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第35話 0.1秒の死角と、聖母の揺り籠

 ドォォォォォンッ!!


 アビスの最下層で、理不尽な嵐が吹き荒れていた。  それは自然災害ではない。たった一匹の「迷子」が、手足をバタつかせているだけの余波だった。


『イヤダ! 来ルナ! 外ハ穢レテイル! 寒イノハ嫌ダァァッ!!』


 真紅の将軍ガニシュカ。  殻を捨て、ハイスピード形態ソフトシェルとなった彼は、音速を超えて戦場を跳ね回っていた。  誰かを狙っているわけではない。ただの「拒絶」。  だが、その質量を伴った駄々っ子は、触れるもの全てを粉砕する衝撃波の塊だった。


「クソッ、狙いがねぇから『死線』が見えねぇ!」


 キッドが舌打ちしながら、バックステップで衝撃波を回避する。 彼の『職人の目』は、相手の癖や重心の揺れから未来を読む。 だが今の将軍には“癖”がない。

あるのは、パニックによる無秩序な運動だけだ。  予測不能。接近不可能。


「近づけばミンチだ。どうする……!」


 キッドが歯噛みする。  このままではジリ貧だ。だが、見た目以上に重い“深海の筋肉塊”を、遠距離から止める術など、包丁一本の彼にはない。



 その頃。戦場の地下深く、旧時代の排水管の中。


 ズルリ、ズルリ……。


 暗闇に、濡れた雑巾を引きずるような、湿った音が響いていた。  カンテラの灯りが、三つの影を照らし出す。


「オトモさん! もう無理ですって! 血が……!」


 道案内をしていた革命軍の兄ちゃんが、恐怖に震えた声を出した。  彼の肩には、瀕死の男が体重を預けていた。


 オトモだ。  右腕はあり得ない方向にねじ曲がり、ダラリと垂れ下がっている。純白だった燕尾服は、自身の鮮血と泥でどす黒く変色していた。  それでも、彼は足を止めない。


「……手を貸していただけるのは……ありがたいですが……。歩くのは……私の役目ですので……」


 オトモは荒い息を吐きながら、自身の足で地面を踏みしめる。  革命軍の兄ちゃんが瓦礫をどかし、道を作る。  その後ろには、端末を握りしめたミルカが続いていた。彼女の瞳には涙が溜まっている。


「オトモさん……壱号機のブラックボックス、信号が消える直前に……」


 ミルカが震える声で告げる。


「……最後に、“あなたの名前(Master)”を呼んでいました」


 オトモの足が、一瞬だけ止まった。  彼は深く息を吸い込み、再び前を向いた。


「……ならば、なおさら……行かねばなりませんね」


 ようやく出口の光が見えた。そこは、壱号機が散った場所のすぐ近くだった。  出口付近の瓦礫の中に、赤熱する金属片が転がっている。  壱号機のエンブレムだ。まだ高熱を帯びており、雨水に触れてジュウと音を立てている。


 オトモは、支えの手を借りず、自らの左手でそれを拾い上げた。


 ジュッ。


 皮膚が焼ける音がする。肉が焦げる匂いが鼻をつく。  ミルカが息を呑むが、オトモは眉一つ動かさなかった。


「……熱い。……まだ、あなたの魂は燃えているのですね」


 その焼けるような痛みだけが、消えかけたオトモの意識を現実に繋ぎ止めていた。  彼はエンブレムを懐にしまうと、革命軍とミルカを振り返った。


「ここからは……危険です。私一人で参ります」

「でも!」

「……主の元へ戻るのは、執事の特権ですので」


 オトモは優雅に一礼すると、ふらつく足で、しかし確かな意思を持って戦場へと踏み出した。


「さあ、行きましょう。……最後のご奉仕です」



 戦場では、キッドが衝撃波に弾き飛ばされ、壁に叩きつけられていた。


「がはっ……!」 「キッド!」


 万事休す。誰もがそう思った時、一人の女が前に出た。  ライラだ。  彼女は武器を構えるどころか、両手を広げ、無防備な姿で暴風の正面に立った。


「キッド、合わせなさい! ……私が動きを止める!」


 ライラは怯えていなかった。  彼女の瞳に映っているのは「恐ろしい怪物」ではない。  もっと根源的な、彼女にとっての「宝物」だった。


「おいガニシュカ! 母ちゃんに言われたんだろ?  『柔らかいのは恥ずかしい』『外の連中は嘘つきだ』って!」


 ライラが大きく息を吸い込む。  それは、戦場に似つかわしくない、底抜けに明るい「愛」の咆哮だった。


「バッカじゃないの!?」


『……エ?』


「柔らかいってことはね……恥ずかしいことじゃないわ!  それは、一番の食べジューシーってことよ!!」


 ライラの瞳がギラリと輝く。  そこに侮蔑や憐れみはない。あるのは、純度100%の「食欲」。


「隠さないで! もっとよく見せて!  その透き通るような桜色の薄皮……張り詰めた筋肉の繊維……。  今まで見たどんな宝石よりも……美味しそうよ!!」


 ジュルリ。


 盛大な音が響いた。  将軍の動きが、ピタリと止まった。


『タベ……ゴロ……? 美味シ……ソウ……?』


 生まれて初めてだった。  母上ですら「隠しなさい」「穢れている」と言ったこの柔らかな肉体を、「綺麗」「美味しそう」と全肯定されたのは。  罵倒されると身構えていた心に、予想外の「求愛《食欲》」が突き刺さる。


 思考が空白になる。  音速の巨体が、物理法則に捕まる。  その時間は、わずか0.1秒。


「ナイスだ店長! 仕込みは任せろ!!」


 その刹那を、天才料理人が見逃すはずがない。  キッドの姿が消えた。  音速の領域へ、自ら飛び込む。


 狙うは首ではない。心臓でもない。  暴れる子供を静かにさせるための、料理人だけの技術。


「へいお待ち! 『カニの姿造り・神経抜き』だ!」


 閃ッ――!!


 二本の包丁が、銀色の軌跡を描いた。  刃は皮膚を傷つけることなく、関節の隙間へと滑り込み、運動神経の伝達回路だけを正確に切断した。


 【調理術・神経断裂デクパージュ


 ガクンッ……。


 将軍の膝が折れた。  続いて、肩が、肘が、糸の切れたマリオネットのように崩れ落ちる。  痛みはない。ただ、体が動かない。


『ア……アア……ッ? 動カナイ……寒イ……母上、寒イ……!』


 将軍が泥の上に転がる。  体が動かなくなったことで、再び幼少期のトラウマ――深海の孤独と冷たさが、彼を襲っていた。  震える巨体。誰かが温めてあげなければ、彼の心は恐怖で死んでしまう。


「……失礼いたします」


 その時、黒煙の中から、ふらりと影が現れた。  ボロボロの燕尾服。無惨に折れた右腕。  見るからに満身創痍の男が、倒れ込むように将軍の顔の横に立った。


「オトモ! てめぇ、その体で……!」  キッドが叫ぶ。


 オトモは返事をしなかった。口を開けば、血が溢れてしまうからだ。  彼は震える左手で、懐から「それ」を取り出した。  壱号機の形見。赤熱するエンブレム。


「……寒くなど、ありませんよ」


 オトモは、熱した鉄を将軍の眉間――強張った神経のツボに押し当てた。


『ア……熱ッ……?』


「この『外の世界』は……こんなにも、熱いのです」


 ゴフッ。  オトモの口から、大量の血が溢れ、白い手袋を染める。  限界などとうに超えている。だが、その手つきだけは、どこまでも優雅で、慈悲深かった。


 【執事流整体術・ゆりかご(片手Ver.)】


 オトモは自身の体重を乗せ、壱号機の熱を波長に変えて、将軍の強張った心を解きほぐしていく。  赤子をあやすように。  荒ぶる波を鎮めるように。


「……もう、よろしいのです。……安心してお眠りください」


 熱が伝播する。  将軍の瞳から、恐怖の色が消えていく。


『アタタカイ……。コレガ……外ノ温度……』


 母の幻影が消え、心地よい温もりが彼を包んだ。  大きな寝息と共に、将軍は静かに瞼を閉じた。


『……王女……守レタ、カ……』


 ズゥゥゥン……。  巨体が完全に脱力し、穏やかな沈黙が訪れた。


「……良い、夢を」


 オトモが微かに微笑む。  その瞬間、彼の膝から力が抜けた。  糸が切れたように、体が前に倒れる。


「オトモ!!」


 キッドが滑り込み、地面に叩きつけられる寸前でオトモの体を抱きとめた。  体温が異常に低い。燕尾服は血で重くなっている。


「バカ野郎! 死ぬんじゃねぇ! てめぇがいなくなったら、誰が店の運営すんだよ!」  キッドが叫ぶ。


 オトモの目が、うっすらと開いた。  焦点は合っていない。それでも、その口元は執事の矜持で歪んでいた。


「……ご心配なく。……私はまだ、“サービス中”ですので……」


「あ?」


「……執事は、そう簡単には……壊れません……。  ……明日には……紅茶を……淹れられます、ので……」


 ガクッ。  言い切ると同時に、オトモは今度こそ意識を手放した。


「……へッ。とんでもねぇ頑丈さだ」  キッドは安堵の息を吐き、泥だらけのオトモを優しく地面に寝かせた。


 戦いは終わった。  ライラがよだれを拭いながら、眠る将軍を見上げる。


「……で、いつ食べるのこれ? 今なら踊り食い行ける?」


「寝かせといてやれよ! 熟成エイジングが必要なんだよ!  まったく、空気の読めねぇ店長だ」


 キッドが呆れてツッコミを入れた、その時だった。


 ズゴゴゴゴゴゴゴ……。


 将軍の背後を守り続けていた岩壁。  そこに隠されていた巨大な「開かずの間」の扉が、重々しい音と共に開き始めた。


■ 現在のG-Log掲載情報(自動更新)


【店舗名】 万事屋オモテナシ・革命軍 【総合評価】 ★2.90(↑微増) 【現在地】 アビス最下層・王の間前


【ステータス更新】

・将軍ガニシュカ:【鎮静(Sleep)】 トラウマの解消により、敵対行動を停止。

・オトモ:【重傷(Critical)】 革命軍の支援を受け現場到着。任務完了により気絶。

・ミルカ:壱号機の最期を確認。新たな決意へ。


【次回予告】

扉の向こうに眠る「アビスの真実」。 目覚めた王女と、カニの涙。 そして、ついに明かされる「母上の言いつけ」の本当の意味とは?




 決着ッ!!  ライラの食欲、キッドの技術、そしてオトモ(と壱号機)の献身。  全員の力が合わさって、最強の将軍を「おねんね」させることに成功しました。


 ボロボロのオトモさん……。  でも大丈夫。「執事は壊れにくい」そうです(笑)。  次回、いよいよアビス編の真相、そして感動の和解へ!


 「オトモさん生きててよかった!」「ライラの食欲すごい!」と思ったら、 【ブックマーク登録】と【★★★★★評価】で、彼らの回復を応援してください!

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