07.ゆるふわ軽音ガール
「佐野栞です! 音楽は大好きですけど、楽器は初心者なので、色々教えてください! よろしくお願いします」
栞が元気に頭を下げると、歓迎ムードの拍手が大きく部屋に響いた。
大学の授業も終わった、水曜日の夕方。
この日は毎週のサークル活動日で、その初回でもあった。
大学公認のサークルである軽音部『Fret』に練習場所として割り当てられているのは、文化会館と呼ばれる建物だ。
キャンパス内の端に位置する文化会館には、いくつかの控え室や会議室、小ホールがあり、サークル内で組んだバンドやパート毎に各部屋を使って練習するということらしい。
この日は初回ということで、広めの会議室に集まって、新たに加わった10名の新入部員による自己紹介を行っていた。
「安藤ヒナです。同じく楽器は未経験で……えっと、頑張ります。よろしくお願いします」
栞に続いて、ぼくも軽く頭を下げる。
また、大きく歓迎の声と拍手が沸いた。
これまでの人生では一度も受けたことのないほどの注目と熱烈な歓迎に、頬が熱くなる。言い様のない悦びが胸を満たした。
「え、あっ。す、杉村恭平、です。楽器は、昔ヴァイオリンを習ってて、あの、G線上のアリアとかが得意で、」
新入部員の中には杉村もいた。
慌てた早口で紡がれる自己紹介は、相変わらず空気が読めておらず無駄に長い。内容も、かなりどうでも良かった。
先輩の集団から「ここ軽音だぞー!」とヤジが飛んで、杉村の言葉を強制終了させるように、まばらな拍手が起こる。
杉村は自分の暴走に気付き、後悔するように顔を赤くした。
その後も、新入部員が順に無難な挨拶していく。先輩達も自己紹介してくれたが、元々人の顔を覚えるのが苦手なぼくは、聞いた端から忘れていった。
まあ、関わっていくうちに嫌でも覚えるだろう。
「じゃあ、次は新入部員たちのパート決めをしよっか。人数バランス見たいから、とりあえず希望のパートに分かれてみて」
「あ、もうバンド組みたい友達がいるようなら、相談してパート決めてもいいよー」
先輩が仕切って、希望パートに分かれる。
何人かいる楽器経験者たちは、すぐにそれぞれのパートリーダーの元へ移動していった。
パートか……。ぼくは特に楽器や演奏へのモチベーションがあるわけでもない。
それに、どのパートになるかなんて些細な問題、高倉への復讐計画にもさほど重要ではないように思えた。
同じギターを選べばパート練習での接点は増えるだろうが、別のパートを選べばバンドを組む流れになる可能性もある。
どうしたものか。
「ね、ヒナ、よかったら私とバンド組まない?」
思い悩んでいると、隣にいた栞が声を掛けてくる。
傾げた首に合わせて揺れる髪から、ふわりと良い匂いが漂って、鼻をくすぐる。
思わずドキリと鼓動が速まった。
「あ、うん。わたしでよければ……」
「やった!」
栞は同性同士の気安さと距離感で親しく接してくれるが、そもそも女性に対して免疫のないぼくは、その近さに慣れず、いつもドギマギしてしまう。
「あのね、私、ベースに興味あって。ベース担当でもいいかな?」
「うん。じゃあ、わたしはベース以外で選べばいい?」
「ありがと、ヒナ~!」
やはり男とは単純なもので、美少女の頼みは断れない。栞の笑顔にぼくの方も嬉しくなった。
そして、今はぼくも、この力を持っているのだ。有効に活用しなければならない。
「あ、あの、2人はバンド組むの?」
その時、背後から遠慮がちな声がした。
振り返ると、杉村が所在なさげにこちらを見ている。
相変わらず挙動不審なその姿に、栞がちょっとだけ困ったように微笑んだ。
「うん、そんな感じ。でも、まだ仮だし、杉村くんも誰か誘ってみたら?」
「あ……そ、そっか……。あの、安藤さん、俺、ドラムちょっとやってみたくて……」
言い終える前に、また視線が泳ぐ。周囲の様子を窺うようにしてから、かすれた声で続けた。
「い、い、一緒に組めたら、嬉しいなって……その……」
「えっと、ごめんね。私たちもまだ色々と考え中で」
「え、あ、う……うん、そうだよね……」
答える杉村の顔が、少しだけしぼんで見えた。
可哀想な気もするが、ぼくはもう、彼にあまり肩入れするつもりはないのも確かだ。
新歓の飲み会以降、ぼくは変に杉村に懐かれてしまい、控え目なようでいて、その実、空気を読めない自分勝手なアプローチに困らされていた。
何か使い道があるかも知れないと邪険に扱ってはいないものの、あまりかかずらわってもいられない。
「そろそろ決めて移動しないと。わたし、ギターにしてみるね」
ともあれ、杉村と被らないよう選択肢からドラムを除いたことで、パート選びは簡単になった。
栞に声を掛け、急いでギターのパートリーダー……高倉を中心とした、ギターパートの集団がいる方へと移動した。
*
ギターパートの集団に加わると、高倉がこちらを見て、ぱっと表情を明るくした。
「おっ、ヒナちゃん、こっち来たんだ。やった!」
その自然な一言に、周囲の視線が一斉に集まる。
腹の底から沸き上がる不快感と、注目される緊張を押し隠して、笑顔の仮面を被った。
「は、はい。ギター、かっこいいなって思って」
「マジでいい選択! 似合うと思ってたわ。……てかさ、今度の土曜に初心者向けの楽器選びツアーやんのよ。部内で。楽器屋巡って、予算とか、実物見ながら決めようってやつ」
「へえ……、そんなのあるんですね」
「俺、一応それの案内係なんだけど、ヒナちゃんも来るよね?」
当然のように言われて、思わず言葉に詰まる。
でも、ここで断る理由はない。
このサークルで、高倉に近づくのも、観察するのも、全ては計画のうちだ。
「は、はい。ぜひ」
「よっしゃ。楽しみになってきたわ!」
「あー。ゆーたろ、また女の子ナンパしてるぅ?」
ふと、柔らかく甘ったるい声が会話に割り込んできた。
声の主へ視線を向けると、そこには、ふんわり巻いた明るい茶髪、華奢な体つきにニットのカーディガン。どこかゆるふわな空気を纏った女子が立っていた。
確か2年生で、先ほどの自己紹介ではギターパートの副リーダーと言ってたっけ。
「もー。パーリーでしょー? 機材の説明、ちゃんとやってよ~。ヒナちゃんも困ってるよー?」
ね、と同意を求められる。
「えっと……、」
返事に窮していると、近くにいた男子の先輩がニヤつきながら言った。
「おい凛、嫉妬かー?」
「ええ? ち、ちがうよぉ」
頬を染めて否定する姿は、恋する乙女そのものに見える。
……この凛って女、高倉に気があるんだろうか?
「ゆーたろとは、そういうのじゃないの!」
ぷんぷんと、擬音が聞こえてきそうな動きで否定する凛に、高倉が悪戯っぽく笑った。
「だよなー。わかる、わかる。凛は、ギターパートのお姫様ポジションをヒナちゃんに奪われそうだからって、めちゃくちゃ嫉妬してんだよな」
「ちょっと~! それも違うってばぁ〜〜!」
凛はほっぺをぷくっと膨らませると、くすぐったそうに身を捩る高倉の腕を小突いた。
「そーゆーの言われると、ほんと傷つくんだからぁ、もう〜〜」
こいつらは、いつもこんなことをやっているんだろうか。
陽キャ共の甘ったるいじゃれ合いノリを見せつけられて、気分が悪くなる。
「っていうか〜、やっぱ1年の子って若くてカワイイよね。私なんかもう2年で、ババア枠入ってきてるし〜〜」
凛の言葉に、周囲の男子数人が「いやいや〜」「そんなことないって」と軽口を返す。
「でも、ヒナちゃんほんとカワイイ~……私、カワイイ女の子大好きだから、仲良くしてねっ?」
大きい瞳。頬には笑みを貼り付けたまま……じっとぼくを見る。
口調とは裏腹に、その視線の温度は妙に冷たい気がした。