自分で選んでしまった人生だから
男爵令嬢であるカリンは、周囲から孤立しつつあった。
高位の令息だけではなく、色々な令息から贈り物を貰い、夜会の同行を頼んだせいで、令息の婚約者達に恨まれていたからである。
だが、その状況も変化しつつあった。
カリンのせいで、肩身の狭い思いをしていた令嬢達は今や羨望の的だ。
人気の高い男装令嬢のルシャンテと、その周囲の有能な騎士達との縁が出来ていたのである。
何も出来ないままぼんやりと、カリンは外庭を眺めていた。
そこでは、騎士科の生徒と令嬢に囲まれるルシャンテが楽しそうに笑っている。
キラキラと眩い集団をカリンとは別の場所から遠巻きに見つめているのは、令嬢達の婚約者達だ。
婚約を解消された者、解消まで秒読みの者、いつ解消されるか分からない者達が羨まし気に恨めし気に見ている。
すっかり立場が逆転していて、周囲からは滑稽に見えるだろう。
「私も、おんなじかぁ……」
窓枠に腕を置いて、その上に顎を乗せる。
入学した頃は楽しかった。
何も分からなかったけど、女性の友達もいたし、そこには身分も問わない付き合いも。
けれど、令息達と仲良くなる度に、一人また一人と離れて行ったのだ。
別にそれはそれで構わなかった。
欲しい物があったから。
お金に困らない生活が出来れば、と最初は思っていたのに、段々欲が出てきたのだ。
カリンより恵まれて育ってきた令嬢達の、悲しむ姿や嫉妬する姿を見る度に、何とも言えない愉悦が沸き起こり、いつしかそれが目的になってしまっていた。
甘えたり、泣いたり、偶には怒ったり、拗ねたり。
そんな風に扱われた事のない令息達は、面白がってカリンを可愛がった。
際限なく令息達に手を伸ばすカリンに対して、グレイシアや高位貴族の令嬢達が一切関知しなかったのは。
今思えば、体よく切り捨てる為だったのではないかと思える程である。
グレイシアという完璧な美しい公爵令嬢の婚約者、王子であるレクサスを虜に出来たと思った時、最高に幸せだった。
でも、王子の参加しない夜会でグレイシアが踊っていたのは、カリンが欲しくてたまらなかった相手、ヴァイスだ。
男爵令息かと思ったのに男爵で。
本来の身分は帝国の皇子で。
グレイシアとは従兄妹。
「俺には愛する女性がいる」
彼が言っていたのは、間違いなくグレイシアだ。
なのに。
レクサスの話を断り、婚約したのはヴァイスではなく帝国の第二皇子ハルトムート。
どうしても欲しいものをカリンから取り上げた癖に、グレイシアはそれを自慢する訳でもない。
求められても、応える事すらしないのに。
何で愛されるの。
カリンはもう「正妃」にはなれない。
高位貴族の夜会に参加できる礼儀作法もまだ身に付いていないから。
勉強も出来ない馬鹿だから。
実家は金持ちじゃない、底辺の男爵家。
しかも愛人の娘。
冷静に考えれば王妃なんて無理だって分かるのに、夢を見過ぎたのだ。
側妃だって十分なのに。
それでも胸がモヤモヤして気分が悪い。
煌びやかな集団から無理に視線を引きはがして、カリンは空き教室を後にした。
もうすぐ、学園から去るというグレイシアが、令嬢達と穏やかに笑みながら話している。
そうだ。
そうよね。
カリンは思いついて、走り出した。
グレイシアに近づく直前で、護衛騎士に止められる。
「あら、カリン嬢。いいのよ、離して差し上げて」
言われた護衛騎士は、冷たい目でカリンを見据えながら捕まえていた手を離した。
「あのっ、グレイシア様はヴァイス君と結婚しないんですよね?」
「ええ、そうね。今のところは。第二皇子と婚約しておりますもの」
今のところは?
「え、何ですか?今のところって…結婚する可能性が有るって事ですか?」
「それは分からなくてよ。だって、10年続いた婚約も意味を為さなかったもの」
遠回しで穏やかな嫌味に、カリンはぐっと詰まる。
その解消に至った理由のひとつは確実にカリンなのだ。
でも、今は結婚していないし、婚約もしていないんだから。
「私とヴァイス君を会わせて欲しいんです。急にいなくなっちゃったから…」
他の男と婚約したグレイシアよりは、自分を選ぶだろうという自信はカリンにはあった。
だが、周囲の令嬢は口に手をあてて、くすくすと笑う。
アイリーンにいたっては、ゴミでも見るような目を向けてきた。
「仕方ないわ。貴女が苦手だから逃げたのですもの。わたくしが紹介などしたら泣いてしまうかもしれなくてよ。だから、ご遠慮下さる?」
「な、何でですか、私何もしてないのに!」
「……他人の話を聞かない、嫌だと言っても纏わりつく。そんな殿方がいたら、貴女は怖く感じませんの?」
冷静につきつけられて、カリンは言い返す事が出来なかった。
目の前のグレイシアは穏やかに、美しく微笑む。
「それに、帝国語も完璧に話せない貴女が、帝国の皇子の妻にはなれませんわ。せめて周辺国の3カ国語は覚えないと務まりませんのよ」
「え、でも通訳がいればそんなのは…」
グレイシアは驚いたように目を瞬かせて、隣にいたディアーヌがうふふふっと笑い声を立てた。
宰相の息子シドニスとの婚約を解消した、ファイアット侯爵家の令嬢だ。
「彼女、本気で言っているのかしら?」
「さあ、分からないけれど、まともではないわね」
ディアーヌは微笑んで言い、アイリーンは素っ気なく返した。
帝国語で。
カリンは突然目の前で、二人の令嬢が外国語でやり取りを始めて、訳が分からない。
「な、何ですか?分かるように言ってください」
「あら?じゃあ、その通訳をお呼びなさいな。貴女が言っているのは、こういう事ですのよ。社交の場で、色々な方が話をしている内容が分からない状態で、どうやって交流なさるの?」
豊かに巻いた金髪を揺らして、ディアーヌは首を傾げて優し気に微笑む。
表情は優しいが、その言葉は冷たい。
そんな事言われても。
高位貴族の夜会にすら出た事がないカリンは唇をきゅっと噛みしめた。
「カリン嬢、もしかして、貴女は殿下に拒否されたのですか?」
気づかわしげなグレイシアの問いかけに、カリンはカッと赤く顔を染めた。
まさか、捨てられたの?という小さな声も耳に入ってくる。
「ち、違います!レックとは、仲良しですよ!」
「でしたら何故、ヴァイスに会いたがるのですか?王子殿下の恋人としてはしたなくてよ」
さすがに穏やかな笑みを消したグレイシアに、冷たい夜空色の目を向けられて、カリンはヒュッと喉を鳴らした。
だって、レックは側室にしか出来ないって。
そうよ、全部、貴女が悪いんじゃない!
急に怒りがこみあげてきて、カリンはグレイシアに食ってかかった。
「グレイシア様はどうして側妃のお話を断ったのですか!嫌がらせをして楽しいんですか!?」
大きな声で怒鳴るカリンに、グレイシアは静かに問いかけた。
「側妃に望まれるより、正妃にと望まれたいのは当然の事ではなくて?」
「そ、それは、でも……」
カリンの幸せには、グレイシアの犠牲が必要なのだ。
でも、グレイシアの言う事は分かる。
カリンもそう思ったからヴァイスの正妻になれたらと思ったのだ。
「わたくしが何故、貴女の為に自分の幸せまで犠牲にしないといけないのかしら?」
いつもの穏やかな笑みを浮かべて、グレイシアに問いかけられる。
それは、自分が楽をしたいから、幸せでいたいから、という身勝手な要求でしかない。
「だっ、だって私も正妃になりたいんです……でも、駄目だって、殿下が、だから……」
「それは殿下と貴女の間の問題ですわよね?わたくしも、ヴァイスも関係のない事です。それに、何故正妃になれないか、ご自分でもお分かりでしょう?例えば、ヴァイスが貴女を好きだとしても、今の貴女では正妃にはなれません。自分を幸せにするための代用品を探すよりも、まず自分自身をどうにかなさいませ」
まるで、幼子を相手にするように優しく諭されて、カリンの目からは涙が溢れた。
この人に勝った気でいたなんて。
嫌な事から、逃げ回って、好きな物だけ追いかけて。
それだけじゃもう、幸せになれないんだ。
「カリン!……グレイシア、これはどういう事だ!」
慌てた様にレクサスが走ってきて、カリンを背に庇う。
だが、カリンはその背に向かって言った。
「違うの……私がグレイシア様に文句を言ったの。何で側妃になってくれないのって」
「……それは、カリン……」
流石にカリンがそんな事をしたと思わなかったレクサスは、バツの悪そうな顔をした。
だが、グレイシアは優しく微笑んで、礼儀正しく膝を折って挨拶をする。
「安心いたしましたわ殿下。何も聞かずに、カリン嬢をお庇いになるのですから、大事にはなさっていらっしゃるのね」
明らかに、何も聞かずにグレイシアを責めた事に関してもちくりと刺すが、微笑みは優しい。
謝ろうとレクサスが口を開くと、先んじてグレイシアが言葉を続けた。
「ですが、大事になさる事と、守る事は違いますのよ。感情のままにまた騒ぎを起こせば、カリン嬢の瑕疵にもなりますから、きちんと殿下がお導きにならないといけませんわ。わたくし、以前にも申し上げましたわね?カリン嬢を守れるのは殿下だけなのですから、きちんとお守りあそばして」
「あ、ああ、すまない……でも、本当に君はそれでいいのか」
カリンはそれを聞いて余計に呆然とする。
この人は、何を言ってるんだろう?
グレイシア様は、別の方の正妃になるのに。
カリンを守れと言われたのに。
もう、二人はとっくに終わっているのに。
拒絶されたのに。
ぐるぐると色んな考えが頭に渦巻き、カリンの顔色は悪くなる。
「わたくしは、殿下と殿下の愛するカリン嬢が、二人で幸せになる事を心より望んでおりますわ」
背後から見た、レクサスの顔は呆然としている。
カリンはその制服の背中の裾を引いた。
縋っては優しい拒絶を受けて、呆然とする所など見たくなかった。
あの美しい笑顔には、悲しみも後悔も未練すら欠片も感じない。
本当に、何とも思っていないのだ。
私達が幸せになる事でさえ、何も。
「そ、そうか……分かった。カリンが済まない事をした」
「いえ、貴重な体験でしたわ。カリン嬢のように正直な方とお話をする機会は少のうございますから。では、そろそろお暇致します。ご機嫌よう」
グレイシアのお辞儀に合わせて、背後にいた令嬢達も優雅なお辞儀を見せ、立ち去っていく。
その場にいて、遠巻きにしていた人々も散り散りにそれぞれの向かう場所へと歩き去る。
「ごめんね、レック」
「いや、私が悪かった……出来ぬ事を約束したりして」
「側妃でも、嬉しいよ。私、頑張るね」
「ああ……!」
ぱあ、とレクサスは嬉しそうに笑顔を向けるけれど、そう簡単にはいかない。
カリンにはそれが良く分かっていた。
強くて賢い王子様という幻想は、幻想でしかない事にもう気づいている。
最初は本当に、そう思っていた。
入学式の時、新入生の代表を務めるのは成績優秀者だと聞こえていたから。
でも。
グレイシアがその役をレクサスに譲り、彼女に原稿まで用意されていた事を知った。
あれだけ敵視している、男装令嬢のルシャンテに、剣で勝てない事も。
更に、カリンはその上をいく馬鹿なのだから、救いようがない。
努力しても、何時実るのか。
本当に実になるのかすら分からないけれど。
自分で選んでしまった未来だから。
色々ご意見頂きますが、感想も含めてありがとうございます。
人物紹介はもう少し待ってくださいね~!
今後、サーシャ中心にアイリーンやグレイシアとの話を中長編で短い連載を組むので、そちらで纏めて人物紹介いれます。ずっと忘れてたサーシャ(ごめんよ)
カリンは今後少し病んでいきます。最終的には身の丈にあった生活になる筈。グレイシアにとって都合の良い駒だったし、恨んでいた令嬢も皆幸せになっている&令息達は落ちぶれて日々の生活で手一杯なので、ざまぁする人がいない……結末は大体決まってるので、いずれ書きます。
短編は、次回のウスターシュの回で一旦休止して、中長編に移ります。
まったり進行になりますが、楽しんで貰えたら嬉しいです。