ROUND15・開戦前夜
若葉父は席を立ち、リビングを後にした。その背中は大きくも、どこか寂しそうだ。
「あなた、凄いのね。まさかあのお父さんが許すなんて思わなかったわ」
若葉母に驚嘆されつつ、お茶菓子と新しい紅茶も勧められる。
「あのパパ・・・、お父さん相手に良くビビらずに立ち向かえましたねぇ。その神経の図太さは尊敬に値しますよ」
どうやら、若葉は母親の前では本当の自分を見せられるようだ。娘に厳しいのは父親だけ、らしい。
「あ」
そう言えば、と悠紀は思い出す。
「あの、お弁当美味しかったです」
海に若葉と出かけた時食べた弁当。母親と一緒に作ったと言っていた。
「あらあら。わざわざご丁寧に。どうだった?」
「美味しかったです」
ふふー。と若葉母は嬉しそうに顔を真っ赤にさせている娘に意味ありげな視線を送っていた、。
「ママ!」
それを鬱陶しそうに怒りの表情に染める若葉。どうやら普段はパパママ呼びなのだろう、今はそれを突くことはあるまい。
悠紀は手作りのお菓子と新たなお茶も頂きながら、ひとときのティータイムを堪能した。
そんな安らぎの時間のなか、ふと部屋の時計に視線が向き、悠紀はソファから腰を浮かしながら言う。
「あ、そろそろ御暇します。長居してしまって」
「いえいえ。いつでも遊びに来てね。今度はお父さんのいない時にでも」
そう言って、若葉は母は柔和な笑みを浮かべた。
「私、そこまで送ってくるね」
そんな娘の言葉に、若葉母は嬉しそうに頷いたのだった。
廊下を行く際、傍らの部屋が少し空いている。うら寂しそうな背中を見せるのは、若葉父だ。
「・・・あの、お邪魔しました」
悠紀がそう声を掛けると、大柄な背中が反応する。横顔から見える目だけが悠紀を見る。
もう一度だけ会釈をして去ろうとした時、
「梅津君」
そう呼ぶ声が聞こえた。
思わず若葉と顔を見合わせる。
悠紀のみが部屋に入るよう促され、若葉父の部屋に足をお邪魔させてもらう。
そこは、所謂書斎のような。決して漫画だけで埋まっているだけの悠紀や亜衣の本棚のようではない。難しそうなハードカバーや、辞書など。整理整頓された背表紙が本棚に並ぶ。それだけで、若葉父がいかに真面目な人間かを伺い知れる。
若葉父は、悠紀に目を合わせることなく。
「どうなんだ」
と、だけつぶやく。その言葉の意味を計り知る前に、
「若葉は、その。強いのか」
それは、若葉のファンタジア・ヘブンでの腕を問いているのだろう。ゲームに少なくとも良い印象を持たないながらも、それが一対一で腕を競い合うものであるというのは知っているのだろう。
だから悠紀は、自身を持って、言った。
「強いです。俺が、頼りにしているほどですから」
それは、悠紀が虎一や雨音に抱いているのと同じ感情。すっかり彼女は、悠紀のチームメイトだ。もちろん、めろんも。
当然、ゲームの試合に絶対はない。若葉も一度も負けない、なんてことはないだろう。それでも、十分信頼に足る強さだ。
反応はない。
悠紀の言葉が何をもたらしたかはわからない。
悠紀は後を向き、ドアノブに手を掛けようとした時、
「私はね」
若葉父が口を開いた。
「私の父は、厳格だった。それこそ、若葉が私に感じているように」
悠紀は、若葉父の背中に向き直る。
「だけど、私は父を恨むことはなかった。厳しいながらに、全て私のためだと思っていたからだ。手前味噌だが、それなりの人間には育ったつもりだ」
若葉父も、今の若葉と同じように厳しく躾られた人だった。
「だから娘に厳しくすることを、私は何も疑わなかった」
それが、娘のためだと信じて。
「だが、今日の君との関係を見て、それが間違っているとは思わんまでも、苦しめているのだと知ったよ」
自嘲気味に、若葉父は口元から息を吐いた。
「母さんの前で見せる姿を、私には見せてくれないからな」
それも、この人は気付いていたのだ。
「言いたかったのは、それだけだ」
若葉父は、書き物に戻るべく、机に身体を向き直した。
部屋を出る際。差し出がましいが、悠紀はそれをつい言いたくなった。
「この先のことは、わかりません」
若葉父のペンを持つ手が止まる。
「若葉のことを、全力で応援しろとは言いません。後押しする必要はないです。ただ、認めてあげてください。それがきっと、若葉の心を軽くすることだから」
言ってから、生意気なことを口走ったと反省。
でも、そもそも。
若葉が本当に父親のことを疎ましく思っているのなら。自分のすること、夢への隔たりだと思うのなら。そんなことは無視して大会出場を決行したのではないか。その選択を取らずに、父親に認めてもらう行動を起こした。
決して、若葉は父親を嫌っているわけではないのだろう。むしろ、大切に思っている。だからこそ、認めてもらおうとした。
無言の中、若葉父の大きな背中を最後に、悠紀は部屋を後にした。
「はーーーー」
エレベーターを降り、完全に外に開放されると同時に、悠紀は大きく息を吐いた。
息が詰まりそうなほどの威圧感だった。リビングとはまるで違う、若葉父が重力を操る結界を張れると言われたら、悠紀は疑わない。
若葉には悪いけど。あんな厳格な父だったら、亜衣は精神が持たないだろうな・・・。
「あの」
若葉はうつむきながら、悠紀を呼ぶ。
「ホントに助かりました。あのパパ、いやお父さんが考えを軟化させるだなんて」
それは、若葉にもある意味想定外の結果だったのだろう。
だがこれで、少なくともウルティメット・ラウンドが終わるまではお咎め無しになった。その後は、若葉の問題だ。
とりあえず、そこまでは悠紀も全力で望む。お互いの夢を叶えるために。
その日の桃原家の夕食。
食卓に父と母、そして若葉が並んでいる。
「ねえ若葉」
楽しそうな笑みを浮かべて聞いてきたのは、母だ。
「あの悠紀くん?本当に若葉の彼氏じゃないの?」
母親に問われ、若葉の顔がみるみるうちに真っ赤になる。
「な、何言ってんのママ!悠紀さんは、ただのチームメイト!亜衣ちゃんのお兄さん!それ以上の感情はこれっぽっちもないの!」
力一杯否定する娘に、母は惜しむ顔で、
「えー?しっかりした考え持ってるし、挨拶もちゃんとできるし。何より若葉とちゃんと向き合えている子なんて今までいなかったんじゃない?」
母は、若葉がその性格故、友人に恵まれなかったのを知っている。それを埋めるようにゲームにのめり込んだのも。
「何!?私は許さんぞ!中学生にも関わらず、不純異性交遊など!」
若葉父は、箸を持った手を、へし折らんばかりに軋ませ、怒りの感情を滲ませる。
「だから!違うって!」
「もう、遅れてるわよお父さん。今は小学生だって恋愛する時代よ」
その日の桃原家の夕食は、いつになく賑やかだった。
「どわっ!」
「せいっ!」
「くぬっ!」
「うぎゃあーーーーーっ!」
リビングからアケコンの弾く音と共に、やかましい妹の声が響く。
妹は背中から床に身体を投げ出し、悔しさを滲ませる。
「亜衣、強すぎィ・・・」
「あんまナメないでもらえる?今の亜衣なんて、私の足元にも及ばないから」
その若葉の言葉に、妹は「ぐぬぬ」と表情を歪ませている。
あれから。
世間では夏休みに入り、それと共に、暑さが肌で感じられるようになった。
梅津家に訪れる若葉は、本来の自分として妹に向き合っている。こうしてリビングでファンタジア・ヘブンの対戦を繰り広げるほどに。
しかしまた、若葉も容赦ないな。
先日の対戦同様、デュラノアがガンツを惨殺すること数試合。亜衣の勝機は明るくなる気配がない。手加減をしない、という点に置いては悠紀と同スタンスなのだろうが。
「そもそもなんでガンツなんて使ってんの?」
若葉の疑問ももっともだ。
ガンツはファンタジア・ヘブンに置いて最下層キャラという認識は揺るぎない。機動力という武器を奪われ、最たる特徴はゲージに頼らなければならない法外な攻撃力。それを安定して引き出せるプレイヤーは一握りだ。
まだ亜衣が初心者の域を出ない頃から持ちキャラに選ぶには、あまりにもイバラの道過ぎる。
亜衣は、若葉の指摘に何故か顔を真っ赤にさせ。
「お兄ぃが朧丸の次に多く使ってたキャラだと思ったんだもん」
悠紀は、トレーニングモードのスパーリングパートナーは、もっぱら当たり判定の大きいガンツをその相手としていた。それは体格の大きいキャラの宿命だろうか。そこに悠紀は別に他意はない。
その亜衣の言葉に、若葉は呆れたように表情を歪めて、
「出た出た、亜衣のお兄ちゃん大好きエピソード」
使っているキャラでさえ、兄の近くでありたい。辟易するようなブラコンぶりだ。もっとも、悠紀はガンツには思い入れは無いのだが。
「投げキャラだったらエルザリオとかいるし、そっちの方がいいんじゃない?」
エルザリオは、見た目こそ穏やかなシスターだが、ガンツ同様コマンド投げを主とするキャラだ。しかも、ガンツとは違い流麗な女性キャラなので人気は高い。ダッシュは当然持ち合わせており、機動力にも困らない。だから、亜衣が決して強キャラとは言えないガンツを使うのを疑問に思っていたのだ。その理由を聞き、呆れてはいるが。
「やだ。私はガンツと一生を添い遂げるんだもん」
一見するとガンツラブラブな発現に思えなくもない、若葉はそう受け取ったわけでは無いようで、相変わらずの亜衣の態度に辟易するのだった。
だから悠紀がトレーニング相手に別のキャラクターを選んでいたら、今の亜衣の持つキャラも変わっていただろう。そう思うと、悠紀にも責任の一端が無いとは言えないこともない。
「悠紀さぁん。亜衣の対戦相手をするのも退屈でしょ。私と一発しませんか?」
振り返る若葉は妖艶な笑みを浮かべ、舌なめずり。出会って間もない頃に見た、狩りをする猫のような。
「お兄ぃの最高のスパーリング相手は私だもん!」
それを阻止するかのように、亜衣は若葉に掴み掛からん勢いで若葉に詰め寄る。
「今まで一勝もしてない奴がよく言うわねぇ」
確かに初めて若葉と対戦した時、悠紀は負けはしたが。その時は完全に決着は着いていなかったし、と、未だ言い訳じみた気持ちがある。
「今からバイトだから、また今度な」
仲間内で練習するのもいいんだけど。
明らかに不服そうな若葉と、頬を膨らませている亜衣の視線を背中に受けながら、悠紀は家を後にした。
「ほんとによかったよぉ〜」
安堵の息を吐き、悠紀に抱きつかんばかりに押し迫ってくるのは、トライフォース店長の舞麗だ。
今年もウルティメット・ラウンド出場を祝福してくれた。
完全に出場が決まったわけではない。あくまで、参加出切り権利を得ただけだ。
最大の敵は、当日いかに寝坊をしないことだけだ。
その件で、今年も舞麗には手厚い強力を貰っている。忙しい夏休みを、一日だけとは言え開けてしまうことを心苦しく思う。
「だいじょうぶ!お店のことは私に任せて!」
そう言いながら、舞麗は大きく胸を張る。誇らしげに主張する胸がまともに見れないからそれは止めてほしい。
「あおちゃんが代わりに入ってくれるから、安心してゲームに向き合っていいよ!」
悠紀と入れ替わりにシフトに入っているという青柳さん。
まだ見ぬ同僚に、悠紀は感謝とともに、舞麗をお願いしますと心の中で祈ったのだった。
明日はいよいよ、ウルティメット・ラウンド、一日目だ。ファンタジア・ヘブンもその日の種目に選ばれている。
夕食時。
普段通りでいようと努めて明るく振る舞う亜衣。だが、逆にぎこちなく見えるのが微笑ましい。それも、妹なりのエール、配慮なのかもしれない。
親は、息子がゲームに熱中していることに関して過度な干渉をしてくることはない。人様に迷惑を掛ける事以外であれば、自己責任で好きにしろ、というタイプだ。
食卓に並ぶのは、悠紀のやっていることをしってかしらずか、とんかつが並ぶ。随分古い慣習だな、と悠紀は小さく笑みを零すと共に、母親に感謝。
その夜。
悠紀のスマートフォンに見知らぬ番号から電話がかかってきた。
『あ、悠紀くん?夜分遅くにごめんね』
その声は、悠紀も知る人物だった。
「めろんさん?」
アイドルであるめろんとの連絡は、若葉を通じて取る手筈だったはずだ。
『いやー、どうしても直接言いたくてさ、お礼』
めろんも、ウルティメット・ラウンドに向けて並々ならぬ思いを持っているのは知っている。
『若葉ちゃんに無理言って、連絡先教えて貰っんだ』
「話なら、明日いくらでもできるぞ」
明日になれば、勝つにしろ負けるにしろ、嫌でも顔を合わせなければならない。
『そうなんだけど』
電話の向こうで苦笑する姿が見える。
『もしかして、もう寝るとこだった?』
「まあ、明日も早いからな」
悠紀にはまだ、当日予選にエントリーするという仕事が残っている。
『じゃあ、手短に済まそうかな』
改まったような咳払いが聞こえ、
『君が私をここまで引き上げてくれたのを感謝してるよ。あの日、わたしたちのライブに来てくれたことも含めて、運命にすら思えるよ』
運命か。大袈裟に思えなくもない。
『だから、ありがとう』
こちらこその気持ちだ。
めろんだけでなく、若葉も含めて。大袈裟ではなく、色んな人の想いの上に今がある気がする。
『じゃあ、また明日!』
そう言って、めろんは最後まで元気な口調で通話を切った。
さあ。
明日はその想いに報いることができるのか。
全ての準備を整えて来たつもりだ。
昂る気持ちを押さえながら、悠紀は眠りに付くのだった。




