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10/12

10.期待、してますから


 起伏のない退屈な金曜日を過ごして、待ちに待った土曜日がやってきた。


 昨夜のうちに美少女(ヒナ)への変身を済ませていたぼくは、顔を洗い、身だしなみを整えて出掛ける準備をする。

 今日の服装は、ネットで新しく注文した白いブラウスにベージュのロングスカートだ。

 家の玄関を出ると、穏やかな日差しがアスファルトを照らしている。

 女の子として外出するように なってから、街中に設置された鏡やショーウインドウを見るのが楽しみになった。

 ふとした瞬間、ガラスに写り込んだ自分の姿を確認しては……その可愛さに頬が緩む。

 今日も、春風に揺れる淡い布が、鏡の中で微笑むぼくを一層、魅力的に見せていた。



 集合場所の駅前に着くと、一年生は栞と榎本、杉村が集まっていた。それから、高倉と凛を中心としたサポート役の先輩が何人か。カナや内田、トウイの姿もある。

 軽音サークルの初心者向けイベント、『楽器選びツアー』。

 まだ自分の楽器を持っていない一年生たちが、実際の店を巡って、自分に合った楽器を見つけるという企画だ。

 自由参加のイベントではあるが、例年、各パートごとに責任感の強い人や暇を持て余した先輩が参加してくるらしい。


「あ、ヒナ~! こっちこっち!」


 栞が大きく手を振ってくれて、ぼくは小走りで集団の中に加わった。


「おはようございます」


 ぼくが挨拶すると、一年生たちは「おはよー」と返してくれて、先輩たちは「お疲れー」と応じた。

 まだ昼前だし疲れてはいないが、大学生とはそういう文化があるのだろうか。


「楽器選び、ワクワクするね」


 栞の明るい笑顔が眩しい。


「うん。……でも、わかんな過ぎてちょっとこわいかも」

「最初はそうだよね」

 横にいた榎本が口を開いた。

「ま、大丈夫、大丈夫。私も相談乗るし」

「あ、榎本さん。経験者なのに参加してくれてありがとね」


 ぼくの礼に、照れたように笑う。


「や、全然。一応バンドメンバーだしさ、私だけ不参加ってのも薄情だから。自分のギター持ってても、楽器屋巡りは楽しいし」


 栞が感激したように榎本を拝む。


「ミキ、女神っ! ……で、予想はしてたけど、西条くん率いる経験者組みは全員不参加だね」

「あー。なんか今日もスタジオ入って練習してるらしいよ。宮野がラインで愚痴ってた」


 榎本の報告に、栞が気の毒そうに顔をしかめた。


「うわ、あのガチ勢の中に、ピアノ経験あるとはいえ女子ひとりはキツイかもね……」


 ガチ勢、という言葉の中には、栞にしては珍しく小バカにしたような響きがある。

 どうやら、ぼくを好いてくれている分、ぼくに対しての暴言で西条に反発心があるようだった。


「榎本さんは、宮野さんと仲良いの?」

「うん、まあ。付き合いは大学からだけど、学部が一緒でさ。てか、ミキでいいよ。私もヒナって呼んでいい?」

「あ、うん。もちろん」


 男の時はまともに女子と会話したことなんてなかったけれど、美少女になってからは、下の名前で呼べる友達がどんどん出来る。

 改めて、不思議な気分だった。


 近くで杉村が会話に加わりたそうにモゾモゾしたり、軽く口を開きかけたりしていたが、栞とミキは示し合わせたかのように杉村からの無言のアピールに気付かないフリをして、彼を完全にシャットアウトしていた。

 女子のこういった強かさや連帯感も、非常に勉強になると共に……少し怖い。


 そんな雑談をしているうち、他の初心者メンバーであるボーカルの市河や、遅刻ギリギリの先輩たちも到着してくる。


「おーし、これで全員揃ったな。それじゃ、行こうか」


 高倉の軽い号令で、ぼくらは連れ立って歩き出した。



 *



 楽器店街とでも言うべきか。

 駅前の大通りは、両側にずらりと楽器屋がひしめいており、ギターケースを背負った若者がそこかしこにいる。

 歩いているだけで、圧倒された。

 そして、最初の店に入ると、そこはまさに……音楽の世界だった。


 壁一面にギターがずらりと並び、煌びやかな照明が反射している。

 ショーケースに並んだエフェクター、棚にずらりと陳列された弦やピックといった小物類。

 まるで美術館のような眺めに、思わず息を呑んだ。

 どこか甘い木の香りが漂っていて、楽器に興味なんてなかったはずなのに、妙に気分が高揚する。


「わっ、なんか緊張するね……」


 栞が小声でぼくに囁く。


「ね。なんか、間違えて触ったら壊しちゃいそう……」

「わかる〜! 高そう……!」


 市河が同意してくれる。

 ぼくたちは完全におのぼりさんだった。


「はいはい、じゃあ初心者チーム集まって〜」


 高倉が手を叩いて呼びかける。


「今日は見学メインでもOK! 実際の楽器を見て、触れつつ、だいたいの価格帯とか、自分が弾きやすい形とかを見てくれたらいいから」


 高倉の言葉に、初心者組が返事する。


「ただまあ、ライブまで日もないし……部の備品じゃ練習できるタイミングも限られる。今日買っちゃうのが一番オススメではあるから、しっかり見てみて。それじゃ、それぞれ先輩と一緒に、気になる楽器へ、散!」


 そう言って、高倉はギターの皆を引き連れてギターコーナーへ移動し、ボディやネックの違い、重さ、ピックアップの種類などをざっくり説明してくれる。

 技術的な話にはあまり興味が持てなかったけれど、先輩らしく専門用語を噛み砕いてくれる説明は分かりやすくて、聞いていて苦にはならなかった。


「んで、こっちが初心者向けセット。ギター、ミニアンプ、シールド……あ、ケーブルのことな。あとチューナー、ソフトケースと全部込みでも一万〜三万くらいで揃うけど、あんまオススメはしない」

「どうしてですか?」

「やっぱ安かろう悪かろうで品質が劣るんだよ。音はノイズ乗りまくりだし、弦高も弾きづらかったり。続けるかもわかんないから安いので様子見って選択もあるかもだけど……実際、楽器を愛せないと練習のモチベも上がんないし」

「だよね~。だったら、少し値段が高めでも、見た目に一目惚れしちゃったコに決めちゃうのもオススメだよ?」


 凛が言葉をゆるく引き継ぐと、高倉がそれをいじる。


「凛はそれでピンクのフェンダー、13万だもんなあ」

「! じゅっ……!」


 そんな高額な買い物、したことがない。

 驚きのあまり声が漏れたぼくに、凛が朗らかに微笑んだ。


「ふふ。だって、恋しちゃったんだもん」


 その目は、あからさまに高倉を捉えている。

 ヒラヒラした白いワンピースに、ベージュのカーディガン。ゆるふわで女子力高めなその外見とは裏腹に、凛は随分、我の強い性格らしかった。


「ゆーたろとバンドしたかったし。そしたら、お気に入りのコをパートナーにして、本気で練習するのがいいかな~って」

「まあ、凛にはそれが合ってたのかもな。まだまだヘタクソだけどー」

「も~~! 意地悪いわないでよお!」


 からかう高倉、ぷんすか怒る凛。

 見慣れた光景なのか、先輩たちは楽しげに笑っていた。

 ぼくは、またカースト上位に君臨する陽キャ共のじゃれ合いを見せつけられて辟易する。


「……?」


 そんな小っ恥ずかしいやりとりをボーッと眺めていると、不意に凛と目が合った。


「大学の気楽なサークルとは言っても、やるからには実力がないと、ね! うちは初心者歓迎だけど、舐めてると後悔するよ~」


 冗談めかしてはいるが、高倉へ向けるふわふわの砂糖みたいな笑顔は鳴りを潜め、感情の読み取れない微笑みが貼り付いている。

 やっぱり、この人は……ぼくに対して明確に敵意を持っているようだ。

 それが嫉妬なのか、単なる縄張り意識なのかは分からない。でも、凛の笑顔は、まるでお菓子に仕込まれた毒のようだった。




 一通り説明を聞いた後は、ミキと一緒にギターを見て回る。


「最初は軽めのやつがいいよ。練習はいいとしても、動かなきゃいけないライブでは肩に来るから」

「うん、ありがとう」


 経験者としての実感がこもったミキのアドバイスを貰いながら、その後も何店舗かを巡り、それぞれが候補を絞っていく。

 夕方になって、また全員が駅に集まった。

 結局、ぼくは3万円くらいのシンプルな白いストラトタイプのギターに決めて、チューナーやシールドといった小物類も、安くて評判の良いものを揃えることにした。

 13万とはいかなくても、十分に大きな出費だ。

 買いたい服もあったのに、大きな痛手である。ただでさえ女性の服はやたらと高くて出費がかさむ。またバイトを頑張らなければならない。


 栞はコスパが良く初心者向けで有名なメーカーのベースを、杉村はドラムスティックと練習用のゴムパッドを、それぞれ購入していた。

 ミキは替えの弦とピックを何枚か。ボーカルの市河はマイクを見ていたようだけど、流石にマイマイクを買うには至らなかったようで、推しのバンドが表紙を飾る音楽雑誌を買ったようだ。


「全員揃ってるな? 今日はお疲れー。買えた子も、見ただけの子も、今日の体験がこれからの参考になればってことで。また水曜日よろしく!」


 高倉の挨拶があって、駅の改札前で自然と解散の流れになる。

 先輩たちが「おつかれ~」「また来週~」と声を掛けながら去っていく。何人かごはんに行ったりもするようだ。

 1年女子でカフェに行く案も出たが、慣れない楽器を持って土曜日の込み合った店内は少々きついと、そのまま解散することになった。

 杉村はカフェに着いてきたかったのか、ぼくと一緒に帰りたいのか、しばらくキョロキョロと様子を伺っていたが、ミキと栞に軽くあしらわれて、ひとり寂しく改札を通っていった。


 ひとり、ホームで電車を待ちながら、買ったばかりのギターケースを見下ろした。

 ……これから、ぼくはこのギターを弾いて、バンドの皆と一緒にステージに立つのか。

 まるでアニメみたいな……青春だ。

 そんな実感がふと湧いてきた瞬間、後ろから影が差した。


「それ、いいやつ選んだね」


 ……かかった。

 驚いたフリをして顔を上げると、声の主は案の定、高倉だった。


「白のストラト、シンプルだけど、見た目と音のバランスも良いし。ヒナちゃんに似合ってるよ」

「ありがとう、ございます。……高倉先輩もこっち方面なんですか?」


 不自然でないように、わかりきった質問をする。

 何せ、中学が一緒なのだ。高倉の家は知っていた。高倉がまだ実家にいるかは知らなかったが……無理なく通える距離だ、独り暮らしの可能性は低いと睨んだ通り。


「そうそう、ヒナちゃんも一緒だったんだ」

「はい、そうなんです。すぐ乗り換えちゃうんですけど……」


 ぼくはもう実家を出ているから、この電車では遠回りになるのだが、適当に誤魔化す。

 ぼくは、高倉とふたりきりになるチャンスを狙っていた。


 やってきた電車に乗ると、座席は埋まっている。ドア横のスペースに立って会話を続けた。


「ギター、練習頑張ってね。あ、でもやりすぎて弦切っちゃわないように注意な。まだ弦の張り替え出来ないっしょ?」


 ぼくは少しだけ勇気を出して、高倉を見上げる。

 杉村を実験台に練習した上目遣いだ。


「はい。まだ不安なことも多くて。今度、よかったら……その、練習とか、見てもらってもいいですか?」

「もちろん」


 即答だった。爽やかな笑顔。そこに、一切の戸惑いや迷いはない。

 その時、カーブに差し掛かった電車がガタンと揺れる。

 女の子の姿では、身長の関係で吊り革を掴みづらく、ぼくは少し大袈裟によろめいて……高倉に、腰の辺りを優しく支えられた。


「困ったことあったら、なんでも聞いて。俺、こう見えて面倒見いいから」


 紳士的な態度。

 優しい言葉。

 ヒナとして接する高倉は、サークルの頼れる先輩だ。

 ……だが、ぼくはこいつの醜悪な本性を知っている。


「先輩って、皆にそうなんですか?」


 照れたような。ほんの少し、拗ねたような顔をつくる。


「……ヒナちゃんはさ、真面目だし、可愛いし。放っておけないよ」


 冗談めかして言いながら、高倉は小さく笑った。

 善人ぶった振る舞い。その仮面に僅かなヒビが入って……そこから覗くのは、美少女への下心、優越感。

 隠しきれない本当の姿が、笑顔の下に巣食っている。

 どんなに上手く隠したって、ぼくにはお見通しだった。


 憎しみと、そして、ぼくの手のひらの上で転がされているとも知らない滑稽さ。激しく感情が揺さぶられて、入り乱れる。

 それをおくびにも出さないように気をつけて、ぼくはとびきりの笑顔を高倉に向けた。


「じゃあ、お願いします。……期待、してますから」


 それだけ告げて、ぼくは電車を降りた。

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