11.わたしは、頑張れる
努力は嫌いだ。
ぼく程度の凡人がどれだけ足掻いたところで、環境が整った奴や才能がある奴には到底及ばない。
運動も、勉強も、外見も……何かで他人に勝ったことなんか一度もない。
要領が悪く、何をやっても満足にこなせない。
それが、本当のぼくの姿なのである。
「……やーめた」
腕の中でペンペンと情けない音を鳴らしていたギターをベッドに寝かせる。
楽譜を読むのも一苦労、弦を抑える左手の指は水ぶくれになって、じくじくと痛む。
こんなの、弾けるわけがない。
大体、ぼくは軽音にもギターにもさほど興味や熱意があるわけじゃないんだ。
それがたったの2週間で1曲をバンド演奏?
まったく、バカげてる。
それに……仮に頑張って弾けたところで何だっていうのだろう。
ぼくは美少女なんだ。
ギターなんて弾けなくたって、まったく問題ない。
相変わらずサークルでは先輩をはじめ、皆が優しく気遣ってくれるし、我先にとアドバイスをくれて、ちやほやしてくれる。
初心者同士、栞たちバンドメンバーと音を鳴らしているだけで十分に楽しい。
たかがサークル、ライトに楽しんでなんぼだろう。
ぼくもベッドに倒れ込み、目を閉じる。
『ここ、軽音サークルだから。男漁りに来たなら他所に行けよ』
…………。
嫌なことを思い出した。
目蓋の裏に、西条の不機嫌そうな仏頂面が浮かぶ。
「……むかつく」
年下のくせに。ぼくは毒づく。
今日は授業もバイトもない日曜日。
せっかくヒナとして自由に動ける貴重な休日を、西条や、弾けもしないギターにイラついて過ごすなんてナンセンスだ。
気分転換に、外出でもしよう。
念入りに日焼け止めを塗って、ぼくは外へ出た。
*
日曜の昼前。
ヒナの姿で出かけるのは、いつだって高揚する。今日は電車に乗って、大きなショッピングモールのある街まで足を伸ばすことにした。
ホームでは制服姿の男子高校生たちが何度もこっちをチラ見してきて、気分がいい。
休日だけあって、ショッピングモールは人で溢れていた。カップルや家族連れ、学生のグループ。誰もが誰かと楽しそうに時間を過ごしている。
そのなかで、ひとり歩く美少女の姿は、多少なりとも目立つようだった。すれ違う人々の視線がちらほらと集まっていた。
目的もなく、ぶらぶらとウィンドウショッピングを楽しんで、休憩のためにカフェに入る。
店内はほどほどに混んでいたが、店員は窓際で広めのテーブルに案内してくれた。
容姿が良いと、広告塔代わりに周囲から見えやすい良い席に通されることが多いというのは、あながち嘘でもないのかも知れない。
店を出て、夕方の街を歩く。
外で遊んでみたものの、やはりどこか気分は晴れなかった。
スカートの裾が風に揺れる。
ポニーテールにした髪が、頬を撫でた。
「……あれ?」
ふと、小さな泣き声が耳に入った。
辺りを見回すと、曲がり角の陰に小学校低学年くらいの女の子がうずくまっていた。
ピンクのリュックに、キャラものの靴。手には握りしめられたハンカチ。目元は真っ赤で、ぽろぽろ涙を流している。
逡巡する。
声をかけるべきか、素通りするべきか。
男のぼくだったら、絶対に声なんて掛けることはできない。
警戒されるかも、とか、変に思われるかも、とか、そんなことが頭をよぎって。誘拐犯に間違われたら目も当てられない、誰かが助けてくれるはずだ、と、見て見ぬフリをするだろう。
「……どうしたの?」
気がつけば、ぼくは無意識に声をかけていた。
今のぼくは、ヒナだから。
この声、この姿だから、今なら……助けられる。そう思った。
「……おばあちゃんが、いないの」
しゃくりあげながら、震える声でそう告げた女の子の頭をそっと撫でて、ぼくはしゃがみ込んだ。
「大丈夫。お姉ちゃんと一緒に探そっか」
ショッピングモール内ならば、迷子センターにでも預ければいいのだろうが、生憎とここは街中だ。近くには交番も見当たらない。
とにかく、近辺を探してみることにした。
人混みの中を、女の子と手をつないで歩き回る。
子供と関わる経験もほとんどなく、どう接したら良いかもイマイチ分からなかった。
「喉渇いてない? ジュースでも、飲む?」
「……いんない」
気詰まりな空気の中で、ぼくは後悔し始めていた。
慣れないことをするものじゃなかった。
オロオロとするばかりで、ぼくには頼りがいなんてものは皆無。
気の効いた話をしてあげることも出来ずに、泣いてる女の子を引き連れて、ただ闇雲に歩くだけだ。
夕暮れの道を、並んで歩く。
人の流れに逆らって、何度か見覚えのあるお店の前を通って、この子の保護者を見かけなかったかと聞いて回る。
数十分経って、途方に暮れかけたとき……ようやく。
「……ああ! ゆいちゃん!」
遠くから駆け寄ってきたのは、買い物袋を抱えたおばあさんだった。
女の子はその姿を見た瞬間、涙を止めて、ぱっと走り出す。
「よかった……よかった……。ごめんねぇ、本当に……」
おばあさんは安心したように女の子を抱きしめて、それからぼくに気づくと何度も礼を言い、頭を下げた。
「ありがとうね。若いのにしっかりしてて……、あなたみたいに優しいお嬢さんがいてくれて良かった。ねぇ、ゆいちゃんも、お姉さんにありがとうを言わなきゃね」
「いえ、そんな……」
真っ直ぐな感謝に、思わず頬が熱くなる。照れというよりは、罪悪感に近かった。
別にぼくは……何もしていない。
何も、出来なかった。
ただ街中を連れ回しただけだ。
ぼくが何もしなくても、きっとどうにかなったのだろうし。
別れ際、女の子――ゆいちゃんが、ふと立ち止まった。
「……あのね」
小さな声。
遠慮がちにぼくの袖をつまむ。
「わたし、大きくなったら……おねーちゃんみたいなおねえさんになる!」
え、と間の抜けた声が漏れる。
ゆいちゃんは、にこっと笑って、目をキラキラさせながら続けた。
「だって、かっこよくて、やさしかったもん。わたしも、こまってる子をたすけられるひとになる!」
そう言い終えると、手を振って、おばあさんと一緒に去っていった。
……その場に取り残されたぼくは、ただ、ぼうっとしていた。
胸の奥が、ぽっ、と温かくなる。
こんな風に……誰かに、素直に感謝されたことなんて、あっただろうか。
まして、憧れられたことなんて。
ぼくは、ヒナだから迷子の女の子に声をかけられた。
ヒナだから、怖がられずに手をつなげた。
ヒナだから。
……そうだ、ぼくも同じだ。
ゆいちゃんが憧れてくれたように、ぼくもヒナに憧れている。
安藤ヒナは、ただ可愛いだけじゃない。人の役に立てる、優しくて、強くて、ちゃんと行動できるひと。
きっとそれは、ぼくがずっと遠ざけていた……理想の自分だった。
電車の車窓を流れていく景色を眺める。
沈みかけた陽が、街の輪郭を淡く照らしていた。
*
部屋に戻ると、ベッドの上に置きっぱなしのギターが目に入った。
さっきまでなら、また見ないフリをしていただろう。
ぼくは別に楽器や演奏に熱意を持ってるわけじゃない。
でも。
「……ヒナは、投げ出さない」
逃げずに、努力して、誰よりも輝ける女の子なんだ。
見下されるのも、馬鹿にされるのも、慣れている。ぼくなら、それで構わなかった。
だけど……ぼくの理想が汚されるのは我慢ならない。
それだけは、許せなかった。
西条なんかに舐められたままで終われない。
「わたしは、頑張れる」
自己暗示みたいに呟いて、ギターを手に取る。
ゆっくりと、丁寧にコードを押さえた。
痛んだ指先が弦に触れるたび、ぴりっと刺激が走る。
それでも、いい。
右手のピックで弦を弾く。
まだまだ下手くそな音。
だけど……ちゃんと鳴った。
ぼくは努力が嫌いだ。
でもヒナは違う。
そして、ぼくも……ヒナとして、ヒナのためならば、きっと頑張れる。
今はそんな気がしていた。




