6.別の世界の住人
僕は川の真ん中あたりで、しばらく座り込んで空を見上げていた。どこかで鳥が鳴いていて、風に吹かれて木々の音もしていた。水の流れる音はどこまでも清らかで、その色々な音のどれもに聞き惚れていた。そうして、さまざまな音がしているのに、僕はなぜか深い静けさを感じていて、とても、不思議な気分だった。
僕が、この自然の中に溶け込んでいて、僕は、この景色のただの一部だった。それが、なぜかとても心地よくて、僕はずっとこのまま、ここに居たいと思った。
でも、さすがに水の中にずっと浸かっていると体が冷え切っていて、僕は名残惜しかったけど、川から上がって、テントの所に戻ることにした。
川から上がると、途端に現実が戻ってきた。僕が腰にタオルを巻いてしまったので、濡れた体を拭く乾いたタオルが無かった。仕方がないので、水をポタポタ滴らせてテントの所まで歩いて行くことにした。僕の鎧と服を全部ひとまとめに持って、びしょ濡れでテントのある場所まで戻ると、セラさんが僕を見た途端に悲鳴を上げてしまった。
「あ、ごめんね。驚かせて。体を拭くタオルを忘れちゃって、え~と、タオルは馬車だったよね」
「ひいいーー!!いい体!!っじゃなくて!!タオル!タオル!タオル!!」
セラさんが叫びながら走ってタオルを取りに行ってくれて、すぐに僕にタオルの山を手渡してくれた。そんなに大量にはいらなかったけれど、僕はお礼を言ってから自分のテントの中に入った。
テントの中には着替え一式がまとめられていたので、体を拭いてから、適当に服を着て大急ぎでテントから出た。セラさんはもう火を熾していたみたいだし、僕は今度こそお手伝いを頑張るつもりだった。
「セラさん!僕も、なにか手伝うよ」
小さなテーブルの上で、何かを切っているセラさんが僕に笑顔で振り返ると、なぜか僕の上から下までを見直して、なんだか凄く残念そうな顔になった。
「あ~っと、アーサン?なぜ今、その、パーティーシャツを?それに……、その丈のズボンは、たぶん、パジャマ、ですよね?」
「え?パーティー?これが?ふつうのとどう違うの?適当に着ただけなんだけど、なにか変かな?」
「なるほど。なるほどなるほど。分かりました。少々お待ちください」
セラさんが、そこに置いてあるお水で手を洗うと、大急ぎで僕のテントに向かって行った。そして、せっかく運び込んだ着替え一式を、あっという間にまた馬車に戻してしまった。あんまりにもテキパキと行動していて、僕は声をかけられなかった。
「ふう~。これでよし!いいですか、アーサン。よく聞いてください。これからは私が、アーサンの着替えを用意します。テントにはパジャマのみを置いておくことにします。いいですか、決して自分で着替えを選ばないように。大事なことですよ」
「ええ?どうして?なにか変なら、その、決まり?組み合わせ?とかを教えてくれたら、自分で覚えるよ?」
「それは、おいおい……、おいおいにしましょう。とにかく、今すぐこの服に着替えてきてください。いいですか?勇者様は、みんなの憧れなんですよ。どこに行っても注目されるんです。明日町に行けば分かります。私には、勇者様をサポートする責任があります。ええ!重大な責任です。ですから!私が、勇者様の洋服をすべて管理します。決して譲れません!」
セラさんがなにか熱意をもって、決心してしまったようだった。僕は着る服を全部用意してもらうのって、すごく小さな子みたいでちょっと恥ずかしいと思って、セラさんに反論しようとしたけど、ギンッて感じで睨まれたので止めておいた。まあ、僕は服なんて何でもいいので、逆らわずに従うことにした。
僕は着替えを受け取って、すごすごとまたテントに戻った。服が大量に置いてあった一角には、パジャマみたいな薄い服が何枚か置いてあった。たぶん寝る時にはこの服に着替えるんだと思う。着替え終わってセラさんの所に戻ると、セラさんはうんうん満足そうに頷いていた。
「よいですね。でも、今はラフな場ですから、シャツのボタンはいくつか外してみましょうか。あ、それに腕まくりなんかすると……」
セラさんが僕のシャツの首のボタンを外したり、きれいに腕まくりしてくれたりしてから、少し離れて僕を眺めた。
「いいです。すごくいいですね。ラフさの中に、筋肉でワイルドさを演出できるなんて、素晴らしいです。逞しい盛り上がり加減が絶妙です」
セラさんの言っていることは、さっぱり分からないけど、なにか服の着こなしに徒ならぬこだわりがあるみたいだったので、口出ししないことにした。
「それで、僕、なにかお手伝いをしたいんだけど、僕にも出来ることがある?」
「そうですね……、でしたら、お肉を焼いてもらいましょうか。遠火で中まで焼いてくださいね。焦がさないように、火から離して焼いてください」
僕は串に刺した大きめなお肉の焼き鳥みたいな物を2つ受け取って、焚火の所に落とさないように持って行った。ごうごうと燃えている火にお肉をかざしてジュウジュウ焼いていると、なんか焦げるし、油が飛んでくるし、火がゴワッてなって火傷しそうになるし、なかなか難しかった。
僕がまごまごしている間に、セラさんはあっという間にごはんを作り終えていた。晩ごはんの鍋のなかには、なんとお米が入っていた。
「お米だ!うわあ!お米ってあったんだね?」
「ああ、保存が利いて便利ですよね。食べ応えもありますし。たくさん持参していますよ。アーサンはお米がお好きなんですか?」
「あ、特別好きって訳じゃなかったんだけど、今は、……まあ、好き、かな。なんだか、落ち着くよ」
僕が焼いたお肉は焦げていて硬くて、あんまり美味しくなかったけど、お米の入った洋風の雑炊みたいなお鍋は美味しかった。焚火を見ながら外でごはんを食べていると、僕はしみじみ別の世界に来てしまったんだなと思った。
「セラさん、僕は勇者じゃないんだよ。気がついたら王様の前にいたんだ。どうしてなのか、僕にも分からないけど、僕はもともと、違う世界ってゆうか、こことは全然違う所で、ふつうに生活してて、全然勇者とかじゃなくてふつうの……、電気とかもあって、だから、なんだろ……、とにかく、セラさんの知ってる勇者じゃなくて、……ごめんね」
パチパチと爆ぜる火を見ていると、なぜか心細い気持ちになって、僕はセラさんに本当のことを、ぽつりぽつりと思うままに話した。セラさんは不思議そうにしていて、あんまり分かっていなさそうだったけど、僕のことをじっと見つめてから、励ますように微笑んでくれた。
「私は……、私が知っているのは、ほとんど旅立ってからの勇者様ですから。なにも、私に何も謝ることなんてありませんよ。アーサンはちゃんと勇者様ですよ」
僕がちゃんと上手く説明できていないから、やっぱりセラさんには伝わっていないみたいだったけど、僕は、なにかもう認められている気分になっていて、なんだかもう、それでいい気がした。僕はやたらとしんみりしてしまって、後はもう何を話したらいいのかも分からなくなったので、早々にテントの中に入って、さっさとパジャマに着替えると、すぐに布団の中に包まった。
ふかふかな温かい布団の中でふと、一晩眠って起きたら、もしかしたら元の世界で、勇者じゃないふつうの僕に戻っているのかもしれないと思った。それは少しさみしい気はしたけど、ちゃんとした勇者が戻ってきて、魔王討伐の旅に出てくれた方が確実に平和になるだろうし、まあ、いいかなと思いながら眠りに落ちていった。
真っ暗な夜のうちにふと目が覚めて寝返りをうつと、なにか外からドーン、ドーンと音がしていた。なんの音なのかさっぱり分からないけど、その耳障りな音のせいで目が覚めたんだろうし、ずっと遠くでドンドン聞こえているので、なかなか寝付けなくて困った。
「まだ真っ暗なのに、絶対まだ起きる時間じゃないのに、勘弁してよ……」
意地でもまだ起きるもんかと、温かい布団の中にギュッとくるまって、なんとかもう一度眠りにつこうと頑張ったけど、外のドーンがうるさくて、やっとうつらうつら眠たくなったのは、外が明るくなってきた頃だった。
「アーサン!アーサン!起きてください!大変ですよ!出てきてください!」
テントの外からセラさんの焦ったような大声が聞こえて、まだぼんやりする頭で温々の布団からでた。テントの入口の布をまくって外に出ると、セラさんは少し離れた所に停めてある馬車に隠れるようにして、僕の方を見ていた。
「はわわわっ。寝起きの色気が!髪が!着崩れた服から肌が!逞しい筋肉が!あわわわわわっ!」
目を擦りながら辺りを見渡すと、僕の足下のテントの入口にまん丸い毛玉が転がっていた。
「あ!そうです!それです!なにか!動物が!倒れているんですよ!し、し、死んじゃってますか!?ど、どう、どうですか!?」
セラさんがもの凄く動揺しながら、この丸い毛玉を指さしていた。僕はしゃがみ込んで毛玉を覗き込んでみる。なにかふるふる震えているみたいなので、生きてると思うけど、これがどうゆう状態なのか、顔がどこにあるのかも分からなかった。
手を伸ばして触ってみると、ビヨンッと跳ねるように起き上がって、ぴよんと長い耳が飛びだした。どこかで見た顔だと思っていたら、昨日会った角のあるウサギだった。
「生きてる!?生きてますね!?良かった。生きてた。……んん?」
セラさんが喜び勇んで僕のテントに近づいてくると、途中でピタッと足を止めてしまった。そこから覗き込むようにして、僕が撫でているウサギを訝しげに睨んでいた。
「それ、は?……それ、魔獣……じゃ、ないですか?」
「ああ、うん。だぶん。昨日会ったウサギだと思うんだけど、角が無くなってるんだよね。ここ、頭の所。角が根元から折れちゃってるよね?可哀想に。これ、元に戻るのかなあ」
「あ、アーサン!離れてください!魔獣!魔獣ですよ!角が!なくても、危険な……」
角が無くなったウサギは僕にすり寄っていて、ネコみたいにゴロゴロ言っていた。真っ白でふわふわであったかくて、もの凄く可愛い。僕は思わず抱き上げてよしよし撫でた。すると甘えるように寄り添ってくる。その様子があんまり可愛くて、僕はウサギに頬ずりした。僕達はすごく仲良しみたいだった。
「か、かわ……、いや、でも、魔獣……、なぜか懐いてますけど……、え、でも?」
「ね?可愛いよねえ。でも、どうして角が無くなったのかなあ。角が無くなっても野生で生きていけるのかなあ。……新しく角が生えるまで、一緒につれて行ったらだめかな?」
「だ!だ!だめに決まってるじゃないですか!!魔獣ですよ!?危険な!人を傷つける!魔獣なんです!危険なんです!」
「……この子が?」
「……どうしてこんなに、大人しいんでしょうか?それは、分かりませんけど、魔獣は、危険で、人になんて、懐かないはず……、なのに?」
「そうだなあ。ウサギだから、ウーサンだね。よろしく。角が生えるまで、餌がとれないかもしれないから、僕がごはんをあげるよ」
「ああ、そんな勝手に。そんな、名前なんてつけたら、ああ、……可愛い」
「それじゃあ、僕は着替えてこようかな。ウーサンも一緒にくる?」
僕がウーサンを抱っこしたままテントに入ろうとすると、ウーサンが悲しそうにキューキュー鳴きだした。テントの中に入るのが嫌そうだった。
「あの、テントには、魔獣除けを施していますから、魔獣は入れませんよ」
「ああ、だから入り口の外で待っていたのか。その魔獣除けってどうやって外すの?」
「アーサン、そんな、外すなんて危険です。テントの中に魔獣が入ってきますよ。寝ている時に襲われでもしたら!」
「でも、ウーサンは角がないんだよ?手負いのウサギだよ?ずっと外なんて可哀想だよ」
「……少し、考える時間をください。その魔獣が本当に危険じゃないのか、まだ判断できません。……とにかく、先に朝食にしましょう。すぐに準備します。あと!着替えは私が用意しますから!そこで待っていてください」
馬車の方に元気よく走り去っていくセラさんを、僕とウーサンはぼんやりしながら見送っていた。僕の腕の中の、ふわふわの凄く大きいウサギみたいなウーサンの頭の角は折れていて、しかもなんだか削ったように滑らかになっていた。
僕はウーサンを片手で抱っこし直して、片手で角があった所を触ってみた。どこにも引っ掛かりがなくて、やっぱりポキッと折れただけでは、なさそうだった。角があった所は、ぽこんとなめらかに盛り上がっていて、角の形状でハート型みたいに見えた。僕はその角があった所を撫でながら、昨日のことをつらつらと思い返していた。