1話 泡沫夢幻
今日は、俺、金剛寺 健吾がようやく夢を掴めそうな日だ。
俺は幼い頃から、剣道に全力で取り組んできた。
そして今日が、今までの努力を発揮すべき優勝決定戦だ。
今は、優勝決定戦に挑むため会場に移動している。
今まで思いつく限りの努力をしてきたがそれでも緊張するもので辺りにピリピリした空気が漂っているように感じられた。
緊張で爆発しそうになりながらもなんとか会場にたどり着いた。
そして、会場の中に入り階段を降りている時に背後から今まで生きてきて聞いたことのない憎悪のこもった怒鳴り声が耳に飛び込んできた。
突然のことに驚き背後を振り向いたと同時に体に浮遊感を感じた。
その数秒後、俺は背中を突き飛ばされたのだとわかった。そして、突き飛ばしてきた相手が同じ剣道部の切磋琢磨しあったライバルであり親友だと思っていた人物だった。
俺の意識は、怒りを覚える間もなく闇に飲まれた。
※ ※
次に目覚めると一瞬でそれが夢だと分かった。なぜなら目の前に過去の情景が広がっていたからだ。
これが走馬灯というものなのかとぼんやりと眺めた。
しばらく、眺めていると俺が剣道を始めるきっかけとなった忘れるはずもないあの日の記憶が辺りに飛び出してきた。
俺が剣道を始めたきっかけは、運命的な出会いから始まった。
俺は小さな頃、深い孤独に苛まれていた。原因は、単純で父親が仕事人間の社長で俺と家族らしいことを一切して貰えなかったからだ。それに加えて、母親は俺が幼い時に病気で亡くなってしまったらしい。
父親が社長であるおかげで金銭的な問題を感じることはなく、家にはお手伝いさんが常駐していた。
周りに人がいるといっても家族ではないということが子供ながらに痛いほど理解していたたためより強く孤独を感じた。
お手伝いさんからは、腫れ物に触るように扱われた。そんな日々に耐えきれなくなった俺はある日、家を飛び出した。
その日は、秋が終わり風が肌を突き刺すように寒い日だった。
衝動的に飛び出しまった俺は、行く当てもなく公園の隅にあるベンチに座った。
公園の近くには商業施設があり、まさにクリスマスムードで家族連れの人々の声で賑わっていた。
そんな情景に俺が孤独なのだと突きつけられているようでより苦しくなった。
声を上げて泣いてしまいたい気持ちだったがここで泣いてしまうと孤独に負けてしまったようで悔しかった。
だから、俺は泣かないようにと必死に堪えた。
しかし、無情にも大粒の涙がほろほろとあふれ出した。
声を押し殺してすすり泣いていると優しい声で前方から話しかけられた。
「君、大丈夫かい?確か近所の子だよね」
目を擦りながら目線を上げた先に立っていたのは、優しい笑みを浮かべた体格の良い初老の男性だった。
その男性は、近所で評判の剣道場の師範をしていることで有名な人物でこの都市に住んでいる人なら誰でも知っているほどの知名度である。
「はい。大丈夫です。」と俺は、なんとか言葉を紡いだ。
そんな様子を見かねた男性は、俺に道場によって行かないかと提案してくれた。家に帰りたくない気持ちだったので直ぐにお願いした。
それから俺は、道場の休憩室に優しく迎え入れて貰えた。
しばらく時間が流れて落ち着いた頃、男性から話しかけてきた。
「もし、君がよかったら話を聴かせてくれないか」
その声は、俺を本当に心配しているような優しさのこもった声だった。
こんなに優しい声で話しかけてもらえたのは、始めてだったのでまた少し泣いてしまった。
俺は、泣きながらもなんとか今日まであった辛かったことを全て話した。
その間、男性は嫌な顔1つせずに話を聴いてくれた。
話を聴き終わった後に男性がこの道場で剣道を始めないかと提案してくれた。
俺はその提案がとても嬉しかったので父親に剣道を始めたいことを頼むと伝えた。
それから俺は、足早に家に帰り苦手な父親と久しぶりに言葉を交わした。
すると父親からは、体が虚弱過ぎて後継者として不安要素しかないため運動をして体を強くする良い機会だろうと認めてもらえた。
嫌味をしばらく言われたが、認めて貰えたので大きな問題では無かったを
これが俺が剣道を始めるきっかけとなった師範となる男性と出会った運命的な日の話だ。
俺はこの日から高校3年生になる間、欠かさずに剣道をしてきた。
そして、集大成ともいえる優勝決定戦に臨むことが出来なかったことが何よりも心残りだった。
俺は、剣道で結果を残して師範の名前をさらに有名にすることで恩返ししたいと考えていた。
それにこの大きな結果を勝ち取れば俺を嫌悪している父親も興味を持ってくれるのではないかと一抹の希望を抱いていた。
俺は、親が会社の社長であったことから裕福だということでも有名だった。それが原因で道場の中でも逆恨みをされることが多かった。
特に酷かったのは、家名を悪用して剣道の成績を捏造していると陰口を流された時だ。
家名が怖いという理由をかけて「最恐の剣士」と呼ばれていた。
そんなときも師範は、俺の努力を認めて常に味方でいてくれた。
優勝決定戦は陰口を流した奴らを見返す機会でもあったのだ。
しかし、それは理不尽な行いのせいで叶わない夢となった。
そんなことを考えていると走馬灯のようなものが終わった。
こんなことで俺は死ぬのかと自分の人生の無意味さを恨んだ。
もし、もう一度機会が与えられるのなら世界で本当の意味の最強の剣士に成りたいと強く願った。
そう願うとまばゆい光と同時に他者を寄せ付けないような低い声が頭の中に響いた。
俺は、驚いて放心状態になってしまった。
すると目の前に筋骨隆々の荘厳な姿をした人物が現れた。
しばらく様子を窺っているとその人物が口を開いた。
「貴様の願いを武神の名にかけて叶えてやろう。」
そう伝えられると、また辺りが強い光に包まれて俺の意識は途切れるのだった。