第27話 芳醇なる裏切りと、激臭の目覚まし時計
シーン……。
第3の扉が開いた先は、不気味なほど静かだった。
先ほどの騒音地獄が嘘のようだ。
そこは、巨大なガラスドームに覆われた「屋内庭園」だった。
色とりどりの巨大イソギンチャクが花のように咲き乱れ、ピンク色の珊瑚がアーチを描いている。
「……いい匂い」
ライラが鼻をクンクンとさせた。
漂っているのは、花の蜜のような、あるいは煮込んだフルーツのような、極上の甘い香り。
さっきまで「腹減った、殺す」と唸っていたライラの表情が、嘘のようにとろけていく。
「あぁ……ママの匂い……。懐かしい、王宮のデザートの匂い……」
「警戒してください、店長。……敵の姿がありません」
オトモが片眼鏡を光らせ、周囲を警戒する。
イソギンチャクの陰、珊瑚の裏。どこにもディーラーの姿はない。
あるのは、充満する芳香だけ。
『クックック……。ようこそ、私の庭園へ』
どこからともなく、湿っぽい声が響いた。
スピーカーではない。通気口を通して、壁の裏側から響いてくる声だ。
『私は第三のディーラー、『調香師・ハーミット』。……戦いは野蛮だと思わないかね? ここではただ、香りに酔いしれればいい』
「姿を見せなさい! 隠れてないで正々堂々と……」
ミルカが叫ぶが、ハーミットはせせら笑う。
『馬鹿なことを。私は「ヤドカリ」だぞ? 安全な殻(ダクトの奥)から出るわけがないだろう。……さあ、吸い込みたまえ。私の最高傑作、『食欲増進フェロモン・改』をね』
シュウウウウ……。
イソギンチャクの中心から、ピンク色のガスが噴き出した。
「毒ガスか!? ミルカ、中和だ!」
「待って、成分分析が……これ、毒じゃないわ! 脳内麻薬の一種よ!」
ミルカが叫ぶが、遅かった。
ガスを吸い込んだライラの瞳孔が、カッと開いた。
「……オトモ」
ライラが、ゆらりと執事の方を向く。
その瞳は焦点が合っていない。口の端からは、滝のようにヨダレが流れ落ちている。
「おやおや。店長、どうされました?」
「……美味しそう」
「はい?」
ライラの目には、いつもの執事が映っていなかった。
彼女の脳内で、オトモの黒い燕尾服は「サクサクの衣」に、長い手足は「プリプリの身」に変換されていた。
そこに立っているのは、執事ではない。
人間大の、揚げたての――『特大エビフライ』だ。
「いただきまぁぁぁす!!」
ドォォン!!
ライラが地面を蹴った。その速度は、ベヒモスすら食らい尽くした捕食者のそれだ。
「っ!? 店長、正気に戻ってください!」
オトモが半身でかわす。
ライラのフォークが空を切り、鉄の柱を紙のように貫く。マジだ。殺す気(食べる気)だ。
「逃げるなエビフライ! タルタルソースをかけてやるぅぅ!」
「誰が揚げ物ですか! 私は執事です!」
オトモは防戦一方だった。
相手は主。傷つけるわけにはいかない。関節技も打撃も封印された状態で、飢えた野獣の猛攻を凌がなければならない。
『ハハハハ! いいぞ! 共食いだ! 空腹のあまり仲間を喰らう……その絶望のスパイスこそが至高!』
ダクトの奥から、ハーミットの歪んだ笑い声が響く。
卑劣な罠。
オトモがライラを抑えている間、キッドたちは手が出せない。
「クソッ! どうすりゃいいんだ! 店長を気絶させるか!?」
「ダメよ! 今のあの子はバーサーカー状態。下手に近づけば私たちがミンチになるわ!」
逃げ回るオトモ。追い詰めるライラ。
このままではジリ貧だ。
オトモが、回避しながら鋭く叫んだ。
「キッド様! 許可します! アレを使ってください!」
「アレだぁ? 何のことだ……はっ!?」
キッドが自分のリュックを見て、青ざめた。
スラムを出る時、「非常食」として持ち出した、とっておきの瓶詰め。
「ま、マジかよ執事! あんなもんここで開けたら、俺たちまで死ぬぞ!?」
「構いません! 鼻が曲がるのと、食い殺されるのと、どちらが良いですかッ!」
ガブッ!
ライラの歯が、オトモの燕尾服の裾を食いちぎった。
「……チッ! やるしかねぇか!」
キッドは覚悟を決め、タオルを顔にグルグル巻きにした。
そして、厳重に封印されたガラス瓶を取り出した。
中には、ドロドロに発酵し、原形をとどめていない深海魚の切り身。
スラム特産『アビス・シュールストレミング(発酵3年モノ)』。
「ミルカ! 換気扇の魔力回路を逆流させろ! 風向きを『ダクトの奥』へ変えるんだ!」
「了解! ……うわ、瓶越しでも臭うんだけど!?」
ミルカが鼻をつまみながらコンソールを叩く。
ブオオオオオ……!
庭園の空調が逆回転を始め、猛烈な風が吸気口(ハーミットの隠れ家)へと吸い込まれていく。
「準備完了! いつでもいけるわよ!」
「よし……! ハーミット! テメェの鼻に、スラムの『生活臭』をぶち込んでやる!」
キッドが瓶の蓋に手をかけた。
そして、渾身の力で――回す!
ポンッ!!
軽い音がした。
直後、世界の色が変わった。
瓶から噴き出したのは、可視化できるほどの「紫色の瘴気」。
生ゴミと、腐った卵と、数年履き古した靴下を煮込んで濃縮したような、暴力的悪臭。
「うごぉぉぉっ!?」
「目が……目が潰れるぅぅ!?」
キッドとミルカが白目を剥いて倒れる。
だが、風に乗った瘴気は、一直線にダクトの奥へと吸い込まれていった。
そして――
「んぐっ……!?」
オトモの腕に噛み付こうとしていたライラが、ピタリと止まった。
鼻がヒクヒクと動く。
甘いフェロモンの香りが、圧倒的な悪臭によって上書きされ、消し飛んだのだ。
「……くっさぁぁぁぁぁぁぁっ!!??」
ライラが絶叫し、その場で嘔吐した。
幻覚など一瞬で吹き飛ぶ、生存本能を揺さぶる臭さ。
エビフライに見えていたオトモが、ただの執事に戻る。
「オトモ!? なにこれ!? 世界の終わり!?」
「いいえ、ただの発酵食品です」
オトモは(鼻栓をして)涼しい顔で答えた。
その時。
『ギャアアアアアアアアアアアッ!!!!』
ダクトの奥から、この世のものとは思えない断末魔が響いた。
ドサドサッ!!
天井の通気口が外れ、何かがボトッと落ちてきた。
巨大なヤドカリ――調香師ハーミットだ。
彼は触覚(鼻)をかきむしり、のたうち回っている。
『は、鼻がぁぁぁ! 私の敏感な鼻がぁぁぁ! 臭い! 痛い! 脳が腐るぅぅぅ!』
調香師として鋭敏になりすぎた嗅覚が、仇となった。
スラムの激臭は、彼にとって致死性の神経毒以上のダメージを与えたのだ。
「……出ましたね、引きこもり」
オトモが、のたうち回るヤドカリを見下ろした。
手にはブラックカード。
『た、助けてくれぇぇ! 鼻を……鼻をもいでくれぇぇ! この臭いから解放してくれぇぇ!』
ハーミットが涙と鼻水を垂れ流して懇願する。
オトモは憐れむように目を細めた。
「ええ、叶えて差し上げましょう。……それが、貴方への唯一の『慈悲』です」
カードが光る。
ハーミットの嗅覚神経が焼き切られ、機能が停止する。
世界から匂いが消えた。
あの地獄のような悪臭も、消え失せた。
『あ……あぁ……助かった……』
ハーミットは、嗅覚を奪われたことに安堵し、幸福そうな顔で気絶した。
皮肉な結末。
最大の武器を奪われることが、救いになるとは。
「……ふぅ。ひどい目に遭ったわ」
ライラが鼻をつまみながら立ち上がる。
部屋にはまだ、うっすらと紫色の気配が残っている。
「キッド……あんた、よくあんなもの持ってたわね」
「へへっ……非常食兼、魔除けだよ。……まさかこんな形で役立つとはな」
キッドも青い顔で笑う。
今回は、オトモの拳ではなく、スラムの「生活の知恵(悪臭)」が勝利をもたらした。
「さあ、行きましょう。この部屋に長居すると、服に臭いが染み付きます」
オトモが鼻栓をしたまま、先を促す。
視覚、聴覚、嗅覚。
三人のディーラーを撃破し、残るは二人。
次は「触覚」。
カジノ王が欲しがっていた、オトモの「神の指」を賭けた戦いが待っている。
■ 現在のG-Log掲載情報(自動更新)
【店舗名】 万事屋オモテナシ・革命軍
【総合評価】 ★1.25(微増)
【現在地】 深海カジノ・エリア3「芳香の庭園(激臭汚染区域)」
【対戦相手】 嗅覚ディーラー・ハーミット(自爆により戦闘不能)
【ステータス更新】
・ライラ:一時的に錯乱するも、激臭ショック療法により正気に戻る。
・キッド:生物兵器の使用許可を得て、MVP級の活躍。ただし本人は臭いでダウン寸前。
・ミルカ:換気システムのハッキングに成功。
・オトモ:主のおやつ(エビフライ)にされかけたが、無傷。鼻栓装備中。
【次回予告】
神の指と、触れることなき決闘。
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