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ROUND4・Versus! 前編

 リンドバーグ。

 相変わらず、休日のゲームセンターというものは活気に満ちており、客層が明らかにトライフォースとは違う。

 家族連れや子供の多いトライフォースとは違い、特にリンドバーグの対戦格闘ゲームフロアは見る顔が明らかに異なる。それどころか、満ちる熱気すら他の階より違う。

 ゲーム筐体がそこかしこにひしめいているので、当然どの階層も耳やかましい音で響いているのは共通。しかし、客の放つ熱は客層ごと色が変わるのだ。

 格闘ゲームフロアがスタジアムでスポーツ含む観戦に講じる集団だとするのならば、下層のアクション、シューティングフロアは囲碁や将棋の対局を見守る冷静さ、ストイックさすら覚える。

 アクション、シューティングは悠紀にはあまり馴染みのないジャンルだが、対戦の合間の休憩がてらに足を運ぶ事はある。

 特にシューティングゲームの超絶技巧の弾避けや、完全パターン化された自機の動きは見ていて気持ちがいい。 

 そして、4階である格闘ゲームフロアは明らかに熱気がある意味異質で。例えば自身の身体を奮い立たせてくれるような。大袈裟に言えば、この場にいる人間全てがライバルなのだ。

 ファンタジア・ヘブンだけでなく、他のゲームも人付きは良い。今日も対戦相手には困らなそうだ。ここがトライフォースとは違う点だ。

 全体的に温かい雰囲気で満ちているトライフォースに対し、ここはまるで強者の集う巣窟の様だ。

 悠紀は辺りをキョロキョロと見回す。すると、目的の人物はすぐに目についた。

 その人物も、悠紀を認めると人懐こそうな笑みを浮かべた。

「おう、悠紀」

 その女の子は、来るフロアを間違えているのでは、というくらいにおよそ小学生の様な幼い容姿。背丈は亜衣や若葉よりも小さい。

 ふわふわのアッシュブロンドに、それこそ小学生ファッションモデルの様な服装はこの場には似つかわしくなく、違和感しかない。知らない人間ならもれなく2度見する。

 だがリンドバーグ、特にこのフロアの常連ならばちょっとした有名人なので、周囲の客の反応は慣れたものだ。

 竜胆雨音(りんどうあまね)

 悠紀より、年はふたつ上の大学生だ。

 去年のウルティメット・ラウンドに置いて、共に闘った悠紀の元チームメイトのひとりである。

 注意事項として、雨音に対して決して見た目を指摘してはならない。

 雨音は身体的、容姿をイジられると熱を吐きながらも激怒する。その姿、悪鬼羅刹の如く。関係性が希薄な相手ならば尚更だ。

 その割に、服装は少女趣味の物を好む。ここがややこしく、言っている事と見た目が合っていないのだが、本人曰く、「持って生まれたものだから仕方がない。だったら最大限に利用するだけだ」とのこと。子供に見間違えられる事を嫌う一方で、その容姿を利用する厄介な性質を併せ持つ。

 最初若葉の噂を虎一から聞いた時、雨音の事が頭をよぎったのはそのためだ。だが、それが間違いだと気づく。

 雨音は見た目こそ幼いが、いいとこ小学生にしか見えない。普通の感覚だと中学生には見間違わないだろう、と。・・・本人の前では口が裂けても言えないが。

 雨音は、悠紀たちと出会う前からその姿にいい思いをしていなかったらしく、そんな相手に対抗するために、様々な習い事をしてきた。

 そこには親御さんの心配も含まれていたのだろう。へたすりゃ小さな身体は両手で抱えて持ち上げられる。恐ろしくてやろうとも思わないが。

 習い事は実践形式の格闘技と護身術が主で、それに関するエピソードも事欠かない。

 雨音の逆鱗に触れる暴言を吐いた同級生の股間(男子)を、ともすれば性別が変わりかねない致死量寸前の威力の正拳突きを叩き込んだと言う話を聞いてから、悠紀は雨音に口答えをする事をやめた。

 誤解を解くつもりで言うと、粗暴な面は見えるものの基本的には優しく、姉御肌の先輩である。

 実際、ウルティメット・ラウンドでは年上、先輩らしくリーダーとしてふたりの後輩を引っ張ってくれていた。

 ゲームの腕も、当然悠紀よりも上だ。

 メインキャラ含む、使っているキャラクターのランクはほぼほぼSSSクラスに落ち着いている。

 ファンタジア・ヘブンのランクは、大きく分けると下からF・E・D・C・B・A。そしてS・SS・SSSと分けられる。そして、ひとつの階級も1・2・3と分かれている。例えばF1より、E3の方が高い、と言った具合。これは細かい違いはあれど、ランクのあるゲームはだいたい方式は同じだ。

 ランクBに昇格するまではCPU戦、即ち1人用でも上げる事は出来るが、ランクAに上がるには対戦での勝利による専用ポイントが必要だ。さらにランクBまでは降格こそないが、ランクA以上では一定基数での敗北でランクが下がるペナルティもある。Aランク以上では常に降格のリスクを背に戦う事になり、悠紀も何度も苦渋を舐めてきた。猛者のひしめく現環境では、S以上を維持すら難しい世界だ。

「聞いたぞ、噂の無敗少女とやらに情けなくもボロボロに叩きのめされたようだな」

 ・・・虎一め、なんて言葉で伝聞したんだ。事実が捻じ曲がって伝わっている。

「い、いや。完璧に負けた訳じゃ」

 対戦内容を思い出し、悠紀は言葉をつぐんだ。2ラウンドを立て続けに取られたのは事実だからだ。

「はは。わかってる。大方アイツが大袈裟に言ったんだろ」

 腕を組みながら、雨音はカラカラと笑う。

 砕けた笑顔は、年の差の壁を感じさせない。豪快な気風も雨音の魅力だ。

 ゲームの腕も悠紀や虎一よりも上だが、それを笠に着る様な事もしない。  

 ウルティメット・ラウンドを目指しているのにも関わらず、あまり勝ち負けを気にしない性格には救われてきた。彼女のゲームに対するスタンスは、あくまで『楽しむ』事だからだ。

 プレッシャーが有ると無いとでは掛かる重圧が目に見えて違う。決勝まで勝ち進んだ3人が感じたのは、勝利への渇望よりも、『楽しさ』だった。

「それにしても、一体何者なんだろうな」

 雨音としても噂の少女、即ち若葉の事は気になるところなのだろう。特に、強さに関する部分については。

 雨音だって、常勝無敗な訳はない。その強さには幾重にも積み重ねた研鑽によるものだ。

「・・・どうした?悠紀」

 急に言葉数が少なくなり、表情を固く青ざめさせた悠紀を見て、雨音は半眼になる。

 ・・・さすがに察しが良い。いや、自分がわかり易すぎるからなのかも知れない。

 まるで獣並みの察知能力。その才能は、対戦で発揮させて欲しかった。

「お前、何か知ってるな?」

 雨音は目を細め、悠紀に詰め寄る。

 悠紀と雨音は若葉以上の背丈の差があるため、一見して全然迫力がない。  

 だが、小さな身体から放たれる威圧感は、この距離にまで近付いた者にしか分からないだろう。思わず無意識的に下腹部に力が入る。

 悠紀はすでに若葉と顔見知りになっただけでなく、それを雨音たちにまだ告げていなかった。

 それに昨夜。

 ウルティメット・ラウンドにチームを組んで出場の打診を受けた。

 悠紀は雨音、虎一と今年のウルティメット・ラウンドについて、まだ示し合わせた訳ではない。だが、悠紀は今年も去年と同じメンツで目指すつもりだった。

 あの日に置いてきた物を取りに行く、なんて格好つけるつもりは無いが、悔いがゼロかと言われればそうではない。

 今一歩優勝に手が届かなかったあの日。またこの3人で挑めて、決勝の檀上に立てたのなら、それこそ『楽しい』のではないのか。

 もちろん、そんな簡単な事ではないのは分かっている。だから、出来ればこの人の前では隠し事はなるべく無しで有るべきなのだ。それに、この人に隠し事をしていると後が怖い。・・・今がまさにその時なのだが。

 雨音は手近な空いている椅子を引っ張り出し、その上に立つ。そうすると、さすがに目線は悠紀と対等になる。ちなみに靴はちゃんと脱いでいるのであしからず。

 顔と顔がくっつきそうなくらいに近づく雨音の細めた目。さしずめ猫に睨まれたネズミか。

 悠紀は切れ味を宿す雨音の視線に観念し、若葉の事を説明。

 少女の名が桃原若葉と言う事。ファンタジア・ヘブンに対して相当の腕を持ち合わせている事。

「その女の名はどんな字を書くんだ」

 口で説明しようとすると、「連絡先を交換したのだろう」と悠紀はスマートフォンを半ば強引に開かされながら、登録した画面を見せようとする。

「あ!」

 雨音は何の躊躇いもなく悠紀からスマートフォンを奪い、画面をタッチ。

 慌てる悠紀を手で制しながらスマートフォンを意地悪く笑う雨音が耳に当てる。

 店員さん。この無礼な客、注意してくれ!

 そんな悠紀の内心とは裏腹に、電話は数コールの後、繋がった。

『覚悟、決まりましたぁ?とうとう私の魅力に陥落、ですかねぇ?』

「お前が桃原若葉か」

 電話口の向こうは、静寂。悠紀は雨音に引っ付き喉を潜め、静観の構え。  

 一見もの凄く怪しい体勢ではあるが、そんな事を気にしている場合では無い。

『・・・どなたですかぁ?知らない女に電話番号を教えたつもりは無いんですケド』

「随分頭の悪そうなしゃべり方をするメスガキだな」

 最悪のふたりが、電話越しとはいえ邂逅してしまった。悠紀は事の成り行きを黙って見守るしか出来ない。

「悠紀に聞いたぞ。最近噂になっている、強いJCのとやらの話を」

『そりゃ光栄ですケド、先に名前を名乗ってくださいませんかぁ?それと、お兄さんとはどんな関係でしょーか?』

 雨音は、悪い顔で小さく笑みをこぼす。

「竜胆雨音だ。梅津悠紀とは同じ学校の先輩後輩だった間柄で、チームメイト。そして、ただならぬ関係でもある」

 なんでそんなわざわざ誤解を招く様な言い方をするんだ!

 電話の向こうの若葉は、『ほほう・・・』と乾いた言葉を吐いてから、

『例えばどれほど深い関係か、ご享受願いたいですねぇ』

「そうさな、2人でお出かけも当然」

 お出かけ、って。

 環境を変えたり、対戦相手を求めて都内のゲーセンに繰り出しただけだ。さらに言うならそこには虎一も含まれる。ちなみに雨音ひとりだと高確率で補導されてしまう可能性があるからだ。  

 制服姿の警察官に、公務執行妨害ギリギリの暴れぶりで抗議の声を吠えた事もあったっけ。

『ちなみに私はお兄さんの性癖も知るくらいの親密具合ですケド』

 ・・・なんか、電話の向こうから対抗するような声がする。

「そんなもの、実妹が居るのにお兄さんと呼ばせる奴に今更驚くものかよ」

 良く分からんが、とにかく誤解だ。

『・・・思い出しました。去年のウルティメット・ラウンドで、準優勝したお兄さんと同じチームメイト、ですよね』

 昨年ネットで中継された決勝大会では、悠紀たちの姿も当然映った。年相応に見えない雨音に一分熱狂的な層が出来てたのを思い出す。

『今年は私とお兄さんが組む事にしました。いいですよね、お兄さんを貰っても』

「誰の許可があってそんな事をほざく。悠紀は私と決勝に行くのだ」

『そういう事に許可が要るんですかぁ?私と組めば、きっと優勝出来ますよ』

 普通の人間だったら、そんな事は軽々しく口にしない。どんなに強いゲーマーだろうと、何かのきっかけで瓦解する事もある。どんなに強いゲーマーだろうと負ける事はある。それは雨音でも例外ではなく、若葉もきっとそうだ。  

 チームプレイは、ひとりでは発揮できない力が顕現する事が多々ある。だが、1+1+1が3以上にならない時だってある。

「・・・いいだろう」

 ちょっと!

 抗議の声を上げかけた悠紀を、雨音の小さな掌が遮った。 

「ただし」と雨音は続ける。

 あ。また良くない事を考えている顔。

「今度の連休にリンドバーグでファンタジア・ヘブンでの大会がある。それで決めようではないか」

 スマートフォンの向こうで若葉は思案しているのか。僅かな逡巡。

『・・・いいでしょ。受けて立ちます』

「細かい条件は追って伝える」

 それだけ言って、雨音は通話を切った。そして、スマートフォンを悠紀に返す。

「ち、ちょっと先輩!何勝手に話を進めているんですか!」

 電話を切るまで、雨音が少なくとも同じチームでウルティメット・ラウンドを見据えていた事は嬉しかったが。だが、それと同時にチームが空中分解する危機的状況だ。虎一の意見も聞かずに。

「面白そうだから」

 雨音はまったく悪びれる様子も無く、にかっと子供の様な無邪気な笑顔を見せるのみだった。

 ちなみに今回の件を虎一に報告。奴は「あの人のやる事にまともに付き合ったら疲れるぞ?長いものには大人しく巻かれろ」だそうだ。

 ・・・深刻に考えているのは自分だけか?

 悠紀は不安と共に深い溜息を吐き出すのだった。


 ゴールデンウィークの初日にリンドバーグにて大会が開催される。トーナメントで、負ければ終わりの一発勝負。

 普段は月に数回。大会を開催する規模のゲーセンは、この周辺ではここのみなため、参加希望者は割と多い。

 連休には、各日それぞれ何かしらのタイトルが当てられる。

 ウルティメット・ラウンドの種目に内定しているファンタジア・ヘブン等はやはり人気だ。

 そして、連休初日はファンタジア・ヘブンでのシングルマッチ。

 若葉が悠紀のチームメイトへの引き抜きの条件を、雨音は悠紀を通じてメールにて伝えた。

 若葉の成績が雨音より高ければ、その時点で条件達成。もし、どこかで雨音が負ければ、去年の再現の頓挫は確定。それに加え、雨音が初戦で負けた時も、と加えて。

 若葉に有利な条件だ。逆に言えば、雨音も自信があるということ。少なくとも、一回戦で負ける事態には陥らないという確固たる自信。

 若葉からは了承の返信。「約束は守ってくださいよ」との追記と共に。

 どこまでが本気かという思いと、勝手に物事が進んでゆく事態の乖離に、正直悠紀はまだついて行けてない。ここまで話が進んでくると、現実味を帯びてきたのもまた事実だ。

 どうなるのやら、と感じる一方、何故自分なのかという戸惑い。

 勿論、若葉が悠紀に固執し、ウルティメット・ラウンドを目指そうなどと言う理由。目指す事自体は自由だ。だが、正直悠紀よりも強いプレイヤーはいくらでもいる。悠紀にこだわる理由は何一つ無い。

 去年のウルティメット・ラウンドを見たのが理由なら、それこそ雨音でもいいし、虎一も居た。何より悠紀たちに勝った対戦相手が居る。

 色々な事が起こりすぎて混乱する。

 ただひとつ分かっている事は、ファンタジア・ヘブンで相対するかは別として、現実で雨音と若葉が対面してしまうということだ。

 大会まで、あと一週間。


 悠紀と亜衣はふたり揃って夕食。

 母親は今日は遅番。作り置きしてくれていた食事を兄妹でテーブルに並べ、用意する。本当にありがたいと母に感謝。

 悠紀は本当に最低限の料理しかしない。こだわりが無い、と言うのが正しいか。一方の亜衣に関しては、格闘ゲームや両手別々の事をこなせる器用さを持ち合わせているのに、料理に対しては壊滅的だ。はっきりと不味いというタイプではなく、何かが足りない、未完成の物を食べている感覚。

 テレビの音が流れている中、手を合わせる。

 悠紀は話題を振るつもりで聞いてみた。

「若葉ちゃんの事なんだけどさ」

 随分仲良くなったようで、我が家には割と足を運ぶ。ただ、その際悠紀とは顔を合わせていない。どういう意図があるのか、彼女に対しての奇妙さと恐怖は健在だ。

 そもそもゲームが共通の趣味ならばもっと気が合いそうなものだが、若葉は悠紀の前以外ではゲームをやらない猫かぶりらしいし、亜衣もファンタジア・ヘブンをプレイするものの、家庭用オンリーだし、微妙に噛み合わない。

「何?お兄ぃ、若葉ちゃんの事、気になっているの?」

 ある意味ではそうなのだろうが、亜衣の中では違う意味で取られている事だろう。

「若葉ちゃんはゴールデンウィークに遊ぼうと思ってたんだけど、用事があるからごめんなさいって言われてさ。豪華に旅行とかかなあ」

 若葉がお嬢様とは聞いているが、多分リンドバーグでの大会があるからだろう。

 新しく友達になった若葉と親睦を深めたいと思っていたのなら悪い事をしたな、とは思う。だが、友達と遊ぶ事を断ってまでも成し遂げたい事が若葉にはあるのだろう。

「もしかして、お兄ぃと、で、デートとかじゃないよ」

 何故か顔を赤らめながら、両手に持つ食器と箸に力を込める亜衣。

 関係しているという意味では遠からず、なのだが、それをわざわざ言うまい。

 悠紀の無言を意味ありげと受け取ったのか、亜衣は明らかに動揺。

「わ、若葉ちゃんは生粋のお嬢様だし、庶民のお兄ぃじゃどうやって楽しませればいいかわからないだろうから、大変だと思うな〜」

 ゲームに関しても悠紀と通ずる部分はあるが、それも言わないでおこう。

 食事が終わった後も、亜衣はなぜか不機嫌モードだった。

 しかし、風呂上がりの髪の毛を乾かす役を悠紀に任せてくれるあたり、完全におかんむりな訳ではなさそうだ。

 翌朝の朝食時も、依然として亜衣は不機嫌なまま。朝の挨拶もそこそこに、亜衣は先に家を出ていってしまった。

 ウルティメット・ラウンドの事よりも、妹のご機嫌取りが一番難航しそうだ。そう思った朝だった。


 ゴールデンウィークは学生にとっては稼ぎ時だ。悠紀も例に漏れない。

 連休は全てトライフォースのバイトに当てている。本当は参加したかったが、今回の大会には不参加だ。その事を雨音に告げたら、「構わんぞ。今回お前は関係ないからな。せいぜいバイトに励め」とのこと。

 雨音が若葉に突き付けた条件は、決して簡単では無い。雨音だけでなく、リンドバーグで腕を鳴らす猛者がひしめく大会になるだろうからだ。そのもっとも硬い障害となるのが雨音自身だ。雨音不在なら、正直若葉は優勝候補に食い込むだろう。

 ただ、悠紀はまだ大会レベルでの状況下で若葉の動きを見ていない。あくまで悠紀と少し手合わせしただけだ。

それがどう転ぶか。もしや悠紀と対戦した時ですら、実力を出し切っていないとすれば・・・?

 悠紀、雨音、虎一のチームが分裂の危機に陥る可能性も無いとも限らない。

 雨音は今回の件を深刻に考えてはいないのだろうか。

 今まで腕を競い合い、研鑽し合った仲間が離れ離れになる。まさかの可能性として、仮に悠紀と若葉がチームメイトになったら3人目が空席になる。そこが果たして虎一になるのか雨音になるのか。それとも両者とも悠紀とは組まない事になるのか。どちらにせよ、今まで築き上げてきた連帯感も無くなってしまう。それを悠紀は危惧している。

「はあ」

 下駄箱で靴を履き替えつつも、悠紀は溜息。

 目下、悩みのタネは若葉ではあるが、それは大会が終わるまではどうにも出来ない。直近の悩みにスライドしたのが、妹の期限が良くない事だ。憂鬱も漏れ出る。

「朝から元気が無いみたいだけど」

 女子生徒の声が聞こえ、丁度同じ登校タイミングだったようで、横には同様に靴を履き替える桐緒がいた。

「お、おはよう」

 気配も無く現れたクラスメイトに少し驚くも、なんとか挨拶の言葉を投げかける。桐緒も小さい声で「おはよう」と返してくれた。

 最近色々な事があったからか、関係性の薄い桐緒に気持ちを吐露してしまうのは奇妙な感覚で。

「女の子をひとり、怒らせてしまいまして」

 当然、妹の亜衣の事である。怒っている、とは正確では無いのかも知れないが、機嫌が悪いのは確かだ。

 何か解決法が欲しかった訳では無い。心に詰まった気持ちを聞いてもらうでもない。吐き出したかっただけかも知れない。

 悠紀の言葉に、桐緒はクールな表情に眉ひとつ動かさず、口を開く。

「梅津君、彼女居たの?」

 とんでもないセリフが聞こえてきて、悠紀の頭が一気に覚醒した。

「違う違う、妹の話」

 そういや妹とは言ってなかったし、桐緒も悠紀の家族構成を知らないだろう。

 桐緒は急速に頬の色を真紅に染め上げながら、

「紛らわしい言い方はやめてもらえないかしら・・・!」

 そう言い残し、ひとりで先に歩きだしてしまった。

「・・・すみません」

 早足で遠ざかる靴底に、その謝罪が届く事は無かった。

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