第2話【S細胞】
「では始めるぞ」
魏藍が静かに告げる。
「それじゃ。被験者No.64、被験者名”カミヤジンタロウ”を用いた擬似能力イノベーションを開始する」
魏藍の合図に応じて、燕はそれに合わせて魏藍に確認を行う
「”カミヤ”の最終異能使用時間は?」
「3時間前だ」
「なら、まだ細胞は生きてる…」と燕は言いかけたがすぐに言葉を切り替えた。
「いえ、ダメね…内臓がぐちゃぐちゃ…」
「対異能警察部隊の執清時によるものだな。相当派手に身体に喰らったみたいだ」
魏藍は淡々と続けた。
燕は眉を顰めながら言う。
「相変わらずやり過ぎね」
魏藍は軽く肩をすくめた。
「わかってるだろうが、内臓の損傷が激しいと活性化したS細胞は取り出せねぇぜ?」
「ど、どうするんですか…?」
財前の問いに少し悩んだ後、燕は答えを出した。
「脳の摘出に変更しましょう。頭部への目立った傷は無いしね」
それに対して魏藍は注意を促すように低く言う。
「だが前もやったが失敗する確率も高い。俺たちは医者ではねぇんだ、医者ですら脳の手術なんて神経を使う。そこは分かってるよな?」
燕は自信を持って答える。「えぇ、分かってるわよ。何年やってると思ってるの?始めるわよ」
それに対して簡潔に了解と言った魏藍は手術などで使うメスを握り、カミヤジンタロウの頭に切り込みを入れる。
それに対して財前は思わず目を閉じる。
「ちゃんと見て覚えて都姫。」
財前は緊張しながらも、グッと目を開けて作業を見守る。
魏藍が手を止め、頭部を開いた。「頭部は開いたぞ」
燕が即座に指示を出す。
「了解。それじゃあ脳の活性部位に結晶化工程に入りましょう。
魏藍は迅速に道具を準備した。
一つは化学で使われる様な道具。
もう一つは特殊な金属の塊だった。
S細胞の結晶化は通常の化学などで使われる結晶化工程に近い。
S細胞が含まれる部位と血液を溶液と置き換え、それを文字通り結晶化させる。
S細胞を固体として確立させるために行う為である。
魏藍の熟練した手つきにより、あっという間にS細胞は結晶化される。その動作には無駄がなく、長年の経験が感じられた。
「結晶化は完了。次は移植工程だ。」
魏藍が短く告げると、燕はすかさず返事をした。
「了解、次は私がやるわ。」
燕は手元にある特殊な金属の塊を慎重に取り出し、それを高温で加熱し始めた。
金属は次第に赤熱し、その表面が徐々に柔らかく変化していく。
「王来王家さん、それはなんです?」
財前が興味深げに尋ねた。
それに対し、燕は微笑ましく答えた。
「あぁ、これ?形状記憶合金って知ってる?」
「はい。一定の温度で加熱すると元の形状に戻る…とかいう金属ですよね?」
燕は小さく頷く。「そう。これはそれに近い金属だと思ってくれればいいわ。この金属は高温になると柔軟性を持ち、冷めると元の硬さ、そして記憶した形状へと戻る。
結晶化させたS細胞を保護しつつ、しっかりと包み込めるの」
そして燕は臓器を移植する様に結晶化したS細胞をその合金に移し、優しく包みこむように混ぜ合わせていく。
その動作はまるで繊細なガラス細工を扱うかのようだった。
「包む際は優しく…それでいて合金に混ざる様に…S細胞を死なせない様に…」
小言を言う様に呟きながら集中力を極限まで高めていった。
その手元からは熱気と共に、静かな燕の決意が漂っていた。
彼女の手が滑らかに動き、S細胞が完全に包まれると彼女は満足げに一息ついた。
「これでいいわね。次、移りましょう」
燕は次の工程へと意識を切り替える。
「了解。今回の”上”からの依頼は銃に付与する事だ。
上手くいけば漸く試作品が完成する」
燕は頷き、銃とS細胞を含んだ合金を小さな溶鉱炉の様な中に入れて行く。
財前が少し緊張した様子で口を開く。
「これは何をしてるんですか??」
「そのまんま混ぜてるだけよ?これで合金を含んだ銃が完成する」
室内はしばし静寂に包まれた。
全員が溶鉱炉の作動音に耳を傾ける。緊張感が漂う中、時間がゆっくりと流れていく。
やがて溶鉱炉は停止し、内部には一つの銃だけが残っていた。
燕は特殊な手袋をはめ、その銃を慎重に取り出した。
その瞬間、2人の視線が燕の手元に集まった。
「出来た…」燕が低く、しかし確信を持って呟いた。
魏藍は銃をじっと見つめ、考え込む様に眉を顰めた。
「さて、今回は成功か…」
「それじゃあ成果を見に行こうか」
ラボから外に出た3人は静かな夜空の下に立っていた。
燕は手にした銃を空に向かって構え、鋭い視線をその先に向けていた。
「都姫、記録お願い」燕は冷静な口調で指示を出す。
「は、はい!分かりました!」
財前は慌ててカメラを構え、録画ボタンを押した。
「試作No.28、擬似能力名”閃光人間”を付与、使用道具”拳銃”、実験開始」
燕は落ち着いた口調で実験内容を記録しながら、銃を構える。
そして引き金を引いた瞬間、夜の静寂を打ち破る様に強烈な閃光が空間全体を包みながら前方に飛んでいく。
閃光は前方の壁に当たり、その熱により一瞬で壁はその焼け焦げていた。空気がピリピリと震え、まるで雷鳴が轟いた様な静けさが戻る。
燕は一瞬驚いた様に目を見開いていた。
「思ったより、すごい威力ね…」
「び、ビックリしたぁ!?」財前が思わず叫ぶ。
魏藍は光が消えた壁をじっと見つめ、呟く。
「すげぇ光だな…こいつは」
燕は深呼吸しながら呟く「実験は成功ね」
しかし魏藍はすぐに厳しい表情へと戻った。
「だが、まだ課題はある」
「そうね、あの”問題”ね」燕も同意しながら言った。
「あの?」
財前が2人の会話に疑問を挟むが、答えを待つ間もなく、燕が再び銃を構えた。
引き金が引かれるたびに、閃光は次々と前方に飛んで行く。
その度に閃光が辿り着いた壁が焼け焦げていく。
そして4回目の閃光が飛び去った後、燕はもう一度引き金を引いた。
しかし何も起こらない。
もう一度、さらに何度も引くが銃から閃光が放たれることは無かった。
「あ、あれ?出なくなっちゃいましたよ?」
財前が不安げに銃を見つめた。
「今回は早かったな…それだけ使うエネルギーも多いってことか?どうだ?まだ使えそうか?」
燕は慎重に確認し、首を横に振った
「…いいえ、もう無理ね。中のS細胞が死んだ」
「S細胞が死んだ??どういうことですか?」
財前の問いには困惑が混ざっていた。
「擬似能力が実用化できない最大の理由の1つがこれなの。」
銃を見ながら言う燕。
「遺体から取り出したS細胞は言うならばその人間のもっていた異能の力の残高みたいなもの。S細胞は、その異能者が死んだ時点で時間をかけてどんどん死滅していくの。」
魏蘭も燕に続いて説明した。
「そのS細胞が生きてるうちに擬似能力として武器や道具に移して、俺たちが使う。だが使えば当然S細胞を使う。使えば細胞は急激に死滅する。と言うか消費する。
S細胞は消費したらしっぱなし。異能者は生きてれば他の血液や細胞からS細胞を増殖させることができるが、死んでる以上それは出来ない。」
「つまり擬似能力っていうの消耗品なの。」
燕は淡々とした口調で結論を述べた。
「そもそも異能ってのはS細胞によって活性化した脳から肉体へと伝わり、そして体外にS細胞を含んだエネルギーを発生させて超常現象を起こしてるわけだ。その活性化して体外に出されたS細胞は当然消費。だがさっきも言ったが生きてれば別の細胞から賄える。人間の体はそういうもんだ。だが物質は違う。物質から細胞を作るのは今の技術じゃ無理だ。」
財前は専門的な話について行こうと必死だったが、それでも納得した様に「なるほど」と頷いた。
「今回も失敗ね」
燕は銃を見つめながら冷静に結果を受け入れた。
「中々上手くいかねぇもんだな。またいつ異能者の被験者が流れてくるかわかんねぇぞ?」
「そうね…その時までにはこの擬似能力の維持の課題をどうにかしておかないとね…」
燕は腕を組みながらも、この課題に思いを巡らせる。
「また”九条長官”に怒られるな…」と肩をすくめる魏藍。
「私も謝りに行くわ」
魏藍は少し困った様に眉をあげる
「そうしてくれ、”この国の英傑”の1人に怒られるのはゲンナリするからよ」
「あの私はどうしましょう?」
財前が燕に聞く。
燕は財前に顔を向け、優しく言う。
「そうね、記録は撮れてるわね?」
「はい、ですがフラッシュがすごくて良いのかどうか…」
財前は心配そうにカメラを見つめた。
「良いわ、どうせ失敗だし、九条長官も映像自体はそこまで気にしないでしょ」
財前からカメラを受け取った燕はそれを確認した後言う。
映像を確認した燕は財前に指示を出す。
「それじゃあこの後は都姫にはラボの道具の片付けと被験者カミヤの移送。それと今日の日報お願いしようかな」
「分かりました!…って、え?カミヤの移送を私がするんですか?」
燕は軽く微笑み「遺体になれる為よ?頼んだわ」
「じゃあ俺たちはこのまま警察庁に向かうか?」
「えぇ、さっさと言って報告しときましょう。」
こうして、少し引き攣った顔の財前をラボに残し、燕と魏藍は共にこの日本の治安を維持し続けている現在の警察庁へと向かうのであった。