第32話 泥のスープと、溶解の掃除屋たち
鼻を突くのは、腐敗した生ゴミと、湿ったカビの臭い。
耳に届くのは、ポチャン、ポチャンという水滴の音だけ。
「……んっ……」
ライラは重い瞼を開けた。
視界に入ってきたのは、天井のない闇と、ぼんやり光るコケのような植物だけだった。
体を起こすと、ズブズブと手が泥に沈む。
「……ここは……?」
周囲を見渡す。
そこは、上層からの廃棄物が流れ着く、広大な地下の沼地だった。
壊れたスロットマシーン、錆びたパイプ、誰かの靴、そして無数の魚の骨。
カジノで見た煌びやかなチップが、泥にまみれて散乱している。
「店長さん……!」
瓦礫の陰から、歌姫ルルが駆け寄ってくる。彼女の服も泥で汚れているが、怪我はないようだ。
「ルル、無事だったのね。……他のみんなは?」
ルルが悲しげに視線を落とす先に、ヘドロの山に突っ込んだオモテナシ壱号機があった。
荷台には、泥だらけになった燕尾服の男が横たわっている。
「オトモ!」
ライラは泥を跳ね上げて駆け寄った。
オトモは意識がない。右腕は赤黒く腫れ上がり、あの片眼鏡も失われている。
「嘘……オトモ、起きて……!」
ライラが肩を揺するが、反応はない。
呼吸は浅く、顔色は紙のように白い。
「……無駄だ。今は動かさねぇ方がいい」
不機嫌そうな低い声がした。
壱号機の陰から、キッドが現れる。
彼もまた満身創痍で、額から血を流していたが、その目は死んでいなかった。
ギラギラとした苛立ちと、自分自身への激しい怒りで燃えていた。
「ミルカに応急処置はさせたが、右腕粉砕に肋骨骨折だ。……あの野郎、とんでもねぇ馬鹿力だぜ」
キッドは吐き捨てるように言うと、壱号機のひしゃげた右アームを乱暴に蹴り飛ばした。
そこにあるはずの「相棒」――ベヒモス討伐の優勝賞品として取り付けた「巨大ミスリル包丁」は、根元から無残にへし折れ、泥の中に突き刺さっていた。
「……見てみろよ、これだ」
キッドが折れた断面を睨みつける。
「ベヒモスの報酬で手に入れた、一級品のミスリル包丁だ。モノは最高だった。
……なのに、俺がへし折った」
キッドが、腰に手を添える。
そこには、大将(師匠)から譲り受けた「二本の出刃包丁」が無傷で収まっていた。
彼にとっての本当の魂であり、最後の切り札だ。
「俺はこいつらを抜けなかった。
……ビビったんじゃねぇ。直感で分かっちまったんだ。 今の俺の技術じゃ、あいつの密度には通じねぇ。無理に斬りかかれば、大将の包丁ごと砕け散るってな」
キッドが拳を震わせる。
彼は道具のせいにはしていなかった。
最高の包丁を折り、魂の包丁(出刃)を抜くことさえできなかった、自身の技術不足に打ちのめされていたのだ。
「クソッ……! 俺の腕が半端だったから……!
道具は一流でも、使い手が三流じゃ世話ねぇよな……!」
絶望ではない。強烈な自己嫌悪。
だからこそ、彼は諦めていなかった。
物理で切れないならどうする。料理人として、どうやってあいつを調理する。
血走った目が、答えを探して彷徨っていた。
「……誰かいるよ」
ルルが怯えたように呟き、ライラの背中に隠れた。
闇の奥から、ぬらりと光る影が現れる。
十、二十……。極彩色のゼリーのような身体を持つ、ブヨブヨした軟体生物たち。
『侵入者ハ、排除スル……』
低い唸り声と共に、彼らが包囲網を縮めてくる。
泥棲ウミウシ。
アビスの底のゴミを処理するために進化した、「掃除屋」たちだ。
手には、魚の骨で作った鋭利な槍が握られている。
「チッ……次は雑魚のお出出しかよ」
キッドが舌打ちをし、腰の二本の出刃包丁に手をかけた。
「おい店長、下がってな。
カニ野郎には通じなかったが……この程度の軟体動物なら、刺身にするのは造作もねぇ」
ギュルルルルルルルル……!!
キッドの殺気を遮るように、場違いな轟音が響き渡った。
地響きではない。
ライラの腹の虫だ。
「……あ?」
ウミウシたちが動きを止める。
キッドもガクッと体勢を崩した。
「……うるさいわね」
ライラがゆらりと立ち上がった。
その目は、恐怖で濡れてなどいなかった。
飢餓。そして――激怒。
「今、大事な執事が寝てるのよ! 静かにしなさい!」
ライラは叫ぶと同時に、足元の腐った木材に生えていたド派手な紫色のキノコをむんずと掴んだ。
「お、おい店長!? そいつはヤベェ色してんぞ!」
ガブッ!!
ライラは躊躇なく、その毒々しいキノコにかじりついた。
「バッ……!?」
ウミウシの長老が触角を逆立てて驚愕する。
「待て人間! それは猛毒の『ヘドロダケ』だぞ! 地竜でも即死する……!」
ライラは咀嚼した。
強烈な痺れ。神経毒。
だが、今の彼女の胃袋は、毒すらも燃料に変える。
「……んぐっ。……ちょっと、ピリ辛ね」
ゴクンッ。
ライラは飲み込んだ。
脂汗を流しながらも、彼女は不敵に笑って見せた。
「な……!?」
ウミウシたちが後ずさる。こいつ、毒を食って平気な顔をしている?
「キッド! ご飯!」
ライラは続けて、ヘドロの中に落ちていた「上から降ってきた深海魚(死骸)」を拾い、キッドに投げつけた。
「調理しなさい! 今すぐ!」
受け取ったキッドは、腐臭を放つ魚と、店長の真剣な目を見た。
そして、ニヤリと口の端を吊り上げた。
「……へッ、無茶言ってくれらぁ。
だが、安心しな。俺にはまだ、大将の包丁がある」
シャランッ。
キッドが二本の出刃包丁を抜いた。
薄暗い地下でも、その刃は月光のように冴え渡っている。
「毒キノコだろうが腐った魚だろうが、俺の技術で極上のメシに変えてやる。
……見てろよ、クソカニ野郎。俺は絶対にお前を諦めねぇぞ」
キッドの目は、料理への執着と、将軍への復讐心で燃え上がっていた。
彼が包丁を構え、ウミウシたちへ視線を向けた、その時。
「待ってください!!」
凛とした声が、地下空洞に響き渡った。
ルルだ。
彼女はフードを脱ぎ捨て、一歩前へ出た。
泥に汚れながらも、その姿はスポットライトを浴びたように輝いて見えた。
「争わないで! 私たちは敵じゃありません!」
ウミウシたちがざわめく。
半透明な翼。愛らしい容姿。そして何より、その声の響き。
「あ、あれは……まさか……?」
「歌姫ルル様……!? 『流氷の天使』か!?」
深海に近いこのエリアで、彼女を知らぬ者はいない。
アビスの過酷な労働環境において、彼女の歌声だけが唯一の娯楽であり、癒やしだからだ。
「お願いです、皆さん。
この人たちは、悪い人たちじゃありません。
上層の恐ろしいカニに追われて、傷ついているだけなんです」
ルルがそっと両手を広げ、慈愛に満ちた瞳でウミウシたちを見つめる。
それは演技ではない。彼女自身の優しさが滲み出た「説得」だった。
「私たちが欲しいのは争いじゃありません。
……温かいスープと、少しの優しさだけなんです」
ルルの言葉が、荒んだウミウシたちの心に染み渡る。
長老が槍を下ろした。
「……おお……なんと尊い……。
天使の歌姫が、このようなゴミ捨て場におられるとは……」
「皆の者、槍を収めよ! 歌姫様のお連れの方々だ!」
ルルのカリスマ性が、一瞬で場の空気を変えた。
キッドが呆気にとられて包丁を下ろす。
「へぇ……大したもんだ。アイドルの力ってのは、包丁より切れるらしいな」
◇
数十分後。
壱号機の残骸から漏れたオイルで火をおこし、ドラム缶が鍋になった。
中では毒キノコと腐りかけの魚、そして謎の海藻が煮込まれた、ドロドロのスープが泡を立てている。
キッドの手際は鮮やかだった。 腐った魚の「食べられる部分」だけを神速で切り出し、毒キノコの毒袋を正確に除去していく。
「お待ちどう。特製『地獄の闇鍋スープ』だ。
……見た目は最悪だが、毒は抜いた。食えねぇことはねぇはずだ」
ライラが空き缶ですくって飲む。
……美味い。
ギリギリのサバイバルの味がする。
「あんたたちも食べなさいよ」
ライラがウミウシたちに振る舞う。
毒を無効化し、ゴミを栄養に変えるその技術と胆力に、掃除屋たちは畏敬の念を抱いた。
◇
和解したウミウシの里(廃棄タンカーの中)にて。
オトモの治療を待つ間、キッドはある光景に釘付けになっていた。
ウミウシの子供たちが、軍から廃棄された「鋼鉄製のコンテナ」を開けようとしている。
彼らは、口から緑色の液体を吐きかけた。
ジュワワワ……!
分厚い鋼鉄が、泡を立てて溶けていく。
ドロドロに崩れ、中身が露出する。
「……おい、嘘だろ」
キッドが駆け寄る。
熱くはない。だが、鉄が泥のように溶けている。
「……消化液だ」
キッドが震える手でその液体に触れようとし、慌てて引っ込めた。空き缶の蓋をつけると、一瞬で穴が開いた。
「これだ……」
キッドの脳内で、全てのピースがハマった。
なぜ刃が通じなかったのか。
今の自分の技術では、物理的に「切れる」限界を超えていたからだ。
なら、アプローチを変えるしかない。
「切るんじゃねぇ……溶かすんだ」
キッドが狂気的な笑みを浮かべ、ライラを振り返った。
「店長! 見つけたぜ! 今の俺でもあいつを料理できる方法を!
技術が足りねぇなら、知識で補えばいい!
あいつの無敵の甲羅をドロドロに溶かす、最強の『ソース』を作ってやる!」
ライラがニカっと笑う。
オトモの手を握りながら、彼女は宣言した。
「採用!
やりましょうキッド。
あいつを丸裸にして、オトモの敵討ちよ!」
腰に差した二本の出刃包丁。それはまだ、将軍には届かない。
だが、新たな「調理法」を手に入れた彼らの目は、反撃の炎で輝いていた。
■ 現在のG-Log掲載情報(自動更新)
【店舗名】 万事屋オモテナシ・革命軍
【総合評価】 ★2.80(↑微増)
【現在地】 廃棄領域・ウミウシの里
【新規レビュー到着】
投稿者:ウミウシの長老
★★★★☆
「まさか伝説の歌姫ルル様にお会いできるとは!
そしてこの人間たちの作るスープ、毒を旨味に変えるとは驚嘆した。
ルル様の尊顔と、スープの味に免じて星4つ進呈しよう」
【ステータス更新】
・ライラ:【覚醒(Awakening)】
→ 毒を食らい、群れを率いる女王の風格を獲得。
・キッド:【開眼(Insight)】
→ 新調理法「溶解(Melting)」を着想。
・ルル:【カリスマ(Charisma)】
→ 深海のアイドルとして、異種族間の交渉を成立させる。
【次回予告】
禁断のレシピ『龍の涎』。
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