04.これが陽キャのコミュ力か
部室棟を訪れるのは初めてだった。
サークルにも入っておらず、友達もいないぼくには用事のない場所である。
古びた建物は薄暗く、廊下にずらりと並んだ扉は各サークルの名前や、くだらない落書き、ポスターなんかで乱雑だ。音楽系サークルの鳴らす楽器の音や、どこかの部屋で盛り上がる会話の声も漏れ聞こえてくる。
この独特な雰囲気、ひとりでは臆して近づけなかっただろう。
トウイは、迷いない足取りで3階に上がると、躊躇なく軽音と書かれた扉を開けた。
「ただいまー」
「お、トウイ。おつかれ~……って、何で部室にいんだよ。お前の持ち場は1号館だろ! サボんなよ、勧誘の命運はお前らみたいなイケメンと美人に懸かってんだぞ」
「サボりじゃないって、ほら」
促され、ぼくも後に続いて部室に入る。
「お、お邪魔します……」
部屋の中には、大きなスピーカーやドラムが置かれていた。機材類が空間を圧迫していて、お世辞にも広いとは言えない。
他には机とベンチソファーがあって、部員らしき何人かの生徒が雑談に興じている。
「……うわ、かわいっ」
「へ?」
小さな呟きが聞こえて視線を向けると、トウイと話していた男と目が合う。
ガタイが良くて威圧感があった。
「あ、いや! え~っと、君、入部希望?」
「いや、見学だってさ」
「何でトウイが答えるんだよ! ともかく、でかしたぞ! ほら、早くサークル説明してあげろ」
「はいはい。じゃあ、こっちね」
ベンチソファに案内されて、手作りのパンフレットを渡される。
表紙に楽器が描かれているが、イラストが下手で少しおもしろい。
「んー、どこから説明しようかな。まず軽音ってわかる?」
「えーっと……バンド、とか? するんですよね」
ぼくの曖昧な返答に、トウイは微笑む。
「そ、大正解。音楽は聴く?」
「はい、まあ……聴くだけなら」
しかし、楽器なんて弾けるはずもない。
そんな言外の意味を汲み取って、トウイは話を続ける。
「うちは初心者も多いし、弾ける弾けないは深刻に考えなくてもいいよ。とりあえず、気の合いそうな奴とバンド組んで、学祭とか他大学との合同イベントとかで年に何回か披露するって感じかな」
「……なるほど」
「あとは、キャンプとか合宿とか飲み会とか。ま、よくあるサークル」
よくある、と言われても。ぼくにはどれも縁遠いイベントだ。
でも、この美少女の姿でならば……そういう青春を謳歌できるのだろうか。
「せっかく来てもらったけど、新歓ライブは昨日終わっちゃっててさ。そのしょぼいパンフレットくらいしか見せるものないんだよね」
「なーにが『しょぼいパンフレット』だって?」
不意に、背後から女の声が聞こえた。
「げ、カナ」
「あたしが一生懸命つくったパンフに酷い言い草だね」
「ごめん、ごめん。でもさ……ふふ、このイラストはヤバいって」
「はぁ? この素敵なイラストのどこがヤバいわけ!」
「おいおい! カナ、ストップ! 新入生が怯えちゃうだろ。トウイも怒らすなよ!」
カナ、と呼ばれた女がトウイに食って掛かると、先ほどのガタイのいい男が仲裁に入った。
「新入生? あ、ほんとだ。ゴメン!」
「い、いえ」
「って、あたしも見学の子を連れてきてんだった! おーい、栞ちゃーん!」
大声を出すカナに、トウイは顔をしかめる。
「……何でここに呼ぶの。空いてる席あるでしょ」
「はぁ? どうせ説明するなら同時の方が合理的でしょ。それに新入生同士、ひとりより心強いだろうし。ね?」
「え!? えっと、はい」
ぼくは本当は2年生だし、コミュ障だから人が増えるのは嬉しくない。しかし、この雰囲気で断る勇気があるはずもなかった。
呼び声に反応して、部室の入り口に所在なさげに立っていた女の子がこちらに来る。
僕らを見回して、口を開いた。
「文学部の佐野栞です。ロックが好きで、バンドに興味あって来ました! よろしくお願いします」
アイドルみたいに可愛い子だ。
ぼくと違って明るくて、ハキハキしていて、自信に満ちている。
「丁寧にありがと。俺は理学部の鳴瀬冬倭。トウイでいいよ」
佐野さんにそう名乗った後、トウイはぼくの方を見て照れたように笑った。
「……てかさ、俺まだ名乗ってなかったし、名前も聞いてなかったね」
「あ、そうでしたね。……ぼ、あいや、わたしは、安藤、……ヒナ、です。」
咄嗟に、本当の名字と、実家で飼っていた犬の名前を言ってしまう。ぼくとしたことが、偽名を考えることまで頭が回っていなかった。
慣れない多人数とのコミュニケーション。そして、自分に注目が集まっている焦りもあり、顔が熱くなる。
「か、かわいい……。安藤さんも新入生? 軽音入るの?」
「え、は、はい。軽音は、今日は見学で、」
「そうなんだ。ね、学部はどこ?」
佐野さんにグイグイ詰め寄られ、たじろぐ。女子とこんなに近距離で話したことはなかった。
シャンプーだろうか? 良い匂いが漂ってきて、緊張で目が回る。
「ちょっと、ちょっと! 新入生同士で親睦深めるのもいいけど、あたしたちにも自己紹介させてよ」
「あ。すみません、先輩!」
佐野さんが謝って、少し離れる。
た、助かったような、残念なような。
「あたしは金井桃花。カナでも桃花でも、好きに呼んで。……でもやっぱ先輩って響きはいいもんだねぇー」
「俺は内田弘斗! 気軽にヒロって呼んでくれ」
「はい! カナ先輩に、ヒロ先輩っ!」
「よ、よろしくお願いします……」
佐野さんはもう順応していたが、ぼくにはハードルが高過ぎる。
「安藤さんも、ヒナって呼んでいい? わたしも栞でいいからさ!」
「え、あ、……うん」
……これが陽キャのコミュ力か。
軽音サークルのチャラついたイメージ通りだ。勢いで来てしまったが、やっぱり、ぼくみたいな奴が来る場所じゃなかった。
撤退しようと口を開きかけた時、ヒロトが声をあげる。
「あのさ! 新歓のライブは終わっちまったけど、今日はこの後、サークル説明と親睦会を兼ねて飲み会があるんだ。ふたりもどうかな?」
「なんと、新入生は無料だよん」
ヒロトとカナの言葉に、栞が目を輝かせる。
「わあ! ぜひ参加させていただきたいです!」
「うっし! ヒナっちはどうする?」
カナがこちらを見て、問いかける。
……というか、もうあだ名がつけられていた。
「えっと、わたしは、」
今の状況でさえいっぱいいっぱいなのに、飲み会なんて到底、無理だ。
断る口実を探して頭を捻っていると、佐野さんがぼくの裾を掴む。
「えー! ヒナ、来ないの? 行こうよ、色々話したいよー」
「うんうん。でっかいハンバーグ食べられるよ?」
……ダメだ、飲み会もキツイが、この状況で拒絶できるほど強い心は持っていない。
観念して、ぼくは答える。
「じ、じゃあ……わたしも、行きます」