2.勇者の旅立ち
魔法使いのお姉さんの後ろを、ドナドナな気分で離れないように歩いていると、なぜかお姉さんはチラチラ僕を振り返りながら歩いていた。そして突然、思い切ったように立ち止まって、僕の正面に向き直った。
「勇者様、本当に申し上げにくいのですが、あえて、勇者様の為に言わせていただきます。もっと!いつものゆうにシャンとしてください。姿勢が悪いです。顔に笑顔がありません。それでは嫌そうに見えてしまいます。今から大勢のみなさんの前に出て、見送られるのですよ。もっと堂々と、笑顔で!手を振って期待に応えながら見送られないと!勇者様は、みんなの希望なのです!」
「ええ~……、パレードみたいに?優勝もしてないのに?」
「勇者様!!冗談を言っている場合ではありませんよ。勇者様は、集まってくれた大勢のみなさんに心配されながら出発したいのですか?希望を与えず、不安を煽ることをお望みでしょうか?」
「そんな、つもりはないんですけど……、どうしよう、そんなの嫌だな。でも、どうしたら……?」
「背筋は、意識的に伸ばせますね?背中を丸めないように気をつけてください。堂々と、……顎を引いて。次は笑顔ですね。笑ってみてください」
「笑う?えっと、あっはっはーって感じですか?え~、面白いこともないのに、笑えるかなあ?難しいなあ」
「口は閉じてください。口角をあげて、目は、すぼめる感じでしょうか。すみません。私もあんまり笑わないもので、よく分かりません。笑顔……、難しいですね。勇者様はいつもにこやかに笑っていらっしゃいましたけど、無理ならキリッとした顔でも問題ないと思いますよ」
それで僕は魔法使いのお姉さんに向かって、笑顔を作ってみたり、キリッと顔にしてみたり、お姉さんに顔を近づけて色々と顔の表情を作ってみた。お姉さんは僕の顔を見ながら、僕が近づいた分よりもっと離れていった。
「コホンッ。そ、そうですね。勇者様の顔がたいへん良いことはよく分かりました。勇者様は、そうですね、嫌そうにしていなければ、自然体でいいと思います」
「そうですか?でも、なるべく笑顔でいるように頑張ります。あとは、姿勢か……。気をつけないと。心配しなくちゃいけない勇者とか、みなさんが気の毒すぎる」
「……勇者様は、なんとゆうか、真面目な方だったのですね……。今まで誤解しておりました。申し訳ありません」
「そんなそんな!僕は普通で……、魔法使いのお姉さん、頭を上げてください。僕怒ったりしてないから。やめてえ」
魔法使いのお姉さんは、僕に向かって深々と頭を下げて謝ってくれた。人のことを心の中でどう思っていたっていいのに、誤解してたと思ったら本人に謝っちゃうなんて、魔法使いのお姉さんは、僕なんかよりよっぽど真面目な人だと思う。
「それより、僕のことを勇者って呼ぶのやめてもらえませんか?これから一緒に旅に出るんだし、その、落ち着かなくて。名前とかで、いや、でもアーサーだしな……。どうしよう。アーサー……、嫌だな……。そうだ!アーサンにしよう!なんか呼びやすそうだし。僕のことはとりあえず、アーサンって呼んでください。様とかもいらないから」
我ながら凄く良い考えが浮かんだと思う。勇者もアーサーも落ち着かなくて嫌だし、違う名前にしておけば、本物の勇者の人が戻ってきた時にすぐ分かるんじゃないかな?僕の夢が覚めて現実に戻っても、それなら魔法使いのお姉さんが困らないですむと思う。うん、これはもしかして一石二鳥なんじゃないかな。しめしめな悪知恵みたいだけど、とても良い思い付きだと思う。
「アーサン……、アーさん?……分かりました。今後は、そのようにお呼びします。では、私のことも名前で、セラとお呼びください」
「セラさんだね。分かった。よろしく!僕がもしアーサーだって言い出したら、元に戻していいからね」
「はあ……、あ、はい。分かりました」
僕達はお城の長い廊下をまた歩き出した。あだ名で呼ぶことにしたからか、僕達はさっきよりも仲良くなれた気がする。ほのぼのと今日の天気の話しなんかして歩いていると、廊下の先からセラさんと似た感じのローブを着た、派手そうな女の人が走り寄ってきた。
「勇者さまあ~ん。こちらにいらしたんですねえ~?出発の前にわたくしとお話ししてくださると、お約束してくださいましたのにい~。もう~」
「あ、そうでしたか。すみません。すっかり忘れてて……」
異様にくねくねしたお姉さんは、忘れてて、の所でピクッと顔が引きつったけど、すぐに満面の笑顔に戻って、すごく僕に近づいてくる。なんだか香水かなにかの凄い匂いがするし、今にもガシッと掴まれそうで、僕はなんとなくセラさんの側に寄って女の人を避けた。ちょっとなんとゆうか距離感が怖い。
「ミランさん、私達は急いでいます。アーサンに話があるなら、手短にお願いします」
「アーサン?……ふ~ん。ずいぶん勇者様と仲良くなったのねえ。ねえ、勇者様!まもなく出発ですけど、やっぱりわたくしもご一緒させてくださいまし。少数で出発したいと仰いましたけど、わたくし調べてみましたの。勇者様ご一行は、パーティーと言ってたくさんの仲間をつれて旅をするものみたいなんですの。それに、勇者様がわたくしを選んでくだされば、セラのような優等生の堅物なんかより、よっぽど楽しく旅をすることが出来ますわ。ねえ?」
「ミランさん、私は正式に王国に選ばれた賢者です。ミランさんはまだ賢者の資格をお持ちではありませんよね?」
「ふんっ!たとえ最年少で賢者になった特待生でも、こ~んなお子様では。ねえ~?勇者様?そう思いますでしょう?長い旅になりますもの。色々と、困りますよねえ」
動きが妙で派手なお姉さんは、すごく奇妙な上目遣いで僕を見つめていた。僕の方が背が高いからしょうがないのかもしれないけど、なんだかちょっと怖い。僕はもう完全にセラさんの後ろに隠れるように立っていた。
「あの、別になにも困らないと思うし、セラさんが選ばれたんだし、セラさんだけでいいです」
僕がそう言うと、お姉さんはもの凄く笑顔になって、遠回しにセラさんの悪口みたいなことを交えながら、自分の長所を話し始めた。自分は貴族だとか、財力があるとか、みんなにモテるとか、セラさんよりみんなに好かれてるとか、魔法の得意分野があるとか、セラさんはクラスでも地味だったとか、だから自分はとても役に立つと長々話していた。僕は困って、セラさんと顔を見合わせた。
「そうか、お姉さんはセラさんと同級生だったんですね。でもセラさんよりずいぶん年上なんですね。あ、そうか飛び級とかですか?偉いなあ。だから同じ服……。あれ、でも、なんだかその服、ピチピチすぎません?セラさんと形がちょっと違うみたいだし。自分で改造したんですか?小さすぎますよ?」
ブフーーッ!!と盛大にセラさんが面白い顔で吹き出して、必死で涙と笑いを堪えながらお姉さんに別れの挨拶をすると、僕の腕を引っ張ってつれて行った。一人残されたお姉さんは真っ赤な凄い顔をしてワナワナ震えながら怒っているようだった。
「セラさん、あのお姉さん怒っているようでしたよ。僕が女の人の服の事を口出ししちゃったからかな?どうしよう。謝った方が良かったんじゃないですかね?」
「フッフフフッ。そんなことをしたら火に油を注ぎますよ。あの人は、ご自分のプロポーションに自信がおありなんです。クッ。ピチピチ……。フフッ。自分で改造は、しないと思いますけど、考えたら面白いですね。わざわざ強調するように、作り直して貰ったのかと思ったら……、フフフッ」
「制服を改造するのは、不良の人がするんですよ。それも一昔前の。あんまり、良くないことですよね」
「フッ、ハハハッ。もう!アーサン!わ、笑わせないでくださいよ!ふ、不良って、もう!顔が、緩んで戻りません!」
セラさんがあんまり可笑しそうに笑うので、僕も面白くなっちゃって、セラさんが盛大に吹き出した時の顔とかも思い出したらツボに入っちゃって、二人で大笑いしながら長い廊下を急いで歩いた。
厩舎に着いて、馬車と荷物をたくさん受け取ってから、僕達は王宮の正面玄関みたいな所で旅立ちのセレモニーに参加した。音楽隊の人達は心配していたよりも疲れていない様子で、イキイキと楽しそうに音楽を奏でていた。僕はなんだか楽しい気分になって、王様やなにか偉い人達に笑顔で別れを告げると、元気に旅立った。
お城から出ると、大勢の人達が町を出るまでの道の両側にズラーッと詰め掛けていて、もの凄くたくさんの人波ができていた。窓や建物の屋根の上からも、子供や大人やいろんな人達が僕に手を振ってくれていた。みんなが本当に嬉しそうなので、僕も嬉しくなって、馬車の手綱を引きながら、パレードみたいに手を振り返したりなんかして歩いた。
みんなに手を振りながら、心の中でセラさんと同級生のお姉さんにお礼を言っていた。二人のおかげで、ずっと笑っていられたんだと思う。でも時々、あの吹き出した時の顔を思い出しちゃって、僕まで吹き出しそうになったのは、ちょっと困ったけど。
こんなに、主役みたいにみんなに注目されるのは、もっと緊張したり、ビクビクして逃げ出したくなるかと思っていたけど、町をでるまでずっと笑顔で笑っていられたし、背筋もまっすぐに気をつけていたし、自分で言うのもなんだけど、ちゃんとした勇者みたいに元気に旅立てたと思う。
とにかく、勇者の旅立ちは無事に、誰にも心配されずに終えることができた。さてさて、僕はいつになったら夢から覚めるのかなあ。勇者じゃない方の僕は、雲一つない晴天の空を見上げながら、ああ、旅立っちゃったなと思っていた。