凛子の霊異記【悲願縛りの寫眞】
登場人物紹介
結城 凛子
陰のある性格。クールで人付き合いは良くない。愛想が悪い。心を許した相手には非常に友好的になる。
強い霊感を持つ。霊を見つめることにより霊の生前に同調でき「重なる」ことができる。霊に無念の原因を探り、それにより問題の解決に寄与できる。
三橋 達也
冷静でしっかりしており寛容。凛子に対しては頼りなさを見せることが多い。物事に対する視野が広い。謙虚。凛子に好意を持っている。大事なものを守ることに関して、時に激情を見せることもある。
古武道に通じており、かなりの実力者だが、表面にはあまり出さない。
間延びしたような蝉の鳴き声が頭上に響く。「初夏」と言う言葉が虚しくなるような暑さの中、達也と凛子は、東京近郊のある地方都市で旧跡巡りを行っている。
大学に入学して半年が経ち、指導教員からレポート提出を求められた。「近代文学に描かれた東京近郊の風土と旧跡」をテーマに、現地のフィールドワークを通して、教科書的な知識と現実の姿を比較する、という意図があるようだ。
とにかく歩いて来いということらしい。
ならば、入学後にひょんなことから親しくなった、結城凛子を誘い、共同でフィールドワークをすることにした、という経緯だ。
しかし、暑い。つばの広い麦藁の帽子が良く似合っている凛子も、また汗を拭きつつ熱心に歩き、調べているが、そろそろ休憩を挟む必要があるだろう。達也は一軒の喫茶店に入ることを提案する。ピーク時を過ぎているせいか、外から覗く限り、店は空いているようだ。しかもまだランチの提供が行われている。凛子も同意した。
店に入ると、冷房の冷気が気持ち良い。達也も凛子も一息ついた。店の主人だろうか、年配の女性店員により、窓際の席に通され二人はランチを注文する。ビーフシチューがメインとなっておりサラダが付いている。そしてパンかご飯が選べるようだ。凛子が迷うことなくパンを選ぶ。パンが好きなのか、と聞くと、去年までパン屋でバイトに明け暮れていたと言う。大学に入ってバイトはもう辞めたのか、と聞いたが、ぼそりと「つぶれちゃったのよ」と答えた。なぜか深く聞いてはいけないようなので、そうなのか、とだけ言っておいた。
なので、と凛子は続ける。「パンが好きになったみたい」と。良くわからない理屈だ。
達也も付き合ってパンにする。達也はご飯派なのだが、東京で独り暮らしを始めて、ついついご飯を炊くのではなくパンで済ませることが多くなった。近所のスーパーで売れ残りのパンを纏めて買ったり値引きシールの貼られた食パンを買い込んで冷蔵庫にストックしておく、などは東京に来てから覚えたことだ。基本的に達也はお坊ちゃんなのだ。
食事を済ませて珈琲を飲みながら、見るとはなしに窓の外を見る。かつては賑やかな商店街だったかもしれない店の前の通りは、行き交う人がそれなりに居るとはいえ、開いている店はそれほど多くなさそうだ。そして目の前の建物も廃業して片づけをしているのだろうか、トラックが横付けして複数の人が忙しく入れ代わり立ち代わりしている。
「こもり寫眞館... か」
凛子が呟く。古びてさびた看板に古風な文字が読める。
「昭和の初め頃かしら... あの建物は。それとも大正かな」
そうかも、と達也も思う。趣のある建物で、漆喰が使われているのだろうか、古びながらも白さを保っている。個人的には「残したい」部類の建物に見える。だが、それは他人の勝手で無責任な見方なんだろう。建物は維持しなくてはならず維持するにはお金が必要だ。
二人が、旧「こもり寫眞館」に注目していることに気が付いたのだろう、水を注ぎに来た年配の女性が語り始めた。
「寫眞館の小森さん、半年前に亡くなられてねえ。お嫁さんがさっさと片づけてしまって。あの建物も壊してしまうんですって」
うん、聞いていない情報が伝わってきた。
「もともと折り合いが悪かったようでねえ、小森さん、時々ここで零してたわ」と、二人の座っている席を指す。
その時、やや太った中年の女性が大きな機材を持って出てきた。
「あれがお嫁さん。愛想悪いのよ」
年配の女性が言う。たぶんもう間違いないだろう、彼女はこの喫茶店の店主だ。しかも昔から住んでいる住人だ。新参者のお嫁さんに対して辛辣になるのもありがちかもしれない。
達也は視界の端で凛子と目配せする。珈琲を飲み干すと、二人して席を立った。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
達也がそう言うと、凛子も一緒に頭を下げた。店主は機嫌よく笑った。
二人が店を出た時、ちょうど件の女性、『愛想の悪いお嫁さん』と言われた女性が机を抱えて出てきたところだった。ぶつかりそうだったので凛子は軽く避けた。
その時、固定していなかった引き出しが一つ開いて、白い紙のようなものが落ちた。凛子はそれを拾った。
それはモノクロの印画紙に焼かれた写真だった。少女が微笑みを浮かべて写っている。
一瞬、その少女に気配を感じ、凛子はその視線を受けてしまった。
あっ、と思った時は遅かった。
凛子の世界が暗転した。
セミの鳴き声が響いている。夏だろうか、しかし凛子の知っている夏より少し涼しく感じる。
眼の焦点が合った時、凛子の前に初老の男性がカメラを三脚に載せて構えている。
白いワンピースに身を包んだ少女が、帽子の影で頬を染めていることが、重なる凛子にもわかる。
「おじちゃん、ほんとうに撮るの?」
カメラの向こうで、おじちゃんと呼ばれた男性は微笑んで頷く。
幼い頃から私を見守ってくれた寫眞館のおじちゃんが、今日だけは、私を見つめる写真家として、私を見ている。
風が髪を揺らす。石垣の苔が陽に透けるのが目に映る。
はにかみながらも、少女は満たされ、幸福感で溢れていた。
そして凛子の眼前がふたたび暗転する。
祭りばやしが遠くで聞こえる。近くで蟋蟀が鳴いている。
この場所は、以前、寫眞館の「おじちゃん」に写真を撮ってもらった場所だ。凛子が「重なる」彼女も同じように感じている。
そして凛子は、彼女の眼を通して、自分を抱きしめる若い男を見た。彼女の心は幸福感で満ちていた。
そして三度、凛子の世界が暗転する。
一瞬の間であったろう。凛子の手にはモノクロの写真がある。
咄嗟に、凛子は机を持った女性に
「落ちました」
と、言った。
その女性は、一瞥して「ゴミだから」と言った。
何か言おうとした凛子だったが、言葉が出ない。
その時、横から達也が言った。
「じゃ、貰っても良いですが」
女性は邪魔くさそうに頷いた。達也は礼を言って凛子から写真を受け取ると、鞄の中のファイルに挟み、その場を離れた。
少し歩いて凛子は聞いた。
「どうして貰ったの?」
達也は凛子を見て、
「なんかあっちの世界へ行ってたみたいだったから。必要なのかな、と思って」
と言った。凛子は鼻を鳴らした。
「よく見てるのね。なんか見透かされてるようで怖いわね」
そう言いながらも、本心ではないだろう。機嫌が良さそうな雰囲気が、なんとなく達也にはわかった。
「でもね」と、凛子が続ける。
「少し気になるからって、おせっかい焼いても仕方ないでしょ。相手はもういないんだから」
達也は困った顔になった。--そうだよな、なんだかんだで「やる」のは凛子だからなあ。僕は横で見てるだけだし。
そう思うと、咎められているような気になって、少し困ってしまったのだ。
その時、達也には、凛子がほんの少し笑ったような気がした。
そのまま、二人は目的地の一つである近くの城址へ向かった。戦国時代前期に建てられた城だが、戦国末期に廃城になったと言う。今、その城址は神社になっている。
「お守りでも授かっておく?」
社務所を見ながらそう聞く達也に、凛子は睨む。
「わたしに安産守りを持たせるの?」
確かに家内安全、金運成就もあるが、主たるものは、どうやら「安産祈願」のようだ。
--もう、黙っておこう。
達也は反省する。
しばらく周囲を観察し、写真を撮りながら散策を続ける。時に文豪と呼ばれた人の言葉を反芻しながら。
蝉がうるさく鳴いているなかで、やがて神社の裏手に回った。
古びた鳥居があり、その背景に城であった頃の名残の石垣が見える。
--おや、ここは...
達也がそう思った時、蝉が鳴きやんだ。
鞄の中のファイルから、先ほどの写真を取り出してみる。
凛子は、と言えば鳥居の横、石垣を背にして立ち、こちらを見つめる。少し微笑んでいる。
達也は写真を見ながら言った。
「ぴったりだ。この場所なんだ」
かつてこの場所で、一人の少女が写真に収まった。その写真が、今、この手にある。
不思議な巡りあわせに達也は震えた。
やがて、蝉がまた鳴き始めた。達也は写真を見ながら、凛子に問いかけた。
「この人は、何を言っていたの?」
凛子は首を振った。
「何も」と。
「ただひたすら幸せそうだったわ」
そして達也を促すと、鳥居の傍らに立たせた。
「言っておくけど、誤解しないでよ。変なことをしたら絶交だから」
そう言うと達也に密着する。面食らう達也に凛子は言う。
「そのまま背中に手を回して」
達也は凛子の背に手を回す。
一瞬の間をおいて凛子が飛び離れ、言う。
「うん、やっぱりなにも感じない」
「えっ?」達也は少しショックを受ける。
「あんたのことじゃないわよ」
凛子はぶっきらぼうに言うと少し顔を赤らめたようだ。そして、
「彼女のことよ」と言った。
「無念なんかこれっぽっちもない。なのに、どうして私を見つめたの?」凛子は考え込む。
そして達也に言った。
「その写真、もう一度見せて」
達也は写真を凛子に渡す。凛子は写真の少女を、今度は凛子の方から、はっきりと見つめた。
その時、達也の前で凛子がよろめいた。慌てて支え、木陰に運び凛子の様子を見る。
やがて凛子の眼の焦点が合い、そして少し不機嫌な様子になり、呟いた。
「なによそれ... よけいなお世話ってこと?」
なにかがわかったらしい。
少し離れた木陰にベンチがあったので、達也は凛子と、並んで腰を下ろした。
凛子は自分が少女と「重なり」彼女から、そして「別の人物」から知ることになったものを達也に語り始めた。
幼い少女の自宅は、その白い寫眞館の向かいにあった。少女はいつも窓から寫眞館を見ており、良く遊びに行っていた。
写真館の「おじちゃん」はお父さん、お母さんの友達だと言う。「おじちゃん」と「おじちゃんの奥さん」が一緒に来て、少女の家でみんなで食事を摂ることも良くあった。
学校へ行くようになると、毎朝、「おじちゃん」は、「いってらっしゃい、気を付けてね」と言って見送ってくれた。帰って来ると写真館の中からにっこり笑いながら手を振ってくれた。
その毎日の日課は少女が高校生になっても続いており、高校に入ってすぐに、少女の父が死んだ時も「おじちゃん」は、ずっと少女に寄り添ってくれていた。「大丈夫だよ」と言いながら。
「おじちゃん」はいつも少女を見守ってくれていた。
17歳になった時、「おじちゃん」は、急に写真を撮ろうと言い出した。
ずいぶん昔に少女は「おじちゃん」の寫眞館で、家族そろった写真を撮ったことがある。その写真は今も父親の位牌の傍らに飾ってある。だが、少女にとっては、自分だけを被写体にしてもらうのは今回が初めてだった。
よそ行きの白いワンピースを着て、そして白いつば広の帽子をかぶって、少女は近くの神社に行った。少女の母親も、一緒に歩きながら「嬉しいね」と少女に言っていた。
「おじちゃん、ほんとうに撮るの?」
カメラの向こうで、「おじちゃん」は微笑んで頷く。
寫眞館のおじちゃんが、今日だけは、私を見つめる写真家として、私を見ている。
なにやら恥ずかしくなって、少女ははにかんだ。
ただひたすらに、幸せだった。
撮ってもらった写真は、本当に自分なのかと思う、まさによそ行きの自分だった。
少女は恥ずかしくなり、まともにその写真を見ることができなかった。
だのに「おじちゃん」はその写真を、寫眞館の窓に飾ったのだ。
毎朝、家を出るたびに、少女の眼に、その写真が飛び込んで来る。少女は恥ずかしくて抗議したが、母親も喜んでいて「良いじゃないの」と笑うばかりだった。
やがて少女の前に、一人の青年が現れた。青年は少女に恋をしており、やがて少女がそれを受け入れたのは、秋祭りの夜のことだった。
少女はいつしか美しい娘になり、青年との結婚を控える。
そして娘は「おじちゃん」にお願いした。結婚の写真を、この寫眞館で撮って欲しい、と。
「おじちゃん」はとても喜び、言った。
--任せなさい。とびっきりの写真を撮ってあげよう。
そしてにやりと笑って付け加えた。
--そして窓に飾ってあげよう。今度は怒らないよな。
娘は苦笑するしかなかった。
明日、寫眞館に行く予定だった。娘は幸福感に満たされ少し浮かれていたのかもしれない。
横断歩道を渡りながら、よそ見をしながら走ってきた車が、近づいていたことに気が付いていなかったのだ。
「おじちゃん」は老人になっていた。
青年は良い青年だった。あの青年であれば、少女の未来は、遥かに幸せなものだったろう。老人には確信があったが、その未来は露と消えた。
ただただ、悲しかった。もう少しですべての幸福を手にすることができただろう少女の無念を思った。
老人はかつて撮った少女の写真を、窓の飾りから外した。
「あなただったのね」凛子が冷ややかに言った。
老人が俯き、少女の写真を手に涙を流している。
老人は写真をそっと机の引き出しにしまった。
「あなたがその写真に彼女を縛っている。気が付かないの?」
凛子は問いかけるが、その言葉は老人には届かない。
少女の幸福感が、写真の中に強く押し留められていた。
少女の幸福感に包まれながらも、老人の悔いが押し寄せる。その波のうねりに凛子は翻弄された。
その矛盾に凛子は歯噛みした。
「結局、写真の中に少女は押し留められていて、押し留めているのは『おじちゃん』が勝手に思い込んだ少女の『無念』、と言うことか」
達也が呟いた。「なんか入れ子になってる箱のようだな」
凛子も頷き言う。
「勝手に人の無念を設定して、本当はそんなものはないのに、あたかもあるように思い込んでしまう。思い込みで生み出した無念が相手を縛ってしまう」
溜息をついて、凛子は続けた。
「勝手な同情心が、人を縛ったの」
「耳が痛いな」と、達也は言った。
「僕も知らず知らずにやっているかもしれない。ああに違いない、こうに違いない、なんて可哀そうなんだ、と」
やがて凛子は立ち上がった。そして言う。
「どうしようもないわよ。二人とももう居ないのだし」「特に寫眞館の主人にコンタクトを取るすべがない」
--お手上げね
と肩をすぼめる。
達也は少し考え、おもむろに言った。
「この写真は、この場所で撮られたんだ」
凛子は達也を見つめた。達也は続ける。
「この神社にお願いしてお焚き上げをしてもらおう」
凛子も少し考えて、それくらいしか思いつかない、と同意しつつも言った。
「いつお焚き上げをしてもらえるのかわからないわよ。それに縁もゆかりもない私たちが、写真一枚持ってお願いしに行って、相手にされるかしら」
達也は立ち上がって、言う。
「その時はその時さ。僕の実家へ持って帰って知り合いの神社にお願いするよ」
凛子は呆れる「知り合いの神社って...」
達也はその言葉を最後まで聞かずに、社務所へ向かって歩き始めた。
社務所に座っていた若い神職の男性は、お焚き上げの相談を受け難色を示した。
「『納め箱』に入れておいていただくことになりますので、そちらへお願いできませんか。個別にはお受けしていませんので」
それはそうだが、それで良いのか。達也には、それだけではいけないような気がしていた。
--写真には二人の思いが閉じ込められている。幸福感と筋違いの無念が。少女の幸福感を、筋違いの無念から解放してあげるためには...
達也が逡巡していると、高齢の神職が通りかかった。
「どうしましたか?」
高齢の神職が声をかけた。若い神職が、
「宮司」と言い、「こちらの参拝者さんが...」
と、達也の持って来た写真を見せながら言いかけた。
宮司の眼が固まり、言った。
「この写真... 小森の寫眞館か」
達也も凛子も驚いた。
「ご存じなのですか?」二人が同時に聞く。
「ご存じも何も...」
宮司は言いかけ、達也と凛子を見つめて尋ねた。「これをどこで?」
達也は写真を手にした場面を説明した。
宮司は頷き、社務所の中にある控室へ二人を案内した。
成り行きに驚きながらも、達也は凛子に目配せをし、礼を述べて控室へ上がった。
驚いたことに宮司は、こもり寫眞館の主人の同級生だったという。今はなくなったが、堀の址でよく泳いでは叱られていたと、懐かしそうに笑っていた。
なので、寫眞館の向かいに住んでいた一家のことも良く知っており、特に少女のことは良く知っていたようだ。
「小森は子供が欲しかったんだが、結局子宝に恵まれなかったんだ。で、結局、遅くに男の子の養子を取ったんだが...」「大切に育ててはいたが、なかなか上手くは、いかなかったようでなあ」「息子も結婚して落ち着くかと思ったが、連れてきた嫁さんがなあ」
と、お茶をすすりながら、いろいろと話をしてくれた。どうやらあの「お嫁さん」は、この地域全体から厭われているのだろうか。
宮司は二人に茶菓子を勧めながら、そして話を戻して、それだけ子供が欲しかったこともあって、少女を我が子のように溺愛していたのだ、と笑った。
「この写真も、小森が頼みに来てなあ。『社殿の裏を貸してくれ、一世一代の写真を撮るんだ、あの子が将来、必ず幸せになるような写真を』と、言っておってなあ。それで場所を使わせたんだ」
「ちょうど、この娘さんの父親が亡くなって、まだ1年経ってなかったと思う。娘さんを励ましたかったんだろう」
そう言って少ししんみりした。
さて、こちらが話す番か、と思って達也は言葉を選びながら話をする。
オカルトが絡む話を、人はそうそう信じない。まして、自分が見知っている人にかかわる話なら、怒りに変わる可能性もある。
それゆえ、慎重に話を進める。
宮司はじっと目を瞑って聞いていた。
やがて宮司は目を開き、凛子を探るように見て言った。
「つまり、小森が勝手に思い込んで、逆にあの娘を縛っておると... そう言うことかな」
凛子は頷いた。そして言った。
「結果論ですが、彼女の幸せを願いながら、彼女の幸せを昇華できなくしているのです」
また、さらに続けて言う。
「『おじちゃん』の思う『無念』が、少女は、きっと『無念』だったろうと思う同情心が、いつしか写真の中に落とし込まれ、その思いが『真』になり、『真』として『写』してしまったと言えるかもしれません。存在しないストーリーで写真の中の少女の幸福な記憶を... あたかも『無念』が蓋をして閉じ込めてしまったかのように、してしまった、そう思います」
うむ、と大きく溜息をついて宮司は唸った。
「あの小森が、死してなお、そんな深い思いに囚われているとはな... あの娘を幸福にしてあげたいと言う『願い』、いや、『悲願』が、逆にその娘の幸福な感情を、写真の中に『縛って』しまうとは...」
そして、思い出すようにぽつりと呟く。
「しかし、それもあいつらしい」
達也は無言で宮司の次の言葉を待った。
「昔から思い込みが激しく、よくおせっかいを焼いておったわ」
そう言うと宮司は続けて言った。
「わかった。いますぐやろう。お二人も何かの縁だ。お付き合いくだされ」
そして宮司は立ち上がった。
達也も凛子驚いた。
ほどなく、先ほどの若い神職が来て、準備ができるまでここでお待ちくださいと言いながら、お茶を入れなおし、茶菓子を勧めてくれた。
凛子が早速手を伸ばした。「美味しい、これ」そう言った。
お焚き上げに案内される時には、茶菓子はすべて凛子の胃袋にしまわれていた。
--太らないのが不思議だよなあ
実際、甘いものが大好きで良く食べる凛子が、運動をしている姿は思い浮かばない。愛想が悪いだけでなく出不精でもあるのだ。
達也がそう思った時、何かを感じたのか凛子が達也を睨んだ。
--おっと危ない
達也は口に出さなかったことで自分を褒めた。
お焚き上げは時間をかけて行われた。驚いたことに、宮司も同じ写真を持っており、その写真も一緒にお焚き上げを行ったのだ。おそらく寫眞館の主が、場所を貸してくれた友人に焼き増しをして渡したのだろう。出来上がりに少しの自慢を込めて。凛子は後に言った。その写真には何の気配もなかったけれど、それでも一緒にお焚き上げしたのは良かったと思う、と。
宮司は丁寧にお焚き上げを行ってくれた。
神事が終わったのは夕方になる頃だった。二人は宮司に深くお礼を述べた。
初穂料については、持ち合わせがあまりなかったので、不足分は後日必ずお納めしますと、達也が言ったが宮司は笑って断る。
--旧友の不始末を正すのは私の役割だ、と。
二人は社務所を辞し、家路につくべく駅へ向かった。
駅への道すがら、二人は元寫眞館の前を通った。向かいの喫茶店を見て、少し感慨深くなる。
昼間、珈琲を飲みながら、寫眞館を眺めていた時のことを思い出す。
「まさかあそこが、あの少女が住んでいたところだったなんて」
少女もまた、同じように寫眞館の建物を、毎日眺めていたのだろう。
小さく呟いて、寫眞館の建物へ改めて目を向ける。
片付けの作業は終わったのだろう、ひっそりとしたガラス窓に、一瞬だけ少女のはにかむ笑顔の「寫眞」が見えた ...気がした。
しかしその時、達也と凛子の二人は同時に、確かに見た。
ガラス窓の向こうで、老人が静かに頭を下げ、そしてゆっくりと消えていったのを。
参考資料
中村雅俊歌唱「白い寫眞館」