第31話 絶望の硬度と、砕け散る執事
ヒュオオオオオオオオ……ッ!!
暗黒の垂直落下。
カジノタワーの崩壊と共に、オモテナシ一行はアビスの最下層へと吸い込まれていく。
「お、おちるぅぅぅ!?」
「店長! 舌を噛まないように! ミルカ様、ルル様を確保して!」
オトモが空中で体勢を整え、燕尾服をパラシュートのように広げて空気抵抗を作る。
さらに、一緒に落ちてきた気絶中のカジノ王ジャックの巨体を、強引に足場として蹴りつけた。
「失礼。クッションになっていただきます」
ズドォォォォォォォン!!!!
地響きと共に、ジャックが地面にめり込む。
その反動を利用し、オモテナシ壱号機(半壊)はどうにか着地に成功した。だが、衝撃でサスペンションが悲鳴を上げ、車体が大きく傾く。
「……いっったぁ……。みんな、無事?」
ライラが瓦礫の中から顔を上げる。
「ボクたちは大丈夫! ルルも気絶してるけど、外傷はないわ!」
ミルカが荷台の奥で、カプセルごと回収したルルを抱きかかえて叫ぶ。
なんとか生き延びた。
だが、そこは上層の煌びやかなカジノとは正反対の、死の世界だった。
見渡す限りの鉄屑、錆びたパイプ、そして腐ったヘドロの海。
上層から捨てられた全ての廃棄物が流れ着く、「アビスのゴミ溜め」。
そして、異様な「重圧」が漂っていた。
「……空気が、重い」
ライラが胸を押さえる。
深海の水圧とは違う。何かもっと、巨大な質量が近くにあるだけで発生する、空間そのものの歪みのような圧迫感。
「息が……しづらいわ……。重力がおかしいの?」
ミルカが咳き込み、計器を確認するが、針はエラーを示して振り切れている。
その時だった。
ギチチチチチチチ……!!
地面だと思っていた場所から、岩盤が擦れ合うような不快な音が響いた。
瓦礫の山が崩れ落ち、その下から、山のように巨大な「赤黒い影」が姿を現す。
全長、およそ50メートル。
カジノタワーすら小さく見えるほどの、超巨大タカアシガニ。
アビスの支配者、将軍ガニシュカだ。
「……デカすぎだろ」
キッドが口を開けたまま硬直する。
ガニシュカが身じろぎをする。
その巨大な足が、地面に埋まっていたカジノ王ジャックの身体を、ただの小石のように無造作に踏みつけ、彼方へと弾き飛ばした。
かつての支配者すら、ここではただの砂利に過ぎない。
だが、様子がおかしい。
将軍は我々を攻撃しようとしているのではなかった。
彼は、自らの巨体を岩盤に押し付け、軋ませていたのだ。
『グオオオオオ……ッ!! セマイ……ッ!! クルシイ……ッ!!』
彼の甲羅は、長年の成長と脱皮不全により、異常なほど分厚く圧縮されていた。
内側から膨張しようとする肉体を、何層にも重なった古い殻が、万力のように締め上げている。
体内で発生したエネルギーが逃げ場を失い、限界まで圧縮されている状態。
それは生き物ではない。暴発寸前の「生体圧力鍋」だ。
『ヌギタイ……! ダレか……ワッテクレ……!!』
ズゥゥン!!
将軍が咆哮するだけで、重力波のような衝撃が走り、壱号機のフレームがミシミシと歪む。
「くっ……! 話が通じる相手じゃねぇ! ただの災害だ!」
「迎撃します! キッド様、ミルカ様!」
オトモの指示で、二人が動く。
「動きを止める! 最大出力、『絶対零度砲』!」
ミルカが背負った冷凍ユニットが唸りを上げ、極低温のビームが放たれた。
空気が瞬時に凍結し、ダイヤモンドダストとなって将軍の脚部を包み込む。
だが。
パキィィィンッ……!!
硬質な音が響き、氷が砕け散った。
将軍が動いたからではない。
彼を覆う甲羅の密度があまりにも高すぎたため、熱エネルギーの移動(冷却)が一切発生せず、表面で凍りついた空気が自重に耐えきれず剥離したのだ。
「嘘!? 熱が……奪えない!? 物質としての隙間がなさすぎて、冷気が浸透しないの!?」
ミルカが科学者として絶望する。理論が通じない。
「なら物理で叩き割る! 『ミスリル包丁』!!」
キッドが壱号機のアームを最大出力で加速させる。
先端に装着されたミスリルの刃が、音速を超えて将軍の関節部――装甲が薄いと思われる継ぎ目へ突き刺さる。
ギャァァァァンッ!!!!!
耳をつんざく金属音。
火花が散り、衝撃が壱号機のアームを逆流して、キッドの腕の骨をきしませた。
「ぐぉっ!? な、んだ……この感触……!?」
キッドは戦慄した。
斬った手応えがない。壁を叩いたのでもない。
まるで、惑星の核にスプーンを突き立てたような、絶対的な「質量」の壁。
ピキッ。
乾いた音がした。
ミスリルの刃に、蜘蛛の巣のような亀裂が走る。
「あ……俺の、最強の包丁が……」
パァァァンッ!!
次の瞬間、伝説の刃は粉々に砕け散り、金属の塵となって舞った。
「私が食べる!」
ライラが飛びかかろうとするが、将軍の周囲に渦巻く「重圧の嵐」に阻まれる。
「きゃあっ! 近づけない! 風圧だけで体がバラバラになりそう!」
科学無効。物理破壊。捕食不能。
そこに在るのは、生物としての限界を超えて圧縮された「絶望的な硬度」の塊。
「……下がってください」
静かな声と共に、オトモが前に出た。
その背中はいつになく張り詰めていた。
「オトモ?」
「あれは敵ではありません。重度の『脱皮不全』に苦しむ患者です。……私が、殻を割って解放します」
オトモが白手袋を外し、懐から予備の眼鏡を取り出してかけ直した。
本気だ。
執事は、空気が歪むほどの重圧の中を、音もなく疾走した。
「(……表面硬度、測定不能。推定密度、ダイヤモンドの数倍。通常の物理打撃は通じない。ならば――内部破壊)」
オトモは将軍の懐、何層にも重なった甲羅の継ぎ目にある、わずかな歪みを見定めた。
あそこなら、衝撃を内部へ「浸透」させる整体術が通じるはずだ。
オトモが踏み込む。
全筋肉をバネのように収縮させ、執事の全霊をかけた一撃を放つ。
【執事流奥義・衝・穿】
ドォォォォォンッ!!
深海に雷が落ちたような轟音が響いた。
オトモの拳は、正確無比に甲羅の継ぎ目を捉えていた。
だが。
「……っ!?」
オトモの片眼鏡の奥の瞳が、驚愕に見開かれた。
拳が、止まっている。
衝撃が内部へ浸透しない。
それどころか、叩き込んだ莫大な運動エネルギーが、行き場を失い、出口を求めて暴走し――打った本人へと逆流してきた。
バキバキバキバキッ……!!
生々しい破壊音が、オトモの体内から響いた。
右拳の骨が砕け、衝撃が腕を駆け上がり、肩の関節を内側から破壊する。
「ぐ……ぅ……ッ!?」
オトモが苦悶の声を漏らし、たたらを踏む。
硬すぎる。
生物の殻ではない。超高密度に圧縮された物質は、もはやオトモの「整体(生体への干渉)」の理屈が通用しない領域にあった。
それはまるで、事象の地平線を素手で殴りつけたかのような、残酷な現実。
『ウガアアアアアアッ!!』
将軍が、足元の羽虫に気づき、煩わしげに前脚を振るった。
ただのあがき。
だが、ビル一つ分に相当する質量が動けば、それは災害となる。
ヒュオオオオッ!!
空気が圧縮され、不可視の壁となって襲いかかる。
「しまっ……店長!!」
オトモは思考するよりも早く、ライラを庇うように体を割り込ませていた。
防御の姿勢を取る暇もない。
生身で、数千トンの質量が生み出す暴風を受け止める。
グシャアアアアアアッ!!!!
残酷な衝突音が響いた。
オトモの体が、紙屑のように吹き飛ばされる。
瓦礫の山に激突し、さらに数回バウンドして、泥の中に転がった。
「……オトモ?」
ライラが震える声で呼ぶ。
返事はない。
オトモはピクリとも動かなかった。
自慢の燕尾服はボロボロに裂け、右腕は赤黒く腫れ上がり、口からは大量の血が溢れている。
そして何より――彼のトレードマークである片眼鏡が、衝撃に耐えきれず、粉々に砕け散っていた。
「う、そ……」
無敵だった。
どんな時でも涼しい顔で、「おやおや」と言って解決してくれた。
その執事が、壊れた人形のように倒れている。
『クルシイ……! ダシテクレ……!!』
将軍が再び暴れ出し、瓦礫の雨が降り注ぐ。
このままでは全滅する。
「……呆けてんじゃねぇェェェッ!!」
絶叫したのはキッドだった。
彼は壱号機から飛び出し、倒れているオトモを担ぎ上げた。
「ミルカ! 車を出せ! ここじゃ勝てねぇ!」
「わ、わかってる! でもどこへ!?」
「どこでもいい! 下に! もっと下へ逃げるんだ!」
キッドが血まみれのオトモを壱号機の荷台に放り込む。
奥で気絶しているルルの横に、オトモが崩れ落ちる。
ライラはまだ、腰が抜けたように座り込んでいた。
「店長! 乗れ! 死ぬぞ!」
キッドに首根っこを掴まれ、ライラは無理やり車に引きずり込まれた。
壱号機が発進する。
背後で将軍の巨大なハサミが振り下ろされ、地面が崩落した。
ガラガラガラ……!!
足場が消える。
壱号機は、アビスのさらに底――廃棄された下水路の暗闇へと落下していった。
◇
チャプン……。
汚水の音で、ライラは我に返った。
真っ暗な闇。鼻をつく腐敗臭。
壱号機はヘドロの中に不時着していた。
「……オトモ」
ライラは這うようにして、荷台の執事の元へ寄った。
冷たい。
いつも温かい紅茶を淹れてくれる手が、氷のように冷たい。
呼吸は浅く、不規則だ。
「ねえ、起きてよ……。冗談でしょ?」
「……触るな!」
ミルカが、見たこともないほど険しい顔でライラを制した。
彼女はオトモの胸に聴診器代わりのパイプを当て、青ざめていた。
「……右腕、粉砕骨折。肋骨が肺を圧迫してる。……意識レベル低下。危険な状態よ」
ミルカが言葉を詰まらせる。
致命傷だ。
普通の人間なら即死しているレベル。オトモがまだ息をしていること自体が奇跡だった。
「そんな……」
「負けたんだよ、俺たちは」
キッドが運転席でハンドルを握りしめ、血が出るほど唇を噛んでいた。
「あの化け物は、俺たちの手には負えねぇ。……逃げるしか、なかったんだ」
敗北。
完全なる敗北。
最強の矛(執事)も、最強の盾(執事)も、あの圧倒的な質量の前では無力だった。
その時。
暗闇の奥から、無数の「光る目」が現れた。
カサカサ……という音が、周囲を取り囲む。
ここは『廃棄領域』。
社会から捨てられた、異形の者たちが巣食う場所。
ボロボロの屋台と、瀕死の執事。
今の彼らは、格好の「餌」でしかなかった。
「……来るわよ」
ライラがフォークを構える。
その手は震えていた。
味もしない。オトモもいない。
初めて味わう、「守ってくれる者がいない」という本当の恐怖。
アビスの底で、少女たちの真のサバイバルが始まろうとしていた。
■ 現在のG-Log掲載情報(自動更新)
【店舗名】 万事屋オモテナシ・革命軍
【総合評価】 ★1.45(変動なし)
【現在地】 アビス最下層・廃棄領域
【ステータス更新】
・オトモ:【瀕死・意識不明】
→ 右腕粉砕骨折、多臓器損傷。戦闘不能。
・ライラ:精神的動揺(大)。
・キッド&ミルカ:負傷軽微だが、戦意喪失寸前。
・ルル:気絶中(生存確認)。
・壱号機:中破。走行可能だが武装の大半が破損。
【敵情報更新】
・将軍ガニシュカ:
→ 状態:災害級(Disaster)。
→ 特性:超高密度圧縮(Hyper Density)。物理・魔法攻撃無効。内部圧力により常時暴発寸前。
【現在のクエスト】
『緊急クエスト:生存せよ』
・目的:オトモの治療と、追手からの逃走。
・環境:極めて劣悪。
【次回予告】
泥のスープと、溶解の掃除屋たち。
本日のおもてなしは、いかがでしたでしょうか?
絶望の底からの再起。ここからが本当の戦いです。
当店のサービスにご満足いただけましたら、ぜひ、「お客様アンケート(ご感想、評価)」や「次回のご予約ブックマーク」をお願いいたします。
お客様からの温かいお声が、オトたちの「過剰なおもてなし」をさらに加速させる燃料となります!
次回も、極上のサービスをご用意してお待ち申し上げております。




