11.白銀の少女
町長さんの館はとても広かった。増築や改築を繰り返しているのか、変わった形をしていて、何棟かと幾つもの廊下で繋がったりもしていて、入り組んだ館の中は、案内されながら歩いていても迷子になってしまいそうだった。
一通りあっちこっちを見せてもらったあと、セラさんと僕が泊まらせてもらう部屋に案内してもらいながら、一人ではどの部屋にもたどり着けそうもない気がした。僕は心の中で密かに、窓から見える景色を覚えて外から出入りしようと決めた。
セラさんと僕の部屋は廊下を挟んで向かい合わせになっていた。僕は案内してくれた人が帰って、セラさんが部屋に入っていくのを見届けてから、自分の今日泊らせてもらう部屋に入った。
僕の部屋はとても広くて、入ってすぐにテーブルやソファーがある部屋があって、奥の扉の向こうには、大きなベッドがある部屋があった。僕はとりあえず窓際まで行って、たくさん木が生えている庭を眺めた。綺麗で快適そうな部屋だったけど、とてもじゃないけど、まったくはしゃいだ気分にはならなかった。
僕はぼんやりと窓の外を眺めながら、思わずため息をついてしまう。どれぐらいそうしていたのか、気が付いたら誰かがコンコンと扉をノックしていた。ハイと返事をすると、セラさんがそおっと扉を開けて部屋の中を覗き込んだ。
「セラさん?どうしたの?部屋の中に入ってもいいよ?」
「あ、いえ、お部屋にお邪魔するつもりはありません。あの、私、さっそく温泉に行ってこようと思いまして……、あら?アーサンはまだ着替えてなかったんですか?もう勇者の鎧を脱いで、寛いでもらってもいいんですよ。夜の宴までは、ゆっくりしていてください」
「ああ、そうなの。分かった」
「アーサンは、温泉はどうしますか?もちろんお部屋でお休みになっていてもいいですし、お好きに過ごしてもらって構わないんですけど」
「温泉は、今は、いいかな。着替えたら、……そうだなあ。庭に出てみようかな。散歩とか、景色も良さそうだし」
「そうですか。では、宴までは自由時間としましょう。先に、アーサンの着替えを持ってきますね」
セラさんが一旦自分の部屋に戻ると、僕の着替えを一揃え持ってきてくれた。そして低い台の上に、凄く几帳面な人みたいに、パジャマと、宴の服と、明日の服とかをそれぞれ順番に並べて置いていた。
「いいですか。この一式を崩さないでくださいね。特にこっちの服と、こちらの服を交ぜないように注意してください。この揃い通りに着替えてください。決して間違えてはいけません」
「……はい」
僕はどうやら、セラさんに服のことで何か心配をされているようだった。たしかに僕は、決して間違えてはいけない服のルールが何かを知らないので、言われた通りにすることにした。なんとなくだけど、この一揃いの服たちを、あっちのとこっちのって感じで、おしゃれ上級者みたいに組み合わせを変えてみたら、セラさんに烈火のごとく怒られる気がした。
「それでは、私は行きますね。アーサンもゆっくり寛いでいてください」
僕は廊下でセラさんを見送るとまた部屋に戻って、とにかく勇者の鎧を脱ぐことにした。マントやら、兜やら、鎧一式をとりあえず床に置くと、ゴドッと鈍い音がした。思えばこの鎧たちも不思議だった。こんなに羽のように軽いのに、いつも置く時には重そうな音がしている。適当に床に置いた鎧をもう一度持ち上げると、床がメリッとめり込んだように拉げていた。
「えええ~!?ヤバい!ヤバいよ。どうしよう!?床を壊しちゃった!?」
僕は一人部屋の中でウロウロして狼狽えていたけど、とにかく館の主の町長さんに謝っておこうと思って部屋を出た。廊下に出て歩いていると、途端に現在地が分からなくなって、とにかく初心に戻ろうと、廊下の窓から外に出た。僕は方向音痴じゃないつもりだったけど、館の中から町長さんを探すのは至難の業に思えた。
途方に暮れた気分になって、庭を歩き回っていると、なんだか嗅いだことのある香りがした。どこかで……?どこだろう?なんの香りだったろう?そのままトボトボ知ってるはずの香りのする方に向かって歩いていると、突然、バシャーッと水の音がして、ハッとした。
温泉だ!これは温泉の香りだった!!そう気付くやいなや、僕は一目散に反対方向に向かって走り出した。自分で言うのもなんだけど、風のように早くその場所から遠ざかった。
温泉とゆうことは、今はセラさんが温泉に入っているはずで、あのまま進んでいたら、まかり間違ってノゾキみたいなことになっていたかもしれなくて、そんなことは、想像するだけでも失神しそうなほど恐ろしかった。そんなつもりがなくて誤解だったとしても、勇者がどうこうとゆうより、人として終わっている。
僕は無我夢中で飛ぶように早く走って、気が付けば、町長さんの館どころか町からも離れてしまっていて、なんだか何も無い山に向かう一本道のような所にいた。僕は、もう何をしているんだか情けなくなって、その場で力が抜けて座り込んだ。ハア~と深いため息がでる。
「……兄さんどうした?具合が悪いか?」
声をかけられたので見上げると、小さな女の子が僕を見下ろしていた。驚くほど顔のパーツが整っていて色白で、一瞬、もの凄く美少女の人形が僕の前に立っているように見えた。長いプラチナブロンドの髪が風になびいて、陽に照らされて白銀のように輝いていた。僕は圧倒されて、ただ黙って見ていた。
「口がきけんのか?……行き倒れか」
「あ、いや、いえ、話せます。具合は悪くないです。大丈夫。あの、ありがとう、心配してくれて」
僕がニコッと微笑んで答えると、なぜか少女がもの凄く驚いた顔をして、僕のことをジッと固まって見ていた。
「お前さんは、……なんだ?……どこかで、会ったか?」
「ああ、お皿とかを見たんだね?僕の絵が描かれたコップとかがお店で売っているらしいから」
「は?皿?なにを言っている?」
幼い少女が途端に訝しんだ顔になって、睨みながら一歩後ろに下がってしまった。まるで僕が変質者か何かになったみたいで少し悲しい。
「あの、僕は怪しい人じゃないんだよ。その、あんまり自分では言いたくないんだけど、僕は、勇者、……らしくて、それで、僕の絵とかがお店で売っているって聞いたから、それで、見たことあるのかなって、……思ったんだけど」
あきらかに僕の言っていることがなんだか怪しいし、おかしな人だと思われても仕方がないなと思いながら少女の顔を見ると、目が合った瞬間に、なぜかニンマリと笑われた。
「そうか、勇者か。それは有名人なんだろうな。さぞかしタンマリ……。オホンッ!勇者がこんな道ばたで座り込んでいたんだ。よほど疲れていたんだろう。うちの店はすぐそこにあるんだ。茶でも飲ましてやるからついてこい」
「あ、いえ、大丈夫です。お気遣いなく」
僕がお誘いを断って立ち上がると、少女が小さな女の子だとゆうことがよく分かった。あらためて見下ろした少女は、重そうな籠を背負っていた。籠の中には草や何かの実や、重そうな石がたくさん入っていた。
「……やっぱりお茶をご馳走になろうかな。その籠は、僕が持つよ」
僕は少女が背負っている籠を外してあげて片手に持つと、少女は機嫌が良さそうに、嬉しそうに笑ってくれた。そして、案内してもらって一緒に手を繋いで山に続く坂道を歩いて行った。
「そんな、勇者様じゃなくていいんだよ。僕のことはアーサンでいいよ。その方が慣れたから。そういえば、君の名前は?」
「……レイナ」
「そう、レイナちゃんって言うんだね。よろしく。あ、そうだ、大事なことなんだけど、こうやって初めて会った人にはついて行ったらだめなんだよ。大人の人とか、僕みたいに男の人とか、悪い人だっているんだよ。今は、ついて行っているのは僕だけど、憶えておいてね」
「……お前さんは、自分がおかしな事を言っているのに気がついているか?」
「おかしい?おかしく思えるかもしれないんだけど、おかしな事をする大人っているんだよ。危険なことだってあるんだよ。全部疑わなくちゃいけないのは悲しいけど、用心するに越したことはないからね。とにかく、知らない人にはついて行ったらだめだよ」
「……もういい。分かった」
しばらく二人で山道を登って、細い分かれ道を下って行った先に小さな小屋みたいに可愛らしいお店があった。店先にはドライフラワーみたいな物が所狭しといくつも束になって飾っていたし、壺やガラス瓶が無数に置いていた。そして、大量の枯れた草みたいな物の横にはお皿にのせた石がたくさん並べられていた。いったい何のお店なのかはさっぱり分からなかった。
「そこに座って待っておれ。茶をだしてやる」
「あ、はい。ありがとう」
僕はお店の中をキョロキョロ見て回るのをやめて、お店の奥にあるカウンター近くに持っていた籠を置いた。そしてそこにある小さな椅子に腰かけた。座って店内を見渡してみて、もしかしたらドライフラワー屋さんかもしれないと思った。それか、小石屋さん?お皿の石が気になって、見に行こうと立ち上がったのと同時に後ろから声をかけられた。
「待たせたな。これを飲むといい。元気がでる」
振り返るとレイナちゃんがニンマリと笑いながら、茶色い液体が入ったコップを差しだしていた。僕はそのコップをお礼を言って受け取ると、コップの中身を覗き込んだ。微かに沸々と泡立っている茶色い液体は、薬みたいな香りなんだけど、なんだか懐かしいような香りだった。
飲むと元気がでるとか言われると、なんだか怪しげなんだけど、僕は良い香りだと思ったので、レイナちゃんもジッと見ていることだし、思い切って飲んでみることにした。ゴクンと一口飲んでみると、口の中がシュワシュワして甘くて、僕はカッと閃くようにコーラだと思った。弾けるのど越しが楽しくて美味しくて、僕はゴクゴク一気に飲みきった。
「レイナちゃん、ありがとう。すごく美味しかったよ。これ、このお店で売っているの?きっと、冷やしたらもっと美味しいと思うよ」
レイナちゃんは僕が飲み干すのをジッと見ていて、コップを返すとニンマリと満足そうに微笑んで頷いた。
「全部飲んだな。察しの通り、これは売り物なんでな。代金を支払ってもらおう。一杯、100万デリエだ」
「デリエ……?あ、ごめん。僕、お金を持ってないんだ」
「なに!?そんな訳あるか!お前さんは勇者なんだろう!?1デリエも持っていないとは言わせないぞ!茶を飲んだんだから、金を払え!」
「あの、ごめんなさい。お金は、たぶんセラさんが持ってて、だから、僕は任せっきりってゆうか、あの、ごめんなさい。僕、お金をもらってくるよ。100デリエ、だったよね」
「阿呆か!100万デリエだと言っとろうが!1デリエだって負けてやらんからな!」
「本当にごめんなさい。ちゃんとお金は払います。セラさんにお金をもらって戻ってくるから、少しの間、待っててくれない?」
僕がお金を持っていないことを謝っていると、どこか奥の方から、激しく咳き込む声が聞こえてきた。レイナちゃんは大きく目を見開いて、途端に慌てて部屋の奥の方に消えていった。
「ばあちゃん!ばあちゃん!大丈夫か!?」
僕はただならぬ様子が心配になって、少し悩んだけど、他人の家の奥の部屋に踏み入っていった。廊下を挟んですぐの扉が開いていたので、僕は恐るおそる扉の方に向かう。その間もずっと、胸が締め付けられるような、苦しそうな咳は止まずに続いていた。




