ROUND2・HERE COMES A NEW CHALLENGER
明けて月曜日。悠紀は学校へと向かう。
週の初めはいつになっても慣れない。
2年1組が悠紀の教室。自分の席に着くと、眠気を追い出すように大きく伸びをする。
周りの席には数名のクラスメイトがゲーム雑誌を広げつつ、何やらスマートフォンの画面を見ながら話に花を咲かせている。
森田某というクラスメイトを中心とした、いわゆるオタクグループが楽しそうにワイワイと話を弾ませている。
悠紀もゲームは好きだが、アーケードがメインのため、広げている雑誌がコンシューマー中心の彼らとあまり接点は無い。悠紀も家庭用ゲーム機は所持しているが、それは格闘ゲームのために買った様なものだ。
ちらり、と悠紀が目を向けると、小さなスマートフォンの画面にはきらびやかな衣装に身を包んだ女の子の集団が歌ったり、踊ったりしていた。
会話の端々を拾ってみると、どうやらお気に入りのアイドルグループの話らしかった。
「おはよう、梅津くん」
悠紀の視線に気がついたのか、森田が挨拶するのと同時に、同士を見つけたような笑みを口元に浮かべる。
「・・・おう」
「やっぱり梅津くんも気になるよね、『えれくとりっがー』」
森田の言っている意味が分からず、悠紀は頭の中に疑問符を浮かべるのみだ。
「今年のウルティメット・ラウンドのアンバサダーに任命されて、話題じゃない」
生憎、悠紀はそっち方面に明るくない。ウルティメット・ラウンドのアンバサダーとやらがえれくとりっがーなるアイドルだとしても、悠紀には関係のない話だ。
ちなみに、悠紀が昨年のウルティメット・ラウンドに出場しているのは、ゲームに片足を突っ込んだ人間ならば周知の事実だ。
「・・・へえ」
「えれくとりっがーのメンバーのひとりがゲーム好きで、それが縁で今回の任命に繋がったとか」
さらに聞けば新進気鋭のえれくとりっがーなるアイドルグループは、それぞれが得意としている趣味嗜好があり、それを全面に打ち出しアピールしているらしい。
お菓子作りを得意とするメンバー。スポーツに特化していたり。そしてゲーム。
アイドルも大変だな、と悠紀はどこか感心するように聞いていた。
「もしまた決勝に行くなんてことがあれば、壇上で会えるかも!そしてお近づきになれたり!」
森田含む男子共は何やら奇声を上げ、歓喜。
「もちろん今年も目指しているんだよね、大会」
えれくとりっがーには興味はないが、そのつもりで腕を磨いているつもりだ。それが簡単な事ではないのも分かっている。
「ちょっと、どいてもらえるかしら」
会話を割るように、そんな声が投げかけられた。
グループの内の誰でもない。何故なら、それは女子の声だったからだ。
見ると、そこにはひとりの女子生徒が立っていた。
眼鏡の奥の瞳は、怒ってはいないのだろうが、明らかな不満の色を滲ませている。
「わ、悪い」
森田達は身体を震わせながら小さく謝罪。
その最たる原因は、彼女の席に続く導線まで森田のグループが侵食していあ事にであろう。
松田桐緒。
ノンフレームの眼鏡の奥。突き刺す様な視線が森田達を捉える。すると、さっきまで楽しい雑談に講じていた集団が一瞬にして言葉を失う。
好意的ではない。かといって敵意があるわけではない。例えるならば無に近い。
自分の席に座りたいから注意をした。あくまで事務的な色を桐緒の態度から感じられた。
半ば強制的に断ち切られた話題と共に、森田が自身の席に戻るのを残りのメンバーが続いた。
相変わらずの威圧感を感じる。まるで真面目を具現化させた様な女の子だ。
実際成績も優秀で、先生達からの評判も良い。
「・・・な、なんでしょうか」
悠紀が思わず声を上ずらせる原因。
桐緒が一時間目の授業の準備をしながら視線を横に滑らせて来たからだ。
「・・・随分と楽しそうにお話していたわね」
珍しい事もあったものだ。
悠紀は一年の時も、桐緒と同じクラスではあったが、記憶の中で彼女から話しかけて来た覚えはない。
「ファンタジア・ヘブンの話を少々」
悠紀はあえてゲームとは言わなかった。早々に興味を失うと思ったからだ。
更に言うのなら、桐緒はアニメや漫画、ましてやアイドルにも興味はなさそうなイメージだ。
案の定、桐緒は「そう」とだけ呟くと、桐緒は前を向き直してしまう。
悠紀は桐緒と言う女子生徒が苦手だった。
苦手と言うのは正確ではないのかも知れないが、何しろ一年の時もロクに話した事はなかったからだ。
何者をも寄せ付けない、ある意味潔癖の様な威圧感が彼女に苦手意識を抱く理由のひとつである。
ちらり、と横を盗み見ると、カバーの掛かった文庫本に目を落としているところだった。
なんて事はない。ただのきまぐれだ。悠紀は安堵の息を吐いた。
今日も、いつも通りの学校生活が始まる。
体育の授業は、訳あってマラソンという名の自習へと変更。この体育を乗り切れば昼休み。
生徒たちに課せられたのは、校庭の規定数の周回。明らかに周回数を少なく申告する奴もいるし、走るどころか歩きでこなす奴も出る。
悠紀はというと、真面目ぶるつもりではないが、しっかりとノルマをこなす。
ゲームをやっていると、運動なんて授業くらいでしかやることはない。部活にも入ってはいないし。こんな時くらいはちゃんとやろうと思うのだ。
「ふう・・・」
完走した悠紀は、ゴールを外れ達成感と共に呼吸を整える。
マラソンを終え、悠紀は木陰で一休み。
ノルマを終えていない生徒を含めた集団が何やら騒がしい。体育倉庫から数名が道具を持ち出している。バットやら野球のボールやら。
試合をするには頭数が明らかに少ないので、投げられた球をどこまで飛ばせるか、といったホームランダービー的な事をやるらしい。
野球部、そして運動部所属の連中はやはりやる気になっている。お互い負けてなるものか、という気概が見える。
ルールはスリーストライク制の一打席のみ。
ピッチャーは野球部の男子。短く髪を刈り込んだ、日焼けで浅黒い肌。次期エースの呼び声も高い。
カキンっ!
快音を響かせるのは、やはりスポーツに一家言ある人間が主。文化部、もしくは運動が苦手なクラスメイトは見物に徹している。悠紀もその内のひとりだ。
徐々にマラソンを走り終えた組や、逆に不真面目な徒歩組など見物人が増えてくる。そうなると観客の目が気になるのか、奮起する気持ちと反比例するように快音の数が明らかに少なくなる。
「おい。次、梅津な」
どうやらピッチャーはクラス男子全員を打ち取るつもりらしい。
明らかに野球に向いていない森田なんて、バットが虚しく空を切っている。
バッテリーであるキャッチャーがスポーツマンらしい笑顔で悠紀を指名する。
・・・野球なんてゲームでもやったことはない。小学生の頃はそれっぽい事もしていたのだろうが、深い部分になると怪しい。
悠紀は整えた息を吐き出し、立ち上がる。地面に転がるヘルメットてバットを手に、見様見真似でバッターボックスへ。ここで自分が左バッターだと判明したり、新鮮な気分だ。
ピッチャーはアウトの数を増やそうとほくそ笑む。野球に関して言えば、悠紀は全くの素人。カモにでも見えている事だろう。
初球。
ピッチャーが投球フォームに入る。ゆっくり、振りかぶり、投げる。
轟音が風を切り裂き、一筋の線となる。
キャッチャーミットが良い音を放ち、白球をその中に収めている。
悠紀はと言えば、ボールの行方を黙って見ているだけだった。
・・・うーん。思っていたより速いな。
キャッチャーがマウンドに向かって返球。
よほど自分の球に自信があるのか、ピッチャーはニヤリと口元を歪めて笑って見せる。
2球目。
悠紀はバットを構える。それに倣うようにピッチャーが動く。
振りかぶり、投げる。
空中で高速回転する球は、再び吸い込まれるようにキャッチャーミットに収まった。今度の弾道はややカーブを描く。
悠紀はそれを豪快に空振り。
ツーストライク。これで悠紀には後がなくなった。
キャッチャーから返されたボールに、ピッチャーはご満悦。
そんな状況に置いてなお、悠紀は冷静さを崩さない。
野球部のエースの渾身の一球を打ち取るために神経を研ぎ澄ます・・・、とは思っておらず、場違いな事を考えていた。
・・・どこかで同じ様な状況に遭っていたような?
気が逸ったのか、3球目はボール。
なるほど。
悠紀がどこかで感じた既視感。
飛んできたボールをタイミング良く弾き返す行為。
悠紀の脳裏に閃くそれ。
ファンタジア・ヘブンに置いて、相手の攻撃をタイミング良くガードする特殊行動。
ファストガードと呼ばれるそれは、自キャラのガード硬直を軽減し、必殺技ガード時の削りを無効化しつつ、EXPゲージの増加を図れる。
さしずめ、今の状況は遠距離から飛び道具を放たれ、それをファストガードする図、か。
何でもゲームに例えてしまう。そんな自分に辟易する。
だが、これはチャンスだ。
遠距離からの飛び道具のファストガードなど、訳はない。
・・・狙ってみるか。
悠紀はバットを構える。
4球目。
ピッチャーが腰を捻る。それと連動するように全身が回転し、指先からボールが離れる。
会心の一球が唸りを上げる。
まるで進むべき道が見えているかのように、真っ直ぐと。速く、鋭い。
だが、正確無比な攻撃ほど、捉えるのは容易い。
見慣れた剣先から放たれる雷鳴の一撃を弾くように、悠紀は思い切りバットを振り抜いた。
バットの側面を、何かの力が伝うのを感じる。
次の瞬間には、白いボールは大きい放物線を描いて、グラウンドの向こうへと消えていった。
周囲から歓声が上がる。ピッチャーも打たれた球の行方を目で追っていた。
一番驚いていたのは悠紀本人で。
「・・・マジかよ」
傍らでは、キャッチャー役の野球部員が同じ様にボールが消えた方向へと呆けた視線を向けていたのだった。
「やるね、梅津君」
横から声をかけられそちらを向くと、クラスの中でも爽やかグループの男が話しかけてきた。さらりとした髪を靡かせ、いかにもスポーツマンといった風貌。マラソンも早い段階で走り終えていた。
「見てたよ。クラスでもぶっちぎりのホームラン」
優勝者は満場一致で悠紀の手に。野球部バッテリーは心底悔しそうにしていたが。
まさか飛び道具を直前ガードされる感覚で打たれちゃ、野球部員もたまったものではないだろう。
「いや、ほんと、たまたまだ」
カッコつけたつもりはないが、あれをもう一度やれと言われたら怪しい。よくよく考えたら野球ボールと飛び道具は違う。飛び道具はカーブを描いたり直前で急落したりしない。・・・改造基盤かよ。
「ピッチャーも連投で疲れていたんじゃないのか」
マラソンもやってたし。
「それで部活に入っていないのは驚きだな」
聞けば彼はサッカー部らしい。
「どこか部に入るつもりはないのか?」
どんな意図があるのか、彼は輝かせた目で悠紀を見る。
「・・・悪い。俺はどこの部にも入るつもりは無いんだ」
「そうか、残念だ」
残念がってくれるのはありがたいが、期待には応えられそうにはない。
部活に入ったらバイトの時間が減る。それに伴い軍資金が減ることによりゲームに割く時間もなくなるわけで。
明確な目標がある今、それは勘弁してもらいたい。
自分の事を評価してくれるのは素直に嬉しかったけど。
放課後。
トライフォースにバイトに向かうと、店内には客の入りはチラホラ。ビデオゲームの筐体にも人が付いている。
「こんにちは〜、悠紀くん」
悠紀の姿を見つけた舞麗は、嬉しそうに大輪の笑顔の花を咲かせる。
挨拶もそこそこに、カウンターの奥の扉を開け、事務室へ。
更に奥に三つ並ぶロッカーの内、一番左側を悠紀が使わせてもらっている。
学校からそのまま来たので、カバンと入れ替わりでエプロンを取り出す。
鏡の前で軽く身だしなみを整え、事務室を出る。
「悠紀くぅ〜ん!」
遠くで舞麗の泣きそうな声が聞こえる。
何事かと近づいてみると、そこにはがちゃがちゃと鍵の束と格闘する舞麗の姿が。
クレーンゲームの取り出し口に景品のぬいぐるみが引っかかったらしく、舞麗がその応対をしていたようだ。しかし、ガラス戸の鍵が見つからないようで、舞麗の手の中で鍵の束が虚しく踊っているのみだ。
そんな店長に悠紀は苦笑しつつ、鍵束を引き取り、中から目的の鍵を見つけ出す。
お客さんも苦笑いを浮かべる中、悠紀はガラス戸を開け、ぬいぐるみを救出。
お客さんは嬉しそうに去って行った。
「ごめんね。どんくさくて〜」
申し訳無さそうに舞麗がうつむく。
優しさと慈愛で満ちた彼女だが、本人のおっとり具合も相まって、急かされるような状況が苦手らしい。
「しょうがないですよ。鍵の量も多いですし」
日常生活を送っていたら、普通は持ち得ない量だ。悠紀は早々に鍵を覚えたのは言わないでおこう。
「やぎちゃんにも迷惑かけているし、しっかりしないと」
やぎちゃんとは、悠紀と入れ替わりに入っているバイトの人らしい。ちなみに悠紀はその姿をまだ見たことはない。
この間買い物帰りにトライフォースに寄った時も、外から見た限りではその姿が見えなかった。・・・舞麗にしか見えない幻ではない、よな。
バイトの身分で出来る仕事は掃除、清掃。先程の様なお客さんの応対。
特に掃除清掃はまず最初に教わった大切な仕事だ。良い店舗は綺麗な店内から。
一通りの定期の掃除を終え、カウンターに戻ってくると、
「あ」
と、舞麗が小さな声を漏らす。
声と共に、視線はビデオゲームコーナーに向けられる。悠紀も釣られてそちらに目をやる。
そこにはひとりの少女の姿があった。
年は中学生くらい。
なぜそう思ったかと言えば、その少女は亜衣と同じ学校の制服を身に纏っていたからだ。
悠紀は直感的に、虎一との話を思い出す。この辺りに出没する凄腕女子中学生ゲーマーの噂。無論、その少女が件の人物である確証は何も無い。
「あの子、この間も来ていたなぁ」
と、舞麗。
「すっごく可愛かったから、覚えているんだ〜」
後姿からは伺い知れないが、黒く艷やかな髪を肩口で切りそろえている。
その少女は、キョロキョロと周囲を見回している。何かやりたいゲームを探している、という要するにでもなさそうだ。なぜなら、その視線はゲームの画面を見ていなかったからだ。
くるり、と少女の首が動き、横顔があらわになる。
・・・なるほど。
整った顔立ち。大きなふたつの瞳。醸し出すは清楚な佇まい。お嬢さま、という表現がよく似合う。
少なくとも、ゲームセンターという場所は楽しい世界と思っている。だが、その少女はなぜか顔に不満を滲ませるように眉根を寄せている。
何か不備とか、不満があっただろうか。だとしたら、由々しき事だ。
少女の瞳が動き、悠紀を捉えた。
その瞬間、少女は破顔し、一秒前まで不快な顔をしていたのが嘘の様に笑顔を見せた。
そして、少女は口を開く。
「見つけた!」
言いながらカウンターへと駆け寄ってくる。
「『U2』さんですよね!」
と、少女は悠紀に向かって信じられない言葉を発した。悠紀は当然の事なが、目の前の少女に見覚えは無い。完全にはじめましての相手だ。
ちなみに『U2』とは、悠紀のゲームをプレイするにあたってのプレイヤーネームである。
由来は名字と名前の頭文字が同じでU2。名前はYなので完全に間違っているが、学のない子供の頃に決めた名前だ。
しかし、語感が良いので直さずにそのままで使っている。その恥ずかしい理由は誰にも話した事はない。
「えーと・・・」
ともかく、少女の態度に戸惑っているのは確かだ。
「お知り合い?」
隣で舞麗が不思議そうな顔。悠紀は当然首を横に振る。
少女は悠紀のプレイヤーネームを知っている。それを知る手段は限られ、かつ、業界に足を突っ込んでいないと知り得ない。
「申し遅れました。私、桃原若葉と申します」
若葉、と名乗った少女は、丁寧に腰を折ってお辞儀。この少女に感じたお嬢様然とした佇まいはあながち間違いではなさそうだ。
名前を耳にしても、亜衣から聞いた事も無い。
「昨年のウルティメット・ラウンド、拝見しましたっ!私もファンタジア・ヘブンをプレイしていて!」
言葉を弾ませて、若葉は憧憬にも似た表情で、頭ひとつほど高い悠紀を見上げている。
それで合点がいった。
確かに、昨年のウルティメット・ラウンド。ファンタジア・ヘブンでの3on3で、悠紀は決勝の舞台に立った。
その模様はネットでの配信もあったので、それを見たのだろう。
悠紀のプレイヤーネームといい、ウルティメット・ラウンドを知っている事といい、噂が真実味を帯びてくる。
「あの、突然でぶしつけかも知れませんが、私と対戦していただく事はできませんか?」
何か、憧れのヒーローを目の前にしたかの様な表情。
・・・奇特な人間もいたものだ。
ただ、最初に若葉から聞こえた言葉。見つけた、というのは、何かを探すような視線も含め、それが自意識過剰でなければ、悠紀を探していたから、なのだろうか。
トッププレイヤー相手ならわかる。それに、去年のウルティメット・ラウンドで、悠紀は別に優勝したわけでもない。
最終決戦にまでは辿り着けたが、勝ちを得る事は出来なかった。
それに、前提として今はバイト中だ。仕事をほっぽり出して遊ぶわけにはいかない。
「いいよ〜。わざわざ悠紀くんに会いに来たんでしょう?一緒に遊んであげなよ」
助け舟を出したのは舞麗だ。
「わたしも鼻が高いよ〜」と、何故か舞麗は大きな胸を張る。
舞麗にはウルティメット・ラウンド出場に関して随分と助けてもらい、バイトも都合してもらった。本当に頭が上がらない。だだ、何の大会で何が行われているのかは良く分かってないようで。ゲームセンター店員でも、ゲームに詳しいとは限らないのだ。
せっかくの好意だ。お言葉に甘えさせてもらう。何より、悠紀は目の前の少女が噂のゲーマーである事を確かめたかった。
「ちょっと待ってて」
流石にこの格好のままではまずいだろう。エプロンを脱ぎ、それを戻すため事務室へと戻る
その時、若葉の目が不敵な光を灯し、猫の様な舌なめずりをした事に悠紀は気づいていなかった。
トライフォースの奥スペースはビデオゲームコーナーだ。幸いにもファンタジア・ヘブンの筐体には人が付いていなかった。
「どっちの席がいいかな」
人によって1P2Pに好みはある。CPU戦オンリーだと陥る偏り癖。悠紀はどちらにも対応できる。というより、対戦するようになると気にならなくなるというのが正しいか。
「どちらでも結構です!U2さんと対戦できるなら!」
その熱量に悠紀は少し困惑気味。そんな感情を向けられる理由がわからない。それこそ優勝チーム相手ならわかる。去年の優勝チームには、予選から無敗のプレイヤーがいた訳だし。事実、悠紀は決勝戦、最終戦で彼に負けている。
「じゃあ、俺は2Pサイドで」
まあ、この選択が無難だろう。1Pサイドで困る人間はシューティングゲーマー以外ではまずいない。
「はい!」と、若葉は嬉しそうに悠紀とは反対の筐体へと座る。
悠紀はカードをリーダーに載せ、スタートボタンを押す。
プレイヤーセレクト画面に移行。画面にはふたつのカーソルが現れる。
悠紀の持ちキャラは、当然朧丸だ。
それよりも、興味は若葉のカーソルの行く末だ。
プレイヤーセレクト画面では、カード使用した場合、戦績が表示される。
若葉のプレイヤーネームは『NONAME』。その他のデータも非表示。つまり、カードは不使用。
悠紀が若葉に感じた手練れの気配は気のせいだったのだろうか。初心者の可能性が出てきた。
そして、選択したキャラは悠紀と同じ、朧丸。
あり得ない事だし、考えたくもないが、若葉は悠紀に憧れの念を抱いていて、本当に対戦をしてみたかっただけ・・・?
画面が切り替わり、ふたりの侍が向かいあい、刀を構える。
『ラウンド1』
うーん。どうすればいいのだろう。悠紀はレバーを握る。
適当にお茶を濁して終わるべきか。
『ファイト』
開戦の合図が告げられた。
悠紀の開幕はバックステップ。初見の相手には様子見。
だが、その甘ったるい考えと、軽率な行動が間違いであると思い知らされた。
若葉の一手目。
突進技の『五月雨』が悠紀の朧丸に刺さり、引っかかる。緩やかな放物線を描きながら、悠紀の朧丸がダウン。
最速じゃない。バクチでも適当でも無い。開幕から僅かの間をおいてから放たれた。悠紀のバックステップを確認してから撃った・・・!?
その真偽を確かめる間もなく、若葉の攻めは継続する。吹き飛んだ悠紀を若葉がダッシュで追いかける。
起き上がる悠紀に、若葉はしゃがみ状態で下段のしゃがみ弱キックを重ねてくる。
・・・ちゃんと起き攻めの概念もある。確実に、普通のゲーマーではない。
悠紀は直感的に投げ抜けを入力。案の定、若葉の選択は攻撃をガードさせて、投げに移行させる俗に言う当て投げ。
悠紀の朧丸は、若葉の朧丸をエフェクトを挟んで弾き返す。
当て投げは、細かい通常技を刻んでフリを厚くしてから狙うのが定石だが、初手の選択としてはなかなか胆力のある行動だ。人によっては嫌がられる行動でもある。ただ、これだけで勝負を分ける攻めではない。おそらく、こちらの実力を推し量るためか。
だが、投げ抜けも折り込み済みなのか、若葉は最速の中ジャンプで接近。
ジャンプ攻撃はしゃがみガード出来ないので、悠紀はそれを冷静に立ちガード。しかし、タイミングをずらしたしゃがみ弱キックが入ってしまう。
下段の弱キック、立ち強キックと連続で繋げ、振りかぶる刀での一撃を見舞う。
『スタイリッシュモーション』からの『ヘビーアタック』も当然の如く標準装備。
スタイリッシュモーションは通常技による連続技システムで、弱攻撃から強攻撃へと間断なく繋げられる。ただし、武器攻撃は武器攻撃のみ、キックからはキックのみという制限がある。
対するヘビーアタックは、強武器攻撃と強キックを同時押しすることで発動する弱攻撃、強攻撃に次ぐ技だ。同様に立ち、しゃがみ、ジャンプ各状態で出せ、ガード時に入力する事でゲージを消費して劣勢から反撃に転じるガードキャンセル技としても出せる。その際は、極端にダメージが減る。あくまで緊急回避、仕切り直すための行動だ。
スタイリッシュモーションで立ちヘビーアタックまで繋いだ若葉は、更に連続技を展開させる。
若葉の朧丸が青白く発光し、MAX版『月閃』。
各必殺技は、EXPゲージを消費し、MAX版とカテゴライズされる技へパワーアップできる。
通常、月閃は連続入力タイプの必殺技で、MAX版は最終段が追撃判定を残したまま打ち上げる。当然、宙に浮く相手に攻撃を入れる事が可能だ。
MAX版月閃をフルヒットでもらい、悠紀の朧丸が空中を泳ぐ。ここに若葉はさも当たり前の様にジャンプ弱武器で追撃。
目先のダメージに囚われる事なく、ダブルアップを狙って来た!
ふたりの朧丸がほぼ同時に着地。自身の前後が一瞬分からなくなり、正ガードしたところに背後からのしゃがみ弱キックが刺さる。
逆ガード!
ガードの揺さぶりも上手い。当たり前の様にスタイリッシュモーションに繋ぎ、連続技へ。
程なくして、悠紀の体力はゼロ。1ラウンドを落とす。
若葉の動きはまるで洗練された戦士のよう。連続技もミスらないし、立ち回りも絵に描いたお手本の様に正確無比。
上手い、だけでなく、技巧的な上手さが上乗せされている感じがする。
トライフォースのファンタジア・ヘブンも3本設定。悠紀はさっそく1本を取られる。
2ラウンド目も似たような試合展開だった。
悠紀の安易な飛び込みも、しゃがみ強武器攻撃で迎撃。そして、こちらの投げも確実に投げ抜け。どれだけ目が良いんだ。
自分の状態を把握し、連続技はミスらず最大ダメージを奪ってくる。
悠紀はどこかで若葉という少女を軽視していたのかもしれない。
女の子だから、中学生だから。
愚かだ。
年齢も、性別も、ゲームという舞台の上ではなんの意味をなさないのを、自分は知っているはずなのに。
『KO』
連続技をハイブリッドアーツで締めくくった若葉の朧丸が勝ちポーズを決める。
2本目も若葉の手に渡った。これで勝利に王手。悠紀は後が無くなった。
悠紀は己の甘い考えを思考の彼方に押しのける。代わりに沸き立つのは、久しく感じなかった強者の威圧感。
幸いにも、悠紀の環境は恵まれている。
生活圏内にゲームセンターがあり、対戦相手には困らない状況下にある。腕を競い合う友人たちもいる。
しかし、これほどまでの相手は久しくない。
単純に強いだけじゃない。
自分の攻めを上を行く捌く力。読みの上を行く対応力。
紛れもない強敵だ。
悠紀はレバーを握る手に力を込める。物理的だけでなく、胸の中で熱くなる闘争心という熱さに火を焚べる。
と、その時。
「なぁんだ。こんなものですか、がっかり」
聞いた声色なのに、まるで口調の違う声が筐体の向こう側から飛んでくる。
次のラウンドが始まるというのに、若葉は椅子から立ち上がり、悠紀の元へと近づいてくる。
何だ?と悠紀が思うよりも早く若葉が口を開く。
「ウルティメット・ラウンドの準優勝者だからって期待していたんですケド」
数分前まで、憧れど期待に満ちていた瞳はするりと輝きを零したかのように冷徹なものへと変化していた。
「全ッ然、大した事ないし、よわよわですねぇ」
今までの清楚なお嬢様な姿はどこへやら。若葉は心底つまらなそうなため息を吐き、何が起きたのかわからず椅子に座ったままの悠紀を憐れんだ目で見る。
・・・この子は本当にさっきまでの桃原若葉か?向こうに座った時に別人に入れ替わったと言われた方がまだ納得できる。
「こんなんじゃ、ウルティメット・ラウンドのレベルもたかが知れてますねぇ」
若葉は、自身の髪の毛を指で軽く梳き、言った。
「・・・君は、誰だ?」
まだ戸惑いが残る悠紀が、かろうじて聞く。
「桃原若葉、ですよ?貴方に憧れている。・・・いや、もう『いた』になるんですかねぇ」
いたずらっ子のように、口を三日月に曲げてクスクス、と意地の悪い笑み。
「猫を被っていたのか」
悠紀の問に、若葉は額に指を当て、
「どちらかというと、こっちがホントの私です。口は災いの元って言うじゃないですか。私、これでも結構苦労しているんです」
眉根を寄せ、肩を竦める。
「・・・ホントあのキャラ面倒くさいんですよぉ」
と、若葉は嘆息。
画面の中では、ステージのBGMが流れる中、まったく動かないふたりの朧丸が残るのみ。
「お兄さんの持ちキャラ、朧丸ですよねぇ」
確かに、朧丸は今まで苦楽を共にした相棒だ。
「・・・私の持ちキャラ、朧丸じゃないですから」
若葉の言葉に、悠紀は戦慄した。あれでメインキャラじゃないってのか。
「ま、それなりに楽しかったですよ?・・・もう会うこともないと思いますが」
生意気な面を崩さず、若葉は筐体から離れる。
だが、ほんの少しだけ寂しさを含ませていたように見えたのは、悠紀の気のせいだろうか。
カウンターの舞麗に、対戦前のキャラへと戻り、お嬢様の立ち振る舞いでお辞儀をする若葉に、悠紀は何処か遠く世界にいる感覚を覚えたのだった。
バイトから帰宅後、悠紀はひとり遅めの夕食。
今日のトライフォースでの出来事が頭から離れない。
清楚から小生意気にも程がある性格に、二重人格の如くメタモルフォーゼした若葉。彼女の言葉が信じるのならば、そちらが本当の自分という。
「・・・お兄ぃ?」
傍らでテレビの音をBGMに、スマートフォンを見ていた亜衣が、不思議そうに悠紀の顔を覗き込んできた。
「ん?な、何だ」
「お箸止まっているから、どうしたのかな、って」
悠紀は「い、いや。何でもない」と、冷静に努めて答えるので精一杯だった。まさか、頭の中が亜衣と年の変わらない女の子で満たされている、だなんて口が裂けても言えるまい。
「それより、亜衣は何だかご機嫌だな」
いつもより心なしか笑顔の多い妹に、話を逸らす意味で振ってみる。
普段は暗い、という事ではなく、何となくそう思うのだ。
「今日、私のクラスに転校生が来たんだ。お人形さんみたいですごく可愛くて!」
ほう。転校生ね。
嬉しそうに話す亜衣を横目に、味噌汁を一口。
「あ、写真見る?撮らせてもらったんだー」
亜衣は笑顔でスマートフォンを操作。
「はい。この子だよ」
差し出された画面を見た悠紀は、思わず口の中の物を吹き出しそうになった。
ディスプレイに映し出されていたのは、まごうことなき先程トライフォースで出会った少女だったからだ。
「どうしたの?お兄ぃ」
亜衣の不審な表情に、悠紀は何でもない、と手を振る。
はにかんだ、緊張の残る笑顔で長方形の画面に収まる少女は、生意気な雰囲気は微塵も感じさせない。そもそもあんな性格の少女は最初からいなかったと錯覚してしまう。
「桃原若葉ちゃんって言うんだ」
それはもう、知っている。
「仲良くなれるといいなぁ」
輝かせた顔を上気させ、希望に満ちた亜衣の言葉を悠紀はどこか上の空で聞いていたのだった。
『なるほど。お前が負けたとなると、噂通りの手練れみたいだな』
電話口の向こうで、虎一が驚嘆を含んだ声で感心している。厳密には完全に決着がついたわけではない、と負け惜しみめいた思いが悠紀にはある。
その夜、悠紀は虎一に噂の張本人と戦った事を報告。
『何が目的なんだ、その娘』
ただ、憧れの悠紀に対戦してもらういじらしい少女、ということではないだろう。
『ウルティメット・ラウンド絡みだったら、大変なことになるかもな』
悠紀に接触した理由も、悠紀の力を測るため・・・?
リンドバーグは、今年もウルティメット・ラウンドの予選が行われる店舗だ。 その一枠を争う事になったら、若葉は悠紀たちの最大の敵になるに違いない。
「噂の女の子の事を、先輩は知っているのか?」
『わからん。耳ざといあの人の事だ。まったく知らない訳じゃなさそうだが』
悠紀はかつてのチームメイトを思い浮かべる。
『先輩には俺がそれとなく聞いておこうか』
「そうだな。・・・頼む」
未だ混乱の残る頭では、うまく考えをまとめられる自身がない。
電話を切った後も、悠紀の頭から若葉という少女が離れないでいた。