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05.か、帰りたい


 か、帰りたい。


 アルコールの匂いが漂う店内。

 壁際の椅子に座って、手持ちぶさたに周りを観察していた。

 酔って大声でつまらない冗談を捲し立てる男に、品なく笑う女。数人でSNS用の自撮りをしている者や、どこからか聞こえるコールの声。

 新入生も上級生も、キャンパスライフを充実させるため、血眼になって社交に励んでいた。

 改めて突きつけられる実感。

 ……ぼくとは、住む世界が違う。


 軽音サークルの新歓飲み会は、総勢60人ほどが集まる大所帯となっていた。大学の最寄駅近く、大衆居酒屋の二階。どうやら、今日は貸し切りらしい。

 乾杯から一時間ほどが過ぎ、最初は固定されていた席も、皆が思い思いに動き回って、今では好き勝手にいくつかのグループが生まれている。

 ほとんど誰とも交流がなかったところから一転、こんな動物園の檻の中に迷いこんでしまったものだから、ぼくが馴染める訳もなく。完全にキャパオーバーだ。

 色んな人がひっきりなしに近寄って来て、何人かと自己紹介や挨拶を交わしたが、正直、誰のことも覚えていない。

 今はトイレを口実に抜け出して、少し離れた場所で休憩中だ。


 佐野さん……栞は、途中まで一緒だったが、持ち前のコミュ力でいつの間にか盛り上りの中心にいた。

 まったく、美少女というのも大変だ。

 グループからあぶれたり、気まずい思いをしたりしなくて済むことに喜ばしい気持ちはあるものの、ぼくには下心剥き出しで迫ってくる男達を上手くかわせるようなコミュ力はない。

 既に、貼り付けた愛想笑いで頬が痛くなっていた。

 ……だが、そんな適当な笑顔や相槌なんかに気をよくして、満足げにつまらないトークを繰り広げているのだから、男というのは単純で、美少女というのは得である。


 見目麗しい一軍の男女が、適度なスキンシップを交えて盛り上がるテーブル。

 それに追従する二軍は、バカなノリで浴びるようにお酒を飲み、音楽談議に花を咲かせている。

 華やかさはないが、意気投合したメンツで会話を楽しむ男達。

 大人しそうな女子同士で固まったグループ。

 それから、つまらなそうにスマホをいじる陰キャが何人か。シンパシーを感じる。

 このように、こうして眺めているだけでも、陽キャの巣窟に思えた軽音サークルにも、やはり一定のカーストがあるのがわかる。

 帰りたい、というのが正直な本音だが、成り行きとはいえ、せっかく美少女の姿で同年代の飲み会に参加しているのだ。このまま壁の花になっているのも勿体ないと思えた。

 ぼくが三軍以下に甘んじていたのは、もう過去の話だ。

 ……よし、誰かと話そう。


 グループに交ざれず退屈そうな参加者を、さりげなくチェックしていく。

 すると、トウイが自然に彼らに近づいて会話をしたり、上手く他の輪の中に入れたりと、あぶれた参加者をケアしていることに気づいた。

 まずい。このままだと、ぼっちが狩り尽くされてしまう。

 素早く視線を巡らせて、ぼくは一番トウイから離れた男子に狙いを定めた。

 迷っている暇はない。コイツに、コミュニケーションの練習台になってもらおう。


 ぼくには陽キャグループに交じれるだけの社交性はなく、しかし面倒な相手に次々と絡まれるのも困る。

 だったら、自分と同類である陰キャの男子ならば、ぼくでも自然に話せて丁度良いんじゃないか。そんな期待と……それから、酒で気が大きくなっているのもあるのだろう。

 勇気を出して、ぼくは席を立つと、自分の飲み物を持って彼のそばへ移動した。


 そうだ。向こうだって、退屈なまま飲み会が終わるよりも、美少女との会話を楽しんで、良い思い出で今日を終える方が嬉しいに決まっている。


 ✳


「あの。ここ、大丈夫ですか?」


 声をかけると、陰キャ男子は驚いたようにスマホから顔を上げ、ぼくと目が合うなり更に肩を跳ねさせた。


「えっ、あ、え」


 ワカメみたいな癖毛に、度の強そうなメガネ。ぼくも人のことを言えた身分ではないが、やはり女性に対する免疫はなさそうだ。

 自分より動揺している相手を見ていると、不思議と余裕が生まれてくる。

 少し、楽しくなってきた。


「何かあのノリ、ついていけなくて……」


 言いながら、隣に座る。


「あ、そ、そう、なんだ」

「はい。だから、静かに話したいなと思って。……迷惑でしたか?」

「や、まあ、全然大丈夫だけど」

「よかった! わたし、一年の安藤……えーっと、ヒナです」

「あ、お、俺も一年の、す、杉村恭平」


 杉村はかなり挙動不審で、焦りからか、既に汗だくだ。


「お、俺、心理学科で、軽音には音楽療法的な観点から、興味があって来たんだ」

「心理? すごい、うちの学校でいちばん偏差値高いとこだ。じゃあ杉村くんって頭いいんだね」

「あ、いや、それほどでも……。ま、まだ授業は始まってないけど、心理は課題とかレポートで忙しいらしくて、サークルに入ってたとしても顔出せるかどうかはわからなくて、あ、俺の将来の夢は教育に携わることなんだけど、そのためには院進狙ってて、あんまり遊べる時間はないかも知れないんだけど、あでも、その男女交際、とかに興味がないかと言うとそれは」


 それはまさに、マシンガントークだった。

 どもりながらも熱っぽく語る視線は落ち着きなくさ迷い、時折、口から白い唾が飛ぶ。不快だった。

 しばらく会話という名のリスニングを続けて、悟る。

 杉村を練習台にしたのは失敗だったと言わざるを得ない。自分の話ばかりで、ぼくが喋る隙間がまるでなかった。どうやら、距離感が上手く掴めないタイプらしい。

 ぼくは再び、愛想笑いを貼り付けた相槌マシーンと相成った。


 まったく興味のない杉村の自分語りを聞き流して適当に頷いていると、店内に「わりい! 遅れた!」と大きな声が響き渡った。


「まだ盛り上がってる? よな!」


 入り口の階段を見ると、誰かが遅れてやって来たらしかった。

 明るい金髪の似合う、端正な顔立ちの男だ。


「おせえぞ~」

「ほら、はやく飲んで追いつけ!」

「祐太郎の~! ちょっといいとこ見てみたい~」


 そこかしこから、イジリの声が上がる。


「おし! じゃ、遅れた詫びにいただきます!」


 遅刻男は、上級生達の手拍子に合わせてビール瓶を一本丸ごと豪快に飲み干していく。


「っぷはァー!」


 良い飲みっぷりに、会場が沸く。

 そのまま彼は一軍のテーブルに交ざって、瞬く間に話題の中心となった。どうやら人望のある人間らしい。

 その姿を盗み見ながら、思う。

 どこかで会ったことがあるような……。


「おーい、ヒナちゃーん!」


 モヤモヤした既視感の正体を探っていると、一軍グループから呼び声があがる。

 見ると、部室で会ったカナがこちらを見て手を上げていた。


「ちょっといいー?」

「あ、はい!」


 店内の喧騒にかき消されないよう、張った声で返事をする。

 助かった、杉村から離れるチャンスだ。また一軍集団の中に入るのは怖いが、このままコイツと話していても仕方がない。


「ごめんね、先輩が何か用事あるみたいだから、」

「あ、う、うん」


 断りを入れ、恐る恐る一軍のテーブルに向かう。何故か杉村もついてきていた。


「嘘、マジ!? ホントに超カワイイじゃん!」

「だから言ったでしょ」

「……栞ちゃんといいヒナちゃんといい、今年の一年は豊作だなあ」


 遅刻男とカナがぼくを見て話す。

 可愛い新入生の話題でぼくの名前があがったといったところだろうか。下世話だが、実に大学生らしい。


「ヒナちゃん、ごめんね! コイツがどうしても話したいって言うから……」

「よろしくー、ヒナちゃん」

「は、はい。よろしくお願いします」


 距離が近い。

 物腰は柔らかだが、耳に光るピアスに陽キャ特有の圧があった。


「あれ、緊張してる?」

「あんたの金髪が怖いんじゃないの」

「えー、そんなことないよね?」

「えっと、わたし、ちょっと人見知りで……すみません」


 ぼくに付いてきた杉村も、先程までのマシンガントークは鳴りを潜めて、石像のように突っ立っている。


「とりま、自己紹介ね。俺、このサークルで代表やってる、二年の高倉祐太郎」

「高倉、祐太郎……」


 名前を聞いて、稲妻に打たれたような衝撃を味わう。

 そうだ。あの頃より成長しているし、髪色も髪型も違うけれど、確かに昔の面影がある。


「え、呼び捨て?」


 冗談めかして、高倉が笑う。


「あ、すみません! ……高倉、先輩」


 落ち着け、大丈夫。

 今のぼくは、ぼくじゃない。安藤ヒナだ。この姿ならバレやしない。

 呼吸が浅くなり、鼓動が早まる。

 まさか、こんなところで会うことになるなんて。


 高倉祐太郎。

 それは、中学時代にぼくをイジメていた、最も憎い相手だった。


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