06.サークルクラッシャーへの道
高倉祐太郎に出会ったのは、中学に入学してすぐだった。
3つの小学校から統合された、地方都市の公立中学。一番人数の多かった小学校から上がってきた高倉は、当時からクラスの……いや、学年の中心にいた。
一年生にして生徒会に所属し、野球部でも活躍。勉強も運動も器用にこなして、教師や保護者達からも評判がいい。そんな、絵に描いたような優等生。
だが、その反面、出来ない奴や劣った奴を心底から見下して陰湿にいじめる嫌な奴だった。
ぼくが陽キャを嫌いになったのも、家から遠く離れた高校を選んだのも、こいつが大きな原因だ。
しかし、そんな高倉がまさか同じ大学にいたとは知らなかった。
どうやら学部も違うようだし、幸か不幸か、ぼくは他者と交流のない学生生活を送っていた。生活圏が異なり、うまくすれ違っていたのだろう。
「ヒナちゃん、軽音入ってくれんの?」
軽い笑み。甘えるような口調。
人当たりのいい好青年を装うその態度は、あの頃のままだ。大人の前では模範的な態度をとりながら、裏では無視や物隠し、からかい、理不尽な暴力の中心にいた、優等生の仮面。
「あ、えっと、いえ……」
高倉を前にしているだけで、身体をきつく縛られたように呼吸が浅くなる。
ぼくのおどおどした態度、おぼつかない受け答えに、いつも高倉は苛立ち……嗤っていた。
中学時代が、フラッシュバックする。
「ん、どしたん?」
しかし、思わず目を閉じ俯いたぼくに掛けられたのは。
聞いたことがないほど優しい、高倉の声だった。
「え……」
思わず、顔を上げる。
高倉の穏やかな笑顔と、猫のようなつり目。
「あ、まだ迷ってた? まぁでも、ここ来てるってことは、ちょっとは興味あるんでしょ?」
わざとらしく覗き込んでくる、その距離感が教えてくれる。
そうだ、ぼくはもう……あの頃のぼくじゃないんだ。
たとえ高倉が変わっていないとしても、今のぼくは彼にとって価値があり、尊重すべき存在なんだ、と。
「……あ、あのォ!」
唐突に、背後で声が上がった。
杉村だ。
ずっと後ろで控えていた彼が、突然割り込んでくる形になった。けれど、声のボリュームも、タイミングも最悪だった。
「俺、し、心理学科の杉村で、あの、軽音には音楽療法的な観点から、きょ、興味があって……!」
裏返った声。汗ばんだ顔。震え気味の語尾。
場の空気が一瞬で凍るのが分かった。
高倉は、ちらりとだけ杉村の方を見て、すぐに目を逸らす。
「そいや、ヒナちゃんってバイトしてんの?」
まるで、さっきの発言など聞こえなかったかのように、話題を変える。
不自然なほどに、杉村の存在は透明化されていた。
「えっと……今はしてませんけど、カフェとか気になってて」
「マジ? すごい似合うわ! 始めたら絶対教えて、遊び行くから!」
「は、はい」
高倉と会話を続けながらも、横目で杉村を見遣る。
彼は金魚のように口をパクパクと動かしながら硬直していた。いたたまれない。
……ぼくは、かつて杉村だった。
何もなかったかのように無視される側だった。
痛みも、羞恥も、あの無力感も、すべて覚えている。
「……あの、杉村くんは、バイトしてるの?」
同情か、それとも仲間意識だろうか。
気付けば、ぼくは杉村に話を振っていた。
「え、あっ、俺は」
どもる杉村。
高倉は、一瞬驚いたように目を見開いて、それから嗜虐的に笑った。
「確かに、気になるわ」
口調は柔らかいのに、どこか見下すような言葉。
「あ、ていうかしてなさそうか。なんか、親が心配しそうな感じだし」
そう言って笑うと、周囲も釣られて笑った。杉村は顔を引きつらせて俯く。
……そうだった。そういう奴だった。
直接的に否定はしない。けれど、言葉の端々でじわじわと格差を生み、相手を下に置く。自分はいつだって上にいる。
笑って、場を支配する。それが高倉のやり方だ。
気分が悪い。
……でもそれと同じくらい、今の状況がたまらなく、気持ち良い自分がいた。
ぼくは、もう踏みつけられる側じゃない。見下す側に立てる立場になったのだ。
「でも、杉村くんは将来、先生になりたいんだよね? 塾講師とか、向いてるかも」
微笑みながら、こっそりと杉村をフォローする。
ぼくがこちら側にいれば、こうして誰も惨めな想いをさせないことだってできるんだ。
「あ、安藤さん……」
杉村の潤んだ目には、とびきり可愛いぼくの笑顔が映っていた。
倒錯した快感が、背筋を這い上がって頭を痺れさせる。
惨めさが、悔しさが、怒りが、妬みが、羨望が、欲望が、希望が、好奇心が混ざり合う。
飲み会に、来て良かった。
これまで知らなかった世界。
関わってこなかった人間達。
それから……高倉祐太郎。
ぼくが灰色の毎日を送る中で、煌びやかな青春を謳歌するこいつらを……見返してやりたい。
めちゃくちゃに、してやりたい。
今のぼくには、その手段がある。
美少女としてちやほやされるよりも更に甘美な欲望が首をもたげる。
これは、チャンスだ。
復讐。
その二文字が頭をよぎった。
今なら、今のぼくなら……できる。
高倉に復讐できる。
楽しいイベントや友人関係、そんなサークルの美味しい部分を適当に楽しんで、それから……人間関係を徹底的にぶち壊してやる。
こいつをぼくに惚れさせて、手酷く振ってやるのもいいだろう。想像しただけで鼓動が高鳴った。
どうせ安藤ヒナは架空の人間なんだ、好き勝手やってしまおう。
変身さえしてしまえば、誰もぼくを見つけられないのだから。
これは運命だ。
このために、ぼくは美少女になったのかも知れない。
そうだとすら思えた。
こうして、ぼくは、この軽音サークルに入部することに決めた。