って書きました




