第10話 濁った胃袋と、黄金のコンソメスープ
満腹都市ガーグの裏路地。
三ツ星シェフ・ヴォルグが「星5」をつけたという噂は、一晩で街中を駆け巡っていた。
◇
翌朝、怪しげな紫色の屋台の前には、長蛇の列ができていた。
「いらっしゃいませー! お代は現金または『調理器具』よ! チャーハンなら私が預かるわ!」
ライラが看板娘として声を張り上げる(そして客の差し入れをつまみ食いする)。
オトモの施術は順調だった。料理人特有の職業病――腱鞘炎、腰痛、味見のしすぎによる胃もたれ――を、次々と「執事流・整復術」で完治させていく。
◇
だが、正午を過ぎた頃。
オトモの手が止まった。
「……店長。在庫切れです」
「えっ? もう食材がないの?」
「いいえ。水です」
オトモが蛇口をひねるが、カヒューッという乾いた音しかしない。
屋台のタンクが空になったのだ。
「この街の『上水道』は、ギルドによる完全契約制。高額な権利金(賄賂)を払った店にしか水は供給されません」
「はぁ!? じゃあどうすんのよ! 喉が渇いて干物になっちゃう!」
「困りましたね。水がなければ、スープも紅茶も淹れられません」
その時だった。
行列を強引に押しのけ、三人の肥満体の男たちが現れた。
彼らが歩くたびに、周囲の料理人たちが青ざめて道を空ける。
「どけ、ドブネズミども。……ここか? ヴォルグごときが推奨している違法屋台は」
先頭の男が、侮蔑の眼差しでライラを見下ろした。
胸元には、舌を模した金色のバッジ。
彼らこそ、この街の飲食店を生かすも殺すも思いのままにする批評家集団――『七つの舌』の幹部たちだ。
「貴様らが店主か。単刀直入に言おう。今すぐ店を畳んで街から出て行け」
「……理由は?」
オトモが静かに問う。男は醜悪に歪んだ唇で笑った。
「衛生法違反だ。貴様の店は『水契約』を結んでいないだろう? 我々は水道局の顧問も兼ねている。水のない店など、食中毒の温床だ」
言いがかりではない。
彼らは、自分たちの許可なく流行り始めたこの屋台を潰すために、明確な殺意を持って「水の権利」という武器を使いに来たのだ。
彼らの背後には、既得権益を守ろうとする大手レストランの影が見える。
「さあ、営業停止だ。それとも……我々の靴でも舐めるか? そうすれば泥水くらいは恵んでやるぞ?」
下卑た笑い声を上げる男たち。
ライラが激怒してフォークを構える。だが、オトモが片手でそれを制した。
「なるほど。水の管理者が、水不足を理由に潰しに来たと。……理屈は通っています」
「分かったら失せろ」
「ですが、奇妙ですね」
オトモは一歩踏み出し、リーダー格の男の、膨れ上がった腹を指差した。
「水の管理者たる貴方達の体が、これほどまでに『濁っている』とは」
男の表情がピクリと動く。
「……なんだと?」
「聞こえますよ。貴方の内臓から、下水のような音が」
チャプン、グジュゥ……。
オトモには聞こえていた。
連日の接待、過剰な試食、そして運動不足。
彼らの胃袋は限界を超えて拡張し、消化しきれない脂とアルコールが、血管の中をドロドロのヘドロのように流れている。
彼らは「美食家」ではない。ただの「生ゴミ処理機」だ。
「貴方、最近『水』が不味いでしょう? 何を食べても脂の味しかしないはずだ」
「な、なぜそれを……」
「舌が苔で覆われ、味覚が死んでいます。今の貴方は、フォアグラとゴムの区別もつかない」
図星を突かれ、男たちが狼狽する。
実は彼らも困っていたのだ。味がわからなければ、賄賂をもらう価値すらなくなる。彼らは今、自分の体という牢獄の中で腐りかけていた。
「貴方達に必要なのは、権力でも美食でもありません。体を洗い流す『排水処理』です」
「き、貴様に何ができる!」
「私が治せば、水は美味くなります。……代わりに、分かっていますね?」
オトモの眼鏡が光る。
男たちは生唾を飲んだ。背に腹は代えられない。
「や、やれるものならやってみろ! もし治らなければ即刻処刑だ!」
「契約成立です。では、少々『絞り』ますよ」
オトモの手が、男の腹に触れた。
次の瞬間。
「あぐっ!? ひぎぃぃぃぃ!?」
路地裏に絶叫が響いた。
それはマッサージというより、工事だった。
『執事流・内臓整復術』。
オトモの指が、肋骨の隙間にめり込み、癒着した腸を無理やり引き剥がし、滞っていたリンパ液を強制的に流し込んでいく。
「流れる! ヘドロが! 俺の脂が流れていくぅぅぅ!!」
男たちの全身から、黄色い汗が滝のように噴き出した。
それは体内に溜まっていた毒素そのものだ。強烈な悪臭が立ち込めるが、オトモは表情一つ変えずに絞り上げる。
「はい、終了です」
数分後。
そこには、一回り体が小さくなり、憑き物が落ちたような顔をした男たちがへたり込んでいた。
体は羽のように軽い。胃の不快感は消え失せている。
「……信じられん。俺の胃袋が、新品みたいだ……」
「仕上げです。これを」
オトモが差し出したのは、カップに入った液体だった。
高級スープではない。なけなしの在庫で作った、ただの「白湯(お湯)」だ。
男たちは震える手でそれを口に運んだ。
ゴクリ。
瞬間、彼らの目から涙が溢れ出した。
「う……うまい……!!」
何の味付けもないお湯。だが、リセットされた彼らの舌には、それが甘露のように感じられた。
混じり気のない、純粋な水の味。
彼らが長い間忘れていた、生命の根源の味だ。
「ああぁ……水って、こんなに美味かったのか……!!」
男たちは号泣しながら白湯を飲み干した。
もはや屋台を潰す気など微塵もない。この感動の前には、賄賂も権力も無意味だった。
「……負けた。俺たちの完敗だ」
リーダーの男が、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
それは彼らが独占していた利権そのもの。
「持って行け。特級水利権の証……『無限水蛇の蛇口』だ。これを屋台に取り付ければ、街のどこにいても地下水脈から最高純度の水が出る」
「感謝します。では、今後ともご贔屓に」
オトモは恭しく一礼し、権利書を受け取った。
その日の夕方。
屋台には真新しい銀色の蛇口が取り付けられていた。
ひねれば、キラキラと輝く冷たい水が無尽蔵に溢れ出す。
「ぷはーっ! 生き返る! やっぱ水よねー!」
ライラがジョッキで水をあおる。
これで飲み水の心配も、調理用の水の確保も完璧だ。
「これで『火』と『水』が揃いました。スープの準備は万端です」
オトモは満足げに頷き、そして視線を北側の空――黒い煙が立ち上る『廃棄区画』へと向けた。
「さて、店長。口の中がサッパリしたところで……次は少々、刺激的な『魚料理』はいかがですか?」
「魚? この砂漠みたいな街に魚なんているの?」
「ええ。深海のように暗い路地裏に、ハサミを持った美味しいのがいるそうですよ」
コース料理はまだ始まったばかり。
次なる皿は、サソリと、それを操る若き料理人たちとの出会いである。
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【店舗名】
リラクゼーションサロン・オモテナシ(ガーグ支店)
【総合評価】
★5.0 ⇒ ★5.0(「七つの舌」認定店)
・新着口コミ(七つの舌・筆頭):
「水とは、これほど甘いものか……。我が舌は生まれ変わった。★5.0!」
・効果:街の衛生局・組合からの干渉が完全消滅(免罪符獲得)
【店舗設備】 オモテナシ・ゼロ号機(ライフライン確保)
・外装:鉄柱 + 紫カーテン
・内装:ロイヤルスイートベッド + 魔導コンロ + 無限水蛇口(New!)
・機能:蛇口から最高純度の冷水が無限供給
・注意:ベッド横で高火力調理 → 引火リスク上昇中
【従業員】
・店長:水分補給完了。肌ツヤ向上
・執事:水道局顧問(非公式) 兼 内臓整復師
【今回の獲得アイテム】
・無限水蛇口(New!)
【現在の目的】
・廃棄区画へ向かい、刺激的な『魚料理』を食す。
【次回予告】 裏ガーグの荒くれ料理人と、爆発する天才少女。




