第47話 断罪の法廷(後編)~女帝の美学と、王女の決別~
モモの暴走した魅了魔力が、どす黒いピンク色の霧となって会場を呑み込もうとした瞬間――。
バサァッ。
女帝マリアンヌが扇子をひと振りした。
ただそれだけ。魔法の詠唱も、派手なアクションもない。
だが、そこから放たれた漆黒の魔力が、モモの霧を物理的な質量で叩き伏せ、一瞬で無音に変えた。
女帝が階段を一段下りる。
ただそれだけで空気の密度が変わり、観衆は肺を薄氷の上で踏みつけられたような重圧に、勝手に膝を折った。
(G-Log:……エラー……計測不能な圧力が観測……)
「……下品ですわね」
女帝は、泥の中に這いつくばるモモを、汚物を見るように冷徹に見下ろした。
「貴女の罪は、悪事ではありません。演出が三流で、退屈だったことです。わたくしの帝国に、これほど醜いメッキの紛い物は不要ですわ」
「ひっ……や、やめ……!」
影から現れた処刑人たちが、事務的な動作でモモを拘束する。
「離して!私はヒロインよ!バッドエンドなんて、設定にないわぁぁ!!」
「……連れて行きなさい。地下牢の肥やしにはなるでしょう」
女帝の声は、凍えるほどに静かだった。
◇
次に女帝が視線を向けたのは、魅了の反動で虚空を見つめ、涎を垂らして座り込む実の息子――ヘリオスだった。
その姿を、女帝は一瞥しただけで切り捨てた。
「……汚らしい。修理に出しても元には戻らないでしょう。これはもう、廃棄ですわね」
実の息子を壊れた玩具として扱うその冷酷さに、周囲は息を呑む。
だが、ロザリアだけは微動だにしない。
「ロザリア」
女帝は、彼女の完成度を見抜いた目で告げる。
「愚息は不要です。貴女が宰相となり、この国を正しく検品なさい。貴女には、その価値がありますわ」
帝国の頂点からの勧誘。
それは、どんな貴族でも震えてひれ伏すほどの、これ以上ない栄誉だった。
だがロザリアは――扇子を閉じ、静かに首を横に振った。
「……お断りしますわ」
会場がざわめく。
その声に、廃人と化していたはずの王子が反応した。彼は我に返り、震える手でロザリアのドレスの裾を掴もうとした。
「やめろ……行かないでくれ、ロザリア……!私が間違っていた!やり直そう、君を愛して――」
ロザリアは、王子の縋る手を見下ろした。
一秒。
二秒。
その残酷なまでの沈黙が、何よりも雄弁に王子の心を凍らせた。
彼女は扇子を置き、汚れたドレスの胸元――皮膚に食い込むほど締め付けられたコルセットの紐に指をかけ、抉るように引きちぎった。
パツンッ。
肉が爆ぜるような音が響く。長年、彼女の呼吸を奪い、肋骨を歪め続けてきた完璧の象徴が弾け飛ぶ。
「ああ……やっと深く息が吸えますわ」
ロザリアは、静かに、しかし断固として続けた。
「作法に縛られ、毒見に怯えた宮廷料理はただの記号。ですが、泥にまみれて食べたあの不格好なメンチカツは……輝くほどに美味しかった。わたくしはもう、記号の中では生きられませんわ」
彼女は胸につけていたローゼンバーグ公爵家の紋章を外し、ゴミのようにその場に落とした。
カラン、と乾いた音が、絶縁の合図となる。
彼女は背を向け、万事屋の隣へと歩み出る。
「さようなら、退屈な帝国」
◇
女帝は、去りゆくロザリアの背中から視線を外し、自分と対等の王者の覇気を放ったまま立ち塞がる銀髪の少女へ向き直った。
「見違えましたね、ライラ。……わたくしの養女になりなさい。そうすれば、貴女の国を以前より美しく再建してあげてもよろしくてよ?」
かつてライラの国を滅ぼし、両親を殺した張本人が、平然と慈悲を口にする。
女帝の瞳に、一瞬だけ、かつて処刑した実の妹――ライラの母の面影がよぎった。だがすぐに、その感情は氷の底へ沈む。
ライラは底知れぬ静かな瞳で女帝を見据えたまま、冷酷に微笑んだ。
「……お断りよ。マリアンヌ」
そして次の瞬間。
ライラはわざとらしく肩をすくめると、先程まで纏っていた気高いオーラをフッと霧散させた。まるで、あんた相手に王女の顔をしてやる価値もない、とでも言うように。
ライラはゆっくりとポテトチップスを咀嚼し、最後の一片を飲み干すと、空の袋を女帝の足元へ無造作に放り出した。
そして懐から、脂の回ったメンチカツサンドの残りを取り出し、無作法にかじりついた。
ザクッ。
「んぐ……もぐ……。いらない」
「……なんですって?」
「だってあんた、可哀想な人だもの」
ライラは、油でギトギトに光る指先を、帝国の支配者に向けた。
「綺麗な宝石の国より、この油ギッシュなサンドイッチの方が、今の私にはキラキラして見えるのよ。あんたの作る国なんて、どうせまた――不味いんでしょ?」
恨みではなく、味覚で切り捨てる。
女帝マリアンヌの完璧な美学が、初めて外部からの感性によって完膚なきまでに否定された瞬間だった。
女帝の殺気が空間を歪ませる。
プレッシャーで石床が軋む中、オトモは一歩も引かず、スッと銀盆を差し出した。
「陛下。お帰りの前に、こちらを」
そこにあるのは、凍える夜に啜った泥水、理不尽に踏みにじられた土、そして逃避行の果てに噛み締めた絶望――万事屋がその足で歩き、喉を焼いてきた世界の汚濁をすべて煮詰めて凝縮したような、黒く濁った液体。万事屋特製、泥水コーヒー。
女帝は不潔なカップを手に取り、一口、含む。
――瞬間。
女帝の完璧な美貌が、嘔吐をこらえるように激しく歪んだ。喉が痙攣し、帝国の洗練された純粋さが、ドロドロとした生命力に生理的な敗北を喫した。
「…………不快ですわね」
ガシャァン!
次の瞬間、女帝はカップを石床に叩きつけた。
「不味い。泥の味。そして、吐き気がするほどの生命の醜悪さ。……行きなさい。次に会う時は、その生意気な口ごと検品してあげますわ」
女帝は踵を返し、影のように消えた。
見逃したのではない。味見をするために泳がせたのだ。
◇
夕刻。
女帝が去った直後の法廷に、帝国の秩序を破壊するような爆音の重低音が響き渡った。
ハッチが開くよりも早く、中から重たいスパナが投げ捨てられ、乾いた音を立てる。
「あー、退屈!いつまで突っ立ってるのよ!」
中から顔を出したのは、油まみれのミルカだった。彼女は額のゴーグルを跳ね上げ、欠伸を一つ噛み殺す。
「女帝の結界、ハッキングして中を覗いてみたけど……どこもかしこも計算通り、完璧すぎて吐き気がしたわ。ロザリア!あんたも、もうあんな味のしない椅子には興味ないでしょ?だったらさっさとこっちに来て、エンジンの制御レバーを握りなさい!」
「……相変わらず、挨拶もなしに人の使い方が荒いですわね、ミルカさん」
ロザリアは苦笑しながらも、迷いなくタラップを駆け上がった。その足取りは、先ほどまで彼女を縛っていた公爵令嬢の重みを微塵も感じさせない。
「いい?あのおっかない女帝の気が変わらないうちに、この退屈な国とおさらばするわよ。全速力でこの場を離脱するわよ!」
虹色の魔導煙を吹き出し、弐号機ヴェアミーリオが咆哮を上げる。
帝国の門を、法を、そして退屈な昨日を物理的に踏み荒らしながら、万事屋は次なる混沌へと走り出した。
◇
ガチャン、と重厚なハッチが閉まり、完全に帝国の監視を逃れたその瞬間だった。
「…………っ、……~~~~~~ッ!!」
ロザリアが、糸が切れた人形のようにその場にへたり込んだ。
沈黙。ただ、彼女の肩が激しく上下する音だけが車内に響く。
ライラがその肩に手を触れようとした、その時。
「……ぁ、……ぁあああああああああああッ!!」
ロザリアは、母親を失うのを恐れる獣のような鳴き声を上げ、ライラの腹に顔を埋めた。先ほどまでの凛然とした覇気はどこへやら、その手足は目に見えてガタガタと震えている。
「……怖かったですわぁぁぁ!死ぬかと思いましたわぁぁ!!あの方の前に立つのが、どれほど恐ろしいことか……っ!お父様もお母様も、あの方の機嫌一つで消されるんですのよ!?わたくし、よくあんな不敬な口を叩けましたわ……っ!」
十数年、死の恐怖と隣り合わせで完璧を演じ続けた魂が、初めて真っ裸になって震えていた。
「よしよし。よく頑張ったね、ロザリア。……さ、ご褒美。これ食べなよ」
ライラは笑いながら、サンドイッチの脂をロザリアの頬に付けた。
「……あ、ありがとうございますわ。……んぐ、もぐもぐ……。ひっく、……美味しいですわぁ……」
涙とソースで顔をぐちゃぐちゃにしながら、ロザリアは今日一番の本物の味を噛み締めた。
弐号機は、彼女の咆哮とライラの笑い声を乗せて、夜明けの荒野を突き進んでいく。
◇
そして、夜。
王宮の地下深く、光の届かない土牢。
「出してよぉぉ!私はヒロインなのよぉぉ!バグよ!クソゲーよ!こんなの私のルートじゃない!!」
モモ・ピーチが、鉄格子を掴んで絶叫していた。
(G-Log:……エラー……エラー……観測者が接続を……)
その時。闇の奥から、無機質な声が響いた。
「可哀想な子。……設定通りにいかなくて、悔しいでしょう?私が書き換えて、貴女を本当の主役にしてあげましょうか?」
その影が、鉄格子の隙間から手を伸ばし、モモに触れた。
モモの瞳からハイライトが消え、G-Logの数値がノイズと共に反転していく。
【状態:エラー/測定不能】
物語は、次の地獄へ進み始めた。
■現在のG-Log掲載情報(自動更新)
【店舗名】万事屋オモテナシ・移動店舗弐号機
【モード】革命支援・真実の暴露
【総合評価】★計測不能
理由:提供されたスープとコーヒーの効果により、会場内の価値基準が崩壊。帝国の美学から万事屋の美学へのパラダイムシフトが発生中。
【本日のメニュー】
『深海王の脱皮スープ』
食材:将軍ガニシュカの脱皮殻から抽出した再生のエキス
効果:強制解呪。視覚・聴覚を覆う欺瞞を物理的に剥がす。
『泥水コーヒー』
食材:苦難と泥と珈琲豆
【重要人物ステータス更新】
・ロザリア・フォン・ローゼンバーグ
状態:【覚醒:真の悪役令嬢】
詳細:王子への未練、完全消滅。公爵家の紋章を破棄。選ばれない悲劇のヒロインではなく、愚か者を切り捨てる高潔な支配者へと進化。
・ヘリオス王子
状態:【廃棄処分】
詳細:女帝に見限られ、ロザリアに捨てられ、精神崩壊。
・モモ・ピーチ
状態:【侵食】
詳細:謎の女神と接触。設定の書き換えを受け入れ、規格外の存在へ変貌中。
・女帝マリアンヌ
状態:【興味】
詳細:万事屋を不快だが無視できない異物として認識。泳がせることを選択。
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