第60話 竜の秘湯と、岩盤の頑固者
雲海から昇る朝日が、浮遊島、竜の峰を黄金色に染め上げていた。
昨夜のドラゴン背上BBQの余韻はまだ残っている。他の竜人たちが満腹のまま夜空を飛び回り、優雅に風と戯れる中――ドラは一人だけ、翼を広げずに地面で膝を抱えていた。
「……はぁ」
その崖の端で、彼女は眼下に広がる広大な空を見つめ、深いため息をついた。
「なに黄昏てんの?落ちるよ?」
不意に背後から声をかけられ、ドラは「ひゃうっ!?」と肩を跳ねさせた。振り返ると、寝癖で髪を爆発させたライラが、昨夜の残りの骨付き肉を齧りながら立っていた。
「あ、ライラちゃん……。おはよ」
「おはよ。……で、その美味しくなさそうな顔はどうしたの?」
ライラが隣にドカッと座る。
ドラは膝に顔を埋め、ポツリと漏らした。
「……ボク、飛ぶのが苦手なんだ」
彼女は自分の太ももや二の腕をペチペチと叩いた。竜人族特有の硬質な鱗と、その下に詰まった密度の高い筋肉。
「見ての通り、ボクの体は重いんだ。みんなみたいに風に乗れない。一生懸命羽ばたいても、すぐに息が切れちゃうし……ドタバタうるさい、空気が重くなるって笑われる」
空の世界では軽さこそが正義。重力に縛られる者は、それだけで劣等生の烙印を押される。
「だからボクには、ここがお似合いなんだよ。キミたちの車みたいに、重いまま空を飛ぶなんて……夢のまた夢さ」
自嘲気味に笑うドラ。
しかし、ライラはキョトンとして首を傾げた。
「重い?いいじゃん。腹持ち良さそうで」
「え……?」
ガブッ。
ライラは骨付き肉を噛み砕き、咀嚼しながら言った。
「軽い奴って、中身がスカスカですぐお腹空くじゃん。あんたみたいにズッシリしてる方が、絶対いいスープの出汁が取れるよ。私は好きだな、その重そうなの」
ドラが目を丸くする。
慰めでも励ましでもない。ただの食いしん坊の雑な感想。けれど、忌み嫌っていた重さを、旨味として本能的に肯定されたのは、生まれて初めてだった。
「お目覚めですか、お二人とも」
そこへ、湯気を立てる銀のポットを持ったオトモが現れた。完璧に整えられた燕尾服。朝の光を反射する片眼鏡。
「軽いものは風に流されますが、重いものは確実にそこに残ります。重さとは、それだけ中身が詰まっている……歴史と積み重ねがあるということです。当店は、そうした重厚なお客様を歓迎いたしますよ」
オトモは優雅に紅茶を注ぎ、島の裏側を指差した。
「さて、朝の哲学も結構ですが、まずは昨夜の脂汚れを落としませんか?この島には、古来より竜たちが傷を癒やす秘湯があるそうですね。ドラ様、案内をお願いできますか?」
「え、あ、うん!いいよ!」
ドラは慌てて立ち上がり、少しだけ明るくなった顔で歩き出した。
◇
しかし。
期待に胸を膨らませて到着した秘湯エリアは、絶望的な状況だった。
「……お湯が、ない」
ライラが絶望のあまり膝をつく。本来なら源泉が湧き出ているはずの巨大な火口が、何か巨大な岩の塊によって完全に塞がれていたのだ。
ゴゴゴゴゴ……グゥ……。
岩からは、地響きのような寝息が聞こえてくる。
「こ、これは……岩石竜!?」
ドラが叫んだ。岩石竜。全身が硬い鉱石で覆われた、重量級のドラゴンだ。
「まただわ……。この子、体が重すぎて動くのが億劫になっちゃったんだ。火口の暖かさが気持ちよくて、そのままハマって寝ちゃったのね」
ドラが悲しげに岩石竜を見つめる。その姿は、重さに縛られて動けなくなった自分自身のようにも見えた。
「無理だよ……。こんな重い子、テコでも動かない。ボクと同じで、ただの邪魔な重りなんだ……」
「邪魔なら、どかせばいいだけです」
オトモがスタスタと岩石竜に歩み寄った。そして、そのゴツゴツした岩肌を白い手袋で撫でる。
「……ふむ。随分と凝り固まっていますね。長年の風雨に晒され、苔と泥がこびりつき、表面がガサガサです。これでは皮膚呼吸もままならず、体も重くなるでしょう。彼は動かないのではありません。垢が溜まって動けないのです」
オトモの眼鏡がキラリと光った。
「店長。これは障害物ではありません。極度にお疲れのお客様です」
「……ってことは?」
ライラの目が輝く。
「ええ。当店自慢の強制エステで、身も心も軽くして差し上げましょう」
◇
数分後。
火口周辺は、即席のエステサロンと化した。
「まずは洗浄です!キッド様!」
「おうよ!頑固な泥汚れには高圧洗浄だ!」
弐号機からホースを引いたキッドが、猛烈な勢いでお湯を放水する。
バシャアアアアッ!!
『グオォッ!?』
突然の熱湯に驚いた岩石竜がビクンと身をよじり、局地的な地震が発生した。「ひゃああっ!?」とドラが尻餅をつく。
「次は研磨です!ロザリア様!」
「任せてくださいまし!美しくない岩肌など許せませんわ!」
ジャージ姿のロザリアが、両手にアダマンタイト製の巨大タワシを装着して飛び出した。
「磨きなさい!輝きなさい!わたくしの手で、美しく生まれ変わりなさいィィッ!!」
ガリガリガリガリッ!!
筋力Sの剛腕から繰り出される超高速スクラブ。摩擦熱でバチバチと火花が散る。
「熱ッ!火花飛んでるぞお嬢様!」
キッドが慌ててホースの陰に隠れる。
「そして仕上げです。店長、お願いします!」
「りょーかい!」
ライラが巨大な樽を抱えて走る。中身はミルカ調合の特製ヌルヌル・ローションだ。
「美味しくなーれ!ツヤツヤになーれ!」
ドバアアアッ!!
「あ、ヤバ」
勢いよくぶちまけすぎたせいで、ライラ自身がローションを踏んでツルンと滑り、岩石竜の背中をスケートのように滑っていく。
「わーーーーっ」
「わぁ……綺麗……」
ドタバタな現場の中で、ドラは見惚れていた。薄汚い岩の塊だったドラゴンが、泥を落とし、磨かれ、オイルを塗られたことで、宝石のような輝きを放ち始めたのだ。
「仕上げです!」
オトモが岩石竜のツボを、親指でグッと押し込んだ。
ズプッ。
『――――ッ!?』
岩石竜の目がカッと見開かれた。凝り固まっていた全身の筋肉が、一気に弛緩する。同時に、せき止められていた地熱の圧力が限界に達した。
「カウントダウン!三、二、一……」
スポォォォォォォォォォンッ!!
小気味良い音が響き渡った。火口にハマっていた岩石竜が、ローションの潤滑と地熱の圧力で、シャンパンのコルクのように空高く射出されたのだ。
『グオオオオオオッ!!』
か、体が軽いィィィッ!
空へ舞い上がった岩石竜は、朝日に照らされ、ダイヤモンドのようにキラキラと輝いていた。重いはずの岩の体が、今は羽のように軽やかに空を舞っている。
「飛んだ……」
ドラが空を見上げて呟く。
ドォォォォッ!!
栓が抜けた火口から、熱い源泉が天高く噴き上がった。虹がかかる。
降り注ぐお湯の雨の中で、オトモが静かにドラに傘を差し出した。
「どうですか、ドラ様。重さとは、磨けば輝きに変わるものですよ」
その言葉が、ドラの胸の奥に温かく触れた。重いことは、悪いことじゃないのかもしれない。
――でも。
「……でも。あの子は、元が宝石のドラゴンだったから……。ボクはただの、重くて飛べない落ちこぼれだし……」
ドラは、空の彼方に消えた光を見つめながら、まだ完全に自分を許せずに俯いた。
その小さな背中を、ライラが後ろからポンと叩き、ドラの頬をむにゅっと抓った。
「……バカね。宝石なんて硬くて美味しくないわよ」
「ふぇ?」
「あんたのその重さは、空をフワフワ飛ぶための飾りじゃない」
ライラはニヤリと笑い、ドラの硬質な筋肉を指差した。
「大地をしっかり踏みしめて、美味いご飯を腹いっぱい食べて、力強く生きるための極上の霜降り肉の証よ!自信持ちなさい!」
「ラ、ライラちゃん……!」
ドラの瞳から、ポロリと涙がこぼれ落ちた。自分の重さを、生きる力そのものとして全肯定してくれた言葉。それは、どんな宝石よりも温かく、ドラの心を軽くした。
「さあ、お風呂の時間!さっぱりして、またいっぱいご飯食べるわよ!」
「わたくしが一番乗りですわー!」
秘湯復活。
湯けむりの中で、ドラの価値観を根本から肯定する裸の付き合いが始まろうとしていた。
■ 現在のG-Log掲載情報(自動更新)
【店舗名】 万事屋オモテナシ・弐号機
【現在地】 竜の峰・秘湯エリア
【ステータス更新】
・岩石竜:【ダイヤモンド・スキン】
状態:研磨されすぎて発光中。空飛ぶ宝石と化した。
・ドラ:【極上の霜降り肉】
思考:重さこそが、美味い飯を食って生きるための力。劣等感を食欲で粉砕され、己の体を誇りに思うようになる。
・店長:【全肯定の捕食者】
行動:ローションで滑るマスコットから一転、ブレない食の価値観でドラのコンプレックスを強引かつ完璧に救済する。
【次回予告】
「うわぁ、体が浮く……!」
復活した秘湯は、雲の成分を含んだ「無重力温泉」だった。
湯けむりの中で語られる本音。
そして、風呂上がりのコーヒー牛乳を飲み干した時、ドラは旅立ちを決意する。
次回、第61話『裸の付き合いと、空への案内人』。
ドラちゃん、正式加入回です!
(続きが気になる方は、ぜひ【ブックマーク】と【評価】で応援をお願いします!)




