第36話 深海の繭と、過保護な騎士の真実
ズゴゴゴゴゴゴゴ……。
重厚な岩の扉が、数十年分の沈黙を破って開かれた。 戦いの余韻が残る泥だらけの戦場に、眩いばかりの青白い光が差し込んでくる。
「うわ、眩しっ……」
ライラが目を細める。 扉の向こうに広がっていたのは、監禁部屋などではなかった。 壁一面に美しい蛍光珊瑚が群生し、透き通るような湧き水で満たされた、広大な「深海の聖域」だった。 その中心、空中に浮かぶようにして、巨大な水の球体――『繭』が鎮座していた。
「……綺麗。これが、アビスの最奥……」 ミルカが思わず息を呑む。
パチン。 静かな音が響き、水の繭が弾けた。 中からゆっくりと降りてきたのは、透き通るような肌を持つ人魚だった。 ただし、その下半身は魚ではない。優雅にうねる八本の脚。 深海に咲く花のような、タコの人魚――王女オクトヴィアだ。
彼女は地面に降り立つと、状況に混乱する様子もなく、静かに戦場を見渡した。
「……水が凪いだわ。……終わったのね」
その声は、水紋のように空間に響き渡った。
◇
『見、見ナイデ下サイ……ッ!』
王女の姿を見た瞬間、将軍ガニシュカが悲鳴のような声を上げた。 彼はオトモの施術で正気を取り戻していたが、その心は羞恥で張り裂けそうだった。
彼は両手で顔を覆い、巨体を丸めて縮こまる。
『申シ訳アリマセン……! 私ハ、王女様ヲ守ル「殻」ヲ失イマシタ……! コノ様ナ、醜イ姿《裸》ヲ晒シテシマッタ……!』
彼の目には、自分は「皮を剥がれた無様な肉塊」としか映っていない。 母の言いつけを守れなかった罪悪感と、柔らかい自分への嫌悪。 それは、長年刷り込まれてきた呪いだった。
だが、オクトヴィアは躊躇わなかった。 彼女は泥だらけの地面を滑るように進み、真紅の筋肉塊へと歩み寄る。
『来ナイデ下サイ! 汚レテシマウ! 私ハ穢レテイル……!』
「いいえ。穢れてなどいないわ」
オクトヴィアは、将軍の巨大な腕に、吸い付くように抱きついた。 柔らかい肌と、柔らかい筋肉が触れ合う。
「醜い? 違うわガニシュカ。殻を脱いだ今の姿こそ……『本当のあなた』よ」
『ナゼ……私ナドヲ……』
「全部聞こえていたわ。水は音を伝えるから」
オクトヴィアは優しく微笑み、将軍の頬に手を添えた。
「繭の中で、ずっと聞いていたの。 あなたが毎晩、扉の外で『守れなくてごめんなさい』と泣いていたことも。 ……ジャックの嘘に怯えて、震えていたことも」
『……ッ!?』
「ごめんね、ガニシュカ。 あなたのその『硬すぎる殻』が邪魔で……今まで一度も、あなたの体温を感じてあげられなかった」
王女は顔を埋めるようにして、将軍の「中身」を抱きしめた。
「やっと触れ合えた。……こんなに、温かかったのね」
その言葉は、将軍が何十年も抱えてきたコンプレックスを、一瞬で溶かした。 忌み嫌っていた「柔らかさ」こそが、彼女が求めていた「温もり」だったのだ。
『ウ、ウウッ……アアアアアア……!』 『ウオォォォォォォォォォン!!』
将軍の目から、大粒の涙が溢れ出した。 それは恐怖の涙ではない。安堵と、贖罪の涙だった。
◇
「……へぇ。監禁されてたにしちゃ、随分と仲良しじゃない」
その光景を見て、ライラがつまらなそうに鼻を鳴らした。 手にはしっかりとフォークが握られているが、その切っ先は下がっている。
「店長、どうすんだ? まだ食う気か?」 オトモを介抱していたキッドが呆れて尋ねる。
「……やめた。あーあ、タコとカニのカルパッチョにするつもりだったのに」
ライラはわざとらしく溜息をつくと、フォークを腰に収めた。
「あんなに泣いてちゃ、塩辛くて肉が水っぽくなってるわよ。 質が落ちたから、見逃してあげるだけ。……フン」
「へいへい。そういうことにしておきましょうや」 キッドは苦笑いしながら、肩の力を抜いた。
◇
「離せ! 無礼者! 私は王女様の側近だぞ!」
感動の余韻をぶち壊すように、騒がしい声が響いた。 革命軍の兄ちゃんたちが、後ろ手に縛り上げた男をずるずると引きずってくる。 カジノ王ジャックだ。
「王女様! こいつが全ての元凶、ジャックです!」 兵士が叫び、ジャックを王女の前にゴミのように放り出した。
「お、王女様! ご無事でしたか!」
ジャックは泥にまみれた顔を上げ、必死に媚びを売った。
「酷いのです! この野蛮人どもが私を! 私は先代将軍の言いつけを守り、貴女様をお守りしていただけなのに!」
オクトヴィアの瞳が、冷ややかに光った。
「……お黙りなさい」
その一言には、深海の底のような重圧があった。ジャックがヒッと息を呑む。
「ガニシュカのお母様《先代将軍》は、確かに厳格な方でした。でも、彼を愛していたわ。 ……ジャック。あなたがその『不器用な愛』を歪めて、『恐怖の鎖』に変えたのですね。私利私欲のために」
「そ、それは……誤解で……」
「アビスは深海……上から落ちてきたものを『循環』させる場所です」
オクトヴィアは静かに宣告した。
「あなたは奪いすぎました。 これからは、壊したものを直して返しなさい。このアビスが、元の美しい姿に戻るまで」
「え……?」
「無期限の強制労働を命じます。瓦礫の撤去、及び、街の清掃に従事しなさい」
「そ、そんなぁぁぁ! 私のカジノ帝国が! 私は王だぞぉぉぉ!」
「連れてお行きなさい」
王女が手を振ると、革命軍の兵士たちが「へいよッ!」とジャックの足を持って引きずり始めた。
「いやだぁぁ! 皿洗いなんてしたくないぃぃぃ!」
ジャックの情けない悲鳴が遠ざかり、彼は物語の「端っこ(モブの位置)」へと退場していった。
◇
戦場に、本当の静寂が戻った。 誤解は解け、元凶は去り、王女と将軍は和解した。 すべてが大団円――に見えた。
「……で。どうやって帰るの、これ?」
ミルカの冷静な一言が、現実を突きつけた。
「あ」 ライラが口を開ける。
見上げれば、頭上のエレベーターシャフトは完全に崩落している。 足元の壱号機は、見る影もなく全損している。 ここは地下数千メートル。徒歩で帰るには、あまりにも遠すぎた。
「詰んだわね。ここでタコとカニ食べて暮らす?」 「店長、それは最終手段だ」
キッドが頭を抱える中、ミルカの視線がある一点に釘付けになっていた。
「……ねえ、キッド」 「あん?」 「材料なら、あるじゃない」
ミルカが指差したのは、戦場に転がる巨大な赤い物体。 将軍ガニシュカが脱ぎ捨てた、「深紅の甲羅」だった。
「……おいミルカ。まさか、アレを使う気か?」
「……完璧よ。あの甲羅の硬度はミスリル以上。深海の超高圧にも耐え抜いた、『天然の潜水装甲』だわ」
ミルカの瞳に、技術者の狂気じみた光が宿る。
「あれを加工すれば……地上へ浮上できる、最強の『船』が作れる!」
■ 現在のG-Log掲載情報(自動更新)
【店舗名】 万事屋オモテナシ・革命軍 【総合評価】 ★3.00(↑回復) 【現在地】 アビス最下層・聖域前
【ステータス更新】
・王女オクトヴィア:【覚醒。アビスの真の統治者。
・将軍ガニシュカ:【和解】王女の側近として復帰(ただし殻なし)。
・ジャック:【皿洗い(Punishment)】無期限労働刑。
・ライラたち:帰還手段なし → 新プロジェクト始動。
【次回予告】
……おや? 次回は箸休め? いいえ、ジャックたちの「端っこ生活」と、革命軍の祝勝会。 そして、ついに動き出す「弐号機」の設計図!
タコとカニ、感動の和解でした。 「硬い殻が邪魔だった」という王女様の言葉、ガニシュカには一番の救いだったことでしょう。 そしてジャックは……まあ、しっかり働いてもらいましょう。
さて、次回は少しトーンを落として、アビスの後始末と「大宴会」の準備です! そしてミルカが目をつけた「あの甲羅」が、どう生まれ変わるのか……?
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