08.そんな子じゃないから!
「……あの。すみません、機材の説明ってまだですか?」
低い声が空気を裂いた。
腕を組んだままこちらを睨むのは、無愛想な顔の男子。
自己紹介を思い出す。名前は……なんといったか。確か、ギター経験者の新入生だ。愛想笑いもなく淡々と喋っている様子は、なかなか取っつきづらそうだった印象がある。
「あ、ごめんごめん、西条くん。じゃあ、そろそろ真面目な話すっかー」
高倉が手を叩き、場の空気がピリッと切り替わる。
キラキラ青春劇場に巻き込まれていたぼくはホッとして、内心で西条に感謝した。
「えーっと、まずギター希望の子たちには、いくつか部の備品で貸し出せる機材があるから、それの説明するね。チューナーとかエフェクターとか、最初は分からないこと多いと思うけど、質問あったらどんどん聞いて」
そう言って、高倉は準備されていたエレキギターやアンプなど、機材について丁寧に説明し始めた。
冗談も交えながらの話し方はさすがに手慣れていて、悔しいが初心者にも分かりやすい。
そして一通りの説明が終わると、改めて希望を聞かれる。
やはりギターを弾くのは難しそうだが、それはどの楽器でも変わらないだろう。本気で取り組むわけでもなし、ぼくの目的は別にある、と自分のハードルを下げ、ギタリストとして部に所属することを決める。
人数バランスも悪くなかったようで、新入部員たちの希望はそのまま通ることとなった。
一年生でギターを希望したのは、ぼくと先ほどの西条、それから、榎本という長身の女の子。
未経験なのはぼくだけのようで、少し肩身が狭い。
パート分けと説明が終わると、また全員が集まって、全体で部の年間スケジュールや、今後の活動についての説明が始まる。
代表と言うだけあって、これも高倉が説明するのかと思ったら、こちらはぼくが軽音を見学するきっかけでもある、トウイが担当するようだった。
どうやら、彼は運営の事務回りを行う役職らしい。
「新歓のパンフレットにも書いてある通り、活動日は毎週水曜日の夕方と土曜日。でもまあ、出席とかに厳しいわけでもないし、参加は自由です」
トウイが落ち着いた声で説明をしていく。
こちらを見透かすような目が居心地悪く、出会ったあの日以降は何となく関わりを避けていたが、やはりそのモテオーラは健在だった。
軽音の女子人気を高倉とふたりで二分している、なんて噂も小耳に挟んだけれど……ぼくには別格に思える。
まあ、ぼくは高倉の本性を知っているからかも知れないけど。
そんなことを考えているうちに説明も終盤に差し掛かっていた。
「直近のイベントとしては、ゴールデンウィークの後半に『新人ライブ』があります。新入生だけで組んだバンドが、1曲ずつ披露するってやつね」
「え、そんなに早く!?」
ドラムを選択肢した新入生が驚きの声を漏らし、少し動揺したようなざわめきが起きた。
「うん。まだ楽器に触れたばかりって子もいるけど、毎年その時期って決まってる。ま、曲はコピーでいいし、先輩も色々サポートするから。思い切って楽しんで!」
トウイが笑顔でそう言うと、周囲の先輩達も「できるできる!」「なんとかなったし!」と口々に励ましの言葉を掛けてくれる。
中には「ちゃーんと練習しないとステージで恥かくぞー」なんて、さりげなくプレッシャーを与えてくる奴もいたが。
しかし、あと2週間で、1曲演奏する……?
まったくの素人としては、なかなかにハードな課題だ。
「がんばろうね!」
隣の栞が小さなガッツポーズと共に囁いてくる。可愛い。
「う、うん」
説明が終わると、活動は一旦解散となった。
ぞろぞろと皆が荷物をまとめる中、栞がぼくの腕を軽く引いた。
「ね、せっかくだしさ! 一年生でごはん行かない? 土曜日までにバンドメンバーも決めなきゃだし、親睦会!」
「え? あ、うん、いいね」
「じゃあ、声かけてみるね~」
栞がにこにこしながら周囲に声をかけ始めた。物凄いコミュ力だ。
杉村をはじめ、他の新入部員数人がすぐに「行く行く!」と賛同し、ちょっとしたグループが出来あがっていった。
*
やって来たのは、大学の最寄り駅近くのファミリーレストラン。
栞の人望の成せる業か、新入部員10名の全員が集まっていた。さすがにひとつのテーブルでは収まりきらず、隣り合った二卓に5人ずつ座ることになった。
各々、タッチパネルで料理やドリンクバーを注文していく。
ざわざわとした喧騒の中、やがて話題は自然と、今日の活動の振り返りからバンド編成の話へと移っていった。
「えーっと、ベース2人いたよね? 栞ちゃんと……あれ、もうひとり誰だったっけ?」
「あ、それ僕! 尾崎」
「そっか。じゃあドラムが2人、ギターが3人、ベースが2人、キーボードが1人、ボーカル志望が……2人?」
「うん。それで、10人ちょうど。2バンド組むことになりそうだね」
「でもスリーピースって手もあるよな」
「うーん……それだとベースとドラムが足りなくなるよ」
「あー、確かに」
「まだ仮だし、パート転向とかもあるかもだけど、新人ライブまでは時間もないし、余裕持って5人ずつ2バンドがいいと思うな」
栞がスマホを開いてメモを取りながら、さくさく仕切っていく。すっかり中心人物だ。軽やかで人当たりがよく、何より可愛い。こういう場に強いのがよく分かる。
「ベースとドラムの組み合わせを先に決めて、その軸で他のメンバーを決めよっか!」
栞の言葉で、ぼくは周囲を見回す。
ファミレスのテーブルには、男子5人と女子5人。
そのうちギター志望なのは、ぼくと榎本、それから西条。
ベースは栞と、尾崎という経験者で小柄な男子。
ドラムは杉村と、吹奏楽経験者でお調子者の井上という男子。
キーボードが宮野というクラシック経験者の女子。
そしてボーカルには、伊藤という男子と、市河という女子。
男女もパートも、何ともバランスよく入部したものだ。
「この中で一緒に組む約束してる人は? なるべくそれは崩さないようにしたいよね」
「うんうん。私はヒナと組む約束してる!」
尾崎の提案に、栞が答える。
「俺と尾崎も。高校が一緒でさ」
続いて、軽く手を挙げて発言したのは、ボーカルの伊藤。
「オッケー。じゃあこれで一旦ベースが分かれたのと、うちのボーカルは市河ちゃんに決まりかな? 市河ちゃん、それで大丈夫?」
「うんー、大丈夫! よろしくね」
市河が笑顔で応じる。
「そしたら、ドラムのふたりにどっち入りたいか決めてもらおっか」
安藤、栞、市河のバンドか、それとも尾崎、伊藤か。
「あ、俺……ヒ、安藤さんと組みたいんだけど!」
テーブルの端から慌てて声を上げたのは、杉村。さっきから落ち着きなくぼくの様子を見ていたが、ここで堪え切れなくなったらしい。
「え、俺、ドラムも練習するし! が、学園祭で演奏するのが夢で……!」
微妙な沈黙。
誰も何も言わない中、店内の喧騒が虚しく響く。
……やめてくれ。
悪意はないのは分かるけど、こうやって空気を壊していくのが、杉村の悪癖だった。
「えーっと、井上くんはどう?」
栞の問いかけに、井上は軽薄に笑った。
「あ~、じゃあ俺も安藤さん達と組みたいなー。夢のハーレムバンド! ね、安藤さん」
「え?」
大袈裟な身振りをしながら、井上がぼくを見る。
「どう? 俺、けっこう上手いし、テクニシャンなんだけど」
「あ、あの……」
発言と共に、井上は指先を不自然にくねらせる。
な、なんだこいつ……。
「マジでサイテー、私こいつとは別バンドがいい」
返事に困っていると、榎本が露骨に嫌悪感を示した。
「えー! 冗談じゃん、冗談!」
井上は慌てて否定する。
場が荒れたせいか、その後も議論は紛糾して、なかなか話が進まない。
「……あのさ」
ダレてきた空気の中、低く割り込んできたのは、西条だった。
「俺、真面目に決めたいんだけど」
少し、空気がひりつく。
「あー、スマン! 調子乗りすぎた」
謝る井上に不機嫌そうに鼻を鳴らすと、西条は、ぼくに視線を向けた。
「ていうか、あんたもそうだけどさ」
その目は冷たく、敵意すら宿している。
「ここ、軽音サークルだから。男漁りに来たなら他所に行けよ」
鋭く突き刺さる言葉。
場の空気が、一気に凍る。
「は」
呆けたような声が自分の口から漏れた。
突然の衝撃で思考が止まり、返す言葉も見つからない。
この姿で他者から厳しくされたのは、始めてだった。
「ち、ちょっと西条くん、それは言い過ぎじゃない?」
真っ先に声をあげたのは栞だった。
毅然とした口調で西条を注意する。
「ヒナはそんなつもりで入ったんじゃないし、別に誰が誰とバンド組みたいって言っても自由でしょ?」
「自由? 遊びじゃねえんだよ、こっちは。真剣に音楽やりに来てんだ。音楽性も考慮しないパート分けでダラダラしてる時間が勿体ない」
「はぁ!? そんな言い方、」
「し、栞!」
ヒートアップする栞をなだめようと、ぼくが口を開きかけた時、杉村が派手に立ち上がった。
「ヒ、ヒナちゃんは、そんな子じゃないから! い、いつも、みんなに気遣ってて、優しくて、ほんとに……!」
あーーーー!!!!!
やめてくれ、本当に。
杉村の間の悪さに対して、今度は本当に怒りが湧いた。
まだぼくは何の作戦も実行していないのに、早くもサークルはクラッシュへの道を辿っているようだった。