第19話 静寂の海と、深海の歓迎者
大陸の東の果て。
切り立った崖の下に、鉛色の海が広がっていた。
『オモテナシ壱号機』は、波打ち際の岩場でプスン……と煙を吐いて停止した。
「……ふぅ。なんとか持ちましたか」
オトモがボンネットを開ける。
中からモワッと熱気が溢れ出した。金貨1000枚分を溶かし込んだ純金回路の一部が、飴細工のようにドロドロに溶け崩れている。
『黄金オーバードライブ』の代償だ。
「あーあ。せっかくの美しい配線が台無しじゃない」
ミルカが工具箱を持って潜り込む。
「金が焼き切れてるわ。回路を繋ぎ直すけど……当分、最大出力は出せないわよ。今の出力は50%が限界。『オーバードライブ』なんてもっての外だわ」
「承知しました。当面は安全運転といきましょう」
最強の必殺技が封印された。だが、逃げ切った代償としては安いものだ。
キッドは海水を汲み上げ、巨大なミスリル包丁を研石で磨いている。
「……ねえオトモ。お腹すいた」
ライラが波打ち際で体育座りをしている。
彼女の視線は、水平線の彼方ではなく、海中を泳ぐ魚影にロックオンされていた。
「魚! 貝! エビ! さっきからピチピチ跳ねて、私を挑発してるのよ!」
「少々お待ちを。……次の目的地は、この真下ですから」
オトモは『裏ミシュラン』のページをめくった。
【深海都市アビス】
水深8000メートル。光届かぬ闇の底に、極上の魚介料理あり。
ただし、入国には専用の潜水艇か、『深海の案内人』の導きが必要である。
「水深8000メートル……? 潰れるわよ、この屋台じゃ」
ミルカが呆れた声を出す。
「ベヒモスの皮は頑丈だけど、継ぎ目から水が入って終わりよ。潜水艦ナメてんの?」
「ご安心を。隙間を埋める脂と……何より、この『皮』が仕事をします」
オトモは壱号機の装甲――ベヒモスの赤黒い皮革を撫でた。
「ベヒモスの皮膚繊維は『可変剛性』を持っています。強い圧力を受けるほどキュッと収縮し、硬化する。つまり、深く潜るほど、この車体は完全密閉の鋼鉄の塊になるのです」
「……なるほど。深海の水圧を利用して装甲を締めるってわけか。とんでもねぇ素材だな」
キッドが感心して口笛を吹く。
「酸素については、車内の『無限水蛇の蛇口』から出る水を電気分解して賄います。……さて、問題は動力ですが」
オトモが海を指差した。
霧が立ち込める海面から、ポゥッ……と淡い光が浮かび上がってきた。
ザバァッ!!
水飛沫を上げて現れたのは、巨大な口を持つ、醜悪な深海魚だった。
頭部に長い触覚があり、その先端が提灯のように光っている。
『ジャイアント・ランタン・アングラー(巨大提灯アンコウ)』だ。
大きさは屋台ほどもある。
『グルル……迷い人か……? アビスへ行きたいなら……案内してやるぞォ……』
アンコウが低く湿った声で喋った。
その巨大な口には、鋭い牙がびっしりと並んでいる。
「あら、親切な魚ね」
「店長、騙されないでください。あれは『客引き』に見せかけた強盗です」
オトモの指摘通り、アンコウの目はギラギラと卑しい光を放っていた。
『さあ……俺の口の中へ……安全で快適な旅だぞォ……』
アンコウが大きく口を開ける。
中から腐臭が漂ってくる。
「……臭っ。こんなの乗りたくないわ」
「ですよね。……ですが、あの『提灯』は使えそうです」
オトモが片眼鏡を光らせた。
その瞬間、ライラの目がアンコウの頭部で揺れる「光る玉」に釘付けになった。
「……綺麗。飴玉みたい」
『え?』
「いただきまぁす!!」
ライラが跳んだ。
アンコウが反応するよりも速く、その華奢な体が空を舞う。
ガブッ!!
『ギャアアアアアアアッ!?!?』
アンコウの絶叫が海に響いた。
ライラが噛み付いたのは、アンコウの魂とも言える「誘引突起(提灯)」だった。
「んぐ、んぐ……! ビリビリする! 炭酸入りの飴玉だわ!」
『や、やめろぉぉ! 俺の商売道具がぁぁ! ちぎれる、ちぎれるゥゥ!』
アンコウがのたうち回るが、ライラはスッポンのように離さない。
「オトモ! 今のうちに!」
ミルカが叫ぶ。
オトモは屋台から太いワイヤーを取り出し、暴れるアンコウの尾ひれに素早く巻き付けた。
「捕獲完了です」
『ひぃぃぃ!? な、なんだお前ら!? ただの人間じゃ……!』
提灯を齧られ、尾を縛られたアンコウが涙目で震えている。
オトモは恭しく一礼した。
「当店の送迎バスにご応募いただき、ありがとうございます。……行き先は『アビス』。安全運転でお願いしますね?」
『バ、バスぅ!? 俺が!?』
「嫌なら、店長にその提灯を完食させますが?」
ライラが「じゅるり」と涎を垂らす。
アンコウは顔面蒼白(魚だけど)になり、必死に首を縦に振った。
『や、やります! 運びますぅぅ! だから食わないでぇぇ!』
交渉成立だ。
オトモたちは急いで潜水準備に取り掛かる。継ぎ目にワックスを塗り込み、ベヒモス装甲の硬化特性を確認する。
「準備完了よ! 酸素供給システム、稼働!」
ミルカがスイッチを入れると、車内にシューッという新鮮な空気が満ちる。
「では、潜行開始です」
オトモの合図で、アンコウが海中へと潜る。
ワイヤーに引かれ、壱号機が海面を割り、青い世界へと没していった。
ボコボコボコ……。
窓の外が一瞬で泡に包まれ、やがて深い青色に染まっていく。
ギギッ……ミシッ……。
水圧がかかると同時に、ベヒモスの装甲が生物のように収縮し、車体を強固に密閉していく。
◇
――そして、世界から「音」が消えた。
水深1000メートル。
光は届かず、完全な闇が支配する世界。
窓の外には、時折、発光する小さなクラゲが流れていくだけ。
だが、オトモたちの肌は感じていた。
この静寂の奥底に、得体の知れない「何か」が蠢いている気配を。
「……なぁ。なんか、視線を感じないか?」
キッドが声を潜める。
「……ええ。ソナーに反応はないけど、巨大な質量が近くを通ったわ」
闇の向こうで、山のような巨大な影が、音もなく滑るように横切っていく。
ここは人間の領域ではない。
『……へへっ。覚えとけよ。アビスは怖いぞォ……』
先導するアンコウが、暗い海の中でボソリと独り言を漏らした。
『この獲物を献上すれば……俺もまたアビスの市民権を得られるかもな……』
それは、ただの脅しではなかった。
深海にもまた、地上とは異なる「社会」と「階級」があることを匂わせる響きだった。
「あら、暗くて何も見えないわ」
ライラがつまらなそうに口を開けた。
その瞬間。
ポゥッ……
彼女の口の中から、幻想的な淡い光が溢れ出した。
さっき食べたアンコウの提灯が、胃の中で発光し続けているのだ。
その光が、車内を、そして窓の外の深海を青白く照らし出す。
『おい! な、なんだその光は!?』
アンコウが怯えて振り返る。
深海の生物にとって、光は「餌」か「捕食者」のサインだ。
ライラの口から漏れる光は、闇の中で異様な存在感を放ち、無数の小さな魚たちを引き寄せ始めていた。
「ふふっ。便利な懐中電灯ですね」
オトモは優雅に紅茶(ただのお湯)を淹れながら微笑んだ。
「さあ、参りましょう。深淵の底で、どんな『おもてなし』が待っているのか」
発光する少女を乗せた屋台は、無言の圧力が支配する闇の底へと、ゆっくりと沈んでいった。
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【店舗名】
リラクゼーションサロン・オモテナシ(潜水モード)
【総合評価】
★0.04(維持)
・新着口コミ:なし
【店舗設備】 『オモテナシ壱号機』
・状態:深海潜行モード(ベヒモス装甲が水圧により硬化)
・故障箇所:黄金回路の一部融解(ミルカが応急処置中)
→ 制限事項:最大出力50%制限。必殺技使用不可。
【従業員】
・店長:体内発光中。口を開くと周囲を照らす「生体懐中電灯」と化す。
・執事:車内酸素管理者。深海の静寂を楽しんでいる。
・同乗者:包丁の手入れ完了。窓外の巨大な影に武者震い。
・同乗者:回路修復中。
【今回の獲得成果】
・現地ガイド:巨大提灯アンコウ(下心あり)
【現在の目的】
・水深8000メートルの『深海都市アビス』へ到達する。
【次回予告】 深海の都と、深海のカジノ




