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12.もう一回、やってみよう

 そこは駅から少し離れた川沿いの裏通りにある、古い雑居ビルだった。

 ヒナの姿で家を出たぼくは、Mapアプリを頼りに、約束の時間より少し早めに到着していた。ガラス張りのドアからロビーを覗くと、まだ知り合いは誰も来ていない。


 『Studio9』。

 ここは大学からもほど近い、軽音サークル御用達の音楽スタジオだ。

 新入生ライブ本番を直前に控えたこの日。栞率いるぼくたち一年生初心者バンドは、初めてのスタジオ練習に臨むことになっていた。


 ぼくは背負っていたギターケースを下ろすと、底をそっと地面に立てて、上部を手で支える。

 受付の前にはロビーもあるようだが……何となくひとりで入るのは緊張する。入り口前の歩道で他のメンバーが来るのを待つことにした。

 何せ馴染みのない場所だし、ライブハウスやスタジオという響きには、まだどこなく怖さがあった。


「あー、ヒナちゃん。早いねー」

「ヒナおはよー!」


 待つこと数分、駅の方向から最初に現れたのは、ボーカル担当の市河 美織(みおり)と栞のふたりだった。

 おはよう、とぼくが挨拶を返すと栞が首を傾げる。


「暑くない? 中、入ってなかったの?」

「うん。……なんか、ちょっと怖くて」


 苦笑いで答えると、美織が頷いてくれた。


「わかるかも。なんか、スタジオって響きだけでドキドキするよねー」

「そう、そうなの!」


 わかって貰えた嬉しさで、ぼくも大袈裟に頷き返す。

 美織は育ちの良いお嬢様らしく、おっとりとしていて邪気がない。いかにも大学生!といったギラギラを感じず、話していると安心する……ぼくにとっても、変に構えることなく会話できる貴重な癒し枠の存在だ。


「でも、こういう場所ってテンション上がらない? 本格的に音楽やってる感じっていうか」


 栞が輝く笑顔で言う。

 もちろん栞も良い子なんだけど、こうしたポジティブで活動的な体育会系のノリが眩しく、ぼくとしては着いていけない瞬間もあったりするのだ。


「あ。ミキちゃん、電車が目の前で行っちゃって少し遅れるってー。先に始めてよっか」


 グループラインをチェックして美織が言うと、栞が辺りを見回す。


「杉村くんは? もう着いてるのかな」

「……どうだろ、さっきわたしがドアから覗いた時は見かけなかったけど」

「とりあえず、ロビーで待とっか。受付もしなきゃだし」


 ドアを開けて、スタジオ内に入る。

 店内には小洒落た洋楽がBGMで流れていて、思ったよりもずっと明るく開放的な雰囲気だった。


「あ、杉村くんいた!」


 杉村は、外からは死角になっていた奥のカウンターでノートパソコンを広げていた。


「お、お疲れ……! あの、俺、早く着きすぎて。い、1時間くらいここで、レポートの課題やってたんだ……あ、心理の実験のやつで、」


 例のごとく、聞いてもいない長話を始める杉村に、栞は「受付してくるね」と去っていき、ぼくも「ちょっとお手洗いに」と距離を取った。段々と杉村の扱い方もわかってきた最近である。

 美織は、そのまま杉村のマシンガントークをにこやかに聞いてあげていた。優しい。


 トイレから戻ると、受付を終えた栞も戻ってきており、「前の利用者と入れ替えだから、時間まで待機!」と教えてくれる。

 そのままロビーのテーブルで、ミキの到着を待つことにした。


「そういえば先輩から連絡来てて……ライブまでにバンド名を考えて提出しなきゃいけないみたい」

「うん。あとは、衣装も決めなきゃねー」

「バンド名に、衣装? わー、ワクワクする~」

「あ、あの、バンド名の候補なんだけど、俺いくつか考えてきてて、」


 しばらく作戦会議とも言えないような雑談をしていると、やがて、ぼくたちが入る予定の部屋の防音扉が開き、数人の男女が出てきた。


「あ!」


 見覚えのある顔。

 西条と、彼のバンドメンバーたちだった。


「あれ、奇遇じゃん! そっちも練習?」


 井上が驚いたように訊く。

 西条の視線が、ぼくの顔に止まって、一瞬だけ、眉が僅かに動いた。けれど、それ以上の反応はなかった。


「うん。今から、そのスタジオー」


 美織がにこやかに返す。


「ふーん……ま、がんばって」


 向こうのボーカル担当である伊藤が、明らかに含みがある口調で言う。

 自宅で染めたのか、ムラのある茶髪がワックスで逆立ててあり、やけに眉毛が細い。


「ま、俺ら、かなりクオリティ高いからさ。本番では恥かかせちゃうかも知んねーけど」


「何それ、挑発のつもり?」


 鋭い声が後ろから飛んでくる。

 遅れていたミキが、ちょうど到着したようだった。


「経験者だからってイキってマウント取ってんの、かなりダサいよ。小学生?」

「……は? 別に。マウントとかじゃねえよ。小学生の学芸会レベルの演奏しか出来ねえのはそっちでしょ」

 

 見下したように笑う伊藤。ミキと相性が悪いらしい井上も、おかしそうに笑って言う。

 

「そーそー。差があるのは事実なんだから、ただそこのところを理解して欲しいってだけ」

「ふーん。差、ね。じゃあ、そっちが思ってる差がどれだけのもんか……今度のライブで、見せてもらえるのかな?」

「嫌でも見ることになるだろ。ああ、何なら、勝負でもする? より観客を沸かせたバンドの勝ち、ってことでさ」

「おっ! いいねーそれ! 負けた方は、勝った方の言うこと何でも聞くってのはどう?」


 勝手に盛り上がって、伊藤と井上が品なく笑う。その目の奥には下卑た欲望がチラついていて、非常に醜悪で、気持ち悪かった。

 女の子になってからは周囲から興味や下心を向けられることも多く、慣れてきてはいる。何なら、ぼくはそれに喜びを見出だす自分にも自覚があったが……何故か今はただただ、不愉快に感じた。


「望むところ。こっちには秘密兵器あるから。演奏のついでに吠え面かく練習もしときなよ」


 低く抑えた声で伊藤に詰め寄るミキ。

 まっすぐに睨むような目をしていた。

 一触即発。ロビーの空気が張り詰める。

 不意に、西条が一歩だけ前に出た。

 思わず身構えるが、西条はそのままぼくの横を素通りして、会計に向かうようだった。

 すれ違う瞬間、西条が静かな声で呟く。


「勘違いしないで。別に俺、勝負とか、そういうのどうでもいいから」


「……え?」


「ただ……本番、ヘラヘラやって場を冷ますような真似はすんなよ。それだけ」


 そう言って、西条はスタジオの奥へ消えた。伊藤と井上も、追いかけるように歩いていく。

 キーボードの宮野とベースの尾崎は、申し訳なさそうにぼくらに「ごめん」と手を合わせて、小走りに彼らを追いかけていった。

 

「……なーんか、感じ悪すぎ」


 栞がぽつりと呟く。


「ホント、最悪。西条もだけど、特に井上と伊藤」


 栞とミキが西条バンドの悪口を言い合う。

 ぼくはその会話に混ざらず、ギターケースを抱きしめるようにして黙っていた。


「……何でわたし、こんなに嫌われてるんだろ」


 思わず零れた疑問に、美織がしみじみと答える。


「まあ、ヒナちゃんのこと意識してるんだと思うよ」

「意識……って、悪い意味でね……」


 ぼくの理想像でもあるヒナが嫌われてつらく当たられるというのは、思いの外、堪えるものだった。人間関係というのは実に厄介だ。


「というか、ホントに勝負するの? 負けたらヤバくないかな?」


 焦ったように栞が言うと、ミキは恐縮したように頭を掻いた。


「あ、ゴメン……売り言葉に買い言葉で、つい。ムカついちゃって」

「気持ちはわかるけどー……」

「そういえば、秘密兵器って?」


 ぼくの質問に、ミキは頭を下げた。


「完全にハッタリです、はい……」 

「ええ、!」


 杉村が驚いたような、慌てたような声を漏らす。


「そんな、こ、困るよ……! 俺、そんな約束してないのに、何でも言うこと聞くって、何させられるか、」


 こ、こいつは本当に……。

 あまりに自分の保身ばかりの発言に、ぼくと栞の溜め息が重なる。


「杉村くん、さっきまで空気だったもんねー」

「え、だ、だって……」

 

 美織の天然な刃に、杉村は目をキョロキョロと泳がせた。


「ホントだよ、あんた男子でしょ! しゃきっとしろって」


 ミキにじろりと睨まれて、杉村は縮こまる。

 ……ぼくも男子で空気だっただけに、少々、居心地が悪かった。

 でも、男女両側を経験している身としては、女子の方がよっぽど強いし恐ろしいような気もする。

 

「まあまあ、その辺は後で考えるとして……時間もったいないし、とりあえずスタジオ入ろ!」


 空気を切り替えるように栞が明るく言って、防音扉を開けた。



 中に入ると、部屋は思った以上に広く感じた。照明の明るさと、壁一面に張られた鏡のお陰だろうか。

 白い天井の角には大きなスピーカーがぶら下がっていて、鏡と反対側の壁に沿うようにドラムセットが置かれている。四方の隅には備え付けのギターやベースのアンプ、マイクスタンドなどが綺麗に並んでいた。


「おお~! 本物って感じだね……!」


 美織が興奮気味にキョロキョロしている。

 ぼくは、とりあえずギターを取り出し、チューニングを始めた。

 それを見て、ミキが声を掛けてくる。


「ヒナ、チューニング分かる? 分かんなかったら手伝うよ」

「ううん、大丈夫。家でも結構、練習したから」

「おっ、えらい!」


 ベースアンプをいじりながら、栞が大袈裟に褒めてくれた。

 くすぐったかったが、ぼくはちょっとだけ胸を張って頷く。


「じゃあ、私はエフェクター使うから、こっちのアンプ貰うね。ヒナはそっちのデカイ方」

「あ、うん」


 唯一の経験者であるミキが早々に自分のセッティングを終わらせて、テキパキと指示を出す。

 ぼくは、動画で予習した通りにギターとアンプを繋ぎ、ツマミを調節していった。

 全員のセッティングが完了すると、それぞれの位置に立つ。

 

「よし、じゃあ今日は、まず一曲通してみよっか。そのあと、細かいところ練習してこう」


 2時間予約しているスタジオだが、ここまでで既に30分ほどが経過していた。意外と、時間との戦いなのかも知れない。


 ドラムセットに座る杉村がスティックを握り直し、ベースを握る栞が目を閉じて軽く深呼吸。美織も譜面台に乗せた楽譜を見ながら、丁寧にウォーミングアップしている。

 いつもの練習とは違った雰囲気に、メンバー全員から緊張した空気が漂っていた。ミキは慣れた様子でギターを肩に掛け、緊張をほぐすように「大丈夫、みんな初めてだし。まずは楽しも」と笑ってくれる。

 ぼくは、小さく頷いた。


「じ、じゃあ、いきます。わ……1、2、3、4!」


 杉村の震えたカウント。

 そして、スタジオの空気が、音で満たされる。

 その瞬間、これまで味わったこともないような爆音に包まれて……ぼくは何故だか、泣きそうになった。


 始めて美少女(ヒナ)になった日とも似ていて、だけど、どこか違う喜びと高揚。

 自分が無敵になったような感覚。

 どこか、救われるような気持ち。

 弦を掴む感触。

 お腹に響くドラム。

 夢中で手を動かして、音で譜面をなぞった。

 さっきまでモヤモヤと胸に抱えていた憂鬱が、メロディーになって宙にとけていく。


 気が付けば、曲は終わっていた。


「ごめん、いまのとこ全然違った……!」 「いや、わたしも途中でテンポ見失ってた、ごめん!」


 スタジオ内に、戸惑いと焦りの声が飛び交う。でも、それでも……。

 楽しかった。

 すごく、楽しかった。


 笑っている美織も、緊張で額に汗をかいている杉村も、一生懸命な表情の栞も、涼しい表情のミキも、きっと同じ気持ちなのだと分かる。


 ……が、バンドとしてのアンサンブルは、あまりにも不安定だった。

 テンポはずれる、コードは間違える、入りやキメも全然、揃わない。

 ぼくは練習した通りにギターを弾くだけで精一杯で、音を合わせるどころの話じゃなかった。

 もっと近づきたい。

 もっと、楽しくなりたい!


「……もう一回、やってみよう」


 ぼくがそう言うと、ミキが「いいね」とにっこり笑った。




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